大森 (八幡) 海岸海水浴場 久我邦太郎2 (入新井特別出張所) #137
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はじめに
これから
大森八景園の開園に続いて
久我邦太郎が開場した
もう一つのレジャー施設の
お話をしようと思います。
ー免責事項ー
この記事の後半には
筆者による
大胆な考察が入ります。
東京湾で初めての海水浴場
1891年 (明治24年)
邦太郎は、
潮干狩りの行楽地として知られていた、
八幡 (やわた) 海岸に
(現在のBOATRACE 平和島の向かいあたり)
八幡海岸(大森)海水浴場を開設しました。
これにより、
以前は大磯まで
足を運んでいた人々が、
交通の便がよい大森で、
手軽に海水浴を楽しめるようになり、
大きな人気を博しました。
この海水浴場の人気は、
周辺地域の発展にも
大きく寄与しました。
近くにある磐井神社の周辺には、
1893年 (明治26年) 5月 料理屋伊勢源が開店。
1894年 (明治27年)鉱泉が湧出。
その後、
魚栄や松浅などの料理屋が続々と開店。
1901年 (明治34年) 2月1日
京浜電気鉄道 大森~川崎間開通により、
アクセスが飛躍的に向上し、
周辺の料亭群を含めた、
地域全体の
更なる賑わいをもたらしました。
※それまでは
大森から馬車で向かっていました。
※この料亭群は、
後に三業地 (花街) として、
発展していきました。
1904年 (明治37年) 5月8日
品川 (北品川) ~
大森海岸 (初代八幡) 間が開通すると
大森駅~大森海岸駅間は、
京浜電鉄株式会社大森支線となりました。
1931年 (昭和6年)
湾岸エリアの
工業化が進んだことで、
水質汚染が深刻化しました。
こうして東京湾初の海水浴場、
八幡海岸海水浴場は閉鎖されました。

当時の遺構
大森駅から
大森海岸駅につながる
道路の途中には
遺構が残っています
※「チンチン電車の敷石」という
当時の敷石が
イトーヨーカドー大森店の前にあります。
当時、
前の道に電車が走っていた歴史を、
今に伝えています。

区画自体が遺構!
当時の大森支線の
大森停車場前駅は、
ループ形状にして
方向転換をしていました。
※箕面有馬電気軌道時代の
箕面駅などと同様の構造だそうです。

当時京浜急行には
大森八幡 (八幡) 駅や
大森海水浴場前駅がありました
※大森八幡 (八幡) 駅とは、
現在の国道15号の、
大森北交差点近くの
京浜急行線上にありました。
1944年 (昭和19年) 廃止

大森八景園と八幡海岸海水浴場の簡単な年表
1884年 (明治17年)「大森八景園」を開園
1887年 (明治20年) 園内に家屋や木を植樹
1888年 (明治21年) 蟹料理が名物の「三宜樓」開店
1891年 (明治24年)「八幡海岸(大森)海水浴場」を開場
1893年 (明治26年) 5月 料亭 伊勢源 開店
1894年 (明治27年) 鉱泉が湧出 (大森海岸周辺)
1894年 以降「魚栄」「松浅」など料亭が続々開業
(大森海岸周辺)
1897年 (明治30年) 「三宜樓」閉店
所有者が 久我氏から加藤文武氏に代わる
1901年 (明治34年) 2月1日 京浜電気鉄道 (大森支線) 開通
1902年 (明治35年) 11月13日 皇后陛下が行啓
1904年 (明治37年) 5月8日京急本線開通により
京浜電気鉄道大森支線となる
1907年 (明治40年) 大森海岸の松浅が
八景園に「松浅支店」を開店
1913年 (大正2年) 「松浅支店」閉店
1922年 (大正11年) ~1924年 (大正13年)
八景園の敷地が住宅街となる。
1931年 (昭和6年) 水質汚染により八幡海岸海水浴場閉鎖
1937年 (昭和12年) 3月8日京浜電気鉄道大森支線廃止
ー考察 (鉄道との関連) ー
久我邦太郎氏は、
明治時代初期という早い段階で、
都市近郊に
大規模な遊園地や海水浴場という、
レジャー施設を開発し、
極めて先見的な事業を展開しました。
邦太郎の行った事業は、
当時の京浜電鉄の路線計画に、
多大な影響を与えたと思っています。
川崎から延伸されたこの路線を見ると、
八幡海水浴場の直近を通り、
直角に大森駅に向っています。
これは2大行楽地の存在が、
あったからこそであると思います。
もし、
大森八景園のことだけを考えた、
延伸構想をするのならば、
現在の平和島駅あたりから、
大森駅方向へ直接向かうのが、
自然であると思うからです。
そうしなかったのは、
その先にあった
八幡海岸(大森)海水浴場の存在を、
無視できなかったから
ではないでしょうか?
また、
そうできなかった理由として、
時期は不確かですが、
当時沢田駅 (現平和島駅) 西側に
大森八景園と同じような
広大な敷地の、
「松岡ミルクプラント」という、
牧場の存在も
あったのかもしれません。
(補足)
松岡ミルクプラントについては、
Web上では確認できませんが、
出典は大田区史等の郷土資料を
紐解いた際に確認した記憶です。
大森海岸駅から
直角に大森駅に
線路を通したのは
この二つの観光地の
影響が大きかったと
改めて主張したいと思います。

加えて
1911年 (明治44年)
京浜電鉄は
八幡海水浴場の成功を
見てかは定かではありませんが、
羽田穴守海水浴場の
開場と運営に繋げています。

羽田穴守海水浴場.jpg
最後に
これらの観光地を作った
久我邦太郎は、
線路の敷設や企業の運営にまで、
深く影響を及ぼした可能性が高く、
Otapediaは
久我邦太郎を
『幻の行楽王』として
また
『大森八景園』と
『八幡海岸海水浴場』
『京浜電気鉄道大森支線』を
「大田区未顕彰の地域遺産」
として登録します。
大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す営みです。
彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡を
未来へと伝えていきます。
これらは
「Otapedia独自の呼称」であり
「大田区公式の認定ではありません」。

出典
1.『NPO しながわ 花街道』
2. Wikipedia 『ファイル:羽田穴守海水浴場.jpg』
3.『Bing マップ』
4. Wikipedia 『京浜電気鉄道大森支線』
5. Wikipedia 『京急本線』
6.『大田区史 下巻』
7.『入新井町誌』
8.『大森区史』
ヘッダー
『大森海水浴場』大田区立郷土博物館 所蔵
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