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【三重】九鬼水軍ゆかりの鳥羽をめぐる。海と城跡に残る戦国の記憶 ~鳥羽城・鳥羽水族館~

刀剣乱舞にて九鬼家に縁のある刀剣・九鬼正宗くんがやってきたので、いつか九鬼水軍のいた海に連れてってあげたいな~と考えておりました。

…で、このたび機会があったので、九鬼水軍の拠点だった鳥羽にやってきました!
九鬼くん、鳥羽城からの眺めすごいね~。

九鬼家や九鬼水軍に縁のある九鬼正宗

それじゃあ行ってみようかね〜。
楽しみだね、九鬼くん。

鳥羽の歴史


現在は、ミキモト真珠島やラッコやジュゴンで人気の鳥羽水族館で知られている鳥羽。本当にきれいな海が広がるよい場所ですね。

鳥羽城跡から見た鳥羽湾

そもそも鳥羽ってどんなところなんだろう?
九鬼正宗に関わりが深い九鬼家を中心に調べてみました。


伊勢志摩地域は古代から海人(あま)文化が栄え、海産物の供給地として重要なところだったようです。
特に鳥羽周辺は伊勢神宮のお供物を調達する「御贄処(みにえどころ)」として、また朝廷に魚介類を納める「御食国(みつけくに)」の一つとして万葉集にも詠まれたところです。

原文: 御食國 志麻乃海部有之 真熊野之 小船尓乗而 奥部榜所見
作者: 大伴家持(おおとものやかもち)

よみ: 御食つ国(みけつくに)、志摩(しま)の海人(あま)ならし、真熊野(まくまの)の、小舟(をぶね)に乗(の)りて、沖(おき)へ漕(こ)ぐ見(み)ゆ

https://art-tags.net/manyo/six/m1033.html

原文: 釼著 手節乃埼二 今日毛可母 大宮人之 玉藻苅良武
作者: 柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)

よみ: 釧(くしろ)着(つ)く、答志(たふし)の崎(さき)に、今日もかも、大宮人(おほみやひと)の、玉藻(たまも)刈(か)るらむ

たのしい万葉集(0041): 釧着く答志の崎に今日もかも

↓↓伊勢神宮への旅はこちら


奈良時代に志摩国となったころ、13の海賊衆・志摩十三地頭など地元の豪族や海賊の勢力が強まっていきます。
この海賊たちによって15世紀まで群雄割拠の時期が続き、この頃から鳥羽は「海の武士団」の土地として性格を強めていき、水軍が形成。
16世紀後半・戦国時代になって13の海賊衆の一つ・九鬼家が台頭し、織田信長に仕えた九鬼嘉隆が志摩国の領主となり、1594年に鳥羽城を築城します。

九鬼嘉隆像(常安寺蔵)
写真引用:https://www.city.toba.mie.jp/soshiki/k_shakaikyoiku/gyomu/rekishi_bunkazai/bunkazai/kikuzuorku/7018.html

1634年、九鬼家はお家騒動により摂津三田(現在の兵庫県)と(現在の京都)に所替えとなり、それぞれ幕末まで続いていきます。
鳥羽城にはその後、様々な大名が出たり入ったり…
内藤家→土井家→大給松平家→板倉家→戸田松平家→稲垣家が入り、最後の稲垣家が幕末まで続いていきます。

最後の鳥羽藩主・稲垣家の菩提寺・光丘禅寺

余談ですが、九鬼家のすぐ後に鳥羽に入った内藤家。有名な赤穂事件の浅野家と関係があるとのこと。
東京タワーの近くにある増上寺にて、4代将軍・家綱の大法会が行われた際に当時の藩主・内藤忠勝が丹後国宮津藩主・永井尚長に切りかかり刃傷事件を起こしてしまいます。これによって内藤家が断絶。
鳥羽藩には土井家が入ることになります。


その切り掛かった最後の藩主・内藤忠勝の姉が、江戸城「松の廊下の刃傷事件」を起こした浅野内匠頭のお母さんにあたるんですね。
「忠臣蔵」のお話の発端となった大事件ですが…この内藤家の事件となんだか類似点があってちょっと不思議な感じです。

内藤家家系図
引用:https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/Q_A/detail131.html

↓↓浅野家が改易された数年後、赤穂藩には森長可能・蘭丸兄弟の末弟・忠正から始まる森家が入ります。こちらのおうちも紆余曲折あって、何度か断絶の危機に直面しているようです。

↓↓森家の分家・三日月藩森家に伝来した人間無骨写しを見に行った旅はこちら

明治時代に入り、1893年には御木本幸吉が世界初の真珠養殖に成功。鳥羽は「真珠の町」として世界的に知られるようになります。
合わせて古代から続く海女文化も継承し、真珠産業のブランド化が進みます。

ドルフィン公園にある御木本幸吉の像
ミキモト真珠島の海女の実演

また、大正~昭和にかけて活躍した小説家・江戸川乱歩も青年期に鳥羽に住んでおり、鳥羽での思い出や経験が作品に影響を与えているのだそう。
最初の就職先でもあり奥さんと出会って結婚した地でもあるんですね。人生の中でも思い出の地になるんだろうな。
市内の本町通り沿いには「江戸川乱歩館」があり、鳥羽での乱歩の生活の一部などを見ることができます。

江戸川乱歩の恋歌

1955年には、鳥羽水族館が開館。
国内最大級の水族館として観光の柱になり、1960年代以降の鳥羽は観光都市として急成長します。

鳥羽水族館

1946年には伊勢市、鳥羽市、志摩市、南伊勢町のリアス海岸を形成する一帯が国内初の国立公園に指定。鳥羽は伊勢志摩国立公園の玄関口として国内外から観光客が訪れる一大観光地に。
こうして今の鳥羽につながっていくんですね。なるほど。


九鬼家・九鬼水軍とは?


きれいな海と自然とともに歩んでいる鳥羽の歴史。
その中でも、特に九鬼正宗と縁のある九鬼家や九鬼水軍について、もうちょっと詳しく調べて見ました。

短刀 無銘正宗(名物九鬼正宗)国宝
刃長24.8cm。やや内反り。刃文はのたれ に互の目交り、裏に腰樋を掻き流してい る。生ぶ茎無銘の正宗の短刀。正宗の作 には有銘のものが少なく、他に数口の有 銘の短刀がある。本短刀は同作中特に出 来が優れ、かつ健全である。もと九鬼長門守の所持であったことから本号があり、享 保名物帳に所載がある。

260326.pdf

九鬼家については、鳥羽城近くの鳥羽市観光案内所の展示室のほか、三重県立博物館、鳥羽市立海の博物館にて詳しい展示があります。

www.umihaku.com

●初代・九鬼嘉隆

まずは鳥羽城を築いた九鬼嘉隆。
もともと志摩の「嶋衆」の一勢力にすぎなかった九鬼家を、織田信長の水軍大将として全国区の存在へ押し上げた人物です。

もともとは波切城(なきりじょう)で生まれたそう。
…いや、すごい断崖絶壁のところにあるお城だな~。


嘉隆は三男だったため当初は長兄の浄隆が継ぎますが、志摩の地頭との争いが起こり浄隆は戦死。嘉隆は、浄隆の息子・澄隆について朝熊山まで退却したそうです。
ちなみに、この澄隆には初音姫という美しい娘がおり、想い人がいるのに政略結婚させられそうになったため悲恋のうちに亡くなったという昔話が伝わっています。
実際に初音姫のお墓と言われる塚もあり、初音姫の塚を調査したところ、瑪瑙の勾玉など副葬品が出土したため実在が確認されたとのことです。事実とすればなんとも悲しいお話ですが、それだけ当時の豪族たちの争いが激しかったということなんでしょうね。

1569年には、織田信長の北畠攻めで水軍を率いて戦功をたて、正式に織田家臣となります。
1574年には伊勢長島一向一揆攻めに参戦。
1578年の第二次木津川口の戦いでは、信長の命で建造した鉄甲船(大安宅船)を率い、毛利水軍を破るなどの水軍らしい活躍を見せています。

九鬼嘉隆の鉄甲船

ちなみに、この時の毛利水軍にいたのが村上海賊。
しまなみ海道にもミュージアムがあって、日本最大の海賊の本拠地として有名なところですね。いつか行ってみたいな。

さらに1592–1593年の朝鮮出兵こと文禄の役では、水軍総大将として朝鮮出兵に参加。長さ約33mの巨大安宅船「日本丸」を中心に出陣し活躍します。

九鬼水軍の日本丸

この日本丸の船櫓(御座船にある天守閣のような屋根付きの建物の部分)は、滋賀県の琵琶湖に浮かぶ竹生島・宝厳寺に移築されており、今でもその内部を見ることができます。

宝厳寺渡り廊下(別名・舟廊下)

↓↓日本丸の船櫓がある竹生島への旅はこちら

ちなみにこの「日本丸」よりもう少し後の時代に作られた御座船「安宅丸」をイメージしたクルーズ船が神戸港から出ています。
カラフルで豪華〜。
これはこれで一度乗ってみたいですね。

引用:https://kobebayc.co.jp


そして1594年に鳥羽城が完成。
今の鳥羽水族館のところまで二の丸が広がっており、大手門は海側に面していたそう。水軍城主らしい海城ですね。

その後、1597年に家督を息子・守隆へ譲った嘉隆は隠居しますが、1600年の関ヶ原では 嘉隆=西軍、守隆=東軍 に分かれて参戦。

西軍敗北後、嘉隆は答志島・洞仙庵へ逃れます。
守隆が家康に助命を嘆願して許されるものの、使者が到着する前に嘉隆は自害。答志島には首塚と胴塚が残っているそうです。


●2代・九鬼守隆

嘉隆の死後、息子の九鬼守隆が鳥羽藩主(5万6000石)となります。
守隆は九鬼正宗の持ち主でもありますね。

●九鬼正宗の所有者
小早川隆景→九鬼五郎八(守隆弟)
→九鬼守隆→徳川家康
→伊予西条松平家(紀州徳川家の一族)
→林原美術館

1614年の大坂冬の陣では、九鬼水軍を率い活躍。さらに1000石加増され鳥羽・九鬼家の最盛期を築きます。
この守隆の代から、家紋に「三頭右巴(さんとうみぎどもえ)」から「七曜(しちよう)」を使い始めたようです。

九鬼家紋入り具足
旗の家紋は、上から九鬼家の三頭右巴・七曜、
最後の藩主稲垣家の稲垣茗荷紋

さて、守隆には5人の息子がいましたが…
長男・良隆を廃嫡→次男・貞隆を跡継ぎにしたものの、貞隆が早くに死去。さらに五男・久隆を廃嫡した長男・良隆の養子にしていました。
ややこしいなあ…。
そんなややこしい状態だったため、1632年に守隆が死去するとお家騒動が勃発。
三男・隆季派と五男・久隆派 の家督争いが勃発します。

最終的に幕府が調停に入り、守隆の遺言通り五男・久隆を跡継ぎと認めます。が、五男・久隆は2万石に減俸の上、摂津三田藩に。三男・隆季は丹波綾部藩に転封となります。

摂津三田藩・三田城跡(三田陣屋)
https://nohgaku-kyodo.com/sanda-history/sanda-castle
丹波綾部藩・綾部陣屋跡
https://www.kyoutabi.com/ayabe/ayasiro.html#google_vignette

転封先の三田(兵庫県)も、隆季に与えられた綾部(京都府)も、
いずれも 海から遠い内陸の山間部。
つまり九鬼家は“海”を失い、水軍としての歴史はここで終わります。

とはいえ、両藩とも幕末まで続き、明治時代には華族になっています。
三田市には旧九鬼家住宅資料館もあり、明治初期に建てられた全国でも数少ない「擬洋風建築」の建物を見ることができるなど、しっかりその地を治めていたようです。

●現代の九鬼家

廃藩置県後は華族に列せられた九鬼家。
現代にも九鬼家の子孫の方がおり、様々な分野で活躍されているそうです。
ごま油を製造販売している四日市の「九鬼産業株式会社」は江戸時代に商人になった九鬼家の子孫が興した会社さんだそう。
実業家として活躍されているんですね。

またプロ野球選手の九鬼隆平選手も、九鬼家の子孫に当たるそう。
子孫の方も運動神経が抜群なんですね。さすがだなあ。



現代でも、鳥羽では九鬼家の影響が強く見られます。
鳥羽では毎年春に九鬼水軍に扮した武者行列が開催されているとのこと。
今でも地元の皆さんに愛されている一族なんですね。



地元の偉人

そんな鳥羽は、近代以降もたくさんの偉人を輩出しています。

鳥羽の偉人
門野重九郎・御木本幸吉・近藤真琴

御木本幸吉

真珠と言ったらミキモトと思い浮かぶぐらいには、有名なジュエリーブランド「ミキモト」の創始者。
世界で初めて養殖真珠の開発に成功した方です。

引用:https://www.pref.mie.lg.jp/common/content/000055066.pdf
御木本真珠島にある御木本幸吉像
最初にできた養殖真珠の見本

実家はうどん屋さん「阿波幸」だったんですね。
鳥羽の錦町通りや本町通りの近くに御木本幸吉生誕地があります。

ミキモト真珠島の御木本幸吉記念館に展示されている御木本幸吉の実家「阿波幸」

真珠王になった後も、地元・鳥羽と伊勢神宮の外宮・内宮をつなぐ「御木本道路」を整備。
また金剛證寺などがある朝熊山の参道や周辺道路を整備するなど、地域のインフラ整備に貢献してくれた方でもあります。
このおかげで観光地・鳥羽の基礎ができたとも言えますね。


近藤真琴

「明治六大教育家」の一人として、福澤諭吉・新島襄らと並び称される人物で、私塾「攻玉社(旧・為錯塾)」を創設し、航海術・数学・測量学の教育を体系化。
後に海軍兵学校の予備教育機関として機能し、多くの海軍将校・学者を輩出した学校を創設した方なんですね。

引用:https://kogyokusha.ed.jp/introduction/history/

明治初期の教育家。江戸の人。大村益次郎などに蘭式兵学を学んだ。明治2年(1869)海軍操練所出仕となり、海軍兵学校の予備教育機関としての攻玉塾(のち攻玉社)を創設。

「近藤真琴」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書

明治になっても、鳥羽には「海の武士団」としての気質が受け継がれていたんようで、近藤真琴はそのほかにも船に関わる学校をたくさん作っているそうです。

  • 日本初の商船学校「航海測量習練所」設立(1875)。

  • 鳥羽商船分校(現・鳥羽商船高等専門学校)を開設(1881)し、商船教育の基礎を築く。

  • 日本初のかな書き辞書『ことばのその』を著すなど国語学にも貢献。

このおかげで、鳥羽の海の産業が盛んになったとも言えます。
海とともに生活する地域にとって欠かせない知識や技術を学べる場所を作ってくれたことは、とても影響が大きいだろうなあ。

門野幾之進

教育者として慶應義塾を支え、実業家として日本の生命保険制度を確立し、言論・文化・政治にも影響力を持った、鳥羽が生んだ近代日本の多才なリーダーです。 弟の門野重九郎(大倉財閥の重鎮)とともに、鳥羽出身の兄弟が日本の近代化に大きく貢献した点も特筆されます。

写真引用:https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/565/

父は鳥羽藩家老。明治2(1869)年上京、鳥羽藩の貢進生として慶應義塾に入り福沢諭吉の謦咳に接す。4年より同塾にて教鞭をとり16年には同塾教頭、35年に副社頭、臨時塾長事務をつとめるとともに、『時事新報』に社説を執筆、交詢社の発展に力をつくす。35年には実業界に入り、37年千代田生命保険を創業、社長就任。ついで千代田火災・千歳海上火災などの社長をかねる。昭和7(1932)年貴族院勅選議員。大倉財閥幹部の門野重九郎の兄。

門野幾之進|近代日本人の肖像 | 国立国会図書館

とても優秀な方だったようで、13歳で鳥羽藩の貢進生として上京し慶應義塾に入学。生涯の師である福澤諭吉に出会います。
15歳で慶應義塾の英語教師となり、「ボーイ教師」として知られるようになります。
その後は30年以上にわたり慶應義塾で教鞭をとり、教頭・副社頭などを歴任。生涯を通じて、文化・政治に多方面に貢献した方のようです。

■ 主な功績
① 日本の生命保険事業の礎を築く
1904年(明治37)千代田生命保険を創立し初代社長に就任。
千歳海上火災保険 など複数の保険会社の社長を兼務し、日本の保険制度の発展に大きく貢献。
② 慶應義塾の発展に尽力
慶應義塾で 教頭・評議員・副社頭・臨時塾長事務 を務め、教育制度の整備に貢献。福澤諭吉の思想「独立自尊」を継承し、教育者として若者育成に尽力。
③ 言論・文化活動への貢献
福澤諭吉が創刊した 『時事新報』の社説執筆者・会長 を務める。
異業種交流クラブ 「交詢社」会長 として近代日本の社交文化を支えた。
④ 政治・社会活動
1932年(昭和7)貴族院議員に勅選され、国家政策にも関与。
⑤ 鳥羽の歴史資料の保存に貢献
鳥羽市には 門野幾之進記念館 があり、門野家から寄贈された約3,200点の資料が保存されている。
幕末の鳥羽藩の武具・書画・写真など、地域史研究に極めて貴重な資料群。

兄弟で功績を残した門野兄弟
門野家家系図
「渡欧日記」
海外視察中の日記。文章は簡潔ながら、ユーモアがあり、
最後は「立派なパリの進氏になりおおせたる」と結んでいます。

「ボーイ教師」という呼び方は、慶応義塾大学にて英語教師になった際あまりにも若かったため「ボーイ教師」と呼ばれたそう。
いや、いくら若くても先生なんだし、ボーイって少年みたいなイメージの呼び方だな~…と思ったら

あ、こりゃ「ボーイ」だわ。
まだ明治の世で元服は10代半ばの感覚の時代かとは思いますが…それでもまだまだ「少年」の年頃に見えます。この年で慶応義塾大学の先生を務めるなんて、本当に秀才だったんだな。

現在の門野家の跡地には、門野幾之進記念館と生誕碑が立っています。
記念館には門野家に関わる資料が合計3,285点も収蔵されており、鳥羽藩の歴史的資料としても価値が高いそうです。

引用:https://toba-archive.jp/content/detail.php?no=3298



さて鳥羽のことをいろいろ知ってみたところで、実際の鳥羽城に行ってみたいと思います!

JR鳥羽駅に到着!
観光案内所まえでミジュマルと九鬼嘉隆がお出迎え。

ミジュマルは鳥羽のあちこちで見かけました。
もうここの地元キャラクターみたいになってますね。かわいい。

鳥羽城跡


まずは九鬼家の拠点であった、鳥羽城跡にやってきました。

鳥羽城外観

とはいえ、現在の鳥羽城跡には建物などは残っていないそう。
そのため、当時の様子を再現した鳥羽城アプリを使ってみます。
AR・VRポイントに行くと、再現された城の建物や、九鬼水軍が海を渡る様子を見ることができるそうです。

VRアプリで再現された二の丸御殿

実物大の九鬼水軍の鉄鋼船をVR見ることができるようですが…
鳥羽歴史文化ガイドセンターの方によると、なぜか鉄鋼船が上のほうに表示されてしまうとのこと…。
出てこないな~と下見てたら、天井のほうに浮かんでました。
なんでやねん??

鳥羽歴史文化ガイドセンターの天井に現れててしまった鉄鋼船

先ほど見たように、鳥羽城の大手門は現在鳥羽水族館があるところで、海から城に入るつくりになっていたようです。
北を流れる妙慶川は、古代には志摩国と鳥羽国の境目だったようで、江戸時代には城の陸側の入り口でした。江戸時代の武士たちはこちら側からお城に出勤していたようですね。
西側の横町口門のほうには家老屋敷が並んでいたようです。
今回は相橋口門から入っていき、城山公園、本丸跡、家老屋敷跡を見ていきます。

相橋:武家屋敷から鳥羽城に上がる武士が使った橋

入り口には大山祇神社が。お参りしてからお城に入っていきます。

大山祇神社

三の丸広場には、TOBAのモニュメントがあります。
広くて眺めのいいところだなあ~

城山公園

本丸西側の石垣は、城山公園内でも一番状態がよく残っている石垣だそうです。
九鬼嘉隆の鳥羽城創建時代の石垣とのこと。戦国末期の石垣がちゃんと残っているんですね。

本丸西側の石垣

さらに登っていくと、本丸跡に到着。
ここに天守閣と本丸御殿が建っていたようです。
発掘調査で大井戸跡や、上段の間・床の間・棚・付け書院のある格式の高い書院造のお部屋があったことが判明しているそうです。
二条城や名古屋城のような、お殿様のお部屋があったんでしょうね。

しかしひろいなあ~海風が気持ちいいです。

本丸跡

それではさっそくVR・ARアプリを使ってみます。
どんなお城が出てくるかな~?

この場所に…

こんな感じに天守閣があったようです。

天守閣の裏側

真っ白い天守閣が青空に映えますね~いいな~。
海に浮かぶ白いお城、なんだか昔話に出てきそうな不思議なお城のイメージ。

鳥羽水族館側の三の丸・二の丸もこちらもアプリで再現されています。
本当にすぐ海のそばに建てられていたんですね~。

「カモメの散歩道」にあるVRARポイントでは、九鬼水軍が悠々と海を渡っていく様子を見ることができました。
すごい船団。黒々とした鉄の船が水に浮いてるの、当時の人たちにとっては衝撃だったろうな~。

本丸跡から、市民文化会館や鳥羽市役所の方面に降りていくと、家老屋敷跡があります。
屋敷跡はぐるっと石垣で囲まれているようですね。本丸西側の石垣と一緒で九鬼嘉隆の時代に作られたもののようです。
となると、お城の構造やつくり自体は九鬼家がいたころからそんなに変わっていないのかな?それもそれですごいことです。

家老屋敷跡


常安寺


九鬼家の菩提寺、常安寺にもお参りにやってきました。
こちらには九鬼義隆・守隆など歴代九鬼家のお墓があります。

常安寺
本堂

九鬼嘉隆が自害したおりに使ったと言われる短刀や、九鬼嘉隆画像、鐘楼なども所蔵されているそうです。

本堂には、九鬼嘉隆の時の家紋と、息子の守隆の家紋が並んでいます。

九鬼家のお墓は、墓地の一角に塀で区切られていました。
九鬼家の家紋のある門をくぐると、コの字型に墓石がいくつか並んでいます。
中央に嘉隆・左に守隆と守隆の正室、左に隆季・貞隆、両サイドには子や孫の世代が並んでいるようです。

お家騒動があったり、その後鳥羽の地を離れてしまった世代もいますが、
今は静かな墓所でみんな並んで眠っているんですね。


鳥羽水族館


さて、そのあとは鳥羽水族館へ。
鳥羽水族館は「飼育種類数日本一」の水族館であり、国内で唯一ラッコやジュゴン、アフリカマナティーを飼育しているところでもあります。
珍しい動物たちにあえるの、楽しみだな~。

鳥羽水族館
ラッコポスト

ラッコポストかわいいねえ。
ラッコは常に上を向いていることから、このポストから手紙を出すと届いた相手の人生や運が上向きになるといわれてるそうです。
意外なパワースポット。

サンゴの海を再現したエリアはとても幻想的できれい。
いろんな種類の生き物がいるな…面白い。
展示されている生き物の生活や飼育の工夫、泳ぎ方や食べ物の食べ方まで、細かく解説されているのがとても楽しかったです。そうなんだ~。


ラッコ(メイ・キラ)

さっそく、ラッコのメイちゃん・キラちゃんに会いに行きました。
かわいいね~。

手前がメイちゃん・後ろにいるのがキラちゃん

ちなみにキラちゃんは2024年まで福岡のマリンワールド海の中にいた、リロくんの妹になるそう。へえ~そうなんだ。

思ったより、素早い動き。ずっと泳いでてなかなか写真撮れません。
元気いっぱい。

とはいえ2026年5月の時点で、メイちゃんは22歳、キラちゃんも18歳とラッコで言ったらおばあちゃんになるそう。
ラッコの1年は人間でいう約5〜6年分に相当するとのことなので…人間で言ったらキラちゃんは85歳、メイちゃんに至っては110歳になるのか!
あとどれぐらい元気でいてくれるのかな…なるべく長く幸せに暮らしてくれているといいなあ…。

ジュゴン(セレナ)・アフリカマナティ(みらい)

ジュゴンのセレナちゃん。
かわいいね~。
ちょうどご飯の時間だったようで、アマモを入れたかごがゆっくり上から降りてきました。

セレナちゃんの荘厳な雰囲気と相まってとても神秘的に見えることから、ファンの方の間では「アマモ降臨」「レタス降臨」と言われているようです。
面白いなあ。

来年はセレナちゃん来館40周年になるそう。
30周年の時のキャッチコピー「アラサーになった人魚姫」もなんだかかわいらしくて好きです。
40周年はどんな企画が用意されているのか、今から楽しみですね。


また、マナティーのみらいちゃんにも会ってきました。
かわいいね~。

正直、それまでジュゴンとマナティーがどう違うのか、いまいち違いが判っておらず。今回初めてジュゴンとマナティーを実際に見たのですが…。
あ、これは一目でちがうとわかりますね…。

ぱっとみジュゴンの顔は馬のように横に目がついていて面長な感じ。
マナティーはアザラシのような正面に目がついている丸っこい顔です。

ジュゴンのセレナ
アフリカマナティのみらい

そして、尾びれが全然違いますね。
ジュゴンはイルカのような二等辺三角形のようなひれですが、
マナティはしゃもじのような丸いひれです。

ジュゴンの尾びれ
マナティの尾びれ

ジュゴンは海底の海草を食べるため口が下向きになっていますが、マナティは水面近くの水草を食べるため口が上向きになっています。
マナティには肘があるため、レタスをもってもぐもぐするかわいらしい様子が時々見られるようで鵜sが、ジュゴンには肘はないのでレタスもってもぐもぐはできないそう。
それぞれの特徴にあった、かわいさがあるんですね。

こんなにいろんなところが違うんだね。
実際に見る機会があるのは、本当に勉強になります。

マリンギャラリー

地下のマリンギャラリーには、今まで鳥羽水族館で飼育されていた動物たちの剥製が展示されています。
とても貴重な資料であるほか、亡くなってしまった動物たちにもまた違う形で会うこともできます。
ジュゴンのじゅんいち君やラッコのメイちゃんのお母さん・ポテトちゃんもいるそう。いつまでもここにいてくれるんですね。

奥:メイちゃんの母方のおじにあたるラッキー
手前:メイちゃんのお母さんのポテト
一番左:ジュゴンのじゅんいち
天井まで届きそうな大きなトドの剥製

鳥羽水族館では所蔵する標本資料をデジタル化し、「鳥羽水族館標本資料データベース」を公開しています。
かわいい動物たちに会えるのも水族館の楽しみですが、こうやって動物を正しく知って、人間と正しく関われるよう研究してくれるのも水族館の役割なんですね。すごいことだなあ…。


セイウチ(ツララ)

「セイウチふれあいタイム」では、セイウチのツララちゃんが、いろいろなパフォーマンスを見せてくれました。
かわいいね~。

セイウチのツララ

パフォーマンスの間、セイウチの生態について飼育員さんからいろいろ説明がありました。
セイウチの目は赤いということ、オスでもメスでも立派な牙と髭が生えることなどなど…
最近のお悩みは、ツララちゃんに会いに来てくれたお客さんたちがSNSに写真を上げてくれるそうなのですが…たまに「#トド」とつけられていたりするのだそう。トドじゃないよ~。
トドやアザラシ、アシカとちょっと似てますが、違うところがたくさんあるそうです。

セイウチはアザラシなどと違って、唇の筋肉が発達しており、人間のように口をすぼめたりいろいろできるそう。
ホースの中の餌を吸い込んだり、投げキッスしたり。
ハーモニカやシャボン玉も吹けたりと芸達者なのはそのおかげなんですね。なるほど

ホースの中にある餌も、すごい速さで吸い込むツララちゃん。
ダイソンにも負けない吸引力でびっくりです。

こうやってハンドサインなどでおなかを見せたりあごを上げたり、飼育員さんの指示を聞いてくれるように教えているのは、健康診断や治療のためだそう。
たしかにこんなに大きな生き物、ちょっとおなかや口の中見せてといっても、人間の力であおむけにはできないし…日ごろからコミュニケーションをとって、自分からおなか見せてくれたほうが双方負担にならないですよね。
なるほど~よく考えられてるなあ~。


ちょっと暗めの部屋「へんな生き物研究所」では、本当にへんないきものがたくさん…。
世の中にはこんなに不思議ないきものがいるんだね。

カワテブクロ

ダイオウグソクムシってこんなにでっかいんだ。
体長50㎝、重さ1000グラムにもなるそうです。しっぽ見るとエビのしっぽに似ていますが…エビじゃなくてダンゴムシの仲間なのか…。
ダンゴムシの仲間と思うと本当に大きいなあ。

ダイオウグソクムシ
96本多腕マダコ

96本の多腕タコの標本の展示も。いや、そもそもタコってそんな足いっぱい生えるの?
一説には足の一部を捕食されたあと、変則的に復活した足が分かれてしまったのでは?とのことですが…それならそれで、このタコさんたくさん食べられたことにならない?
ちょっと痛そうだなあ…苦労した人生(タコ生?)のタコさんなのかもしれないですね。


屋上の「奇跡の海」では、ドクターフィッシュがいました。
一回やってみたかったんだ~!!古い角質をとってくれるおさかなさんとのことですが、実際どんな感じなんだろう?

ドクターフィッシュ

…う~ん…ちっちゃいスポイトがちょいちょい吸ってくる感じ…。痛くはないけど、なんだかくすぐったいです。

この後、小学生ぐらいの男の子たちがやってきて池に手を入れたとたん、みんなそちらに行ってしまいました。
ドクターフィッシュにも食の好みがあるんだろうなあ…新陳代謝のよさや日焼け止めなどの化粧品を塗っていないなどは、単純に考えても影響はありそうですが。
角質に味があるのか好みはあるのかなど、グルメ的な方向でもちょっと気になります。

レストラン「花さんご」

お昼はレストラン「花さんご」。内装がサンゴ礁の海をイメージされていて、なんだかリトルマーメイドの世界みたいです。

お目当てはメイちゃんのカレー、かわいいなあ。
というか今日、ずっと何見てもかわいい、かわいい言ってる。

花さんごのメニュー・メイちゃんのカレー

メイちゃん・キラちゃんのお誕生日には、特別なカレーや当日限定のらっこ焼きが販売されているそう。本当に鳥羽水のアイドルですね。

ずっと動物たちがかわいくて、かわいいね~が何回も出てきました。
みんなまた来る時まで元気でいてほしいなあ。


ミキモト真珠島


さて最後は、ミキモト真珠島へ。島全体がミキモトのテーマパークのようです。
海女さんたちの作業も見学でき、真珠についていろんなことを知ることができました。

ミキモト真珠島の島内


海女の実演

ちょうど海女さんの実演の時間だったのでさっそく見てきました。
小学校卒業ぐらいから練習をはじめて、何年も練習するんですね。すごいなあ。

鳥羽・志摩は、全国の約半数の海女が活躍する日本一の海女の町だそうです。
古来より海女文化が続いており、現在も伊勢神宮に奉納するアワビを海女さんがとっているそうです。今でも伊勢神宮とのつながりが深い文化なんですね。


ハート石

島内にはそんな海女さんが発見したハートの石があり、話題になっていたようです。
「御木本幸吉の像の近くにあるソテツの植え込みを囲う石の一つ。」とのことですが…どこだろう?探してみました。

海女さんが発見したハートの石

あった!
確かにハートの形。よくみつけたなあ~。

真珠博物館

きれいな海に浮かぶ島の景色もとても良いのですが、資料館の展示がとても詳しく勉強になりました。
真珠はなぜできるのか?養殖真珠はどうやって作るのか?どうして真珠ごとに違いが出るのか?などの真珠のつくり方についての解説のほか、古代ヨーロッパでとれた真珠を使った昔の貴重なアクセサリーなども展示されていました。
天然ものしか取れなかった古代の真珠は丸くなかったり、ビーズぐらいの大きさだったんだね。なんか意外だなあ。
そりゃこんな大きな真珠取れる技術作ったらすごすぎるわ。

真珠の色も様々あるのか。
実際に色素がついているものと、光の加減で色がついているように見えるものがあるんですね。へえ~。

こちらの三角形の展示、よーく見ると…

真珠がびっしり!
ランクによる違いが一目でわかります。真珠は全部丸くて白いものと思っていましたが、照りや色も違うもんだなあ。
そして核を入れたアコヤ貝のうち、真珠ができるのは45%。
そのうちでも品質のいいものは28%、最高級の「花珠」になると5%しか取れません。
自然の生き物が作る宝石であることがよくわかります。

真珠の選定作業の様子

こうやって色や形、大きさごとに、一粒一粒、並べて選定するんですね…気の遠くなるような作業だ…。
この選定作業で選ばれた色・形・大きさが一定の基準に達した真珠のみが、ネックレスなどのアクセサリーに加工されるそうです。

真珠層の取り出し

とはいえ、アクセサリーにならない真珠を無駄にすることはなく、小さいものについては真珠の成分を取り出し化粧品やサプリに使用します。
この真珠層を粉末にし、抽出した成分をさまざまな商品に使用しているそうです。
よく「パールの成分配合」って化粧品や健康食品がありますが、こうやって作られているんですね。

さらに、世界中の貴重なパールジュエリーがたくさん展示されていました。
地中海のパールネックレス、ビーズみたいに小さな粒がぎっしり。
繊細な細工でびっくりします。

部品の組み立てによって12通りの使い方ができる多機能ジュエリー
帯留「矢車」
養殖真珠の中から10年もの歳月をかけて選んだ49個の真珠からなるネックレス
「大将連」

また、豪華な夢殿の模型がありました。
屋根にすごい数の真珠のってる…。粒もそろってて、輝き方が違うな…。

夢殿
夢殿の屋根部分

ところで、「真珠をとった後の貝はどうしているんだろう?」とずっと疑問だったのですが。
アコヤ貝の貝柱は食用になるんですね。

アコヤ貝の真珠の収穫は冬のため、基本的に冬にしか出まわらない珍しい食材とのこと。メニューは酢味噌やかき揚げ、炊き込みご飯…全部おいしそう。
東北ではなじみがないので、新鮮な貝柱を一度食べてみたいです。

写真引用:https://www.mikimoto-pearl-island.jp/_files/ugd/597b0a_00ceb6ad782e4a4a813c216542a1ccf5.pdf

御木本幸吉の実家のうどん屋の名前と同じ、島内のレストラン・阿波幸でも提供されてるそう。「真珠定食」おいしそうだな~。
ランチの時間にしかやっていないようだったので、今回はちょっと間に合いませんでしたが。また来た時に食べてみたいな。


楽しかったな~鳥羽!!

ちなみに、鳥羽水族館には先日大分のうみたまごからセイウチのいちこちゃんが仲間入りしたそう。
大分で一度いちこちゃんにはあっていますが…大きくなったいちこちゃんにも会いたいなあ。

↓↓宇佐神宮・府内城・別府温泉で有名な大分の旅はこちら

今度は志摩方面にも足をのばしてみたいなあ。
フェリーに乗って小説や歴史の舞台にもなった離島めぐりもやってみたいです。

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