第49話 高校時代母に苦労させたこと
チカノベの人生史小説。タイトルは『精神障がい、性的違和の知暖が学んだ「真実の愛」と「人生の正解」を目指す道』。
脳の障がいによる障がい特性を持つ主人公の知暖が、人生でたくさん失敗し、苦しんで、たくさん泣いて叫んで、報われない経験をして生きてきた。
そうやって、いろんな人たちと関わっていく中で「社会性」と「愛の形」と「人生の正解」について学んでいくお話。
今回は、第4章『何かと闘いまくった高校生活』から『第49話 高校時代母に苦労させたこと』です。
目次はこちらです。以前の話や次回以降の話を選んで読めます。

(Geminiさんで生成したイメージ写真)
高校時代母に苦労させたこと
私が母に苦労させたことといえば、中学時代では、急な体型の変化で毎シーズン制服を買い替えたことと、かんしゃくを起こして、仕事中の母を中学校に早退・駆けつけさせてしまったことを第3章のお話で挙げた。高校ではどうだろうか。
高校は、制服がなく、私服で登校する通信制高校に入学したため、高額な制服代を払う必要はなかった。体重は高校生活数年間で10kg程増えた。制服がなかったことが救いと思えるが、実は私立高校ならではの出費があった。
1年生の頃に閉鎖病棟に入院して休学し、復学後も学校を休みがちだった私は、1年生の頃に履修した科目の単位を落としてしまった。2年生で、単位を落とした科目を再び履修し、2年生から履修できる科目も選択した。すると、学校から授業料の請求がきて、請求金額は9万円台だった。高額の請求書を見た母は、何かの間違いだと思い、学校に電話で問い合わせた。間違いではなかった。履修科目が多く、学費の補助の上限を超えていたため、このような金額だった。母は周囲からお金を寄せ集め、全額支払った。
3年生になった頃、1年間のブランクがあったにも関わらず、早急に卒業しようと、履修科目を多く選択した。履修科目の同意を保護者である母に取ってもらおうとした。母にも、上のきょうだいの裕喜(ゆうき)にも猛反対された。また高額な学費がかかってしまうからだ。もしこの履修科目で1年間スクーリングを受けたいのなら、お小遣いはなしと言われた。お小遣いを1年間もらえないとなると、雑誌の購入や趣味のコレクションができなくて困る。3年間で卒業できないことが相当納得できなかったが「自分のがんばっている姿を長い間先生に見てもらえる」と、ポジティブに捉えて自分を納得させた。
他にも、学生時代はお金はかかった。昼食代をスクーリング日の度に母からもらっていた。当時もらっていた金額は1日500円か600円だった。学校周辺のコンビニエンスストアで買い食いをしていた。母や自分が作った弁当を持参することもあったが、お金がもらえて、自分で好きな物を食べられる「買い食い」のほうが好きだった。
高校生活では、かんしゃくがあって母が学校に呼び出されることはあっても、中学校3年間よりは確実にその回数が減った。二次障がいの躁うつ病とパーソナリティ障がいが診断される頃、副校長から、障がい特性のことで「こんなに酷いとは思わなかった」と、退学を迫られるほどの事態にもなっていたようだ。
中学時代から通学に使っていた自転車のかごが割れたこともあり、仕事が終わった母が駆けつけてきて、新しい自転車を急きょ購入した。元値が安く、タイヤの泥除けに凹みがあって値引きされ、ライトも手動点灯のグレードダウンした地味な自転車を買い与えられた。前の自転車には5年しか乗っていないのに壊れてしまい、新しい自転車は10年乗るように母から言われた。
特に19歳前後の年齢の頃は、反抗期が酷いという自覚があった。失言をしたり、大声を出したり、普段の生活の所作を丁寧に行なっていなかったりといった理由で、お小遣いをマイナスされることや、お小遣いが1円ももらえない月もあった。それでも、毎月ファッション雑誌を購入し、玩具や趣味の物の維持費を賄い、ある年の2月から6月まで、少ないお小遣いを貯めて、8千円程度で、当時運転免許を取得したばかりのゆきほと遠足前のショッピングへ行った。お小遣いの減額は、反抗期が酷かった高校生の頃から、母が転職・退職をして家計が厳しかった高校卒業後の時期まで続いた。
高校生活最後の年には、これ以上学費が払えないと言われ、単位を落としたら、自主退学をするように言われていた。最後の年に履修した科目は、数科目だったと記憶している。金曜日と土曜日がスクーリング日だったが、履修科目の授業がなく、登校しなくてもいい日があり、単位を取るのに必要な出席日数を余裕で超えることや、授業を忘れて寝過ごすこともあった。授業を忘れて寝てしまったと気づき、学校に連絡を入れたが、単位を取るのに必要な出席日数を満たしていた。2年生だった16歳から、高校を卒業した20歳頃まで、一度も単位を落とさず、レポートも再提出にならず、模範的な生徒として高校を卒業できた。
高校生活数年間でかかった学費の金額は何円くらいだったか正確には記憶していないが、中学校の制服代と高校の学費は、母親からの借金だと思ってアラサーの現在まで過ごしてきた。70万円程度を母に返済することが妥当だと感じている。それは、就職をして、貯金して一括で母に返したい。今までかかった食費や衣料品、趣味、お小遣いなど全てを返済すると途方もない金額になるが、学生時代にかかった「学校教育に関するお金」だけは、家庭を苦しめた自覚があり、返さないと気が済まない。別に家族から「返済しろ」と迫られているわけではない。子どもながらに、どうしようもできず、家族を助けるどころか生活苦を感じさせたことへの罪悪感があった。
高校に長く在学していた分、参加した学校行事も多かった。模範的な生徒の私が高校生活の思い出として挙げる行事とは。
おことわり
この物語は、自分の主観と記憶を辿り、実体験をベースに綴ったノンフィクション・エッセイです。一部、プライバシー保護のために、地名や人名、団体名、家庭事情等を伏せたり書き換えたりしています。そして、歳月の経過による記憶の断片を繋ぎ合わせています。当時の心情風景としての描写が含まれることをご了承ください。
あとがき
本当にお金がかかる子でした。物はすぐ壊すし、なくすし、たくさん食べるし太るし、母が仕事を中断して学校に呼び出されるし。
かかったお金、失ったお金は、中学・高校の間でとんでもない金額だったでしょう。自分ばかり苦しんだわけではなく、母に苦労をかけさせました。
学校教育にかかった70万円を自主的に一括返済したい気持ちがありますが、今の段階では難しいです。就職後、独身であれば、必ず返済します。
作者の近況
今、第10章を生きる作者の近況。人生史小説を久々に投稿しました。第10章は当初、彼との再会と就職をテーマにするつもりでした。
再会と進歩「嵐のあとの彩虹、切り拓かれた道へ」という章にしようと思って、苦しんだ第9章の中、何でもうまくいっている自分を想像しました。
しかし、就労選択支援を利用すると、B型就労支援を受けることが好ましいとのことで、就職はできませんでした。
なので、テーマを変えなければいけません。もちろん退歩したわけでもありません。どんなテーマがいいのか考えてみました。
進歩も退歩もしていない状態について調べてみると「遅滞」という言葉がありますが、ポジティブな小説には似合わない字面です。
遅滞のポジティブな言い換えに「慎重」「着実」という言葉がありました。まだ先がわからないので、慎重にしようと思いました。
でも、再会と組み合わせるのに合わないので、更に調べると「闊歩」「緩歩」という言葉を見つけました。
ゆっくりだが着実に進んでいるという意味の「急がば回れ」という言葉を見つけました。
『静かな再会、将来への道は緩歩に「急がば回れ」』がいいと思いました。私はやっぱり就職活動を急いでしてしまって焦っています。
着実にまだ目標の年齢(31歳)まで2,3年はあります。伸びしろはあるとのことで、あと1年少々はB型事業所での下積みをがんばります。
トップ画像説明と次回予告
トップの生成写真、クレア高等学校は、人形劇や創作漫画の私立高校です。「学校法人わりた学園」もつけておけばよかったです。
私が高校2年生の頃、平成29年度だと思っていましたが、振り返ってみるとその年は2年生ではなく、高校生活のいずれかの年度でした。
令和になる前に高校を卒業しています。令和になった頃には、もう就労支援の環境に慣れてきた頃です。
次回、第4章『何かと闘いまくった高校生活』から『第50話 高校時代の授業の思い出と参加した学校行事』です。
高校生活数年間での授業や参加した学校行事の印象的だった出来事や心に残ったこととは。
