自分自身の心と向き合う旅日記 ⑤信心深さの原点
自分自身を理解するための旅日記を
投稿してマガジンにまとめています。
ただ、人生を時系列順に書いている
わけではないので、ご興味をお持ち
いただいた方が見てくだされば幸いです。
僕の両親は共働きで、小学生の時に
家に帰ると、祖母(父方の祖母)と
二人で過ごすことが多かったです。
祖母は火鉢で安倍川もちを作って
食べさせてくれるなど、孫の僕を、
とても可愛がってくれました。
欲しい物を買ってくれるというより
見守ってくれていた感じです。
祖母は、とても「信心深い」人で
仏壇の前に座ってお経を読み、
近所の神社に参るのが日課でした。
お経の最後に歌う「恩徳讃」を毎日
聞いていたので今でも覚えています。
祖母は、大阪の四天王寺によく行き
僕が学校の休みの日などと重なれば
「お大師さん(四天王寺の毎月のお祭り)」に連れて行ってくれました。
その帰りに百貨店の食堂で焼きめしを
食べさせてくれたことを覚えています。
父も「信心深い」人でした。
お墓参りや初詣は欠かさず行き、
僕もよく連れられて行っていました。
父の職場の工場で、従業員の方が
機械に巻き込まれた死亡事故の後、
父は、毎日、般若心経を読むように
なり、より信心深くなったと思います。
毎年、奈良県の生駒の宝山寺の
初詣の後、その近くの父の遠縁の
親戚の家に、父と共に立ち寄る
のが常でしたが、その家には、
ある仏教系の宗教の祭壇があり、
親戚である女性の先生に合わせて、
「おつとめ(お経を読む勤行)」を
毎回していました。
その宗教の本部で行われる年1回の
信者の集まりに参加したことがあり
青年ボランティアに誘われたことが
ありましたが断っていました。
おつとめに参加してお経を読むのは
何の抵抗もありませんでしたが、
宗教の活動に参加することには
強い抵抗感があったためです。
僕は宗教(1980年代の当時、
『新興宗教』と呼ばれることが
多かった宗教団体)に対しては、
あまり良いイメージを持って
いませんでした。
その理由は、特になかったのですが、
おそらく、テレビなどの情報で
見聞きしたくらいの漠然とした
先入観や偏見だったと思います。
そのような勝手なイメージより、
「信じる」「信じない」の境界線で
取り上げたような「絶対」という
言葉に対しての拒否反応の方が、
抵抗感を生んでいたと思います。
さらに、「見える」「見えない」の
境界線で取り上げたような
「信じる」人には「存在する」という
考え方にも抵抗感があったのでしょう。
あるいは、「信じる者は救われる」
というような考え方に対して、
何かご利益的なものだけを
求めていると感じてしまったり、
心の拠り所を求める人が信じる
ものだという勝手なイメージも
あったかもしれません。
僕は、祖母や父親を見て育ったので
仏壇に手を合わせたり、
お墓参りをしたり、
神社やお寺を参ることは、
何の抵抗もなく、かえって、
今でも、大切にしているので
「信心深い」方かもしれません。
一方で、当時の僕は、特定の人物や
教義を絶対視するような考え方には
抵抗があり、それらが、個人の
価値観を規定したり、日常生活の
指針として重んじるような
「信仰を持つ」ことはしたくないと
思っていたのだろうと思います。
もちろん「信仰を持つ」ことは
個人の自由であり、信仰を持って
いる方を否定するつもりはありません。
そして、特定の宗教がどうのこうの
ということもより思うことは、
「信心深い」ことと「信仰を持つ」こと
は別物ではないかということです。
おそらく、「信仰を持つ」人の中でも
「信心深く」ない人もいるでしょうし
「信仰を持っていない」人の中でも
「信心深い」人もいるかと思っています。
こんな考え方を持っていた僕ですが、
高校を卒業して、大学に合格せず
浪人生になった時に、ある宗教と
出会い、長らく信仰を持っていました。
そして、その宗教団体には、
今から17年くらい前に関わりを
持たなくなり、その後は、
特定の信仰は持たなくなりましたし、
今後、新たに特定の信仰を持つことは、おそらくないと思っています。
でも、神仏や先祖は大切にして、
「信心深い」とまではいかなくても、
それらを尊ぶ生き方をすると思います。
次回の旅日記では、僕のような
考え方を持っていた人間が、
どのような経緯や動機で、
信仰を持つようになったかを
綴っていきたいと思います。
さらに、
それにより、僕の人生や僕の家族、
親族、周囲の人々に与えた影響や、
その後の人生について少しずつ
お話したいと思っています。
今回の内容をお読みいただいた方は、
ご理解いただけるかと思いますが、
僕が、特定の宗教や信仰をみなさんに
お勧めするつもりはございません。
また、特定の宗教に対して好印象を
与えるような発言や、それを非難、
否定しておとしめるような発言も
しないように努めます。
また、僕の個人で体験した経験が、
その宗教のすべてを表すわけでも
ないと思っておりますので、
ご理解いただけましたら幸いです。
