誰かの痛みに、正解を出そうとしていた私へ
SNSのタイムラインを見ていると、誰かの悲鳴のようなつぶやきが流れてくることがあります。
以前の私は、そういう投稿を見つけるたびに、私まで病気になってしまいそうだと勝手に焦っていました。
接触すること自体がとても恐かったのです。
だって、私には悩んでいる人の正しい解決策なんてわかりません。
極論を言えば、私は専門のお医者さんでもカウンセラーでもないのですから。
見ないふりをする。自分は冷たい人間なんじゃないかと、落ち込む余裕さえありませんでした。
でも、ある時ハッと気づいたのです。
そもそも、SNS画面の向こうの人は「専門家のアドバイス」を求めているのだろうか、と。
人は、正解をもらったから救われるのではありません。
「あなたの痛みがそこにあることを、私は知っているよ」という静かな存在承認(共感)をもらったときに、心が少しだけ軽くなるのだと知りました。
お医者さんやカウンセラーでもない私たちの、上手な向き合い方。
それは、無理に相手を治そうとしないことです。
物事の捉え方を変えるリフレーミングという高度な技術もありますが、まずは熟達した人から少しずつ学べば大丈夫。
焦って最初から完璧を目指さなくていいのです。
正解を与える医者にならなくていい。今は、ただの聞き手になれなくても大丈夫。
もし今日、誰かの辛い気持ちに触れて怖くなったなら、逃げてもいいし、何も言わなくても大丈夫です。
無理に答えを探さなくていい。
優しく、そっと見守ってあげましょう。
それだけで、あなたが差し出した小さな灯りは、SNS画面の向こうの誰かの夜を優しく照らしています。
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