150歳という欲望──天安門で習近平とプーチンが語った「不老不死」の未来
はじめに──天安門のマイクが拾ったもの
2025年9月3日、北京では「抗日戦争勝利80周年」を記念する大規模な軍事パレードが行われた。天安門広場に並んだのは、中国の習近平国家主席、ロシアのプーチン大統領、北朝鮮の金正恩総書記である。三つの権威主義国家の指導者が軍事力を誇示する舞台でそろい踏みした光景は、それだけでも現在の国際秩序を象徴していた。
しかし、世界により強い衝撃を与えたのは、行進する兵士でも最新鋭のミサイルでもなかった。首脳たちが天安門楼上へ向かって歩いていた際、中国中央テレビの生中継音声が、習近平とプーチンの私的な会話を偶然拾ったのである。習近平は、かつては70歳まで生きる人は珍しかったが、今では70歳でもまだ子どもだと言われる、と語った。これに対してプーチンの通訳は、生命科学の発達によって人間の臓器は継続的に移植できるようになり、人は次第に若返り、ついには不死さえ実現できるかもしれないと述べた。習近平はさらに、今世紀中に人間が150歳まで生きられるという予測もある、と応じた。
音声として確認されたのは主として二人のやり取りであり、そばを歩いていた金正恩の発言は確認されていない。だが、権力の座に長くとどまり続ける二人の間で、臓器の反復移植による若返りと不死がごく自然な話題として交わされたことは異様だった。この会話を単なる未来医学の雑談として聞き流せないのは、中国の臓器移植をめぐる暗い過去と、現在も払拭されていない疑惑が、その背後に横たわっているからである。
第1章──治療から「生体パーツの消費」へ
本来、臓器移植とは、病気や事故によって臓器の機能を失い、ほかに救命手段のない患者を助けるための医療である。そこでは、ドナー本人または遺族による適正な意思表示、医学的必要性、公正な臓器配分、臓器売買の禁止といった厳格な原則が求められる。臓器は商品ではなく、人間の身体は国家や医療機関の所有物でもない。
ところが、天安門で語られたのは、死を避けるための移植ではなく、老化を避けるための移植だった。老いた臓器を新しいものへ交換し、身体を長く稼働させ続ける。そこでは人間の身体が機械のように捉えられ、臓器は交換可能な「生体パーツ」へと姿を変える。
だが、臓器は無から生まれない。継続的な移植には、継続的な供給者が必要になる。誰が150歳まで生き、そのための臓器を誰が差し出すのか。権力と富を握る者が受給者となり、拒否する自由を持たない者が供給源となるなら、移植医療は人命を救う技術ではなく、人間の身体を権力関係に沿って再配分するシステムへ変質する。この会話の不気味さは、「不死」という言葉そのものではなく、その裏側に必ず存在する他者の身体が、まったく視野に入っていないことにある。
第2章──死刑囚の身体を利用した国家
中国の臓器移植をめぐる問題は、単なる噂から始まったものではない。中国政府関係者は、過去に死刑囚の臓器を移植に利用していたことを認めている。中国は2015年以降、その使用を停止し、自発的な市民提供だけに移行したと発表した。しかし、それ以前には、司法・公安機関が管理する囚人の身体が、国家の移植医療を支える供給源になっていた。処刑を待つ人間が国家に対して本当に提供を拒否できたのかを考えれば、そこに自発的同意が成立していたとは考えにくい。
さらに2022年、『American Journal of Transplantation』に掲載された研究は、中国語の移植関連文献を大規模に調査し、71本の医学論文について、臓器摘出前に適正な脳死判定が成立していなかった可能性を指摘した。対象者は摘出前には医学的に死亡しておらず、心臓などを取り出す行為そのものが死の直接的原因となった可能性が高いという。白衣を着た医師が生命を救う者ではなく、臓器を損なわずに回収するための処刑執行者となる。医学と刑罰、治療と殺害の境界が、国家の都合によって消されていたのである。
第3章──数字の空白と「生体データベース」
中国政府は、現在の移植臓器はすべて自発的な提供によるものだと説明する。しかし、中国では短期間で適合臓器が提供される事例が報告される一方、提供者数や死刑執行数を含む制度の全体像を外部から検証できない。2019年に『BMC Medical Ethics』へ掲載された研究も、中国の公的な提供者数の推移が不自然なほど単純な数式に一致し、中央と地方のデータに人為的操作を示す特徴があると指摘した。過去に囚人を臓器供給源としてきた国家が、制度を改めたと自己申告するだけで疑念が消えるはずはない。
国連の人権専門家は2021年、拘禁されたウイグル人、法輪功学習者、チベット人などに対し、本人の同意なしに血液検査や超音波検査が行われ、その結果が臓器供給に利用されているとの情報に重大な懸念を表明した。国家が多数の人間を拘禁し、顔、指紋、DNA、血液型などの生体情報を収集する。その国家が巨大な移植医療産業を運営し、過去には囚人の身体を実際に利用していた。この構造を前に、「必要なときに適合する人間を検索できる生体データベースが形成されているのではないか」という疑念を、荒唐無稽な空想として切り捨てることはできないはずだ。
第4章──世界の規則を書き換える権力
天安門での会話が持つ意味は、中国国内の臓器移植問題だけにとどまらない。その日は、中国が抗日戦争の犠牲を国家的に記憶し、自らの歴史的正統性と軍事力を世界へ誇示する日だった。その同じ場所で、二人の長期支配者は、自らの未来について臓器交換による若返りと150歳の寿命を語っていた。過去の死者は国家の正統性を飾る象徴として利用され、現在を生きる人間の身体は国家が管理する情報と資源に変えられる。そこにあるのは生命の尊重ではなく、生命の選別である。
しかも中国はいま、経済力、軍事力、人工知能、監視技術、通信網、生命科学を総動員し、既存の国際秩序を書き換えようとしている。覇権とは、単に領土を支配することではない。国際機関の議題を決め、技術規格を握り、何を人権侵害と呼ぶかを決め、どの情報を真実として流通させるかを支配することである。人間の身体さえ国家の資源とみなす体制が規則を決める側に回れば、監視や拘禁も「治安」、生体情報の収集も「健康管理」、異論の封殺も「社会の安定」として正当化されるだろう。
最先端技術と専制政治は矛盾しない。両者が結合すれば、過去の独裁国家には不可能だった精度で、人間を識別し、追跡し、選別し、利用できる。20世紀の全体主義は人間を番号に変えた。21世紀の全体主義は、人間を検索可能な生体データに変えるのである。
むすびに──150歳の支配者
天安門のマイクが拾ったのは、数十秒の雑談だった。しかし、そこには国家権力と生命科学が結合した未来の輪郭が、あまりにも無造作に現れていた。
もし、人間の尊厳より国家の目的を優先し、個人の身体さえ管理可能な資源とみなす国々が世界の秩序を決めるようになれば、自由も人権も普遍的な原則ではなくなる。それらは国家の効率を妨げる古い思想として扱われ、同意や尊厳という言葉さえ、権力に都合のよい意味へ書き換えられていくだろう。
臓器を交換しながら150歳を夢見る支配者と、自らの身体についてさえ決定権を持てない人々。その光景は遠い未来の空想ではない。天安門で交わされた会話は、そうした世界がすでに現実の延長線上にあることを、一瞬だけ露わにしたのである。
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