自分自身の心と向き合う旅日記 ⑦神が存在するという選択
旅日記⑥のつづきですので、
そちらから順にご覧いただきたく、
ご理解をお願いいたします。
僕が過去に信仰を持ったきっかけに
ついて書いていますので、
ご関心がない方や不快に思われる方は、ご覧にならないでください。
2日前に、街の道ばたで男性の
アンケートを受け論争した僕は、
彼らがセンター(仮称)と呼ぶ
施設を一人で訪ねて行きました。
持って帰った案内に「真理」や「人生
の目的」を知ることができるとあり、
僕が自分から行くと言うと、男性が
「信じている」と言ったためでした。
受付の女性に、道ばたでもらった
案内を見て、初めてきたと話すと、
「紹介者」の名前を聞かれましたが、
知らなくて答えられませんでした。
案内された喫茶店のような広い部屋は
4人掛けの席がい並べられていて、
パーテーションで仕切られてもおらず
隣の席の会話が聞き取れる空間でした。
その後、ビデオを見てくださいと
モニターが並べられ、左右の人との
間に仕切りがある部屋に案内されて、
黒板書きで講義するビデオを見ました。
講義は講座シリーズの序章のような
内容で神や死後の世界、さらに、
読んだことがない聖書の引用もあり
僕は、キリスト教に漠然とした偏見や
先入観があるので違和感を感じました。
序章では「真理」や「人生の目的」が
何かをハッキリ言われておらず、
講座のシリーズの最後まで見れば
わかるとのことで興味た持ちました。
ビデオを見た後、道ばたで論戦した
「紹介者」が笑顔で待っていました。
さっきの広い部屋の席に案内され、
紹介者が隣に座り、前に座った
お姉さんがビデオの感想を聞いたり、
施設やビデオの説明したりした後、
講座シリーズをすべて見るには、
今日は最初に2000円くらい払い、
申し込みが必要だと聞いて、
一気に頑なな態度になりました。
僕は、世間知らずの高校生のため、
無料だと思い込んでいたのでした。
そこから、長い議論をした末、
講座を最後まで見たいと思ったので、
名前や住所も書いて、申し込みました。
予備校が始まる前だったので、
僕は毎日通って講座のビデオを見て、
1泊2日のセミナーに参加しました。
その頃、他の受講生と話すようになり
みんなの受講のきっかけが聞けました。
ほとんどの受講者が、知人や友人、
家族からの紹介か、アンケートを
受けた紹介者と約束して来た人で、
僕だけが自分で来たと知りました。
ビデオの初級講座や、2日間の
セミナーで、核心部分は語られず、
その後の、生の講義の中級の講座で
明らかにされるとのことで、
さらに2週間通い続けました。
中級の講座の最終に近い日に、
「宗教だと思っている人は?」との
質問に対し、ほとんどの人が手を
上げ、僕は手を上げませんでした。
僕は、その施設が宗教団体の教義を
講座形式で紹介する施設だと思わず、
宗教ではない(宗教団体とは関係が
ない)と思い込んでいたのです。
教義理論は聖書を独自の視点で
解釈した内容で以下が主軸でした。
①親である神が子供の人類を創造した
②人類始祖が過ちを犯し原罪が生じた
③神は人類を救うため救い主を送る
初級の講座や2日間のセミナーでは
③の救い主が送られる話までして
いつどこに送られるかが不明でした。
中級の講座の最後、神が再び送った
救い主の名を明かされました。
同時に、施設で学んできた講座は、
この救い主が解いた理論であり、
その理論を普及している宗教団体名や
救い主が宗教団体の教祖であると
聞いて、かなり悩みました。
さらに、宗教団体であること以外でも
教義の理論には、僕の考え方とは
合わない内容も含まれていたので、
スタッフと何度も議論していました。
中級講座の後に、教祖の人生などが
話される3泊4日のセミナーがあり、
僕はすでに申し込んでいたので、
宗教団体に入るかは、その後
決めようと思って参加しました。
そして、僕は、この宗教団体の
信仰を持つことを決める以前に、
「神が存在する」という選択をしました。
その選択は、教義そのものではなく、
僕の視点で考えた結果でした。
当時、教祖の言葉として伝え聞いた話を
一つだけ紹介します。
教義そのものではありませんが、
僕の考え方に影響を与えた話でした。
世界で、様々な宗教や文化、言語の
違いなどによる戦争をなくす方法は
(国際連合のような)世界的な会議で
「神が存在する」ことと「神がすべての
人類を子供とした同じ親である」ことを
決定することである、
そう決定すれば、子供同士の争いを
なくすことができる、という話です。
見えない神を「信じる」か否かよりも
「存在する」と決めればいいという話に
僕は妙に腑に落ちました。
ただし、子供同士なら争わないという
話には納得されない方も多いでしょう。
また、教義と関係なく、聖書の内容
から「神が存在する」と選択しました。
新約聖書のコリント人への第一の手紙 10章13 節の口語訳を書きます。
(神は)あなたがたを耐えられない
ような試錬に会わせることはない
ばかりか、試錬と同時に、
それに耐えられるように、逃れる
道も備えて下さるのである。
もし、神が存在し、人間を愛する
親ならば、子供を不幸にはしない、
もし、不幸になったとしても、
必ず幸せになる道に導くと信じました。
こちらも、親が子供の幸せを願い、
幸せにしようとは限らない、という
ご意見も多々あると思いますが、
僕の思う親なる神は、そういう存在で
あると決めたのです。
こちらの考え方は、特定の信仰を
持っていない現在でも、僕の心の
「信心深さ」として息づいています。
