《だだぁ・ぐぅす》について
クラヴィーアの愛好家,とりわけ学習希望者が ⑴2声部をきれいに演奏するだけでなく,[…]すぐれた楽想(inventions)を身につけて,しかもそれを巧みに展開すること,[…]それとともに作曲の予備知識を得るための,明瞭な方法を示す正しい手引。
――J・S・バッハ《インヴェンション》序文
本稿では、子供向けの言葉遊び集《だだぁ・ぐぅす》について、書いていきます。
現在、本の形としては5巻ほどを構想していますが、それらについても簡単に書きます。
なお、実作品をお読みでない方は、『だだぁ・ぐぅす① パロノマジー ~芸術的なダジャレ~』をご覧ください。
はじめに ~名称について~
《だだぁ・ぐぅす》は子供向けの言葉遊び集(主にはダジャレや早口言葉)で、また、子供向けということで、僕の名前も〈らつぁん・たすりと〉となります。
《だだぁ・ぐぅす》という名称はイギリスのノンセンス口承文化《マザー・グース》にちなんだものですが、これが何故「だだぁ・ぐぅす」となるのか? また、〈らつぁん・たすりと〉という名前は何なのか? これについて、以下に書きますが、答え方は二通りあります。「適当な答え」と「ちゃんとした答え」です。読むのが面倒な方は、適当な答えだけ見て頂いても構いません。
適当な答え
まず、適当な答えですが、「マザー・グース」が「だだぁ・ぐぅす」になることには、特に意味は無い、というものです。なぜかは分からないけれど、〈マザー〉が〈だだぁ〉になった、というだけです。「らつぁん・たすりと」という名前も、特に子供達への答えとして、僕の本名、ということでいいです。
以上が適当な答えです。
ちゃんとした答え ~ダダ ×《マザー・グース》~
次に、ちゃんとした答えですが、《だだぁ・ぐぅす》の「だだ」とは、20世紀前半の西欧で起きた芸術・文化・思想の革命運動の “ダダ” です。『笑芸』なる「笑いの文学」はこの “ダダ” に強い影響を受けているため、当然の如く〈マザー〉が〈だだぁ〉になった、ということです。或いは、ダダ ×《マザー・グース》=《だだぁ・ぐぅす》、です。
〈らつぁん・たすりと〉という名前についてですが、これは、この “ダダ” という芸術革命を先導した詩人〈トリスタン・ツァラ〉の名前をひっくり返してひらがなにしたものです。ほんの遊びです。
また、「だだぁ・ぐぅす」がひらがなである理由については、北原白秋による日本初のマザー・グース訳詩集『まざあ・ぐうす』にちなんで、です。
そうして、《だだぁ・ぐぅす》は、「日本のマザー・グース」となることを目指します。
表記について
《だだぁ・ぐぅす》は、このように《 》で表記する場合と、『だだぁ・ぐぅす』と『 』で表記する場合があります。『 』での表記は、主には本としての各巻(現在の予定では1~5巻)になります。《 》での表記は、総称です。この言葉遊び集を総称して《だだぁ・ぐぅす》と表記することにします。
着想源
モーツァルトのフーガ
《だだぁ・ぐぅす》の着想源は、モーツァルトのフーガとバッハの《インヴェンション》です。
僕はクラシック音楽が好きで、よく聴いているのですが、何年か前に、NHK Eテレの『ららら ♪ クラシック』という番組で、「楽譜は語る 遊び心たっぷり! モーツァルト」(初回放送2020年7月17日)という回がありました。 また、「楽譜は語る バッハの職人気質」という回(初回放送2021年1月8日) もあり、ゲスト解説は音楽家の加藤昌則さんでした。
両回で加藤さんは楽譜を使って解説されていたのですが、モーツァルトの回では、彼の最後の交響曲第41番《ジュピター》の第4楽章に出てくる「ジュピター音型」について語られていました。これは〈ドレファミ〉という簡単な4音なのですが、曲後半のフーガでは、この音型が様々に変形されていきます。例えば、音の進行が上下反対になったり(反転形)、逆方向から演奏されたり(逆行形)、その両方が組み合わされたり(逆行反転形)……。〈ドレファミ〉を逆行形にすると〈ミファレド〉になりますが、これらの変形は言葉で行なった場合、「アナグラム」に近いかもしれない、と思っていました。音楽的には正しくありませんが、ジュピター音型の変形は、例えば、〈ファレミド〉や〈ミレドファ〉にもできるのではないか、となんとなく考えていました。
バッハの《インヴェンション》
バッハの回では《インヴェンション》という曲が取り上げられていました。
この曲集は、1~2分程度の小さな曲が15曲集められたものです。その第1番を加藤さんは解説されていたのですが、この曲はなんと、最初に提示される冒頭の7音で一曲すべてが構成されているそうです。その音型が何度も使用されたり、先のフーガと同様に音の進行を上下反対にしたりして、まるまる一曲が構築されていきます。そして、加藤さんは言われます――「この限られた一つの素材だけで音楽を作っていくことの素晴らしさを、バッハはこの曲を使って伝えたかった。」
最初の試作
『みんなのうた』の《かむかもしかもにどもかも!》
それからしばらく経ち、同じくNHKの『みんなのうた』で《かむかもしかもにどもかも!》という歌が放送されていました。(歌:MONO NO AWARE、初回放送2019年10~11月) このタイトルは漢字にすると、「噛むかもしかも二度もかも」となるのですが、早口言葉の歌です。〈生麦生米生卵〉や〈赤パジャマ黄パジャマ茶パジャマ〉や〈隣の客はよく柿食う客だ〉といった早口言葉を使って作られた曲です。(全歌詞はこちら。) いかにも総合芸術であって、アニメーションも音楽も歌唱も素晴らしかったのですが、早口言葉自体の追求はどうか、とも思っていました。もちろんオリジナルな箇所もありましたが、もっと出来そう、と思い、やってみました。その歌の中に〈買った肩叩き機高かった〉というフレーズがあるので、これを主題にして早口言葉を発展させてみました。
まずは分析
しかし、作る前に、まずは分析が必要です(『笑芸』なる「笑いの文学」には)。
早口言葉の肝は、「言い難いこと」です。しかし、なぜ言い難いのか? それは、似ている音が連続しているからです。それならば、似ている音を集めたらもっと難しくなるだろう、と思い、「類音」を掻き集める方針となりました。
この主題の場合は、[カタ][タカ][タキ]が核なので、これらに似ている音を集めていくことになります。
最初の試作
そうして、作ってみたのが以下です。なお、初作品ということで、音の外れや意味・文法の乱れが多少ありますが、大目に見てください――
肩固かったから肩叩き機買った。なかなか高かったが、カタカタ鳴った。が、叩き方変わらなかった。が、ガタが来たから、滝に打たれてる瀧廉太郎にたたき売ったら瀧がガタガタ言った。「高い! 高い!」 「たかが柿か牡蠣か夏季の火器の危機か奇々怪々な花器か機械だろう?」と言いたかった、肩がガタガタの大型の新潟の新型のヌー型の鷹の方々が。
[カタ][タカ][タキ]という「限られた一つの素材だけで」作ってみましたが、まあまあの出来、だと思います。
ちなみに、僕は一度、2023年に「第28回 絵本賞大賞」を受賞された作家・井上奈奈さんとお話させて頂いたことがあり、その時にこれらの作品を読んで頂いたのですが、高評価を戴けました。そして、上のような「論理が書けるのは強みです」と言って頂けました。また、後述の《ミニマム・マキシマム》なる僕が開発した言葉遊びで、[井上奈奈]を主題にして作ったものをお渡ししたのですが、これも「おもしろ~い!」と言って頂けました。井上奈奈さん、かなり美人でした。
『だだぁ・ぐぅす① パロノマジー ~芸術的なダジャレ~』
最初のパロノマジー作品
そしてさらに、ある日ふと、〈罪を摘む爪〉という言葉が思い浮かんだので、その流れで色々と語を足していったら、以下のようになりました――
罪を摘む爪を持つ妻を待つ松の蜜を見つつ、積み木三つ積み、六つ包むムツ(という魚)のオムツ。
これが最初のパロノマジー作品なのですが(やや手直しはしていますが)、これでほぼパロノマジーの「型」は出来ました。
「パロノマジー」とは?
今、何の断わりもなく「パロノマジー」という言葉を使ってしまいましたが、これは「ダジャレ」のオシャレで専門的な言い方です。前投稿の『だだぁ・ぐぅす① パロノマジー ~芸術的なダジャレ~』にも引用したのですが、改めて引用します――
〈類音重畳法〉 Paronomasie というのは、異なったあるいは正反対の意味の同音もしくは類似音の語の並置をいう(Rheinstrom-Peinstrom, ラインの流れ-苦の流れ。Bistümer-Wüsttümer, ビショップ管区-荒涼の気[…])。かくて私たちはさらに一連の形式的マニエリスムを手にするのである。
こうあるように、パロノマジーとは「異なったあるいは正反対の意味の同音もしくは類似音の語の並置」です。そして、例には、「Rheinstrom-Peinstrom, ラインの流れ-苦の流れ」と「Bistümer-Wüsttümer, ビショップ管区-荒涼の気」が挙げられています。
ここで特に重要なのが、「類音重畳法」という日本語訳です。これはおそらくは種村季弘先生の訳だと思うのですが、「類音」=似ている・近い音を「重畳」=畳み重ねていく。これはそっくりそのまま「方法論」になり、作る際に大いに助けになってくれます。この言葉の通りに、「類音」=似ている・近い音を「重畳」=畳み重ねていくと――
オランダのベランダにランダムに並んだルワンダのパンダの乱打をなんだかんだ喜こんだアナコンダが、黄ばんだ小判を拒んだ五反田にいたんだ。
となります。これは[オランダ]と[ベランダ]というダジャレから開始したものですが、その[~(ラ)ンダ]を「重畳」=畳み重ねていきました。通常の「ダジャレ」という名称・概念ではここまでの長さのものは作れないので、やはり、この「類音重畳法」という言葉が必要です。
芸術的なダジャレ
しかし、パロノマジーという言葉は一般的には知られていません。ネットで検索してもいくらも出てきませんし、当の引用元のホッケの『文学におけるマニエリスムⅠ・Ⅱ』にも3~4回しか登場しません。おそらく、日本でこの言葉をまともに使っている人はいないと思います。そこで、補助的に「芸術的なダジャレ」という副題を付けました。
「ダジャレ」という低俗なものと「芸術」という高尚なものの接着語法ですが、以上の作品のように、音の純度や作品の長さや構築性や意味の飛躍=おかしさは、従来のダジャレというものを大きく更新しています。そして、本作は、その低俗であったダジャレを “芸術” にまで昇華させよう、という挑戦でもあります。
主題
実作品をご覧になった方はお分かりなはずですが、各パロノマジーには「主題」があります。そして、それは[ ]で表記されています。例えば、こんな具合です――
[橋・箸]
橋の端を走る箸。【72.7】
他にも――
[鶴・釣る]
都留(山梨県の市)のツルツルの鶴を釣る鶴野(さん)の弦を吊る蔓につるむツル(眼鏡の耳に掛ける部分)が攣る(足を?)。【78.8】
といった具合です。それぞれ[橋・箸]と[鶴・釣る]が主題で、これを基にパロノマジーを展開していくのですが、表記する理由は、「この限られた一つの素材だけで音楽を作っていくことの素晴らしさ」を、僕も子供達に伝えたいと思うからです。
比率
今の二作の文末には、それぞれ【72.7】と【78.8】という数字が書いてありますが、これは、その作品の全音中に占める主題の音の比率です。
しかし、この計算方法は細かくなりすぎるので、また、厳密にはまだ決定してはいないので、ここでは触れません。ただ、これはあくまで目安なので、最悪、間違っていても水増ししてもいいです。
ダジャレの “古典”
先述の通り、僕はクラシック音楽が好きで、本作の着想にも音楽が深く関わっています。そのクラシック音楽は、何百年も前の作品が現代でも鑑賞されていて、作品性としても最高峰であり続けています。そのようなものを――或いは、ダジャレの “古典” を――僕は作りたいと思います。単なる一過性の流行りで終わるものではなく、100年後や300年後の子供達も言って遊んでいるような。ちょうど、《マザー・グース》のように。
また、小学生用の辞書のすべての語でパロノマジーを作ろうと思っているので、「レパートリー」としても、クラシック音楽を目標にします。そのような「楽譜」を書きたいです。
『だだぁ・ぐぅす② 世界一むずかしい早口言葉』
『だだぁ・ぐぅす』の第2巻は『世界一むずかしい早口言葉』です。
ダジャレと早口言葉の違い
先述の通り、《だだぁ・ぐぅす》の着想は早口言葉でした。しかし、ダジャレとはどう違うのか?
違わない、というのが僕の答えです。最初の試作[買った肩叩き機高かった]と第1巻の作り方は同じです。どちらも「類音重畳法」です。そして、第2巻『世界一むずかしい早口言葉』でもパロノマジーを行なっていきます。
しかし、一つだけ異なっている点があります。それは、第1巻ではほとんどがオリジナルの主題だったのに対し、第2巻では既存の早口言葉を主題にしてパロノマジーを展開していきます。
“超絶アレンジ”
You Tubeでは、物凄い演奏動画を配信されているピアニストがたくさんいます。ハラミちゃんとか よみぃ さんとかヒビキpianoさんとか菊池亮太さんとか……。そんな豪傑の中でも特に凄いのは、角野隼斗(You Tube名義:Cateen)さんだと思います。この人の《きらきら星変奏曲》や《3分クッキングを壮大に弾いてみた》等は、本当にとんでもないです。《きらきら星変奏曲》は、この主題の変奏で「最高得点」を出してしまったのではないか、と勝手に思っています。多分、誰もこの変奏を超えられないと思います。《3分クッキングを壮大に弾いてみた》も、料理番組『3分クッキング』の可愛らしいメロディーを「壮大に」アレンジされています。演奏時間は2分くらいなのに、映画を一本観たような、そんな “超絶アレンジ” です。(そして、大変素晴らしい文字の入ったパーカーを着ていらっしゃいます。) それらを観ながら、「あれくらいの発展・変奏をやらねば……」と思い、(無理だとはキチンと理解した上で)やってみました。
既存のダジャレのアレンジ
早口言葉のアレンジの前に、既存のダジャレのアレンジをしてみます。一つ目は、簡単なものですが、[このイクラ、いくら?]を以下のようにしてみました――
倉井(さん)と雷句(誠。漫画『金色のガッシュ!!』の作者)、「イラクの暗いイクラいくら位?」【91.3】
これは前投稿の『だだぁ・ぐぅす① パロノマジー ~芸術的なダジャレ~』にも載せたのですが、こういったものが「(超絶)アレンジ編」です。ここでは、[イクラ]のアナグラムのみで展開しています。そして、先の〈ドレファミ〉を、〈ファレミド〉や〈ミレドファ〉にしているイメージです。
他にも、[このカレー、辛ぇ。]でやってみると、以下のようになります――
加齢の彼の辛ぇ鰈カレーか霊に華麗に(襲い)掛かれーっ!【85.2】
こういった「(超絶)アレンジ」を、第2巻では既存の早口言葉を主題にして行います。
既存の早口言葉のアレンジ
現在、完成しているアレンジ作品はいくつかありますが、ここでは一つだけお見せします。これも簡単なものですが、主題は[庭には二羽鶏がいる。]です。これをアレンジしたものが、以下です――
WANIMA(音楽バンド)の丹羽(愛知県の地域)の庭には、二羽鶏と、鰐と、輪に似た埴輪。【75】
これはおそらく、第2巻の冒頭の作品になるくらい簡単なものですが、第1巻のパロノマジーとやることは変わっていません。[にわ]の音を「重畳」しているだけです。
こういったものを、他の〈生麦生米生卵〉や〈赤パジャマ黄パジャマ茶パジャマ〉や〈隣の客はよく柿食う客だ〉でやっていこうと思います。そして、さらなる “超絶アレンジ” をして「世界一むずかしい早口言葉」を作ろうと思います。本作は実は、現代の音楽の超絶技巧者達への挑戦であったり……?(この「ヴィルトゥオーゾ」は、文学においては “マニエリスト” という名称です。) また、第1巻と同様に、100年後や300年後にも残っているような、早口言葉の “古典” にしたいです。或いは、「言葉の超絶技巧練習曲集」に……。
舌もじり
早口言葉は「言い難いこと」が本質ですが、これは正式には「舌もじり」と呼ばれるそうです。綿谷雪『言語遊戯の系譜』(青蛙房、1964年)には、こうあります――
或るしゅの文句が、その音韻構成上、たいへん発音がむつかしい組立てになっているもの。
そして、こう続きます――
音の並びが、吾人のしゃべるのに不便な組合わせになっていて、しかもその組合わせには一定の法則がなく、いろいろ変った趣向がある。
その後、例には〈生麦生米生卵〉と〈書社山の社僧正〉が挙げられています。後者の〈書社山の社僧正〉については、「[…]ショ・シャ・サ・シャ・ソ・ショと、不規則に近似の拗音が挿入されるため、おもわず前後の発音に拘泥して、云いあやまりが生じる[…]」と書かれています。(同前) このように、本来、早口言葉は「不規則」であって、そのために「たいへん発音がむつかしい組立てになっているもの」です。しかし、僕のパロノマジー・早口言葉は、言い難さの点では、そこまで難易度の高いものではありません。それはどういうことか?
「言い難さ」の追求ではない
理由は簡単で、本作の目的は「笑い・おかしさ」だからです。面白いものを作るのが目的・目標なので、言い難さ自体の追求ではありません。音はあくまでも「手段」です。(しかし、音の純度を追求していくと、音楽になるかもしれません。)
また、言葉の「組合わせには一定の法則がなく」「不規則」であるということは、作るのが面倒になります。パロノマジーは、例えば、パソコンやスマホの誤変換等をきっかけにでも作れるので、かなり楽です。また、適当に辞書を開いて隣にある語を並べていっても作れるので、大量生産ができます。安定的に供給できるシステムというのは、プロにとっては非常に重要です。
僕のパロノマジーは規則の塊ですが、「不規則」を入れる案も当初はありました。が、最初から作るのが面倒になるということが目に見えていたので、そちらの方向は止めました。もちろん、「不規則」を入れたら、もっと別の作品になっているはずですが。
また、音声として口に出して言われることを前提としていますが、読み物・文学としても上級な作品にしたいです。
『だだぁ・ぐぅす③ ミニマム・マキシマム』
『だだぁ・ぐぅす』第3巻は、《ミニマム・マキシマム》という僕が開発した遊びです。しかし、これまでのパロノマジーと基本は同じで、その応用編のようなものです。以下に、簡単に説明します。
実作例
まずは実作品からお見せします。主題は[ナタデココ]です――
ここで、Cocco(歌手)のナタデココが鉈でココ(・シャネル)の額を撫でた。【87.5】
『だだぁ・ぐぅす① パロノマジー ~芸術的なダジャレ~』にも載せたものですが、これは《ミニマム・マキシマム》的です。これらの語はすべて[ナタデココ]の音から出来ています。〈ここで〉も〈Cocco〉も〈ナタデココ〉も〈鉈で〉〈ココ〉も〈額〉も〈撫でた〉も。このように、主題の音から出来る語を使って文章を作るのが《ミニマム・マキシマム》です。
着想源
この遊びの着想源は、きっとお気づきかと思いますが、モーツァルトのフーガです。〈ドレファミ〉をアナグラム的に組み替えていいのなら、もっと、〈ドドドレ〉や〈ファミファファファレド〉にもできるのではないか、また、〈ミレ〉だけでもいいのではないか、と思い、言葉でやってみたら、このような遊びになりました。
名称について
《ミニマム・マキシマム》という名称についてですが、正式には、「最小限の音素・素材で、最大限の発展を」という副題が付きます。「最小限の音素・素材で」が「ミニマム」で、「最大限の発展を」が「マキシマム」です。主題の最小限の音・語で可能な限りの展開を目指すという、大変マニエリスティックな競技です。もちろん、この根底には、「限られた一つの素材だけで音楽を作っていくこと」があります。
また、弦楽四重奏曲が、高音のヴァイオリン二つ、中音のヴィオラ一つ、低音のチェロ一つという「最小限の」楽器で、交響曲並みの音響(=最大)を目指す、というようなところから、《ミニマム・マキシマム》という名称にしました。
ちなみに、1960年代フランスの、シュルレアリスムの流れを汲んだ〈ウリポ〉という言語実験グループは、《オロリーム》という名称でこれと同種の遊びをしていたそうですが……。
もう一つ実作例
実作例をもう一つお見せします。これも『だだぁ・ぐぅす①』に載せたものですが、主題は[くるま]です――
ママが車で来るまで、丸まる熊の幕を丸く捲る膜にくるくる包まるマルク(フランツ・。20世紀ドイツ表現主義の画家)。【85.4】
これらの語も、すべて[くるま]の音から作られています。〈来る〉や〈丸まる〉や〈熊〉や〈幕〉や〈捲る〉や〈マルク〉や……。また、基本的には一語一回のみの使用で、そこも「最小限の音素・素材」です。そして、その制約の中で「最大限の発展」を目指します。(本当は、まだこの作品は発展させられますが。)
しかし、常に「最大限の発展」でなくとも、もっと楽に〈ママが来るまで、車にくるくる包まる。〉だけでもいいです。また、〈熊に包まるママ。〉でも、〈熊を捲るマルクを撒く車。〉でも、どんな風にでもできます。これには正解は無いので、また、組み合わせ方も無限にあるので、子供達には好きなように自由にやってもらえばいいです。子供の頃からこんな遊びをしていたら、将来、言葉の天才になるに違いありません。
どれくらいの語が作れるか
ちなみに、一つの言葉の音からどれくらいの語が作れるか、やってみます。主題は[アメリカ]です――
あぁ、雨か、飴か、アメリ(映画のヒロイン)か、アメリカか、蟻か、アリ(モハメド・)か、《アリア(G線上の)》か、在り処か、赤か、垢か、アカメ(という魚)か、明かりか、灯りか、赤狩りか、目か、芽か、悪夢か、メアリか、目蟻か、メリメ(プロスペル・。作家)か、〈メリメリ〉か、機械か、布刈(広島県の町)か、和布刈(福岡県の町)か、理か、利か、李か、吏か、リア(エドワード・)か、リリメリアか、理科か、酒か、蚊か、亀か、瓶か、〈噛め〉か、亀有か、狩りか、雁か、仮か、借りか、カリ(ウム)か、カリ(コロンビアの州都)か、〈カリカリ〉か、嬶か、係か、〈カカカ〉か……【100】
[アメリカ]の音から、少なくともこれくらいは作れるようです。そして、これらの語をすべて組むのは相当大変です。「マキシマム」を本気でやったら果てしがありません。その苦悩を、作品にしてみました。
47都道府県編
特に子供向けということで、47都道府県をすべて主題にして作ってみようとも思っています。例えば、[北海道]とか[秋田]とか[長野]とか[愛媛]とか[岐阜]とか[広島]とか[沖縄]とか……。これらですべて組んで一冊にしよう、と計画中です。
『だだぁ・ぐぅす④ ふぁとらじ~ ~とっても不思議な詩~』
『だだぁ・ぐぅす』第4巻は『ふぁとらじ~ ~とっても不思議な詩~』です。これは『Fatrasie ~綺想詩~』(無料お試し版)で書いたので、簡単に済ませようと思います。
「ファトラジー」とは?
「ファトラジー」とは、結論から言うと、「ナンセンス詩」です。また、ファトラジーは「でたらめ詩」や「がらくた詩」とも呼ばれることがあるのですが、これはややネガティブなので、ポジティブへ転回すべく、僕は「とっても不思議な詩」という副題を付けています。(大人向けの場合は、「綺想詩」です。)
どんな詩?
そのファトラジーを以下に載せます――
死んだ鮭が
星のめぐりを
罠でとらえたとき
角笛の音が
雷の心臓を
酢につけて食べた
これは13世紀末のフランスのファトラジーですが、「とっても不思議な詩」だと思います。各フレーズが妙な角度で組み込まれています。通常・日常・現実の言語使用ではあり得ない言葉の組み合わせが作られています。〈星のめぐりを〉〈罠でとらえた〉や、その行為主体が〈死んだ鮭〉であることや、〈雷の心臓〉というフレーズだけでも詩的ですし、しかもそれが〈酢につけて食べ〉られてしまうという……。日常・現実とはまったく別の論理で世界が進行しています。
ファトラジーは13世紀以降に忘れられたようですが、20世紀にシュルレアリスト達によって発掘されたそうです。『笑芸』なる「笑いの文学」はこのシュルレアリスムから決定的な影響を受けているので、彼等が発掘したファトラジーを “笑芸の詩” として、21世紀の日本で再興させたいと思います。
実作例
このようなファトラジーを、子供向けに作ろうと思います。そして、一冊にしたいのですが、そのうちの二作を以下に載せます――
1
炎で髪を洗うもち
の時計は溶け
左利きのトイレが
ラベンダーで出来た迷宮で
トランペットを吹くと
石の泡が
進化した
2
442年振りに復活した
鰐畳学派は
エリマキトカゲに
禁錮八千年を言い渡した
エリマキトカゲは
豚の鼻にはちみつを掛けて
その豚を弱らせて
遊んでいる
といった具合です。ベースにはもちろん、先の〈死んだ鮭が ~〉の詩があり、文量としても世界観としても、それを模倣しています。しかし、これから作っていった場合、様々な形になっていくかもしれません。中~長篇詩にもなるかもしれません。
“言葉のコラージュ”
ファトラジーは “言葉のコラージュ” であると言えるかもしれません。シュルレアリスムの創始者アンドレ・ブルトンの『黒いユーモア選集Ⅰ』に「ルイス・キャロル」の章があるのですが、その訳注1にはこうあります――
《fatrasies》――fatras(がらくたの山積み)の派生語。中世の、つじつまの合わぬ、あるいは理窟に合わぬ詩で、格言や諺などを繫ぎあわせて作ったものであり、諷刺的な暗示がそのなかに含まれている。
「格言や諺などを繫ぎあわせて作ったもの」とありますが、これは “言葉のコラージュ” です。先の〈死んだ鮭が ~〉の詩がこのように作られたかは分からないのですが、もしこう作られたとすると、あの奇妙な感触――「つじつまの合わぬ、あるいは理窟に合わぬ」――には納得がいくかもしれません。
そして、これがファトラジーの「方法論」になります。以下に、コラージュで作ってみましょう。ここでその素材とするのは、『だだぁ・ぐぅす① パロノマジー ~芸術的なダジャレ~』の作品です。そのパロノマジー作品を「繫ぎあわせて作っ」てみましょう――
オランダのベランダで
むちむちの無知の鞭と
猿の刺さるサルサ(ソース)は
スパイのスパイク(シューズ)をスパイク(バレーボールの)し
ガボンのガガンボと
ハム(スター)をはむはむ喰むハムは
知り合いの白アリの尻歩く
〈オランダのベランダで〉めちゃくちゃなことが起こっていますが(P・ブリューゲルの《ネーデルラントの諺》みたい?)、これが “言葉のコラージュ” です。《だだぁ・ぐぅす》はこう使います。そして、子供達にも好きにコラージュして遊んでもらいたいです。
大人の作品でも
コラージュは大人の作品を作る時にもよく使います。どこかで思いついたフレーズをいくつか貼り付けていくと、そのままで使うよりも格段に良いものになります。そして、それをまた別のフレーズと組み合わせて、またそれを別のフレーズと組み合わせて……を繰り返していくと、とんでもない作品になります。コラージュは「笑いの文学」には必須の方法です。
文学
《だだぁ・ぐぅす》は基本的には口承文化を目指しているのですが、ここら辺から「文学」になってきます。
この文学の本質とは「文字」なのですが、このようなコラージュを行おうとすると、文字の支えが必要になります。もちろん、文字無しでもできるのですが、それは数学で喩えると、「暗算」をしているようなことです。簡単な計算は暗算でもできますが、高度な計算になると、どうでしょう? 大学の数学の授業では大きな黒板いっぱいに計算式を書いていますが、あれを暗算でやれと言われたら、どうでしょう……? アインシュタインもガリレオも計算式を書いていますので、高度な計算にはやはり「文字」が必要になってきます。
現代音楽作曲家の薮田翔一さんも似たことを言われていて、音楽における楽譜もこのようだそうです。即ち、「音楽を視覚的に捉える。」 また――
音だけでは想像・理解できなかったことも視覚的に捉え、パズルや数式を扱うように、机上で様々な実験ができ、ただ単に鳴っている音だけでなく一つ一つの音に機能を持たせて、構築的に組立てていくことができる。そのことが、「作曲」のことを英語でcomposition(構成)と言うことに繋がってくる。
音の芸術である音楽も楽譜という「文字」を必要としていて、それがさらなる作品レベルの向上に繋がっているそうです。また、別の書籍によれば、14世紀頃に新しい記譜法が登場したことによって、音楽は高度に発展したそうです。(『ユリイカ 特集*マニエリスム』、「共同討議 マニエリスムと現代 高階秀爾/高橋康也/遠山一行」1979年6月、青土社、p.66)
もちろん、パロノマジー作品も、「暗算」ではなく「文字」を使った方が良いものが出来(ちょうど今の引用のように)、逆説的になりますが、良い音楽を作るためには「文字」が必要になります。
しかし、「文字」を文字のまま愉しむこともでき、その場合は、台本・戯曲ではなく、「文学」となります。
『だだぁ・ぐぅす⑤ ばりえーしょん』
現在の構想では最後のものですが、『だだぁ・ぐぅす』第5巻は『ヴァリエーション(変奏)』を計画しています。これもクラシック音楽からのもので(『笑芸』は音楽と結婚しました!)、正式には《主題と変奏》という名称ですが、“文学における変奏” を行おうと思います。
この試みは2024年にしており、大人向けで『変奏集』というものを書きました。ここではベートーヴェンの《ディアベリ変奏曲》を範に取り、彼のその曲は「変奏の百科全書」と謳われるほど変奏の技法が追求されているので、僕も文学における変奏の方法を可能な限り開発しました。そして、どんな変奏法もできるようになったので、それを子供達に教えてあげたいと思います。
《変奏》とは?
まず、音楽の《変奏曲》とはどんなものでしょうか? 一番有名なのは多分《きらきら星変奏曲》だと思いますが、これは、あの〈キラキラ光る ~〉のメロディーです。そして、それ(主題)を様々に変形して展開していく音楽形式が《変奏曲》です。これは説明するより聴いた方が早いので、ぜひ角野隼斗(Cateen)さんの《きらきら星変奏曲》を聴いてみてください。
ちなみに、先述の『変奏集』では、各作品を主に「七つ」の変奏としていたのですが、角野さんもこの曲では「七つの変奏」をされています。そして、当書を書いている間はずっと、この曲が頭の中で流れていました。
簡単な例
最初に、文学における《変奏》の簡単な例を挙げます。『新しい諺』(無料お試し版)にも載せたものですが、そこでは、[棚から ぼたもち]という諺(主題)を変奏して、〈棚からグラディエーター〉としました。これは、〈ぼたもち〉という語を〈グラディエーター(古代ローマの剣闘士)〉に変えただけです。
他にも、主題[海老で鯛を釣る]を変奏して、〈海老も鯛を釣る〉としています。これも、主題の諺の〈で〉を〈も〉に変えただけです。
また、主題[犬も歩けば棒に当たる]を変奏して、〈棒を歩けば犬も当たる〉や、〈当を犬けば歩も棒たる〉ともしています。これはアナグラムで、主題の〈犬〉〈歩〉〈棒〉〈当〉という漢字の順番を入れ替えたものです。
これらは簡単なものですが、このように、主には主題の語を変えて展開していくのが、文学における《変奏》です。
実作例
ここでは、一つだけ実作品をお見せします。主題は[橋の端を走る箸。]です。(《だだぁ・ぐぅす》はこのように使います。) 各変奏ごとに「第1変奏」「第2変奏」「第3変奏」……と付きますが、今回は第5変奏までにしようと思います――
主題
橋の端を走る箸。
第1変奏
箸の端を走る橋。
第2変奏
割り箸の右端を駆け抜ける歩道橋。
第3変奏
デザートスプーンの左上で眠る地下トンネル。
第4変奏
女王様のデザートスプーンの左斜め45度上で、ミイラのように眠る出口の無い地下トンネル。
第5変奏
女王様とデザートスプーンとミイラと出口の無い地下トンネルは、左斜め45度上を向いて眠る。
といった具合です。こういったものが “文学における変奏” です。主題[橋の端を走る箸。]が最終的(第5変奏)には〈女王様とデザートスプーンとミイラと出口の無い地下トンネルは、左斜め45度上を向いて眠る。〉とまでなりました! しかし、どうやってこのようになったのか? お分かりかとも思いますが、念のため、それを以下に簡単に書きます。
変奏法
まず、第1変奏では、主題中の〈橋〉と〈箸〉を入れ替えただけです。これはもはや基本ですね!
次の第2変奏では、その文の語にそれぞれ意味を付加しています。即ち、〈箸〉は〈割り箸〉に、〈端〉は〈右端〉に、〈走る〉は〈駆け抜ける〉に、〈橋〉は〈歩道橋〉にと、似ていつつ強い意味へ移行していきました。
第3変奏は、どのくらい分かった人がいるかと思うのですが、第2変奏の「反転形」です。即ち、意味をひっくり返す。〈割り箸〉が〈デザートスプーン〉に、〈右端〉が〈左上〉に、〈駆け抜ける〉が〈眠る〉に、〈歩道橋〉が〈地下トンネル〉にと、反対の語へ変奏されています。ちなみに、〈割り箸〉が〈デザートスプーン〉になるのは、最初は〈スプーン〉だけだったのですが、それでは〈箸〉の場合でも同じだと思ったので、「割り箸」という安さに対して、「デザート」というゴージャス感を加えました。また、〈歩道橋〉が〈地下トンネル〉になるのは、前者が上・空向きのアーチであるのに対して、後者は下向きのアーチだからです。なお、この意味の「反転形」は、先述のモーツァルトのフーガが元になっています。
第4変奏は「装飾変奏」です。これも音楽の変奏でよく使われる技法です。文学・言葉の場合では、各語に新しい語を加えていきます。今回は、第3変奏の語にそれぞれ〈女王様の〉〈斜め45度〉〈ミイラのように〉〈出口の無い〉を加え、「装飾」しました。
最後の第5変奏では、文前半にアナグラム的に登場人物達を集め、全員〈左斜め45度上を向いて眠る〉ことになりました。〈女王様とデザートスプーンとミイラと出口の無い地下トンネル〉が一緒に眠っている、ということですね! 「とっても不思議」ですね!
今回は第5変奏までですが、もっと変奏数を増やしてもいいですし、変奏法もまだまだたくさんあるので、それらも子供達に教えてあげたいと思います。
他の主題でも
もちろん、他の主題でもできますし、やらねばならないので、これから量産していこうと思います。
また、その主題は、基本的には『だだぁ・ぐぅす』の1・2巻から取ると思います。先述の通り、1巻では、小学生用の辞書のすべての語でパロノマジーを作ろうと思っているのですが、それらはすべて《変奏》の主題となります。そして、すべてで変奏……!? 本気でやったら一生掛かるかもしれません……。しかし、ベートーヴェンも変奏曲が大好きだったので、やってもいいかもしれません。
また、4巻の『ふぁとらじ~』の場合もそうですが、この『変奏』の主題としても、子供達に《だだぁ・ぐぅす》を自由に使ってもらいたいです。
他にも
巻としての『だだぁ・ぐぅす』は現在は以上のようなものを構想していますが、他にも案はあります。
今回はほとんどが1~数行のものでしたが、もっと長い、1~数ページの作品も構想中です。しかし、最初は1~数行くらいだと、子供達にも作りやすいかと思います。(このくらいのサイズは、俳句のような作りやすさがあります。)
また、僕も大人の方の作品を作らねばならないので、第5巻以降は、現在は未定です。が、いつかは作りたいと思います。
“技術の伝承”
バッハの《インヴェンション》
前掲のNHK Eテレ『ららら ♪ クラシック』の「楽譜は語る バッハの職人気質」によれば、バッハが《インヴェンション》を書いたのは、自分の作曲技術を彼の子供達に伝えるため、だったそうです。そして、それを学んだ子供達が大きくなり、モーツァルトやベートーヴェンに音楽を教えたそうです。この二人がいなかったらクラシック音楽は成立しないので、音楽の起源の一つは、この《インヴェンション》であると言えるかもしれません。
“笑芸的インヴェンション”
《だだぁ・ぐぅす》は口承文化を目指していますが、これは「言う」練習です。冒頭の題辞での引用文には、「クラヴィーアの愛好家,とりわけ学習希望者が ⑴2声部をきれいに演奏する」とありますが、「クラヴィーア」とはピアノのようなもので、その「演奏」の練習のための曲集だということが言われています。
しかし、それ以上に重要なのが、引用書の「まえがき」にも書いてあるように、「作曲の練習」(p.5)です。題辞での引用文には、「すぐれた楽想(inventions)を身につけて,しかもそれを巧みに展開すること」と「それとともに作曲の予備知識を得る」とあります。「invention」は「楽想」とされていますが、「発明」や「創意」という意味です。簡単には「アイディア」となるかもしれません。そして、「それを巧みに展開すること」。そうして、「作曲の予備知識を得る」、そのような「明瞭な方法を示す正しい手引」がバッハの《インヴェンション》です。
本稿や『だだぁ・ぐぅす①』では、作品だけでなく解説を多く付けているのですが、それは、作品・主題を「巧みに展開すること」の「手引」にしてもらいたいからです。これらを読めば「作曲の予備知識を得る」ことができると思います。
バッハの《インヴェンション》は演奏と作曲の「教材」ですが、《だだぁ・ぐぅす》も、「言う」ことと「作る」ことの教材になれば、と思います。或いは、《だだぁ・ぐぅす》は “笑芸的インヴェンション” です。
「笑いの文学」というジャンルを創りたい
文学・文芸のジャンルには、小説や詩や随筆(エッセイ)やノンフィクションや童話等がありますが、『笑芸』はどこに属するのか? 別の言い方をすると、賞はあるのか? note では「#笑いの文学」というタグを作ったのは僕なのですが、僕は『笑芸』なる「笑いの文学」を、それら小説・詩・随筆(エッセイ)・ノンフィクション・童話等の中に組み込んでいきたいと思います。或いは、「笑いの文学」というジャンルを創りたいと思います。
E・A・ポーは推理小説を、H・G・ウェルズはSF小説を創ったと言われていますが、それらは「小説」というジャンルの内です。僕はジャンルそのものを創りたいです。そして、自分の名前の付いた賞――「初代王天君賞」――も創ります。また、児童文学として「らつぁん・たすりと賞」というのも創りたいです。(大人の方では、特に技巧的な作家に対する「文学におけるマニエリスム賞」というのも構想中です。)
《だだぁ・ぐぅす》は笑芸的教材ですが、子供の頃からこんな遊びをしていたら、将来、言葉と笑いの天才になっているに違いありません。ちょうど、イギリスのノンセンス作家が《マザー・グース》を聴いて育つように。
ライフワーク
以上のように、《だだぁ・ぐぅす》は大量に作品を作らねばならないので、すぐには完成しません。何年も、もしかしたら何十年も掛かるかもしれません。そして、多分、僕のライフワークになると思います。
しかし、子供達にはクラシック音楽のようなレパートリーを残してあげたいです。音楽では子供向けの練習曲・課題曲がたくさんあります。バッハはもちろんそうですし、モーツァルトもベートーヴェンもシューベルトもションもラヴェルも……。笑いにはそういったものは無いので、とても羨ましいと思いますが、大量に作ってあげます。
また、《だだぁ・ぐぅす》は「早口言葉練習帳」ともなるのですが、それで言うと、フランツ・リストの《超絶技巧練習曲集》を目指すことになるかもしれません……。
おわりに
長くなってしまいましたが、本稿「《だだぁ・ぐぅす》について」は以上です。
現在の構想はこのようなものですが、これから先に変更があるかもしれません。
また、簡単にまとめると、《だだぁ・ぐぅす》は子供向けの言葉遊び集であり、それで遊びながら笑いの作品の作り方も覚えてもらおう、という笑芸的教材です。バッハは「音楽の父」と言われていますが、子供達が《だだぁ・ぐぅす》で遊んで、将来笑いの作家になったら、バッハは「『笑芸』の父」にもなる……?
そう言えば、『ウルトラマン』の怪獣「ダダ」も、20世紀西欧の “ダダイズム” が由来だそうです。noter ジュウ・ショさんの「ダダイズムをわかりやすく解説! 作家・作品、シュルレアリスムとの違いなど」という記事によれば、「当時のウルトラマンのデザイナー・成田亨はダダ・シュルレアリスム研究家」だったそうですが(また、「ブルトン」という怪獣もいるそうですが)、僕の《だだぁ・ぐぅす》も、大先輩の(!)怪獣さんくらい愛されたいものですね。
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