【大分】八幡さまの総本宮・宇佐神宮〜大分①大分駅周辺・宇佐神宮〜
※2025年5月の内容です。
全国にある八幡様の総本宮・宇佐神宮のある豊前の国にやってきました。

豊前江さんにお供してもらいました
以前、東京国立博物館で特別展「神護寺」をみてから、宇佐神宮に一度行ってみたいと思っていたんですよね~。
今の皇室が変わっていたかもしれない古代の大事件「宇佐八幡宮信託事件」の場所でもあり、東大寺の大仏建立のきっかけになる信託が下されたりと、歴史的にも大きな影響を与えた神宮だそうです。
すごいな。
また、刀工・神息の伝説がつたわる場所でもあります。
↓↓特別展「神護寺」と亀甲貞宗を見に行ったときの様子はこちら
この日は大分駅周辺も少しだけ回っております。
大分県は宇佐市側が豊前、別府や大分市側は豊後に分かれるようですね。
豊前国は小倉藩があったところなので、小笠原家に伝来していたと言われる豊前江に縁があります。
豊後国は刀工・豊後行平のゆかりの地。地蔵行平や古今伝授の太刀を作った刀工さんですね。

2025年には9/19~11/3に、宇佐市の大分県立歴史博物館にて特別展「豊後行平」が開催されておりました。古今伝授の太刀も展示されたそうです。
もう一つの展示は大分県立歴史博物館で、豊後国行平の特別展があります!古今伝授の太刀はキューハクから一呼吸置いて展示されます。大分県初の公開だそうです。また記念シンポジウムで、10/18(土)京博の末兼先生、九博の望月先生、大分歴博の平川先生登壇の講演会があります。面白そう。 pic.twitter.com/2P0OLo5Cpc
— こーゆ@桃始めました (@kouyus) July 27, 2025
大分の歴史
まず大分ってどんなところなんだろう?
ざっくりと調べてみました。
●奈良時代(7世紀後半~8世紀)
大化の改新(645年)以降、ヤマト政権は全国を律令制に基づく地方行政単位「国」に分割。
九州は9つの国(壱岐・対馬を入れると11)があり、現在の大分県は「豊前国(ぶぜんのくに)」「豊後国(ぶんごのくに)」に当たります。
大分県=豊前国の東側+豊後国のエリアになるようですね。
豊前江さん、豊前国小倉藩の小笠原家伝来の刀とのことですが…
— るちあ@陸奥国 (@__luchia_) May 6, 2025
豊前国=大体北九州市の小倉〜宇佐市までの範囲なんだね
確かに地形的には福岡側と別府側に山があるから同じ国感はするね
今は小倉〜博多間に新幹線があるから、時間と本数的にそっちの方が近い感じしますhttps://t.co/3MmcZyk2fe pic.twitter.com/77cU1BI0Ky
東北の民、九州の地形がいまいちわからんのだけど…。
国東半島~九酔渓(きゅうすいけい)まで山地が続くから、ここで国境になるのはわかるんだけど…。
どうして今現在は、中津まで大分県になるんだろう?面白いなあ。
ちょっとまた調べてみたいです。
Q.九州はなんで7県なのに「9州」なの?
— 温泉地の自覚がない大分市民bot♨️ (@yu_waku_citizen) February 16, 2026
A.もともと9国だったから。 pic.twitter.com/MdJDTDfPut

豊後国には国府が置かれ、国司が派遣されて政治・軍事・納税を管理していた様子。
国府の場所はどこだったんだろう?
JR豊後国府駅近くに国分寺跡があるので、その付近にあったのかな?
また仏教の影響が強まり、国東半島の寺院群が建立され仏教文化が根付いたのも、この時期のようです。
六郷満山とは、国東半島にある寺院群の総称のこと。奈良時代、宇佐神宮の御祭神・八幡大神の生まれ変わりとされる仁聞(にんもん)菩薩が半島各地に28寺院を開基したことにより、古来からあった山岳信仰や天台系修験、浄土思想などと融合した神仏習合の六郷満山文化が開花。宇佐神宮の庇護と影響のもと仏の里として隆盛を極め、現在も独特な仏教文化が脈々と受け継がれています。
奈良時代には、奈良の大仏建立にも宇佐八幡の神託が関与したとされ、豊後国は宗教的・政治的に注目された土地だったようです。
●宇佐神宮信託事件
奈良時代の769年には天皇制を揺るがした大事件、「宇佐神宮信託事件」が起こります。
大分県の宇佐神宮が、皇室の存続に大きくかかわっていた事件です。
宇佐八幡宮神託事件(うさはちまんぐうしんたくじけん)は、奈良時代の神護景雲3年(769年)、宇佐八幡宮より称徳天皇(孝謙天皇の重祚)に対して「道鏡を皇位につけるべし」との神託が報告されたことを契機とする事件。称徳天皇が和気清麻呂を使者として神意を確認させたところ、「天つ日嗣は必ず皇諸を立てよ」という神託を報告したため清麻呂と姉・広虫(法均)は処罰されたものの、結局道鏡は天皇となることはなかった。
和気清麻呂のおかげで、現代までつづく皇室が守られたということですね。
この功績により、現在まで続く皇室を守った功臣として、皇居の大手堀緑地に和気清麻呂の銅像が立っています。


和気清麻呂は宇佐神宮に向かう際、このような歌を詠んでいます。
西の海 たつ白波の 上にして
なにすごすらん かりのこの世を
(現代語訳)
白波が立つ西の海の上のようなこのはかない現世において、私はこれからどうやって過ごしていけばよいのだろうか?(太平の世など築くことなどできるはずはないのではないか?)
…何とも不安げな歌ですね…。
無事改めて神託を得、今の皇室の存続を守った和気清麻呂ですが、
脚の腱を切られ大隅国(今の鹿児島県・大隅半島)に流刑となってしまいます。
道鏡の怒りをかった清麻呂公は、別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と改名させられて脚(あし)の腱(けん)を切られた上、大隅国へ流されました。
その途中、暗殺を謀って送られた道鏡の刺客(しかく)から、突然の天地雷鳴や300頭あまりの猪の大群が和気清麻呂を護り、さらに宇佐へ詣でたところ、道鏡に傷つけられた脚が回復するなど、八幡大神のご守護により数々の奇跡がおきたと伝えられています。
翌年の神護景雲4年8月4日(770)天皇が西宮神殿で崩御、光仁天皇が御即位になって年号を宝亀と改め、同年9月6日清麻呂公は召し返され、翌宝亀2年3月29日(771)には元の位に着き、9月16日に薩摩の国員外の介に任ぜられたが、間もなく豊前の守(かみ)に還されました。
流刑になったものの宇佐神宮の神様に守られ、翌年には呼び戻されたようでよかったですが…。当時は鹿児島は遠い国だったろうなあ…。
ちなみに鹿児島の霧島市には、和気清麻呂が祀られた和気神社があります。暗殺されそうになった際、猪が守ってくれたエピソードにちなんで境内には狛犬ではなく「狛猪」がいるそうです。


この鹿児島の和気神社は、藤の花がとてもきれいで有名なようです。
だいたい5月の連休ぐらいが見ごろのようですね。
白の藤と紫の藤が幻想的です。



●平安時代(8世紀末~12世紀)
平安時代には、宇佐神宮が八幡神を祀る全国の総本山として朝廷や貴族から崇敬を受けたようです。
鎌倉時代からは、幕府が八幡宮を崇拝したことにより武士の守神として八幡神社が全国に広がっていきます。
また、律令制が衰退。豊後国でも地方豪族が力を持つようになり、国司や在地豪族が後々戦国大名になっていきます。
そんな力を持ってきた豪族たちの力の元となったのが、各地との交易。豊後国は瀬戸内海を通じて中国や朝鮮半島との交易にも関与。
日出や別府の港が交易拠点として機能した可能性があるようです。今も拠点となっている港ですね。
●鎌倉時代〜戦国時代(12世紀末~14世紀)
大分の戦国大名で有名どころといったら大友宗麟。
大友家の最盛期を築き、キリシタン大名として貿易に力を入れていたのも有名ですね。

大友氏は、元々相模国大友郷(現・神奈川県小田原市)を本貫とする関東御家人でしたが、鎌倉時代に初代・大友能直が豊後国の守護になって以来、代々これを世襲し、3代・頼泰のころに豊後に拠点を置くようになります。21代・義鎮(宗麟)の時代が最盛期であり、南蛮貿易によって得た経済力をもとに勢力を広げ、北部九州六ケ国の守護職に任じられました。22代・義統(吉統)は豊臣秀吉に豊後一国を安堵されましたが、朝鮮出兵での失態により改易となり、鎌倉以来400年にわたる大友氏の豊後支配は終わりを迎えました。
そのご先祖の大友能直が大分に入ったのが、鎌倉時代の頃ようです。
この大友能直が源頼朝から膝丸を下賜された方のようですね。
膝丸さん、しばらく九州にいたのね

↓↓ 髭切・膝丸に会いに行った「大覚寺展」のようすはこちら
ってか九州の戦国武将のことあまり知らないのですが…
それにしても大友氏の親戚多すぎない??
大友家さあ・・・この一族経営体制は流石に度が過ぎるからやめた方がいいって・・・ pic.twitter.com/cKpvpNqzIp
— しかかく 【戦国武将解説】 (@SquareDeerHorn) February 15, 2026
平安時代から活躍していた菊池氏やら、大友氏から膝丸を受け継いだ田原氏やら…なんか聞いたことのある九州の武将は大体親戚。
以前訪れた柳川の立花道雪(戸次鑑載)も、その婿養子の立花宗茂のお父さん・高橋紹運が継いだ高橋氏もみんな一族のようですね。
どんだけ皆大友一族やねん?
↓↓うなぎの美味しい柳川の旅はこちら
大友氏の拠点は、大分駅から徒歩15分ほどのところにある「大友氏居館跡」
敷地内にある「南蛮BVNGO交流館」では、当時の館の復元映像や、府内の町の様子を体験できます。これは面白そう!
今回は寄れませんでしたが、いつか行ってみたいなあ。
第24回「大友氏遺跡フェスタ」へ出陣。
— 豊後大友宗麟鉄砲隊 角隈石宗 (@NtT3c7HKo13MKsa) October 5, 2025
曇り空で蒸し暑く、午後から小雨が降ってきましたが、鉄砲隊演武の時間には、雨が降り止む奇跡が。いつもの強運の大友宗麟鉄砲隊は健在でした。戦国体験ブースも300名を超える体験・見学者で大忙し。ご来場ありがとうございました。 pic.twitter.com/hDQySFQlrU
また、大友宗麟はキリスト教を信仰したキリシタン大名として海外にも知られているようです。
大友宗麟と会見した様子を、イギリス王室の宮廷画家ヴァン・ダイクが描いています。

ヴァン・ダイクは、清教徒革命で処刑された王様、チャールズ一世の肖像画で有名な画家さんですね。

当時のヨーロッパの人々がイメージした大友宗麟…なんだか日本の戦国武将というより、ローマの皇帝みたいな衣装。
日本人からするとなんか不思議な感じです。
●江戸時代(17世紀~19世紀)
江戸時代には、豊後国は複数の藩に分割され、主要な藩として中津藩・府内藩・杵築藩・日田藩などが成立。
<江戸時代の大分県>
— Around Oita(大分巡り) (@oochan551) September 6, 2025
戦国大名 #大友宗麟 の時代は、九州北部を支配する勢いでしたが、江戸時代の大分は #小藩分立
府内藩(2.1万石)
臼杵藩(5万石)
佐伯藩(2万石)
日出藩(2.5万石)
杵築藩(3.2万石)
中津藩(10万石)
森藩(1.25万石)
岡藩(6.6万石)
日田は「天領(幕府直轄)」
熊本藩・延岡藩などの飛地あり pic.twitter.com/wqFfNHQsne
西側の日田市の咸宜園(かんぎえん)では、広瀬淡窓が儒学や洋学を教授し、近代日本の思想家を輩出したようです。
「咸宜園(かんぎえん)」は、1805年に豊後三賢人の一人であり、江戸時代の儒学者・教育者であった“広瀬淡窓(ひろせたんそう)”により創立された私塾です。
咸宜とは“みなよろし”という意味を持ち、“天領である日田市に、武士だけでなく、身分や男女問わず受け入れる”という事から名づけられた施設です。“高野長英”や“大村益次郎”など、江戸から明治時代にかけての多くの偉人たちが巣立った名門塾の跡地として知られます。
大分県の東側にある臼杵藩には、
参勤交代で国元を離れ、江戸藩邸にて勤務する日々を描いた武士がいたようです。
内容は「江戸詰中日記」として現在も残っています。
江戸の暮らしぶりやサラリーマン武士の心模様まで…いろいろ当時の様子が挿絵入りで書かれているそう。
江戸時代のお侍さんの絵日記、どんな感じなのか一度読んでみたいです。
また臼杵市には「真名長者伝説」が伝わっております。「炭焼き長者」とも呼ばれるお話ですね。

さらに、長者夫婦の一人娘・般若姫は、山口県柳井市の地名の由来となった「般若姫伝説」の主人公です。
きんぎょちょうちんの町・柳井は、大分とご縁のある町だったんですね。
聖徳太子のお父さん・用明天皇に再会するため奈良の都に向かいますが、旅の途中で帰らぬ人になった般若姫
— るちあ@陸奥国 (@__luchia_) May 10, 2025
毎年11月には般若姫の御霊が里帰りする「うすき竹宵」というお祭りが開かれています
とても幻想的なお祭りのようで一度見てみたいですねhttps://t.co/q63vfyG7MK pic.twitter.com/8ZfVKxiHB3
ちなみに大分市のお隣、臼杵市には「真名長者伝説」があります
— るちあ@陸奥国 (@__luchia_) May 10, 2025
金魚ちょうちんで知られる山口県柳井市の地名の由来となった、般若姫の生まれ故郷なんですね
白壁と金魚ちょうちん、国木田独歩の故郷・柳井に行く旅〜柳井|るちあ@陸奥国 #一度は行きたいあの場所 https://t.co/OmPzP96TM9
↓↓般若姫の柳の楊枝が地名のもととなった、山口県柳井市の旅はこちら
その後、1871年の廃藩置県により大分県として再編。
大分港や別府港などを中心に近代化が進みます。
別府温泉の開発や鉄道の敷設も進み、観光地としてにぎわうように。
セイウチのいちこちゃんの生まれ故郷・うみたまごなどの水族館もありますね。




大分・うみたまごにいた時のいちこちゃん の様子
一緒に泳いでいるのは、お母さんの泉ちゃんと…もう1匹はぶぶちゃんか、みーちゃんかな?
ぶぶちゃんも今、鳥羽水族館に出張中みたいだね
※2026年1月
いちこちゃん、先日鳥羽水族館へお引越ししたようですが、
お姉さんセイウチのつららちゃんと仲良く暮らしているようです。
鳥羽でも元気で、もっと大きくなるんだよ~。
大分マリーンパレス水族館「うみたまご」より、セイウチ『いちこ』が入館しました。
— 鳥羽水族館(TOBA AQUARIUM) (@TOBA_AQUARIUM) January 20, 2026
※なお、健康状態を見極めるため、現在一般公開は行っておりません。#鳥羽水族館 #セイウチ #いちこ
詳細はこちら https://t.co/RXcDcWzFeU pic.twitter.com/yInCK2M78Z
【#きょうのいちこ 特別版✨】
— 鳥羽水族館(TOBA AQUARIUM) (@TOBA_AQUARIUM) January 31, 2026
セイウチ「いちこ」お引っ越しの様子をYouTubeで公開しました❣️ぜひご覧ください👀
動画はこちらから▶︎ https://t.co/lvd2qoQ84E#鳥羽水族館 #セイウチ pic.twitter.com/cfK6nc5RRg
今回は大分駅~府内城までの駅周辺と、宇佐神宮を回っていきます。
それでは行ってみましょう!
大分駅周辺
大分駅に到着!
宇佐神宮に向かう前に、せっかくなので大分駅周辺にもちょっとだけ寄ってきました。
雰囲気のある外観だなあ。

駅前広場に大友宗麟の像が立っています。
大分駅周辺は豊後の国になるため、豊後の国に縁のある豊後国行平の2振りと撮影。

※2025年10月には、宇佐市の大分県立博物館にて国宝・古今伝授の太刀が展示されておりました。
地元にゆかりのある刀剣が展示されるのはうれしいねえ。
📢#刀剣展示情報
— 刀剣訪問ブログ (@info_tkhmblg) September 9, 2025
各地にある豊後国行平作の刀剣を集めた展覧会。
古今伝授の太刀(10/15〜展示)も出品されます。
令和7年度特別展「豊後国行平―「祈り」の刀剣―」
会期:2025年9月19日〜11月3日
会場:大分県立歴史博物館(大分)https://t.co/wzvT1YByqC pic.twitter.com/Tb8LT7ttpD
像の前には当時の世界地図があります。
グローバル大名だった大友宗麟らしい広場だなあ

またキリシタン大名であったため、宣教師との交流も多かった大友宗麟。
駅前広場には、ザビエルの像もあります。

府内城の向かいにも、ザビエル像があります。
後ろの世界地図には、一行がたどった航路が示されていますね。
1540年にローマを出発しはるばるアフリカ・インドを通って1549年に鹿児島に到着。…本当に長い旅路だな〜。
先ほどのヴァン・ダイクが描いた大友宗麟との会見は、2年後の1551年のことのようですね。

鹿児島市内にも「ザビエル公園」があり、銅像や記念碑が立っています
— るちあ@陸奥国 (@__luchia_) May 9, 2025
1549年の8月15日に鹿児島にやってきたんだ〜なるほど
この建物の門は、明治につくられた記念館の入り口だったそう
洋風の建物に縦書きの漢字の文字が書かれていて、和洋折衷な雰囲気の建物です pic.twitter.com/m8ZGyQTXT6
府内城までの県庁通りには、このほかにもさまざまな郷土の偉人のモニュメントや銅像が立っていました。
滝廉太郎の最期の地でもあるんですね。

また、結城秀康の長男・忠直は晩年大分に配流となっています。
大分市津守に忠直の居館があり、お墓も港川にある浄土寺にあるようです。
というか、結城秀康の息子・忠直は
— るちあ@陸奥国 (@__luchia_) March 21, 2026
晩年は大分県にいたんだね
お墓も大分駅に近い浄土寺にあるみたい
大分駅付近は府内城跡ぐらいしか行けてないから、また行ってみたいなあ
松平忠直卿 居館跡 https://t.co/RAYRWdC5Gn pic.twitter.com/HUJLqmiCp0
う~ん…今回は残念ながらじっくり見る時間がなかったです…。
次の機会にしっかり見てみたいです。
府内城
県庁通りをまっすぐ通って、府内城に到着!
大手門と着到櫓が見えます。



大分市荷揚町に所在する「府内城」(荷揚城)は、府内藩主の居館および武家屋敷により構成された、近世城郭の特徴を色濃く残す城です。大分川と住吉川に挟まれ、かつて海辺に面していました。
府内城は、大友氏が国を去った後、豊後を治めていた早川氏に続き、府内に入った福原直高により築城が行われ、その後竹中重利により、現在の府内城の形が出来ました。府内城下町も同じ時期に形成され、今の大分市街地のおおよその形はこの頃に造られました。
かつて府内城は、大分川と住吉川に挟まれ、白土の塀と海辺に面していた姿から、水上に浮かぶ城「白雉(はくち)城」と呼ばれ、白い雉(きじ)をモチーフにしています。
なるほど~。
だから御城印が白い雉のデザインなんですね。

水上に浮かぶ城って昔はどんな感じだったんだろ?
本丸を囲む内々堀は埋め立てられているようですが…内堀は割とそのままな感じするけど…


引用:https://www.city.oita.oita.jp/o204/bunkasports/shitebunkazai/1352943146749.html
あ、元々はめっちゃ海のそばだったんだね。
お堀が海と繋がってた水城だったようです。
内堀の帯曲輪より先はすぐ海だったようで、水手口から小舟で避難できるようになっていたようです。
へえ〜。
外堀も含めるとかなり大きなお城です。

本丸の天守は直接登ることはできず、北大櫓門・人質櫓(二階櫓)・東大櫓門と繋がっておりそこから入る構造になっていたようです。
姫路城と同じつくりですね。
現在は、現存する建物は宗門櫓と人質櫓のみ。
その他西の丸と北の丸を繋いでいた廊下橋などが復元されているようです。




かなり大きな府内城。
1時間ぐらいでは回りきれないな…。
今回は少しだけしか回れませんでしたが、今度来る時は城下町も含めていろいろみて回りたいです。

宇佐神宮
さて、本日メインの目的地・宇佐に到着しました。


宇佐市は海辺の町から絶景を楽しめる山々まで楽しめるエリア。
古今伝授の太刀が展示された大分県立歴史博物館や、宇佐市平和資料館など歴史に関わる施設のほか、日本一の鏝絵群がある町でもあります。

郷土力士、横綱・双葉山の資料を展示した「双葉の里」など、楽しそうなところがたくさんあります
宇佐のマチュピチュこと「西椎屋の景」や「日本の滝100選」にも選ばれた東椎屋の滝など4つの滝巡りができるなど、自然豊かな絶景スポットも多いエリアみたいですね。
今回は宇佐神宮にお参りに行きます。
ずっと来たかったんだよな〜!
●宇佐神宮の歴史
宇佐神宮とは、日本を代表する八幡宮の総本宮で、全国に約44,000社ある八幡宮の起源とされる古社です。
御祭神である八幡大神さまは応神天皇のご神霊で、571年(欽明天皇の時代)に初めて宇佐の地に
ご示顕になったといわれます。応神天皇は大陸の文化と産業を輸入し、新しい国づくりをされた方です。725年(神亀2年)、
現在の地に御殿を造立し、八幡神をお祀りされました。
これが宇佐神宮の創建です。
794年の平安京遷都の際には、宇佐神宮から八幡神が勧請され、京都の石清水八幡宮(京都)が建立されました。
また、中世には源氏や平氏などの武家が戦勝祈願に訪れ、鎌倉時代には鎌倉幕府が宇佐神宮を篤く保護。1180年には京都の岩清水八幡宮を鎌倉の地に勧請し、鶴岡八幡宮を建立しました。
八幡宮というと源氏のイメージが強いですが、こういう流れで鎌倉に鶴岡八幡宮ができたんですね。
●宇佐神宮の本殿
1962年には本殿が国宝に指定され、その歴史的・文化的価値が認められています。
国宝に指定された本殿は、「八幡造り」という建築様式で、屋根が二棟に分かれた珍しい構造。
宇佐神宮の本殿は三つの御殿から成り、それぞれ八幡大神、比売大神、神功皇后を祀っています。

勅使門(ちょくしもん)の奥に本殿があり、左より順に一之御殿、二之御殿、三之御殿と並びます。一之御殿から順に八幡大神、比売大神、神功皇后をお祀りしております。

宇佐神宮の建築様式は八幡造(はちまんづくり)とよばれています。この八幡造は、二棟の切妻造平入の建物が前後に接続した形で、両殿の間に一間の相の間(馬道)がつき、その上の両軒に接するところに大きな金の雨樋(あまどい)が渡されています。桧皮葺(ひはだぶき)で白壁朱漆塗柱の華麗な建物が、横一列に並んでいます。奥殿を「内院」・前殿を「外院」といいます。内院には御帳台があり、外院には御椅子が置かれ、いずれも御神座となっています。御帳台は神様の夜のご座所であり、椅子は昼のご座所と考えられています。神様が昼は前殿、夜は奥殿に移動することが八幡造の特徴です。また、八幡造のもととなったのは、二之御殿の脇殿・北辰神社の建物ではないかといわれています。一之御殿が神亀2年(725)、二之御殿が天平5年(733)、三之御殿が弘仁14年(823) にそれぞれ建てられました。
なるほど〜神様用の昼と夜の場所があるということなんですね。神様にもリビングと寝室があるようなイメージなのかな?
国内に現存する八幡造本殿は、岩清水八幡宮(京都府八幡宮)・柞原八幡宮(大分県大分市)・伊佐爾波神社(愛媛県松山市)・大帯八幡社(大分県姫島村)、八幡奈多宮(大分県杵築市)などがあるそうです。
主に大分県に存在するんですね。
今回、ちょうど国宝の本殿の特別拝観期間でしたので、その本殿をしっかり見てきました。
ありがたや〜。
今年も5月の連休に特別公開があるようなので、ぜひ見に行ってもらいたいところです。
国宝 宇佐神宮本殿特別拝観
宇佐神宮御本殿を期間限定で一般公開致します。廻廊に囲まれて平素は全容を見ることが出来ない国宝の八幡造本殿を間近に参拝・拝観頂ける機会です。
御本殿特別拝観の様子
【公開期間】
令和8年5月3日(日)から5月6日(水・祝)
●お神輿発祥の地
また、お祭りでよく見るお神輿発祥の地だそうです。奈良の東大寺の大仏が作られたときにも神託が下ったとの伝説が伝わっておりますが、
完成した際に宇佐八幡神がお神輿に乗ってはるばる大仏を見に行った出来事がその由来のようですね。

724年に即位した聖武天皇は仏教に深く帰依し、仏の力で国を守護する政策を進める中で集大成として東大寺の大仏造立に着手しました。大仏造立が難航する中、八幡大神は「全国の神を率いて協力する」という内容の託宣を出しました。
その後、八幡大神の託宣のとおり、仏像を造るための銅や表面に塗るための黄金が国内で発見され、東大寺の大仏は無事完成しました。功績が認められた八幡大神は、大仏鋳造直後の749年に大仏を拝すため行幸されます。その時に、八幡大神の依代として大神杜女(おおがの もりめ)という女性神官が紫の輿に乗って東大寺を訪れたということが『続日本紀』※に記されており、それが神輿発祥の記録となっています。
宇佐神宮では7月の御神幸祭(宇佐夏越祭り)で、3基のお神輿が上宮から頓宮におり、二泊三日の間滞在するそうです。
なんだが神様の旅行みたいで楽しそうですね。
さて仲見世から表参道へ向かいます。
正式な入口は、西側にある呉橋から西に続く勅使街道だそうで、天皇から遣わされた勅使がこの道を通って宇佐神宮に参拝していたようです。
また4月と8月には夕陽が真っ直ぐ道を照らし、光り輝く一本道が見られるとのこと。とても神々しい光景です。

太陽が街道に差し掛かると、この部分が光輝く姿が現れます。4月27日~5月3日頃と8月10日~15日頃は、街道と夕日が一直線に並び、最大の見ごろを迎えます。
表参道入口には有名人の石碑がずらり…
昭和の俳人・種田山頭火も宇佐には何度かやってきているようですね。宇佐神宮に参拝した時のことが記載された石碑があります。
宮本武蔵の誠心直道の碑もあります。
へえ〜宮本武蔵の剣術、熊本から宇佐に引き継がれていたのか〜。

種田山頭火の碑


神橋を渡るとすぐ横に黒男神社があります。
武内宿禰を祀っているそうで、長寿・忠誠・奉仕の神徳があるとのこと。
330歳まで生きたとの伝説がある武内宿禰ですから、元気で長生きできそうな神社ですね。


まずは上宮へ向かいます。
新緑の参道を通っていると…


夫婦岩がありました。
シングルの方は両足で、夫婦やカップルは手を繋いで踏むと幸せになるそうです。
宇佐鳥居をくぐり、上宮に到着。


宇佐神宮では「二礼四拍手一礼」が正式な参拝作法。一般的な二礼二拍手じゃないんですね。
また向かいの遥拝所からは、八幡神が顕現したと言われる御許山が見えます
その由緒は、八幡神が御許山おもとさんに顕現したとする伝承と、その前史として三柱の比売大神(多岐津姫命・市杵嶋姫命・多紀理姫命)が御許山に降臨されたとする伝承の2つが伝えられています。


また南大門から続く急な階段・百段には、
人喰い鬼・または大蛇と八幡神の知恵比べの伝説が伝わっています

大蛇は、この蛇堀の池だけに棲むことに満足しておらず、宇佐宮の菱形池も自分のものにしようと企てた。そこで、大蛇は八幡様に「宇佐宮に一晩で百段の石段を造るので菱形池に棲まわせてくれ」と願った。
八幡様は大蛇の魂胆を見抜いていたが、一晩で百段の石段を造ることはできないであろうと思い、その願いを許した。大蛇は大いに喜んで石段を造り始め、夜中に至らない中に九十九段まで築いてしまった。これに驚いた八幡様は、鶏に姿をかえて夜明けを告げた。このため、大蛇はしぶしぶ蛇堀の池に帰り、そこに棲んだ。
国宝の本殿を見るには、西中門から中に入ります。
中には一之御殿・二之御殿・三之御殿と大きな社殿が並んで3つ。
そのほか、北辰神社、春日神社、住吉神社の、ちょっと小さ目の社殿があります。

同じ大きさ・同じ形の大きな社殿が3つ並んでいるのは圧巻でした。
立派な建物だなあ~。
「宇佐の黄金樋(きんとい)」も、思っていたよりかなり大きかったです。
雨樋というより、金色の柱といったほうがいいかも…。すごいなあ~…。
来てよかったなあ…。
次に外宮をお参り。
こちらも御祭神は上宮と同じ。お参りする拝殿も3つならんでいます。
古くは御炊殿(みけでん)といわれ、神様の食事を調理する場であったそうです。
神様の台所という感じですかね?そのためか農業と関係が深い宮とのことです。

嵯峨天皇の弘仁年間(810年代)勅願によって創建され、上宮の御分神をご鎮祭になったことがきっかけで、八幡大神様・比売大神様・神功皇后様は上下御両宮のご鎮座となりました。
「下宮参らにゃ片参り」と云われる所以です。下宮の八幡大神は、御饌(みけ)を司るとともに、農業や一般産業の発展、充実をお守りになるご神威を発揮されます。古くから日常の祭祀には、とくに国民一般の祈願や報賽(ほうさい)が行われてきました。

●御霊水と菱形池
菱形池の側にあるのが、御霊水。
ここに御祭神の八幡神が現れたという伝説があり、刀工・神息との関わりが深い場所です。
豊前国宇佐郡厩峯菱形池の間に、鍛冶の翁有り。首甚だ奇異なり。これに因って大神比義(おおがのひぎ)、穀を絶つこと三年、籠居精進して、即ち幣帛を捧げて祈って言く。「若し汝神ならば、我が前に顕るべし」と。即ち三歳の小児と顕れ、竹葉に立ちて宣く。「我は是れ日本の人皇第十六代誉田の天皇広幡八幡麿(ほんだのすめらみことひろはたのやはたまろ)なり。我が名は、護国霊験威力神通大自在王菩薩(ごこくれいげんいりきじんつうだいじざいおうぼさつ)なり。国々所々に、跡を神道に垂れ、初て顕るのみ。」と記され、八幡大神がこの御霊水の辺りに初めてご顕現になったと伝えています。


この3つの井戸は、御霊水、御鍛冶場、下井の霊水などと呼ばれ、今もこんこんときれいな水が湧き出ているそうです。



御鍛治場と呼ばれるのは、八幡神が現れた伝説にた鍛冶の翁がいたという故事や、社僧の神息(しんそく)がこの御霊水で社宝の刀「神息」を鍛えたという伝説によるものだそう。
この神息は宝物館に所蔵されており、時々展示されるそうです。タイミングがあえばまた来れたらいいなあ。

それにしても菱形池のとてもきれいなこと…。
新緑が水面に映ってとても神秘的です。
神様が現れても不思議じゃない光景だなあ…。


最後に仲見世で宇佐飴をお土産に買ってきました。
お店ごとにさまざまな宇佐飴が販売されていますね。

宇佐神宮の祭神である神功皇后が、同じく祭神である皇子の応神天皇を育てる際に、母乳の代わりに与えた御乳飴であるとする由緒が伝えられています。
これ…もち米の優しい甘みで美味しいんですが…
粘りがすごい…歯にすごくくっつく…。
例えて言ったら柔らかすぎるミルキー。
とはいえ、歯の詰め物が持っていかれそうな感じはありません。しばらくするとサラッと溶けていく感じ。
お乳の代わりに赤ちゃんに与えていた、というのがよくわかる食感です。
今はキャンディータイプの食べやすい宇佐飴もあるそうなので、いろんなお店の宇佐飴を食べ比べしてみるのもいいかもしれません。

さて、まだまだ大分の旅は続きます。
別府温泉の旅もまとめましたので、こちらもぜひ見てください。
ここは地獄〜地獄〜
— るちあ@陸奥国 (@__luchia_) May 6, 2025
楽しい地獄〜
豊後の国のリアルに楽しい地獄にやってきました pic.twitter.com/fToY7zmY8U
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