78-85年、昭和アニメ狂時代。初恋のキャラは誰?
日本男児たるもの、初恋の相手はアニメ美少女でなくてはなりません。異論は認めませんよ😁多くの魅力的なヒロインが昭和のTVを彩りました。皆さんもトキメキが忘れられない初恋のキャラがいるのではないでしょうか。小学生の男女がベルリンの壁よりも分断されていた頃、アニメ美少女が初恋の相手になるのは必然でした。
今回は1978-85年というゲームとアニメが交錯する直前の時代を綴ります。
さあ、あの「懐かしい時代」にタイムスリップしましょう😉




❶昭和のTVアニメ事情


僕は昭和48年生まれなのですが、物心ついた時から既にアニメが子供の娯楽として完全に定着していました。漢字も読めない幼稚園時代から、新聞のテレビ欄を見てお気に入りのアニメをチェックするのが日課になっていましたよ。80年代前半はビデオデッキがほとんど普及していなかったので生放送を脳裏に焼き付ける必要があったのです。お気に入り番組の放送を見逃すことは、文字通り「死」を意味しました。




ありがたいことに夕方の時間帯は人気アニメの再放送が定番でした。『新造人間キャシャーン』『妖怪人間ベム』『ハクション大魔王』といった、一昔前の名作アニメは再放送のお陰で全話視聴ことができました。ただ再放送は局の都合で中断されることもしばしば。僕は隠れた名作『ポールのミラクル大作戦』が途中で打ち切りになって、フジテレビを恨んでましたよ😁
逆に1時間放送でやや大人向きな内容だっった『野球狂の詩』や、太平洋戦争をテーマにした『アニメンタリー 決断』は殆ど再放送されなかったため、ネット時代が到来するまで存在そのものを知らなかったです。



後で知ったのですが、これは地域差がかなりあったようですね。僕は文字通りTVに齧りついて見ていました。母上様に「おじいちゃんの水戸黄門の時間でしょ!」と毎日のようにTV争奪戦が行われておりました。まだ一家にテレビが1台しかなかった「サザエさん」そのもの光景です。



え?今もビールになっただけで変わらないんじゃあ😅
まだTVゲームもガンプラもなかった時代ですので、男の子の共通言語はアニメと特撮でした。学校に行くと、まず挨拶代わりに前日の人気アニメの名シーンについて語らうのがお約束でした。

ウルトラマンは子どもたちのヒーローでしたね。


愛してやまないロボアニメについてもまたいずれ…
僕の世代の人なら解って貰えると思うのですが、当時小学生は信じられないぐらい男の子と女の子の間に分断がありました。近所の女の子とちょっと話した位で、翌日クラス中ではやし立てられるのが日常茶飯事。バレンタインデーにチョコを貰ってる奴なんて見たことなかったです。この頃僕は少年剣道会に通っていたのですが、夏合宿で休憩時間に女子部の子とちょっと談笑していたら、おっかない先生に「たるんどる!」と怒鳴られて、それ以来ますます女の子と話せなくなってしまいました。
「男女七歳にして席を同じゅうせず」という狂った世代がバリバリの現役だったので、それもまあ仕方なかったのかもしれません。僕の9歳になる甥っ子は、既に三角関係に悩むという許せない…アワワ、羨ましすぎる相談をおじさんにしてくるのですが「もう少し大きくなったら『めぞん一刻』を読め、話はそれからだ。」と答えてやりましたよ🤣

そんな訳で、思春期を迎えた僕らの初恋の相手がアニメの美少女というのは自然な流れでした。ゆうきまさみ先生もそう仰ってますしね。僕達はニュータイプだったのか・・・ならばアニメや漫画のキャラに胸が熱くならない奴は旧人類ですよ。
覚醒していないオールドタイプは失せろ!🤣

アニメ雑誌でも「人気キャラ」や「恋人にしたいキャラ」の投票企画が何度も行われました。これは1982年6月の特集なんですが、放送から4年もたった機動戦士ガンダムのセイラさんがトップを飾ってますね。しかしセイラさんとデートするとき、どんな話すればいいんでしょうか。


男性部門で『六神合体ゴッドマーズ』の明神タケルとマーグがトップ2になっていますが、これは当時全然意味が解りませんでした。どう考えても「キャプテンハーロックだろ!」と思っていましたよ。その後高校で、憧れだった理科部の先輩(『ガラスの仮面』の月影千草ソックリ)が、腐女子の原型たるバリバリの「やおい少女」で、そのディープすぎる禁断の世界を教えてもらうことになるのでした。
念願の初デートでは上野の国立科学博物館で、オセアニア博物学と『天空戦記シュラト』の講義を延々と聞くハメに🤣この話はまたいずれ…しかし男の子の意見として言わせてもらうと、気が狂ってる「赤い彗星」だけはヤメとけ!と言いたいです。

「ガラスの仮面」がドラマ化された時、月影千草を演じた野際陽子さんが先輩ソックリで驚かされました。現在は地方大学で研究職をされているそう。まだボーイズラブ801にハマってるのかなあ。


僕がアニメを視聴し始めたのは1978年のようです。奇遇にもアニメ雑誌の草分け『アニメージュ』が創刊されてた年でした。それまで子供相手の消耗品の娯楽に過ぎなかったアニメがホビーとして認知され、多くのファンの熱意とともに急速に発展していった転換期だったと思います。これは黎明期のアニメージュに掲載された対談記事。なんと手塚治虫先生が司会を務められ、竜の子プロの笹川ひろしさんや富野由悠季さん(富野喜幸)が参加された超豪華な内容です。アニメファンは必見ですよ!










僕はこの時期のアニメすべてが日本の神話だと思っています。
❷アニメを支えた「栄光なき天才たち」

アニメが高度な分業体制によって作成された「作品」であることが解ってきました。
僕がアニメを特別な存在と認識したのは小学校3年生だった1982年に、美大のアニメ研究会の部長をしていたその筋の猛者との出会いがきっかけでした。通っていた絵の教室の先生の息子さんだったのですが、思春期にリアルタイムで初代『宇宙戦艦ヤマト』を視聴したという、ガチのアニメファンのオリジンと言えます。今考えると現在アオイホノオを連載しておられる島本和彦先生や、庵野秀明さんに近い世代ということになりますね。ずうずうしくもお気に入りの『わが青春のアルカディア』の録画を頼み込んだのが縁だったのですが、生涯僕のアニメの師匠とも呼べる存在でした。


翌1983年に大学の学園祭に幼馴染のFM7くんと連れて行って貰ったのですが、とにかくアニメファンの情熱に圧倒されました。気軽に見ていたアニメをここまで追求する人達が存在するというのが衝撃でしたね。驚かされたのはアニメ研究会の部員全員が恐ろしく絵が上手いことでした。頼んだアニメキャラのイラストを、即興で描くという信じられないイベントをやっていたんです。上手いだけじゃなく描くのがムチャクチャ早いんですよ。

確か2分ぐらいだったと思います。




僕とFM7くんが目を丸くして驚いていると、彼らは笑いながら
「今君らが見ているアニメを創ってる安彦良和さんや美樹本晴彦さんは俺たちの100倍上手くて早いよ。」
と答えてくれました。師匠がアニメージュを持ってくると、連載が始まっていた『風の谷のナウシカ』を見せながら
「作者は宮崎駿という人なんだが、アニメ製作と掛け持ちで描いてるらしいぜ。」
と、信じられないことを教えてくれました。
その他にも小学生の僕らには全然知らないような面白い蘊蓄を散々教えて貰った後、師匠が言った言葉が今でも忘れられません。
😉「君たち、今週何本アニメ見てる?」
🤔「うーん10本、いや再放送も入れればもっとかなあ。」
🤭「こんなことができるの、世界で日本だけらしいぞ。」
😲「え!そうなの?」
😤「米国のディズニーアニメは凄い。でも毎週放送するのなんて不可能なんだ。君たちが大好きなロボットや美少女も、日本でしか創れないアニメなんだぜ。」


この言葉に部員たちが大きく頷きます。子供心にも彼らアニメファンが「自分たちは誇るべき日本文化の最前線にいる」という強い自負心を抱いていることを感じました。アニメが市民権を得ていない時代、まだ偏見のあったアニメという文化を「クールジャパン」の代表格にまで押し上げたのは、こうした名もないアニメファンの熱意にあったと思うのです。


彼らの目の輝きと同じものを、僕はレトロパソコン、そして黎明期の総合格闘技の世界でも見てきました。
歴史に残る天才達は、多くの名もなき熱意ある人々からから生まれてくるのです。自分はこれからもそんな歴史に残らなかった人たちの面影を綴っていけたらと思っているのです。

熱い仲間たちと共に過ごした最高の日々でした。
師匠と僕の宇宙戦艦ヤマトの想い出と、悲しい別れについてはコチラ。

❸昭和TVを彩った美少女たち




それでは自分の印象に残ったヒロインたちについて語らせてください。感想については当時の心境のまま語っているので大目に見てくださいね。相変わらず凄い量になってしまいましたが、これでも半分以上原稿を削ってるんですよ。今回泣く泣く削った作品は、次回投稿でお披露目するつもりです。
皆さんがご存知の作品だけでも見てくれると嬉しいです。
1978年『未来少年コナン』

僕が恐らく初めて熱中したアニメです。NHKが放送した最初のアニメシリーズとして注目されていました。今では信じられませんが「NHKが低俗なアニメを放送するなんて!」という抗議がかなりあったと聞きました。それぐらいまだアニメの社会的地位が低かったのです。
実は一緒に見ていた父が僕以上のファンで「独裁政治を批判する素晴らしい作品」と絶賛していました。父はソ連での仕事が長く、インダストリアのような恐怖管理社会の恐ろしさを実感していたからかもしれません。このおかげで僕は大ぴらにアニメを見まくることができるようになり、アニメ狂の道へと突っ走ることになるのでした。



当時幼稚園生でしたから、細かい物語を理解することは出来なかったのですが、あの心躍る冒険活劇を毎週心待ちにしていました。本作にはラナと言う印象的なヒロインが登場しますが、どちらかと言うと頼れる相棒のジムシィの方が印象に残っています。こんなハチャメチャな奴と冒険出来たら楽しいだろうなあと毎回思っていました。ラナちゃんの魅力を再確認するのは、後に『天空の城ラピュタ』のシータの原型であることに気が付いてからです。長きにわたる宮崎駿先生の世界の入口になってくれた、忘れ得ぬ名作です。

1978年『銀河鉄道999』

1978年9月14日~1981年3月26日という足掛け4年に渡る超大河ドラマで、放送中は永遠に終わらないで欲しいと思ってました。誰もが鉄郎のように銀河鉄道のパスを片手に、機械の体をタダでくれるという星に行きたいと思ったに違いありません。永遠の憧れである謎の美女メーテルは、子供心にも「何時か消えてしまうのでは…」という儚さを秘めたヒロインでした。







原作も叙情的な世界観でしたが、アニメ版はさらにその演出が徹底されていました。車掌さんの「次回の銀河鉄道999は・・・に停まります」と〆るナレーションも忘れられません。999号が汽笛とともにゆっくりと発車するオープニングは、毎週新しい星に連れて行ってくれるような、幻想の世界にいざなってくれたのです。
映画版『銀河鉄道999』のゴダイゴの歌う主題歌『The Galaxy Express 999』はアニメソング史上における最高傑作の一つですよね!元気を出したい時には必ず歌うことにしています。でもカラオケではサビが歌いにくいんですよ😁

1979年『機動戦士ガンダム』

僕はガンプラ直撃世代なので、再放送で何度も見た口です。ファーストガンダムは戦場での青春群像劇を描いているので、多くの女性キャラが登場しました。しかしどのキャラも具体的なお相手が存在するので恋愛対象には感じることができませんでしたね。唯一フリーなセイラさんはあまりに高貴過ぎる為にパス。サイコパスで頭のおかしい兄貴もついて来るし。小学生の時に小説版を読んだら、余りの悪女っぷりに度肝を抜かれましたよ。僕が最も印象に残ったのは戦争の不条理の中で健気に生き抜こうとする、ミハル・ラトキエの悲しすぎる最後でした。




1971・1977年 『ルパン三世』

僕はルパン三世の再放送で育った世代です。学校から帰ると何時もルパン一家の痛快な冒険劇が繰り広げられていました。しかしヒロイン?の峰不二子は、小学生の間での評判は散々。信用できない悪女の代名詞になってしまった感があります。僕も「ルパンは何でこんなどうしようもない女に惚れこんでるんだろう。」と訝しんでいましたよ。彼女の本当の魅力に気が付いたのは、もう少し大人になってからでした。



やっぱかっけえ!
時は流れ、僕が社会人合唱団でお付き合いすることになったのは「胸のない峰不二子」と呼ばれた魔性の女。散々弄ばれた挙句
「💋ごめんなさいルパン~」とお決まりの展開でポイ。直後の総合格闘技の試合ではボコボコにされた挙句に腕を極められての一本負け。いや~、男って本当にバカですね!(水野晴郎さん風に)



1981年『太陽の牙ダグラム』

Not even Justice, I want to get Truth. 真実は見えるか!
独立戦争をテーマとした、ガンダムとはまた違った戦場での青春群像劇を描いている作品でした。主人公側は反政府ゲリラなので、今までの品行方正な「地球防衛軍」と正反対のアナーキーぷりが魅力です。ロボアニメではテコ入れのためのパワーアップ描写が定番ですが、ダグラムは特殊改造などではなく「どこからか拾ってきた9連装ミサイルポッド」という荒業でヤクト(駆逐)タイプに強化。これぞゲリラの戦い方よ!




そんな荒くれ物の揃いの「太陽の牙」の紅一点、キャナリー・ドネットは強烈に印象に残っています。「やってやる!」を決めゼリフに、常に最前線で体を張る姿は「守るべき」であるか弱いヒロイン像と対極の存在だったと思います。勝ち気で男勝りの彼女でしたが、終盤のサマリン博士の遺言に涙を流し頷きながら、そっと毛布を掛ける姿は慈愛に満ちた少女の姿でした。



ダグラムは作中曲も素晴らしく、印象に残る名曲が多かったです。特にこの『決意』はダグラム率いる人民解放軍が、大きな犠牲を払いながらも勝利した際に使用された切なすぎるバラード。前述したサマリン博士の遺言にロッキーが自責の念で慟哭し、キャナリーが博士を看取る場面は本作屈指の名場面でした。当時ダグラムを視聴していた方は是非聞いてみて下さい、必ず毎週金曜日17:55の感動が蘇るはずです。
この曲はきっと「デロイア共和国国歌」として歌い継がれているのだと思うのです。
1981年『うる星やつら』


当時放送開始前から盛んに宣伝され「満を持してのアニメ化」となったことを覚えています。今でも忘れられないんですが、放送が毎週水曜19:30-20:00で、僕が崇拝する松本零士先生の『わが青春のアルカディア 無限軌道SSX』ともろ被りだったんですよ。悩みぬいた挙句、僕は前述した美大のアニメ研究会のお兄さんに強引に弟子入りし、録画してもらうことでようやくラムちゃんに会うことが出来たんです。


ドキドキしながら10月14日の初放送を迎えると、伝説の1話「うわさのラムちゃんだっちゃ!」でラムちゃんの素敵なオッパイが露わになるシーンが!これを見ていた母上が大激怒。
😡「こんないやらしいアニメを見ちゃいけません!」
それで諦めたのかって?僕はそんな甘ちゃんじゃないですよ。おじいちゃんがやっていた、裏の工場にある休憩所の白黒テレビでこっそり見てました。
僕はその後MSXユーザーになるのですが、パソコン少年の間でラムちゃんが神格化されていることに気が付きました。黎明期におけるコンピューターグラフィックで、圧倒的な人気を誇っていたんです。ですから僕にとって『うる星やつら』が元祖美少女アニメという印象が強いですね。高橋留美子先生がこのことを知っていたのか、だれかインタビューして欲しいなあとずっと思っています。
これら経緯については前回のシリーズで徹底的に特集したのでよかったら覗いてみて下さい。



高橋留美子先生は登場人物を「愛すべき変態」として描いていています。彼らは皆自分の欲望に忠実で、似た者同士のパソコン少年は、違和感なくあの奇想天外な世界に入っていけたのではないでしょうか。その中で一途に想いの人を追いづづけるラムちゃんは、やはり素敵すぎる女の子でした。

1982年『魔法のプリンセス ミンキーモモ』



誰がどう考えても低学年女の子向けのアニメですが、あまりにもカワイすぎるモモちゃんに惹かれ、「ピピルマ ピピルマ プリリンパ、アダルトタッチで~」を暗唱できるまでにドはまりしてしまいました。しかし万が一クラスの女の子にばれると「ロ💛コン」「ヘンタイ」の烙印を容赦なく押されてしまう、御禁制のアニメだったんですよ。ですから男の子のアニメ談義でも口に出すことは禁句だったのです。

その後パソコン少年にクラスチェンジした後、パソコン雑誌テクノポリスのあやしい象徴として、モモちゃんのCGが多数掲載されたのですが
FM7くん🤨「アクセサリの位置が違うな。」
Ⅹ1くん🤔「モモちゃんはこんなにスタイルよくないぜ。」
お前らみんな見てたんじゃねえかよ!結局同じ穴のムジナなのでした。そして全員一致した意見は「どう考えても変身する前の方がカワイイ。」



しかし当時から流石に「モモちゃんに恋愛感情を抱くのはヤバいんじゃないか。」と本能的に感じていていました。やはりモモちゃんは、全ての夢を持つ人々の象徴だった気がします。僕には子供がいないのですが、モモちゃんが3匹のお供を連れて来てくれないかなあと思ったりもします。
話が一挙に下品になりますが、伝説の脱衣麻雀ゲーム『麻雀刺客』には、色々ヤバすぎるキャラが登場するのですが…

何とMSX2版では恐ろしすぎる裏ボスが登場するんですよ!さらにアーケード版は当時の管理団体JAMMAの規定で、パ●ツを脱ぐことは絶対に許されない筈なんです。しかしMSXなら「無問題」という日本物産の神をも恐れぬ所業に感銘を受け…アワワ許せずにいると、後ろで見ていたFM7くんが怒り出しました「😡そこはミ○キ―モモじゃなくて音無○子だろ!」。怒るポイントが全然ズレてるよ🤣


ちなみに随分後にオランダにキックボクシングの試合で遠征した際、とあるゲームショップで発見したのですが、覚●剤なみの危険物として扱われていました。このヤバすぎる話はまたいずれ…出来るかなあ。
1983年『魔法の天使クリィミーマミ』

ミンキーモモは完全に低学年女の子向けのアニメだったので男の子には敷居が高かったのですが、『魔法の天使クリィミーマミ』はラブストーリー路線だったので、安心して?見ることが出来ました。『うる星やつら』のハチャメチャな世界観と違い、ヒロイン森沢 優ちゃんは小学5年生、お相手の大伴 俊夫くんもごく普通の中学生という現実的な設定。その為このアニメでリアルなガールフレンドの存在を意識した男の子も多かったと思います。作品と同時にアイドルデビューされた太田貴子さんの熱演も光りました。





劇場版ロング・グッドバイも名作でした。併映は『魔法のプリンセスミンキーモモ 夢の中の輪舞(ロンド)』という、夢のようなカップリング😍結構男の子も見に来てました、ほとんどカップルでしたが…僕は男やもめ同士、悪友FM7くんと行ったのですが、僕はモモ派で、マミ派のFM7くんと
😁「このロ💛コンが!」
😡「にゃにおう?!ドルオタの分際で」
と不毛すぎる論争をしたことがあります。お互い両作品も全話見てる同じ穴のムジナなのに。しかし「どう考えても変身する前の森沢 優ちゃん方がカワイイ。」という点では意気投合したのでした。

現実とファンタジーの交差が本作の魅力でした。


1984年『巨神ゴーグ』

僕がアニメのキャラクターにガチ惚れした初めての作品です。天真爛漫でキュートすぎるドリス・ウェイブちゃんのミニスカートに、毎回ドキドキしてましたよ。こんな素敵な女の子がガールフレンドになってくれて冒険出来たら最高!と『めぞん一刻』の五代くん張りに妄想してました。

しかし恋のライバルである主人公、田神悠宇君が立ち塞がります。先輩格?のアムロのような情緒不安定さは一切なく、13歳にして冷静な中にも揺るぎない正義感を持つ優等生で、作中一番の人格者なのでした。対する超巨大企業GAILの御曹司、ロッド・バルボアは「俺は世の中の仕組みを解ってるんだぜ。」とばかりにスカしているくせに、異星人に対して無謀な先制攻撃を仕掛ける始末。人類を破滅させる危機に追いやるという、どうしようもないボンボン息子ぶりを発揮します。こんな奴に惚れるレディ・リンクスの神経が理解できなかったです。

全ての理不尽を内包しながらも仲間の為に「ともだち」であるゴーグと共に異星人マノンとの闘いを決意する悠宇君を見て
😭「こりゃどう考えても敵わねえ。」
と観念したのでした。一目惚れした女の子が、クラスで一番の「出木杉くん」と相思相愛になったような心境です。そんな訳で、泣く泣くドリスちゃんとの結婚をあきらめました。二人は本当にお似合いのカップルだったと思います。

真面目に作品解説すると、安彦良和先生が原作、監督、キャラクターデザイン、メカデザイン、作画監督を全て担当したという渾身の作品で、当時からアニメマニアから注目されていたそうです。後述するアニメの師匠から「絶対見とけ!見逃すと後悔するぞ」と脅されて第一話を見て驚愕、全26話を完走しました。

ストーリー、作画、音楽など、どれをとっても超一級品の内容で、間違いなく日本アニメ史上に残る傑作だと断言できます。しかし当時は派手な戦闘物のロボットアニメが全盛期だったこともあり、徒手空拳の『巨神ゴーグ』は人気作とはなりえませんでした。まさに早すぎる名作という名にふさわしい作品だと思います。惜しむらくは物語的に完結しているので、続編や外伝的な作品を創りにくかった点でしょうか。OPの「冒険が今始まる!」というワクワク感は、今見ても最高です。

1984年『風の谷のナウシカ』




言うまでもなく日本のアニメ映画史上に輝く傑作です。84年の映画公開の際は小学生で見た子は少なかったのですが、翌85年4月6日土曜日にノーカットでTV放送された時に人気が爆発。翌週月曜日はクラスでその話題で持ちきりでした。僕は後述するアニメの師匠から「絶対見とけ、見逃したら破門だ!」と脅されて、母上様が毎週楽しみにしていた『8時だョ!全員集合』を我慢してもらうように必死に説得したことを覚えてます。この頃はまだビデオが普及していなかったので、フィルムコミックで楽しんでいる子も多かったですね、超絶羨ましかったです。

ナウシカは昭和最後のヒロインなのかも知れません。
ナウシカは男女を問わず人気のあるキャラクターでした。アニメージュの「人気キャラクターベスト10」では合計74回という断トツのトップ人気だったそうです。

しかし不思議とナウシカを恋愛対象に感じることはありませんでした。彼女はそういった物を超越したようなカリスマ的キャラクターだったような気がします。むしろ亡国の王子ながらも世俗的なアスベルに感情移入してしまい、悪友FM7くんと駄弁ってましたよ。
🤔「アスベルもえらい奴に惚れこんじまったよな、絶対無理だろ。」
そして原作を読み進んでいくうちに
😁「もう諦めてケチャで我慢しとけよ!」
しかし同じ男の子として、絶対に結ばれないと解っていても、想いの人を追い続けてしまう心理は痛いほどわかるのでした。
本当はナウシカのお相手になるはずだったらしいのですが、宮崎駿監督が「くっつきそうだからあえて外した」そうですね。アスベルかわいそ過ぎんだろ!

作中もう一人忘れられないヒロインがクシャナ殿下。コミック版で唯一ナウシカ以外に表紙を飾った、この物語の影の主人公とも呼べる存在です。しかしコチラも恋人候補にするには恐れ多い存在なのでした。「我が夫となる者は、さらにおぞましき物を見るだろう」とのことですが、そんなこと以前に夫婦生活に緊張感がありすぎるのでは…晩御飯中にいきなり隠し武器の拳銃を突きつけてきそう。


「アワワ…殿下、これには深いわけが…」
以前、悪友FM7くんと「嫁さんにするならシャナ殿下とクイーン・エメラルダス、どっちが怖い」で延々居酒屋談義したことがありますよ。いや~、男って本当にバカですね!




1984年『くりいむレモン』


世界に冠たる?「HENTAI」アニメの元祖です。僕が1993年にアメリカに遊びに行った時に、むこうのオタク連中はみんな本作を知っていて「オタクとムフフ💛に国境はないんだなあ」と妙に感動しました。
『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙』のセイラさんの入浴シーンを、映画館でカメラに撮っているアニメファンからヒントを得て作成されたという伝説の作品なんですよ。僕はこれを都市伝説だと思ってて、師匠に直接聞いたことがあります。答えは「ホントも何も俺もやってたよ!」

『くりいむレモン』の名前は小学生の時から噂では聞いていましたが、流石に師匠にねだっても「お前にはまだ早い!」と門前払い。その後1986年に中学に進学すると「入学祝いだ」とダビング版をプレゼントしてもらいました。家族が寝静まった深夜にこっそりと起きて視聴すると、あまりにも可憐な野々村亜美ちゃんの禁断すぎる恋に大興奮。当然超ご禁制品なのですが口をつぐんでいられず、悪友FM7くんに自慢したところ「😍天使たちの午後やらせてやるから貸せ!」

ところがこれが運の尽き。次々とパソコンクラブの連中が「俺にも貸してくれ」とねだるようになってきました。こいつらがキラー・カーンばりの恩知らずで、学校中に言いふらされて「サイボーグくんはヘンタイ」との烙印を押される羽目に。しかし「我が生涯に一片の悔い無し!」

そんな折、長身とその風貌から「デビルマン」と渾名された同学年の番長から「誰にも見られねえように屋上に来い」とのお達しが。マジかよ!。ブルブル震えながら放課後に赴くと、彼は胸ぐらを掴みながら開口一番
😤「亜美ちゃん貸してくれ、他の奴に喋ったらコロス!」
もうね、クールな1匹狼だった彼の口から「亜美ちゃん」の単語が出てきた時笑いを抑えられませんでしたよ。ごめんデビルマン、40年秘密にしてたけどnoteで公開しちゃった。


その後デビルマンが実はゲーム好きと知って意気投合。ゲーセンでつるむ仲になりました。その後別の高校に進学したあとにやはりゲーセンでばったりと再会。早速アーケード版エリア88を二人でプレイしていると、彼の抗争相手に絡まれて…まあ僕の実家は『ろくでなしBLUES』の舞台の街だったので無法地帯だったんです。
ともかく米国オタクとパソコン野郎と不良少年、全てに愛された亜美ちゃんは本当に偉大でした。


1985年『ダーティペア』


個性的な美少女ペアにハードSFアクションを融合させた、当時最先端の美少女アニメでした。セクシーなコスチュームの美少女が大暴れするという、現在でも受け継がれる美少女アニメのフォーマットを完全に確立した作品だと思います。ダーティペアのゲームに与えた影響は非常に大きく、様々なオマージュ作品が制作されています。






小学生には刺激の強すぎるビキニ型のスーツと、魅力あふれるケイとユリのキャラクターが僕たちの心を一瞬で鷲掴みに。艶やかなロングヘアーのユリに人気が集まりましたが、僕は原作小説を読んでいたのでケイを主人公としてアニメを見ていました。ただ元々女子プロレスのタッグチームのオマージュなので、やはり二人で一つの『ダーティペア』だったと思います。



そのキャラクターに魅力が集中しましたが、アニメとしての完成度が高かったのも見逃せません。アニメの師匠に「巨神ゴーグと同じスタジオ制作なんだ、動きもすげえぞ。」と教えてもらっていたので、アクションシーンも目が離せませんでした。ルパン三世が古き良き西部劇とジャズの世界なら、ダーティペアは80年代ロックンロールを彷彿とさせましたね。



その象徴たるOPもインパクト絶大でした。「ロ・ロ・ロ・ロシアン・ルーレット」の熱いビートに完全にシンクロした、ケイとユリが踊りまくる姿は新世代のアニメの到来を予感させました。現在のアニメと比較してもそのスタイリッシュさは全く色褪せていません。月曜19:00はこれでテンションMAXになってましたよ。
主題歌を歌った中原めいこさんは当時新進気鋭のシンガーソングライターで、恋の駆け引きを命懸けのゲームと重ねることで、作品の世界観やユリとケイの魅力を表現したといいます。それまで作品名を連呼するのがお約束だったアニメのオープニングで「作品の世界観を音楽で表現する。」という革命が起きようとしていたのです。
1985年『機動戦士Ζガンダム』



1985年はアニメの当たり年でしたが、やはりその主役はΖガンダムでした。「いよいよガンダムの続編が!」という期待が異様に盛り上がっていたことを覚えています。登場する女性キャラクターは富野さんの哲学からなのか、トラウマや心に深い傷を持った人物が多く、特にフォウ・ムラサメのそれまでにない美少女キャラクター像と悲しすぎる終結は、凄く印象に残っています。

自分の実感ではフォウ・ムラサメや、ハマーン・カーンといった本来敵役の美少女に人気が集中した印象でした。もはや美少女が、物語の中心軸になってきていることを感じました。

男装の麗人風衣装が決まっていますね。
放送時に師匠から「フォウ・ムラサメ役の島津冴子さんはこんな綺麗な方なんだぞ!」と雑誌の記事を見せてもらって、あまりの麗しさにドキドキしたことを覚えています。声優さんに興味を持ち始めたのもこの時期でした。

正直に告白すると、フォウ・ムラサメの理不尽すぎる生い立ちは見ていて辛かったです。36話「永遠のフォウ」の悲惨すぎる結末、そして確実に破滅へと進むカミーユが痛々しくて、何度も視聴を止めようと迷いました。それでも全50話を完走した時は間違いなくアニメ史に残る傑作だと確信しました。しかし再び視聴する勇気がなく、いつしか40年という月日が経とうとしています。この年齢になったらまた違った感想を持てるかもしれないと、何時かもう一度見返したいと思っています。


悲しい最後だったとは言え、救いがあった気がします。

❹いつも隣にアニメがいてくれた

今回は初めてアニメについて綴らさせて貰いました。この執筆動機は夏に行った墓参り。久しぶりに師匠の好物だった三ツ矢サイダーを酌み交わしながら、二人でアニメ談義に花を咲かせた楽しいひと時でした。その際
😉「お前もMSXばかりじゃなく、アニメも語ってみたらどうだ。」
と諭されたような気がしたんです。元々僕のnoteの投稿は「今の自分に至ることになった作品達」への感謝が大きな原動力でした。だとすれば力不足なれど、やはりアニメの想い出をどこかに残して置きたい…そんな気持ちが強くなったのでした。


師匠の教えで一番印象に残っているのは
「俺達は恵まれてるんだ、こんなにアニメが身近にあるのは日本だけなんだぞ」
という言葉です。確かに振り返ってみると、日本はアニメ文化が異常進化した歴史を辿ってきました。僕はそのリアルタイム世代であり、発展を体感してきたという自負があります。皆さんにも僕のようなアニメにまつわるエピソードが、きっとあるのではないでしょうか。

そしてアニメは子どもたちの共通言語そのものでした。自分は思春期にMSXというパソコンやゲームの世界に没頭することになるのですが、この世界は明らかな経済格差がありました。特にパソコンという趣味は、親に相応の経済力がないと継続することすら不可能でした。
しかしアニメはすべての子供たちに平等だったのです。朝学校で、友達と昨晩見たアニメについて語り合った光景こそ、日本のアニメ黄金時代を象徴していたように思うのです。

前回の投稿で少しお話しましたが、江戸時代以前の絵画は公家、大名などのごく一部の人々にしか楽しむことができない限られた娯楽だったのだそうです。これを庶民が手軽に楽しめるようになったのが浮世絵の大きな功績でした。その浮世絵が江戸の町人文化に多大な影響を与えたことは言うまでもありません。

僕は子どもたちにとっての浮世絵がアニメだと思っています。言うまでもなくアニメは絵、音楽、歌、物語、そして演技が高度に融合された総合芸術そのものです。アニメが常に身近にあったことは、間違いなく僕達の大きな財産になったと断言できますよ。

しかし現場にいた師匠や、次回特集する阿部泰三郎さんの話では、その制作環境は必ずしも恵まれてはいなかったようです。そのような中でも数々の名作を届けてくれたすべての人達に心より感謝し、今回の投稿を終わりたいと思います。
もし貴方の記憶の中に忘れられない作品があるのなら、ずっとその想い出を大切にしてほしい…そう願わずにはいられません。今回も長文最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。
サイボーグMSX

追伸 僕は正直アニメ分野はド素人なので、記述で間違いがあればコメント欄でお知らせください、直ぐに修正いたします🙇♂️
いつもスキ💛や凍結された僕に変わってのXでの紹介ポスト、暖かいコメントなど感謝です🙇皆さんとの繋がりが次の投稿への励みになるんです🥹
僕の連載した「1985年のパソコン美少女CG」シリーズです。アニメとパソコンの交わる過程を考察しているので宜しければ覗いてみて下さい🙇♂️
