久我邦太郎④ ― "開拓狂" の人物像と彼の目に映っていた世界 (入新井特別出張所) #261
※本記事は
Otapedia 公式note(https://note.com/fine_rat5784)のみで
公開しています。
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邦太郎の人物像
どこへでも
すぐに駆けつけられるよう、
馬を十頭飼っていたという。
気に入った者がいれば、
すぐに譲ってしまう。
使用人の家が焼ければ、
翌日には新しい家を建てさせる。
そして
自らは「墓はいらぬ」
と言い残した。
子孫の所在も
明らかではない。
名を残すことに、
全く興味のない人生。
だから彼は、
自分を遺す代わりに
街を残したのかもしれない。
なぜ名が残らなかったのか
彼は写真というフレームに
開発の事実を残す人ではなかった。
これは私の想像であるが、
頭の中に描いた街を、
そのまま空間に
描いた人だったのではないだろうか。
もし彼が
その構想を図面や記録として
残していたなら、
私たちは完成した街だけでなく、
その“描こうとした景色”まで
見ることができたのかもしれない。
それが、
彼の名が広く歴史に刻まれなかった
一因なのではないだろうか。
どこかの誰かの決断が、
いま私たちの歩く街の輪郭を
かたちづくっている。
村井氏のことを
熱量高めと称しましたが、
Otapediaだって
熱量を注いで書くのだから
言えないのかもしれない。
そう思いつつも、
知られざる
史実を求めて、
私はまた投稿する。
最後に
本稿の執筆にあたり、
資料をご提供くださった
大田区郷土博物館
学芸員の方に
感謝を申し上げます。
Otapediaは
久我邦太郎を『幻の行楽王』と
称しましたが
改めて
村井銕城氏の
言葉をお借りして
『幻の開拓狂』
に改称します。
その "開拓狂" を支えた
職工たちを
「大田区陰の功労者」
とし、
久我邦太郎が没した
10月19日を
「大田区記憶の日」
として記録します。
大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
歴史の静寂からお連れする
営みです。
彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡を
未来へと伝えていきます。
これらの呼称は
「Otapedia独自の呼称」であり
「大田区公式の認定ではありません」。

出典
雑誌『武蔵野』
(大田区立郷土博物館 学芸員様より提供資料)
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