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【本日の思いつきバックナンバー】「わたしとあなた」版バックナンバー


【前書き】

例えば、キリスト教における神は、人間にとって都合のいい、すがるための存在ではない。

そのことに関して「キリスト教を問いなおす」の著者・土井健司氏は、

「神自身が見えない以上、唯一神への信仰は神を求めて万事を見渡すこと、万事に配慮することにほかなりません。

そういう努力が信仰なのです。」

とか、

「唯一なる神への信仰は、盲信ではなく、さまざまなものに配慮しながら努力するものなのです」

と述べている。

これは、

「無知のベール」

のような意味かと思うが、

「神」

という言葉を抜けば、批判的思考そのものではないかと思った。

キリスト教の本質が、具体的な

「わたしとあなた」

という個別的な(たとえば目の前に倒れている人を助けるといった)関係に基づいていて、そこから

「社会をまとめるために引かれた境界線を乗り越えること」

にあるという主張は説得力を持っている。

理論ではなく

「現場」

のキリスト教という感じである。

世の中のすべての分野が現場をおろそかにする趨勢にある中で、宗教が現場を取り戻すのは意味のあることである。

とりわけ宗教の場合は容易に一般化され、原理主義へとなだれ込む危険に満ちているから意味があると思う。

「わたし-あなた」

関係というのは、ユダヤ教の思想家マルティン・ブーバーの思想にヒントを得たものでるが、こういう展開も可能だったのかと唸らされた。

ただ、ブーバーはともかく、キリスト教の我-汝の関係は神のほうが

「われ」

で、人間は

「神の他者としての汝」

だと理解した方がいいのではないかと、ウォーコップの影響を受けた人は考えてしまうかもしれない。

それにしても今日ではアメリカにしてもヨーロッパにしても、キリスト教国家を自認する国ほどキリストから離れてしまっていて、いったいこれからどうするんだろうと、他人事ながら気になる。

そして、わが国のようにキリスト教嫌いの

「無宗教」

という独特の信仰空間に成り立っている国の行く末は、当然ながら、もっと気になる。

【漫文】

作中主体とは、短歌や和歌などの作品内で

「主体」

として想定される人物や存在を指します。

これは、その短歌の中で物事を見たり、感じたり、語ったりしている“視点の定点”となる存在です。

1.作中主体と作者の違い

かつて近代短歌では

「作中主体=作者」

とみなす読み方が主流でしたが、現代短歌ではこの等式は絶対的なものではなくなっています。

つまり、短歌の中で語られる

「私」

「われ」

が必ずしも実際の作者自身とは限らず、虚構や想像上の存在である場合も多いのです。

たとえば、アイドルのファン視点やアイドル本人視点で詠まれた短歌があったとしても、その作中主体が必ずしも作者自身や実在のタレント本人と一致するとは限りません。

作者は

「作中主体」

に特定の感情や視点を与えて短歌を構成しますが、それが作者自身の体験や実感と重なる必要はありません。

▶参考記事:アイドル短歌の視点(と主体)の話

2.構造的な整理

短歌における

「私」

や主体は、以下のように複数のレベルで整理できます。

▶参考記事:和歌短歌の認識主体のこと

私①(作中主体):

一首の短歌の中で語り手となる存在。

作品内で物事を見たり語ったりする「視点の定点」。

私②(私像):

連作や歌集全体の背後に感じられる、まとまりとしての「私」。

私③(作者):

現実世界で短歌を作る実在の個人。

近代短歌では

「私①=私②=私③」

とみなされることが多かったのですが、現代短歌や前衛短歌運動以降は

「私①(作中主体)」

「私③(作者)」

が切り離されることが一般的になりました。

3.作中主体の役割と虚構性

作中主体は、短歌の中で体験や感情を担う“役割”を演じます。

これは必ずしも作者の実体験ではなく、虚構性を内包しています。

読者は短歌を読む際、まず作品表面に現れる

「私」(作中主体)

を把握し、その背後にいるかもしれない作者像や現実の作者を想像することになります。

「「短歌一首の空間を舞台に置き換えて考えてみたのは、『作者本人』と『作品上の〈われ〉』の関係、つまり、表現主体と作品上の主人公をわかりやすくするためである」([現代短歌論]表現主体と作品上の〈われ〉より)

このように、短歌の

「作中主体」

は、作品内で語りや視点を担う存在であり、作者自身と必ずしも一致しないこと、そして虚構や想像の幅を持たせることで短歌の表現世界を広げる役割を担っています。

4.まとめ

短歌における作中主体とは、

「短歌の中で物事を見たり語ったりする主体」

であり、必ずしも作者本人と一致するわけではありません。

現代短歌ではこの

「作中主体」

「作者」

を切り離して考えることが一般的であり、

「作中主体」

の対象の多様さがそのまま評の多様さに繋がっていて、虚構や想像の自由が短歌表現の幅を広げています。

5.参考短歌10首「わたしとあなた」

ねむりたいわたしがねむりたい楡にれにもたれてをりぬ夕かたまけて
(永井陽子『モーツァルトの電話帳』より)

激情の匂いするみず掌にためてわたしはすこし海にちかづく
(江戸雪『椿夜』より)

全盛期でした、わたしの ね、あの日贈った鳥は燃やしましたか?
(田村穂隆「冬の肺葉」『短歌研究』,2022.02より)

わたしはあなたにならない意思のなかにある淋しさに火という火をくべる
(山崎聡子『青い舌』より)

ひかる葉をあなたに向けたささやきとして落葉は秋に降る声
(立花開『ひかりを渡る舟』より)

暗いだけの淵をめぐりて合歓満ちるあなたは合歓を知らぬだろうが
(永田紅『日輪』より)

みずいろの螺旋階段を降りてくるあなたは冬を燃やす火になる
(田口綾子『かざぐるま』より)

ティースプーン一杯の海 ただ一度きみを彼方あなたと呼んだ日が光る
(柳澤美晴『一匙の海』より)

うまく言えたためしがないなそのままのあなたにもわたしにも吹く風
(中山文花「音を聴かない」『上終歌会』01:2017年より)

夏のせいにするからいいよ/説明も共有もできない悲しみを
(加藤千恵『友だちじゃなくなっていく』より)

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【コトバンク】

https://kotobank.jp/
精選版 日本国語大辞典 「シンプル」の意味・読み・例文・類語
シンプル
〘 形容動詞ナリ活用 〙 ( [英語] simple ) むだな点や複雑さなどのないさま。良い意味で、単純なさま。簡素。
[初出の実例]「簡単(シンプル)で高尚で、妾は大好き」(出典:くれの廿八日(1898)〈内田魯庵〉一)

【後書き】

【テーマで選んだ本】わたしとあなた
https://note.com/bax36410/n/neae81b983793

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