奥武蔵・長瀞北アルプス|悪魔の喉笛に、歩き方を教わった話
「悪魔の喉笛」、という名前の激坂がある。
長瀞北アルプスの道中に、突然それは現れる。 まっすぐ上へ、一本道が伸びている。 派手な眺望があるわけでも、岩場があるわけでもない。 ただ、道の全面が枯葉で覆われている。
ふかふかしているというより、 何十人もの靴底に踏まれ続けて、地面と一体化しかけているような、 褐色の、圧縮された枯葉だ。
この下がザレ場だ、と、踏む前からわかった。

気づいたら、端を選んでいた。
岩の際、木の根の横。
枯葉が薄くなっているところ、何かに支えられているところ。
足が勝手にそこを探していた。
目は、数歩先に置いていた。 今踏んでいる場所ではなく、次の次の着地点を先読みする。 立ち止まって考える余裕はない。 考えている間も、体は斜面の上に立っている。 重力は静かに、下へ引いている。
あとから振り返って気づいた。
葉の下の地面の硬さを、足の裏で読んでいたのだ、と。
一番こわかったのは、「ズレた瞬間」だ。
読んだつもりで、踏んだつもりで、 それでも足の下がぬるっと動く。
体より先に、足裏が知らせてくる。 その0.5秒に、全身が反応する。
重心を山側へ。膝を少し落とす。 体が覚えていた動きが、勝手に出た。
転ばなかった。 でも、心臓だけが一拍、速くなった。
名前をつけた人は、相当わかっている。

長瀞北アルプスは、休める場所が少ない。
標高は高くない。 けれど、小刻みなアップダウンが延々と続く。 登りでは息が上がり、下りでは膝が笑う。 ボディブローのように、静かに脚を削ってくる。
「低山だから」という油断が、ここでは一番危ない。
虎ヶ岡城址直下の急階段もそうだ。 登りも下りも、楽じゃない。

気合いでどうにかなる感じではない。
だから最近は、考えすぎないようにしている。
意識を向けるのは、足裏だけだ。 軸足に、体重がちゃんと乗っているか。 満遍なく、地面を踏めているか。
足裏は、正直だ。 バランスを崩す前に、もう教えてくれている。 推進力が消える前に、もう知らせてくれている。
だから、足裏を雑に扱わない。
長瀞北アルプスは、
楽しいというより、正直しんどい。
でも、自分の歩き方がはっきり返ってくる。
ごまかしは効かない。 気合いも通用しない。
ただ、ちゃんと立てているか。 ちゃんと乗れているか。
それだけを、何度も問い返される山だった。
山を下りてしばらく経っても、その感覚が残っている。
街を歩くとき、階段を下りるとき
—— 日常の地面も、ちゃんと踏めているか、と。
足裏が、たまに聞いてくる。

おわりに|山では歩き方まで見透かされる、ごまかせない。
【今日もひとつ、“なんだろう”を持ち帰る。それが私の歩き方】
最後まで読んでくれて、ありがとうございます。
スキやフォロー、コメントをもらえるたびに、
「あ、誰かに届いたんだな」って思えます。
無理に反応しなくても大丈夫。
ただどこか一行でも引っかかったなら、それで十分です。
また山から持ち帰った話を置きに来るので、
気が向いたら、そっと覗いてもらえたら嬉しいです。
良ければ、過去作にも寄っていってくださいね!⤵︎
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