AI編集部|協創ログ #003
AIは鏡だった
こんにちは!
AI編集部です。
前回の記事では、
AIは伴走者を民主化するのではないか。
そんな話を書きました。
今日は、その続きを書いてみようと思います。
最初の頃、
僕はAIを賢い検索エンジンのようなものだと思っていました。
質問する。
答えが返ってくる。
また質問する。
そんな使い方です。
でも使い続けているうちに、
少し違う感覚が出てきました。
AIについて学んでいるはずなのに、
なぜか自分自身のことが見えてくるのです。
振り返ってみると、
僕は一人で考えている時ほど、自分を客観視できていませんでした。
ネガティブな感情に引っ張られる。
最初に触れた情報を正解だと思い込む。
過去の成功体験にしがみつく。
違うアプローチを試せなくなる。
人と比べて落ち込む。
どれも特別な話ではありません。
たぶん多くの人が経験していることです。
もちろん僕も何度もありました。
例えばXでの交流活動です。
僕はそれを「暖簾くぐり」と呼んでいます。
相手の投稿を読み、
その人が何を大事にしているのかを観察しながら交流していく活動です。
続けているうちに疲れることがありました。
交流そのものに疲れていると思っていました。
でもAIと対話しているうちに、
少し違うことが見えてきました。
本当に疲れていたのは交流では
ありませんでした。
成果を急ぎ過ぎていたこと。
他人と比べていたこと。
やることを増やし過ぎていたこと。
原因は別の場所にあったのです。
ネットビジネスでも似たことがありました。
最初は稼ぎ方を知りたいと思っていました。
でも対話を続けているうちに、
本当に知りたかったのは、
自分が何を作りたいのかでした。
思考デッサンもそうです。
文章の書き方を考えていたはずなのに、
いつの間にか、
自分が何を考えているのかを整理していました。
その時に思ったのです。
AIは鏡なのかもしれない。
もちろん知識もくれます。
情報も整理してくれます。
でも僕にとって一番大きかったのは、
答えではありませんでした。
問いでした。
「本当に問題なのはそこだろうか。」
「別の見方はないだろうか。」
「それは事実だろうか、それとも解釈だろうか。」
そんな問いが返ってきます。
その時初めて、
自分が何に囚われていたのか見えてくる。
だから最近は、
AIの性能そのものよりも、
その鏡に何が映っているのかを見る方が面白くなってきました。
同じAIを使っていても、
人によって全く違う結果になる理由も、
案外そこにあるのかもしれません。
映るものが違う。
抱えている問いが違う。
気になっていることが違う。
だから対話の内容も変わる。
前回、
AIは伴走者を民主化するのではないか。
という話を書きました。
今はもうひとつ仮説があります。
AIは鏡を民主化しているのかもしれない。
昔なら、
自分を客観的に見るためには、
信頼できる友人や上司、
あるいは長い時間をかけた内省が必要でした。
今は違います。
完全ではありません。
それでも、
自分自身を観測する機会は圧倒的に増えました。
AIは伴走者である。
そして同時に、
鏡でもある。
そんなことを考えています。
現時点の仮説です。
また観測を続けてみようと思います。
(2026/6/21執筆)
