捜査中、という言葉〜辺野古事故・特別委見送りを観察する〜 辺野古転覆事故・第39稿
七月八日、沖縄県議会の各派代表者会議で、一つの提案が退けられた。辺野古沖の転覆事故を調べる特別委員会を設置する、という提案である。
提案したのは自民会派だった。他のすべての会派が、設置に反対した。理由として報じられているのは、二つ。捜査中で時期尚早である。総務企画委員会で対応できる。設置は見送りと決まった。提案した会派は本会議への上程を求める方針だというが、代表者会議で見送りが決まった以上、この定例会のうちに器が置かれる見込みは薄い。時期尚早という言葉の隣で、時間の方も過ぎていく。
僕がここで見たいのは、賛否の構図ではない。使われた言葉の方だ。捜査中——この四文字が、この事故をめぐって、どこで、誰に、どう使われてきたか。
閉じていく場所
遺族は六月二十三日、事故から百日の節目に、noteへこう書いていた。捜査もしないうちから、誰も罪に問えないと判断してほしくない。まずは捜査を始めてほしい、と。調べてほしい、という願いだった。
その願いの周りで、調べる場所は、ひとつずつ閉じてきた。
学校。第三者委員会を三月末に設置して以降、調査中であることを理由に、対外的な説明をほぼ止めている。調査がいつ終わるのか、めどは示されていない。
県。七月一日の県議会一般質問で、県独自の調査を求められた県側は、修学旅行は学校や旅行会社が主体で実施しており、県が指導・調査する立場にはない、と答えた。知事は、事故現場をまだ視察していないことを認め、現場確認は検討したい、と述べた。その八日後、知事は文部科学省を訪れ、国が始めた学校への調査について、結果を踏まえた対応が平和教育の萎縮を生まないよう配慮を求めている。県は、自らは調べる立場にないとしつつ、国の調べ方には注文を付ける側に立った。
そして県議会。捜査中で時期尚早、として、特別委員会の設置は見送られた。
学校は調査中だから語らない。県は立場にないから調べない。議会は捜査中だから時期尚早だとする。それぞれの理由は、それぞれの場所では、筋の通った説明なのだろう。僕はどの判断も、誤りだと断定しない。ただ、三つの説明を並べたとき、残る事実が一つある。捜査以外に、この事故の全体像を調べている公の場所が、見当たらなくなった。
捜査と調査
ここで、言葉を分けておきたい。捜査と調査は、制度の上では別のものだ。
捜査は、海上保安庁が進めている。業務上過失致死傷などの容疑で、罪を問えるかどうかを調べる手続きだ。第37稿で書いた、注意義務を負う者を捜す枠である。
調査は、それとは別に存在する。国土交通省の運輸安全委員会は、事故の翌日から船体の調査を始め、死者が出たことから、最も重い重大事故に認定した。所管は那覇の事務所から本省へ移された。この調査の目的は、罪を問うことではない。原因を明らかにし、再発を防ぐことだ。責任追及と原因究明を切り離すために、制度として捜査と分けて設計されている。
この制度は、過去の海難の上に鍛えられてきた。二〇二二年の知床の観光船事故では、二十人が亡くなり、運輸安全委員会の調査報告が安全管理の不備を明らかにした。その教訓から、海上運送法も改正された。今回転覆した二隻が、その海上運送法に基づく事業登録をしていなかったことは、事故の翌日には報じられている。制度は、前の事故から学んで作られる。その制度が、いま、この事故を調べている。
つまり、捜査中であることは、制度の建前の上では、調査をしない理由にはならない。現に国の調査は、捜査と並行して走っている。県議会が特別委員会でやろうとしたのも、罪を問うことではなく、安全管理や受け入れ体制の検証だったはずだ。捜査中という言葉が、なぜ、調べない理由として通用するのか。そこが、僕には見えない。
同じ言葉の、もう一つの使われ方
その運輸安全委員会の調査は、いま、難航している。
五月二十二日、国土交通大臣が会見で調査の状況を明かした。現在に至るまで、運航関係者の誰からも聞き取りに応じてもらえていない、と。運航団体は書面による照会には応じている。だが、もう一隻の船長は、刑事事件の取り扱いへの影響が懸念される等の理由により、聞き取りには一切応じない、との意向を示している。大臣は、今後も事実確認は困難だと述べた。
書面に応じる、という応答にも、形がある。国が過去の乗船履歴を照会した際、団体の代理人は、照会の法的な目的や意図が明らかでない、として説明を求めた。応じる範囲を、応じる側が区切っていく。答えないのではない。だが、何にどこまで答えるかは、問われる側が定めている。
刑事事件への影響——つまり、捜査中であることが、ここでは、調査に答えない理由として使われている。
並べてみる。議会では、捜査中だから、調べるのは時期尚早だとされた。調査の現場では、捜査中だから、質問には答えられないとされた。同じ四文字が、調べない側の理由にも、答えない側の理由にも、なっている。
言葉そのものに、罪はない。捜査への配慮は、法的にはどちらの場面でも成り立ちうる理屈だ。僕は、どちらかの使い方が不当だと断定しない。ただ、一つの事故をめぐって、同じ言葉が、問う側を止める方向と、問われる側を守る方向の、両方に働いている。その配置だけは、記録しておく。捜査中という言葉が使われるたびに、捜査以外の場所で何かが明らかになる道が、一つずつ細くなっていく。
動いている委員会
特別委員会という仕組みそのものが、この議会で動かないわけではない。
七月七日、同じ沖縄県議会では、ワシントン駐在問題調査特別委員会が開かれていた。県のワシントン事務所をめぐる問題を調べる特別委員会は、設置され、現に動いている。
二つの案件を比べて、どちらが重いかを論じるつもりはない。案件ごとに事情は違い、設置の経緯も違う。ただ、特別委員会という調べる器が、この議会に存在し、機能している、という事実だけを置いておく。器がないのではない。この事故については、置かれなかった。
より小さな議会は、動いていた。石垣市議会は三月、海上活動の安全対策と監督体制の強化を求める意見書を全会一致で可決した。うるま市議会も、教育旅行の安全を求める意見書を賛成多数で可決している。市の議会が意見書を出し、県の議会が特別委を見送る。層によって、動きが分かれた。どちらが正しいかを、僕は言わない。分かれた、という事実を置く。
願いに戻る
まずは捜査を始めてほしい、と遺族は書いた。百日の時点で、遺族が頼れるものとして名指しできたのは、捜査だけだった。
この連載で書いてきたものを、振り返る。第34稿では、名簿が束ねた側の手で消された。第36稿では、謝罪の言葉が積まれながら、対面だけが欠けていた。第38稿では、名簿と点呼と顔という、識別のいちばん底が空いていた。そして今回、調べる場所が、ひとつずつ閉じた。消える、欠ける、空く、閉じる。別々の場面の話だが、向きは同じだ。何かが明らかになる道が、少しずつ塞がれていく。
その中で、遺族は書き続けている。学校は調査中と言い、県は立場にないと言い、議会は時期尚早と言った。国の調査は動いているが、関係者の口は、捜査中を理由に閉じている。
調べる場所は、ひとつずつ閉じていった。最後に残った捜査は、いつ終わるのか、誰にも分からない。
僕は書き続ける。
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