保守の顔をした陰謀論者──ロシア擁護に沈む反米保守の正体
はじめに──剥がれ落ちるロシア大国神話
ウクライナ戦争は、開戦当初に語られていたロシア大国の像を大きく変えてしまった。短期間でキーウを屈服させ、ウクライナを自らの勢力圏へ引き戻すはずだった軍事作戦は、長期の消耗戦へと変わった。いま戦場で問われているのは、前線の押し引きだけではない。燃料、補給、鉄道、橋梁、精製施設、通信、無人機対策といった、国家の戦争遂行能力そのものが攻撃対象になっている。
ウクライナはその構造をよく見ている。ロシア本土の製油施設が無人機攻撃を受け、クリミアを支える燃料や補給の線にも圧力がかかっている。ロシア本土の奥深くが、もはや安全な後方ではなくなりつつある。巨大な領土と資源を誇る国家の弱点が、戦争の中で露わになっている。
それでも日本には、なおロシア側の物語に過剰に寄り添う人々がいる。彼らは一段高い場所から戦争の裏側を見抜いているかのような口ぶりで、西側の偽善を語り、NATOの東方拡大を語り、米国の思惑を語り、ウクライナは利用されているだけだと語る。
だが、その言葉の流れを追えば、結論はほとんど定まっている。ロシアの侵略責任は薄められ、最後には西側こそがこの戦争の本当の原因であるかのように語られる。
第1章──衰えゆく大国への奇妙な肩入れ
ロシアは、いまなお危険な軍事国家である。核兵器を持ち、広大な領土を持ち、膨大な資源を持ち、長期戦に耐えるだけの国家的蓄積もある。だから、ロシアを軽く見るべきではない。しかし、恐るべき相手であることと、揺るぎない強国であり続けていることは同じではない。ウクライナ戦争が明らかにしたのは、ロシアの巨大さであると同時に、その巨大さを維持するための脆さである。
かつてロシア軍は、圧倒的な火力と物量で相手を押し潰す存在として語られていた。だが現代戦では、前線だけを見ても戦争の実像はつかめない。燃料が届かなければ戦車は動かず、弾薬が届かなければ砲は沈黙し、橋や鉄道が破壊されれば占領地の維持は難しくなる。戦争を始めた側でありながら、戦争を続けることで国家の体力を失っていく。この消耗こそ、ロシア大国神話の剥落である。
にもかかわらず、一部の自称保守は、ロシアを米国中心の世界秩序に抗う孤高の国家として見たがる。西側に屈しない国、グローバリズムに抗う国、伝統を守る国、戦勝国史観に挑む国。そうした言葉でロシアを包み直すことで、実際には侵略国家であるロシアが、いつの間にか被害者のように描かれてしまう。
しかもロシアは孤高の国家ですらない。西側の制裁を受けながら、中国、北朝鮮、イランなどとの関係を深め、資源取引や兵器調達、迂回貿易によって戦争を延命している。彼らが称える反グローバリズムとは、国際的な依存から自由であることではない。単に、西側中心の透明なルールから外れ、より不透明で暴力的な依存網に寄りかかっているだけである。
第2章──西側批判が侵略責任を消す瞬間
西側批判それ自体は、陰謀論ではない。NATOの東方拡大をどう評価するか、米国の対外政策にどのような問題があったか。これらは、本来なら冷静に論じられるべきテーマである。国際政治を善悪二元論で語らないためにも、米国やNATOの行動を検証することは必要である。
問題は、その批判が必ずロシアの責任を薄める方向へ流れていく時である。NATOの東方拡大があった。西側はロシアの不安を軽視した。米国はウクライナを利用している。こうした言葉が積み重ねられるうちに、ウクライナは独立した主権国家ではなく、米国の駒のように扱われていく。そして、侵略した側のロシアは、安全保障上の不安に反応しただけの国家として描かれる。
この言葉の運びには、決まった癖がある。相手が異なる判断をすれば、「西側メディアに洗脳されている」と言う。日米同盟を重視すれば、「グローバリスト」と呼ぶ。ロシアの侵略責任を問えば、「戦勝国史観から抜け出せていない」と片づける。時には「ディープステート」という黒幕語まで持ち出され、世界の出来事が一つの巨大な筋書きに回収される。
こうした言葉は、現実を分析するために使われているのではない。最初から定めた結論を守るために使われている。西側の偽善を語ることと、ロシアの侵略を相対化することは同じではない。米国の失策を批判することと、ウクライナの主体性を消すことも同じではない。この区別を失った時、国際政治の分析は、侵略国家の弁護へと変わる。
第3章──「追い込まれた日本」という記憶の転用
この種のロシア擁護が日本で一定の吸引力を持つ背景には、戦前日本をめぐる特定の歴史認識がある。日本は本当は戦争を望んでいなかった。米英によって経済的に締め上げられ、外交的に包囲され、やむなく開戦へ追い込まれた。敗戦後は、戦勝国によって歴史認識も国家体制も作り替えられた。こうした物語は、反米保守の中に根強く存在している。
もちろん、戦前の日本が強い圧力を受けたことは事実である。石油禁輸を含む経済制裁があり、日中戦争の長期化によって国際的孤立も深まっていた。しかし、圧力を受けたことと、国家の意思決定の責任が消えることは同じではない。日本は満州事変、日中戦争、仏印進駐、三国同盟と、自ら選択を積み重ねていた。
ロシアをめぐる言説にも、これとよく似た構造が現れる。ロシアはNATOに圧迫された。西側はロシアの警告を無視した。ウクライナは西側に取り込まれた。そこまでは、国際政治の一つの論点として語ることができる。だが、その先でロシアの軍事侵攻を、やむを得ない反応のように語り始めるなら、そこには決定的な飛躍がある。
ロシアにもまた、現在に至るまでの選択の蓄積がある。ジョージアへの軍事行動があり、クリミア併合があり、ウクライナ東部への介入があった。ロシアが突然、無垢な国家としてNATOに追い詰められたわけではない。周辺国がロシアを恐れ、西側との関係を求めた背景には、ロシア自身の行動があった。そこを消して「包囲されたロシア」だけを語るなら、歴史はまたしても被害者の物語へと加工される。
第4章──「グローバリスト」という罵倒語
ロシア側の物語に寄っていく自称保守は、日米同盟を重視する保守派をしばしば「グローバリスト」と呼ぶ。米国との同盟を安全保障の基軸に置き、中国、北朝鮮、ロシアという周辺の軍事的リスクを前提に国家戦略を考える。それは本来、保守にとってごく普通の現実主義であるはずだ。ところが彼らにとっては、それが米国への従属であり、西側秩序への迎合に見える。
興味深いのは、こうした反米保守が、彼ら自身が長く批判してきた戦後左派の安全保障観に、奇妙なほど接近していることである。彼らは中国や北朝鮮の脅威を語る時には、抑止力や同盟の重要性を口にする。ところがロシアの問題になると、日本が西側に加担しなければ危険は避けられる、日本がロシアを刺激しなければ敵対は避けられる、という発想へ退いてしまう。これは、かつての戦後左派が「日本が軍事力を持たなければ戦争に巻き込まれない」と考えた構図に近い。
第5章──保守主義と陰謀論はどこで分かれるのか
保守主義、すなわち Conservatism とは、単に古いものを守る態度ではない。過去から受け継がれた制度、慣習、共同体の知恵を軽んじず、人間の理性が短期間で世界を作り替えられるという思い上がりを疑う思想である。そこには、急進的な観念よりも経験を重んじ、抽象的な正義よりも現実の秩序を見つめる態度がある。
その意味で、保守主義は本来、現実主義と切り離せない。地理、軍事力、同盟、経済、国民感情、歴史的経緯を見ずに、国家の存立は語れない。日本にとっての日米同盟も、好き嫌いの対象ではなく、戦後日本が置かれてきた安全保障環境の中で形成された現実の制度である。これをどう運用するかは議論すべきだが、同盟そのものを「対米従属」と罵って済ませる態度は、保守主義ではなく観念論である。
むろん、日米同盟を重視することは、米国への無条件の追従を意味しない。米国にも誤りはあり、日本の国益と米国の国益が常に一致するわけでもない。保守主義が現実を重んじる思想であるなら、同盟もまた信仰の対象ではなく、国家が生き残るための制度として扱われるべきである。必要なのは、米国を礼賛することではなく、米国を使い、時には距離を取りながら、日本の安全と国益を守る冷静な技術である。
陰謀論化した自称保守は、この点で保守主義から離れている。彼らは現実を積み上げて考えるのではなく、あらかじめ用意された物語に現実を押し込める。米国は常に黒幕であり、西側メディアは常に洗脳装置であり、ウクライナは常に利用される側であり、ロシアは常に追い詰められた側である。そこには、保守主義が本来持つはずの慎重さも、複雑な現実への敬意もない。
むすびに──保守主義は侵略国家に自分を重ねない
ロシアを擁護する自称保守の問題は、ロシアが好きか嫌いかという話ではない。問題は、侵略国家の責任を薄めながら、それを深い国際政治理解であるかのように見せる点にある。戦前日本への同情を、現在のロシアへ安易に重ねることも危うい。日本が米英から圧力を受けたことは歴史の一部である。しかし、それによって日本の選択の責任が消えるわけではない。同じように、ロシアがNATOに不満を持っていたとしても、それによってウクライナ侵攻の責任が消えるわけではない。
日本に必要なのは、米国を無批判に礼賛することではない。同時に、米国への反感からロシアに同情することでもない。必要なのは、日本の置かれた現実を見誤らず、同盟を冷静に使い、自国の安全保障を現実の上に組み立てることである。独立とは、米国を罵ることではない。自国の存立条件を見誤らないことである。
ロシアの大国神話は、戦場で剥がれ落ちている。にもかかわらず、そのロシアを被害者のように描き、侵略を相対化し、日米同盟を語る保守を「グローバリスト」と罵る者がいる。その思想の正体は明らかである。彼らは保守ではない。反米陰謀論に沈んだ、自称保守である。
関連記事
