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「痩せたい」の呪縛と10年。私が海外のダイエット薬に手を出し続けた理由と、自分を許すまでの道のり


目次




海外輸入のダイエット薬「リポドリン」。私の人生から、なかなか手放せずにいる。

これは、4歳の頃から始まった、私の体型へのコンプレックスと、その苦しい「戦いの記録」だ。



始まりは幼少期。私の中に芽生えたコンプレックス


私の体型コンプレックスは、物心ついた時にはすでに芽生えていた。

2歳年下の妹は、色白で二重、やせ型で可愛らしく、会う人みんなからちやほやされる存在。その一方、私は色黒で一重、ぽっちゃり体型だった。

大人から「男の子?」と間違われることも少なくなく、幼いながらも「私って可愛くないんだ」と深く傷ついた。

母と一緒に簡単なトレーニングをした記憶もある。

5歳の頃、母がダイエットでおかゆを食べていた時、私の中には妙な嫉妬が湧いた。「私も痩せたいのに、ずるい」。そんな感情から、こっそりおかゆに砂糖を入れたこともある。

母は当時、その件についてカスタマーサービスに電話で苦情を言った(ほんとごめんなさい)。

小学校に入ると、体の変化が私をさらに追い詰めた。

小学3年生で154cm、54kg。周りの子より早く胸が出始め、生理も来た。人より成長が早いことが恥ずかしくて、体操服や水着になるのが嫌でたまらなかった。

ナプキンを持ってトイレに行くのも、同級生に『それ何?何隠してるの?』と興味を持たれ、辛かった。自分の心とは裏腹に、体だけがどんどん大人になっていくのが恐怖だった。

当時の親友は、私にないスター性を持つ、まさに「主人公」のような女の子。

彼女に「太っている」と指摘され、私は必死にダイエットを始めた。過度な食事制限と週3回のバスケ。48kgまで到達したが、その代償は大きく、生理が止まり、2度も意識を失って倒れた。

「痩せさえすれば人生が変わる」。そう信じていたが、何も変わらなかった。漫画の主人公のように42kgに憧れ、目標を達成できない自分に絶望した。

がむしゃらに倒れるまでやっても、自分は標準体型をキープすることもできない。人と違うんだと、自分の遺伝子を恨んだ。



薬との出会い、依存、そしてリバウンドの繰り返し


中学校でも、その苦しみは続いた。

バスケをやめたことで、体重はあっという間にリバウンド。絶食に近いダイエットで一時的に痩せても、すぐにまた戻ってしまった。

自分が恥ずかしくて、人と会いたくなくて、集団生活も苦痛だった。

平日はストレスに耐え、週末は引きこもって過食を繰り返す。お金がないから、家にあるものをこそこそ食べ尽くし、母に怒られる日々。

いつしか過食嘔吐も覚えた。

痩せていたら、コスプレしたい、応援団に入りたい、ショートパンツも履きたいし、キラキラ輝くアイドルにもなりたい。いろんな夢があった。

「女子中高生」という最高の時間を、女としてもっともちやほやされるであろう時期を見た目のコンプレックスのせいで浪費してしまった。

そんな後悔ばかりだ。

高校受験では、一度体重のことは忘れ、勉強に没頭した。

JKデビューを夢見て猛勉強し、なんとか私立は免れたが、体重は65kgまで増加。

高校生活は人生最高に太っていた。顔がアンパンマンみたいで、学生証はシールを張って隠していた。

特に目立った活躍もなく、青春を消費したと感じている。彼氏なんて、もちろんできなかった。

リアルの世界で「リア充爆発しろ」と本気で唱えていた、かなりやばいオタク喪女に仕上がっていた。

18歳になり、クレジットカードを持てるようになった私。

自力では痩せられないと痛感していた私は、ネットで海外輸入のダイエット薬を探し始め、ついに「リポドリン」と出会う。
(リポドリンとは、アメリカ産の痩せるけど体調不良のような痩せ方で、4錠飲んだらタヒぬ恐れのあるサプリメントだ。)

当時、奇跡的に出会った顔だけが取り柄の彼に「母親がルックスに厳しい」と言われたことが、私の背中を押した。

彼の母親に幻滅されるくらいなら、死んでもいい。別れろと言われるかもしれない。そう思うほど、私は追い詰められていた。

初めてリポドリンを飲んだ日、バイトのレジ打ち中に猛烈な吐き気と悪寒に襲われ、立っているのもやっとだった。

食事はこんにゃくとヨーグルトだけ。2週間で一気に体重が落ちた。57㎏から53kgにまで落ちた。

その後、彼の母親の件が嘘だったと知らされても、薬をやめることはできなかった。

痩せた体型を維持するため、服用と休薬を繰り返す日々。

薬が効かなくなり、メトホルミンや、ヤンヒー、オルリファスト、何でも手を出した。

一時的に痩せても、やがて体に耐性がつき、また体重は増えていった。



見た目から自由になりたい。今の私と、小さな光


体重の数字に振り回され、楽しむことさえできなかった人生。

あるイベントのために設定した目標体重になれず、予定をキャンセルしたこともあった。自分が許せず、塞ぎこんだ人生だった。

数字が常に頭から離れない日々が苦しくて、25歳の時、私は体重を測るのをやめた。

体重を測らない方が、精神的にずっと楽だ。

私は痩せることが難しい。少しずつ受け入れてきた。

今もリポドリンやメトホルミンは完全に手放せていない。

特に双極性障害と診断されてからは、リポドリンが心拍数を上げたり不安感を増したりする作用があるため、やめるべきだと自覚している。

2日に半錠にするなど、極力控えている。

どうしても過食嘔吐が続く日は、リポドリンで無理やり食欲をなくし、悪習を一旦辞めることに使っている。

メトホルミンに関しては、もはや効果はほとんどないと感じているが、それでもお守りのように飲んでいるのが現状だ。

現在は、57kgまで増えてしまった自分に苦しみながらも、少しずつ意識が変わってきた。

食べ過ぎたら食べない、というように、少しずつ心の声を聞くようにしている。

ヨガやウォーキングも積極的に取り入れ、何よりも「ストレスがないこと」を大切にしている。

「人は人、自分は自分。数字はただの数字。」

この言葉を、少しずつではあるが、心に刻めるようになった。

過去の呪縛から解放され、自分を許せるようになりたい。

それでも、薬を常用していることによる肝臓など健康への不安は常に付きまとう。定期健診では今のところ大丈夫と言われているが、このままで良いわけがないと分かっている。

けど、これ以上太ったら、死んだも同然だという気持ちは消えず、やめられないままだ。 



終わりに:そして「変わりたい」未来へ


私の人生は、ずっと「痩せたい」という呪縛に囚われた迷路だった。

その中で薬に手を出し、心と体を酷使してきた。

それでも、今、私は「変わりたい」と強く願っている。

この苦しい経験を受け入れながら、もっと自分に優しく、生きやすい人生を歩みたい。

そして、この私の体験が、同じように見た目や心の問題で苦しむ誰かの心に、少しでも届くことを願う。

私自身の長い戦いが、本当に終わる日が来ることを信じている。


【読者の皆様へ】

  • この記事は、筆者の個人的な体験談です。ダイエット目的での医薬品の個人輸入や使用は、健康被害のリスクを伴うため、必ず医師の指導のもとで行ってください。

  • 同じような悩みや苦しみを抱えている方は、一人で抱え込まず、専門機関や医療機関に相談してください。あなたの安全と健康が第一です。



P.S.


先日、遠野なぎこさんが亡くなってしまったというニュースを見て、心が痛んだ。
彼女の書籍を読んだことがあり、当時30代後半くらいの印象でテレビではあっけらかんとしたキャラなのに、書籍では赤裸々に摂食障害のこと、母とのいびつな関係などが書かれていた。
なんて勇気のある人なんだろう、こんなに頑張って生きているんだなと、当時の私は感じた。
程度は違えど、遠野さんの方が大変だとは思うが、私は彼女から勇気をもらっていた。
好きだった方だったので、訃報を聞いて心が苦しかった。
どうかご冥福をお祈り申し上げます。
心がきれいな人ばかり、この世から神様はさらっていくような気がする。
でも、私たちは残された者。今を生きるしかない。



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