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小学生でもわかるスコープ3地獄 ①

有価証券報告書にCO₂がやってくる

文・武智倫太郎

あらすじ

スコープ3とは、会社が自分で出したCO₂だけでなく、原材料、物流、出張、通勤、販売した製品の使用、廃棄、投資先まで、会社の外側にある温室効果ガス排出量を数えようという、大人の自由研究のような制度である。

ただし、この自由研究は夏休みの宿題ではない。日本ではSSBJ基準、有価証券報告書、保証制度、投資家対応、取引先調査票と結びつき、環境部だけでなく、経理部、IR部、調達部、法務部、情報システム部、監査法人まで巻き込む可能性がある。

この連載では、レジ袋、プラスチック、廃食油、SAF、水素、アンモニア、化学肥料、植林、AIデータセンター、炭素会計、サプライチェーン、そして有価証券報告書までをつなげながら、スコープ3を小学生にもわかるように説明する。

もちろん、小学生には少し早いかもしれない。

だが、現実には、大企業の取引先になっている中小企業のほうが、先に「CO₂排出量を回答してください」という調査票を受け取るかもしれない。世の中はだいたい、宿題を出す人より、宿題を押しつけられる人のほうが先に苦しむようにできている。

この連載について

やぁ、みんな!

今日から「小学生でもわかるスコープ3地獄」を始めるよ。

スコープ3というのは、会社が自分で出したCO₂だけでなく、原材料、物流、取引先、販売した製品の使用、廃棄まで、会社の外側にあるCO₂を数えようという、大人の自由研究みたいなものなんだ。

ただし、この自由研究は、夏休みの宿題ではない。

有価証券報告書に載るかもしれない。

だから間違えると、環境部だけでなく、経理部、IR部、調達部、法務部、情報システム部、監査法人まで白目をむくんだよ。

「CO₂の話なのに、どうして経理部が出てくるの?」

そう思った良い子のみんなは、まだ幸せである。

環境問題だと思っていたものが、ある日突然、会計、監査、内部統制、サプライチェーン、海外子会社、契約書、取引先調査票、投資家説明資料、有価証券報告書に変身する。

これがスコープ3である。

正確に言えば、スコープ3そのものは昔から存在する概念だ。GHG ProtocolのCorporate Value Chain (Scope 3) Standardは2011年に公表され、日本でも環境省・経産省が2012年3月に「サプライチェーンを通じた温室効果ガス排出量算定」に関する基本ガイドラインを整備している。

つまり日本は、少なくともかなり早い段階から、会社の外側にあるCO₂を数えるという面倒くさい宿題に取り組んでいた国である。

ここで逃げたくなる気持ちは分かる。

だが、ここが大事だ。

面倒くさいからといって、日本企業にとって必ずしも不利とは限らない。

日本企業は、面倒くさい基準で勝ったことがある

日本企業は、簡単なゲームでは負けることがある。

価格競争になると、負ける。

スピード競争になると、負ける。

ノリと勢いの勝負になると、かなり負ける。

会議で天気の話をして、名刺交換をして、会社案内を配り、全員が自己紹介をしている間に、中国企業は試作品を作り、米国企業は資金調達を終え、韓国企業は量産体制に入り、台湾企業はサプライチェーンを押さえている。

ところが、日本企業には妙な得意技がある。

厳しい品質基準。

細かい安全基準。

面倒な認証。

地獄のような工程管理。

誰が読むのか分からない検査記録。

こういうものが出てくると、日本企業は急に真面目な顔をして、チェックリストと品質保証部と工程表と判子を召喚する。

そして、なぜか強くなることがある。

有名な例がHondaのCVCCエンジンである。

1970年代、米国の厳しい排ガス規制は、自動車業界では達成困難だと言われていた。しかしHondaはCVCCエンジンで、この厳しい排ガス基準をクリアした。米国ビッグスリーが「無理だ」と言っていた基準を、日本の比較的小さな自動車メーカーが突破したのである。

この話は、日本企業が厳しい規制を「面倒な足かせ」ではなく、「技術開発の踏み台」に変えた典型例として語ることができる。

電子産業でも、欧州のRoHSやWEEEのような規制に対応するため、無鉛半田や有害物質管理、リサイクル対応が進んだ。食品、医薬品、航空部品、建設、耐震、高速鉄道、特殊鋼、精密部品でも似た構図がある。

厳しい基準は、対応できない企業には罰ゲームである。

しかし、対応できる企業には参入障壁になる。

ここを勘違いしてはいけない。

規制が緩いことは、短期的には楽である。

だが、緩い規制で育った産業は、厳しい市場に出た瞬間に足腰の弱さが露呈する。逆に、厳しい基準の中で鍛えられた産業は、海外市場に出たときに「最初から国際基準を満たしている」という強みを持つことがある。

この意味で、スコープ3は日本企業にとって、単なる負担ではない。

面倒な基準を、国際競争力に変えられるかもしれない。

もちろん、「かもしれない」である。

ここで「日本すごい」と言い出すと、ただの国策ポエムになる。

問題は、日本企業が本当に自社のサプライチェーンを理解しているかどうかである。

スコープ3とは、会社の外側を数えることである

スコープ1は、自分の会社が直接出す温室効果ガスである。

工場のボイラー。

社用車の燃料。

自社で燃やしたガスや重油。

これは比較的わかりやすい。

スコープ2は、自社が買った電気や熱などから発生する間接排出である。

会社のオフィスや工場で電気を使うと、その電気を発電するときにCO₂が出る。自分の会社の煙突から出ていなくても、電力会社の発電所ではCO₂が出ているかもしれない。

ここまでは、まだ何とかなる。

問題はスコープ3である。

スコープ3は、自社の外側で発生するその他の間接排出である。

買った原材料。

買った部品。

委託した物流。

従業員の出張。

従業員の通勤。

販売した製品の使用。

販売した製品の廃棄。

リース資産。

フランチャイズ。

投資先。

つまり、会社が自分の敷地の外に押し出していたものが、ぐるっと回って戻ってくる。

「それは取引先の排出量であって、うちの会社の責任ではありません」

と言いたくなる気持ちは分かる。

だが、投資家はそう見ない。

国際的な開示基準も、そう見ない。

大企業の調達部も、だんだんそう見なくなる。

なぜなら、現代企業の価値は、自社工場の中だけで決まっていないからである。

サプライチェーン。

委託先。

海外子会社。

物流。

原材料。

販売後の製品使用。

廃棄。

この全部が、企業価値に関係する。

脱炭素の世界では、会社の外側は、もはや外側ではない。

ここがスコープ3の嫌らしいところである。

環境部だけでは処理できない

スコープ3を環境部だけに押しつける会社は、かなり危ない。

なぜなら、スコープ3は環境用語の顔をしているが、実際には会社の業務構造そのものを問うからである。

たとえば、カテゴリー1の「購入した製品・サービス」を計算するには、購買データが必要になる。

誰から何を買ったのか。

金額はいくらか。

重量はいくらか。

材料は何か。

原産国はどこか。

その取引先は、どのような排出係数を使っているのか。

ここで必要になるのは、環境部だけの知識ではない。

調達部。

経理部。

情報システム部。

物流部。

製造部。

法務部。

IR部。

海外子会社の管理部門。

全部が関係する。

さらに、有価証券報告書に載る話になれば、数字の根拠が必要になる。

根拠が必要になるということは、証跡が必要になる。

証跡が必要になるということは、内部統制が必要になる。

内部統制が必要になるということは、監査や保証の話が出てくる。

ここで「環境にやさしい感じのPDFを作りました」では済まない。

エコっぽい写真。

緑色の表紙。

木漏れ日。

風車。

葉っぱ。

笑顔の社員。

こういう素材を並べても、有価証券報告書の数字は埋まらない。

投資家が見たいのは、ポエムではない。

数値である。

前提である。

範囲である。

算定方法である。

前年との差異である。

そして、その数字をどこまで信頼できるかである。

これがスコープ3である。

派手さはない。

だが、会社を壊すのは、たいてい派手な理念ではなく、放置された地味な数字である。

取引先調査票という名の宿題

スコープ3で最初に苦しむのは、上場企業だけではない。

寧ろ、大企業の取引先になっている中小企業のほうが、先に苦しむ可能性がある。

ある日、取引先から調査票が来る。

「貴社の温室効果ガス排出量をご回答ください」

「Scope 1、Scope 2、Scope 3の内訳をご記入ください」

「排出係数の出典を記載してください」

「削減目標の有無をご回答ください」

「第三者保証の有無をご回答ください」

「再生可能エネルギーの利用状況をご回答ください」

「主要原材料の原産国をご回答ください」

「環境マネジメント認証の取得状況をご回答ください」

「期限は来週金曜日です」

やぁ、みんな!

これが大人の世界だよ。

学校の宿題なら、忘れても先生に怒られるだけで済む。

取引先調査票を放置すると、取引条件に響くことがある。

入札から外されるかもしれない。

サプライヤー評価が下がるかもしれない。

海外案件に参加できなくなるかもしれない。

つまり、スコープ3は上場企業だけの問題ではない。

有価証券報告書に書く大企業が、自分のスコープ3を計算するために、取引先へ情報を求める。

その取引先が、さらに下請けへ情報を求める。

こうして、CO₂調査票はサプライチェーンを流れていく。

まるで年貢である。

ただし、米ではなく、CO₂で納める。

日本が早く取り組んだことは、必ずしも悪くない

ここで少しだけ、前向きな話をしよう。

スコープ3は面倒である。

しかし、日本が早い段階からサプライチェーン排出量の考え方に取り組んできたことは、必ずしも悪いことではない。

環境省・経産省のサプライチェーン排出量ガイドラインは2012年3月に整備されている。GHG ProtocolのScope 3 Standardが2011年に公表された直後である。

つまり、日本はこの面倒くさい分野で、かなり早く宿題用紙を受け取っていた。

問題は、その宿題を本気でやったかどうかである。

ここで、日本の悪い癖が出る。

ガイドラインは作る。

委員会も作る。

資料も作る。

説明会も開く。

パワーポイントも美しい。

しかし、現場の業務システム、購買データ、サプライヤー管理、海外子会社、契約実務、会計処理、内部統制までつながっていない。

そうなると、制度はあるのに、実務がない。

日本政府が好きな「検討したことにする病」である。

だが、逆に言えば、ここを本気でつなげた会社は強い。

スコープ3は、単なる環境開示ではない。

自社が何を買い、どこで作り、どう運び、誰に売り、どう使われ、どう捨てられているかを見直す作業である。

これはサプライチェーン管理そのものである。

資源戦略である。

コスト管理である。

品質管理である。

リスク管理である。

そして、国際取引のパスポートでもある。

緩い規制で勝てるという寝言

この話は、AI政策にも似ている。

日本では、生成AIをめぐって「日本は規制が緩いからチャンス」などという話が出たことがある。

あ、あんた、バッカじゃないの。

日本の産業が世界で勝ったのは、緩い基準で好き放題やったからではない。

厳しい基準を、品質管理、工程管理、証跡管理、認証取得に変換したときである。

排ガス規制。

有害物質規制。

食品安全。

医薬品認証。

航空部品。

耐震基準。

高速鉄道。

こうした分野で日本企業が強かったのは、「規制が緩かったから」ではない。

寧ろ、面倒な基準をクリアする技術と管理能力があったからである。

AIでも同じだ。

緩い著作権。

緩い透明性。

緩い説明責任。

緩い安全性。

緩いガバナンス。

これで勝てるという発想は、産業政策ではなく、安売り屋の発想である。

スコープ3で求められるのは、会社の外側まで説明できる能力である。

AIで求められるのも、本当はモデルの外側まで説明できる能力である。

どちらも、ブラックボックスを「ブラックボックスだから仕方ない」で済ませた瞬間に負ける。

CO₂のブラックボックス。

AIのブラックボックス。

サプライチェーンのブラックボックス。

著作権のブラックボックス。

電力消費のブラックボックス。

水使用量のブラックボックス。

都合の悪いものを全部箱に入れて、蓋をして、「イノベーションです」と言う。

それはイノベーションではない。

片づけられない部屋である。

スコープ3は、会社の外側に置いてきた現実である

これまで、多くの会社は自社の外側を見ないで済んでいた。

原材料は商社が持ってくる。

部品はサプライヤーが納める。

物流は運送会社が運ぶ。

電気は電力会社が供給する。

廃棄物は処理業者が引き取る。

海外の工場は現地法人が管理する。

投資先は投資先で何とかする。

こうして、会社は自分の敷地の内側だけを見ていればよかった。

だが、スコープ3はそれを許さない。

会社の外側に置いてきたものを、もう一度会社の情報として取り込ませる。

これは、笑いたくなるほど手間がかかる。

しかし、企業経営としては、寧ろ当たり前のことでもある。

自社が何を買っているのか分からない。

どこから調達しているのか分からない。

どれだけ運んでいるのか分からない。

どれだけ捨てているのか分からない。

販売した製品がどれだけエネルギーを使うのか分からない。

海外子会社が何をしているのか分からない。

それで「持続可能な経営です」と言うのは、かなり勇気がある。

それは「サステイナブル」ではなく、「サスティナぶる」である。

これまで書いてきた話は、全部ここにつながる

私はこれまで、レジ袋、プラスチック、廃食油、SAF、水素、アンモニア、化学肥料、植林、アグロフォレストリー、昆虫食、水資源、AIデータセンター、計算資源経済学について書いてきた。

一見すると、バラバラに見えるかもしれない。

だが、全部つながっている。

プラスチックは、原材料、製造、使用、廃棄の問題である。

廃食油は、回収量、既存用途、輸出、価格、SAF需要の問題である。

水素は、一次エネルギーではなく、エネルギーキャリアの問題である。

アンモニアは、燃料である前に、肥料と食料安全保障の問題である。

植林は、木を植えれば終わりではなく、土地、水、苗木、成長量、測定、報告、検証の問題である。

AIデータセンターは、知能の問題である前に、電力、水、半導体、冷却、送電、土地、CO₂の問題である。

そして、これらを企業活動の外側に置いたままにしてきたものが、スコープ3として戻ってくる。

つまり、スコープ3とは、会社の外側に置いてきた現実の請求書である。

請求書なので、読まないわけにはいかない。

第2話予告

次回は、Scope 1、Scope 2、Scope 3の違いを説明する。

スコープ1は、自分で燃やしたCO₂。

スコープ2は、買った電気の向こう側にあるCO₂。

スコープ3は、会社の外側に置いてきたCO₂。

ここを間違えると、環境部が頑張って作った資料を、経理部が見た瞬間に静かに閉じることになる。

良い子のみんなは、まずスコープ1、2、3の違いから覚えよう。

大人のみんなは、覚えるだけでなく、自社のデータがどこにあるかを探そう。

たぶん、そこから地獄が始まる。

連載リンク

第1話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ①|有価証券報告書にCO₂がやってくる

https://note.com/aiethics496/n/n5467ae1329fa

第2話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ②|Scope 1・Scope 2・Scope 3は何が違うのか

https://note.com/aiethics496/n/nc397d8f23175

第3話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ③|CO₂調査票が来た会社の末路

https://note.com/aiethics496/n/nb823fd9a43e7

第4話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ④|スコープ3の15カテゴリは、全部読むと眠くなる

https://note.com/aiethics496/n/n385045ac862c

第5話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑤|厳しい基準で勝つ国、緩い規制で沈むAI

https://note.com/aiethics496/n/n219d91fc6a14

第6話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑥|レジ袋で地球を救えると思った国の有報開示

https://note.com/aiethics496/n/n587496f58475

第7話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑦|廃食油はどこにも余っていない

https://note.com/aiethics496/n/n9b8378886dcf

第8話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑧|水素は夢のエネルギーではなく運び屋である

https://note.com/aiethics496/n/ne0e33cc6ee07

第9話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑨|化学肥料が止まると、持続可能な農業は江戸時代に戻る

https://note.com/aiethics496/n/n16ed7ab944b4

第10話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑩|植林クレジットは木を植えれば終わりではない

https://note.com/aiethics496/n/nd0b21f6d8176

第11話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑪|AIデータセンターは電気を食ってCO₂を吐く

https://note.com/aiethics496/n/n88c755206bc5

第12話:小学生でもわかるスコープ3地獄 ⑫|企業は自社の外側を知らない

https://note.com/aiethics496/n/ndde4684c9afd

参考資料

環境省:Scope3排出量とは

金融庁:有価証券報告書等における企業のサステナビリティ情報の開示に関する情報

SSBJ Standards:サステナビリティ開示基準

本田技研工業 75年史(CVCC)

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