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【滋賀】琵琶湖周りを巡る旅〜②秀吉の城下町 長浜・竹生島

※2024年5月の内容です

「あれこそ聞こえ候ふ
 竹生島にて候ふ」

平家物語や古の歴史にも登場する竹生島、豊臣秀吉の最初の城・長浜城に行ってきました

宝厳寺 三重塔
豊公園からみた長浜城歴史博物館


長浜城下の歴史


まず長浜、どんなところなんだろう?
ざっくり辿ると
1336年に佐々木(京極)道誉の家臣・今浜六郎左衛門が築城した今浜城から始まり、その後は浅井氏の小谷城が周辺地域の政治の中心となり、
港町としては豊臣秀吉が羽柴秀吉と名乗っていた頃、長浜城を築いた頃から発展したようです

引用:https://kitabiwako.jp/spot/spot_29120

⚫︎京極氏から浅井氏へ

もともと北近江を納めていた守護大名は京極氏
道誉一文字の持ち主であった佐々木(京極)道誉もその京極氏の一族です

治めていた地域は、
●六角氏:蒲生郡付近
●京極氏:坂田郡付近
●大原氏:高島郡付近
応仁の乱で対立したりもしますが、平安・鎌倉・室町まで、一族でぐるっと琵琶湖周りに勢力を持っていた一族なんですね

https://note.com/__luchia_/n/n85e4399bb55d
引用:https://nfu.repo.nii.ac.jp/record/2000069/files/chita27-07oota.pdf

その京極氏の内紛「京極騒乱」の影響で国一揆が勃発。国衆の1人であった浅井氏が台頭
長浜駅から二駅先の河毛駅の近くにある小谷山に浅井氏の小谷城とその城下町があります
浅井長政やお市の方ら茶々・初・江の浅井三姉妹がいたことで有名ですね
小谷城は中世三大山城の一つで、小谷山の峰に沿った南北に広がる大きなお城です

引用:https://www.city.nagahama.lg.jp/section/azairekimin/

いや…広いし高低差あるし、何より登る時点で大変そう
立体的なジオラマになると難攻不落の城と言われた理由がよくわかります
(こちらのジオラマは浅井歴史民俗資料館にて見ることができます)

1522〜1523年に築城され、1573年に落城するまで浅井氏の居城だったようで、麓には城下町が形成されていました
お向かいの虎御前山には、織田信長・羽柴秀吉の小谷城攻めの際の前線基地あとが残っているようです

小谷城落城後、秀吉は浅井氏の領地であった、坂田郡・浅井郡・伊香郡の近江三郡を拝領します

また京極家は高次の代で再興しますが、引き続き浅井家とも関係が深く
京極高次の母は浅井長政の姉、つまり浅井三姉妹は従姉妹になります
初とは従姉妹婚だったわけですね
高次の姉・竜子と浅井三姉妹の茶々は、豊臣秀吉の側室となり、それぞれ「松の丸殿」「淀殿」と呼ばれることになります
ドラマなどでよく出てくる「醍醐の花見」の杯争いは、この2人が秀吉の正室・北政所の次に杯を受ける順番を巡って争いになったというエピソードです
…うーん…元はと言えば主筋にあたる松の丸殿と若君の母親である淀殿…それぞれの弟と妹が結婚してるので、義理の姉妹にもなり…複雑な家系ですな

⚫︎秀吉時代の長浜城下

浅井氏の領地を拝領した後の秀吉は、今浜と呼ばれていた現在の長浜にお城を作り、港や城下町を整備していったようです

なるほど、天下人・秀吉の出世街道のスタート地点がここ長浜、というわけですね
さらに優秀な部下の石田三成と出会ったのも長浜になるようです
有名な「三献の茶」の逸話の舞台が、もう少し北にある大原観音寺とのこと
この時、三成がお水を汲んだ古井戸も境内に残っているそう
また、長浜駅の東口にはそのお茶を献じている像「秀吉・三成出逢いの像」が建てられています

引用:https://kitabiwako.jp/spot/spot_2248

⚫︎大原観音寺

今もそれを記念して毎年「長浜出世祭り」が行われています
階段を駆け上がるような秀吉の出世にあやかりたいところですね〜

⚫︎現在の長浜の街並み

長浜駅の東口側には、今も駅の周辺には商人の町屋が並び、風情のある街並みが残っています

城下町の雰囲気が残る黒壁スクエアやガラス細工やフィギュアなどものづくり体験ができる施設もあります

また大通寺では切り絵の襖が展示されるなど、現代のアートを楽しむエリアにもなっているようです


⚫︎重ね押しスタンプラリー

また駅前周辺の5つの博物館・美術館では重ね押しスタンプラリーに参加できます
今度来たときには城下町や商店街など回ってみたいです

では今回は長浜駅から琵琶湖方面、長浜港を見ていきます

長浜城(長浜城歴史博物館)


さて秀吉の初のお城となった長浜城
秀吉のあとは、柴田勝家の甥・勝豊が入ったのち、1585〜1590年までには後に高知藩の初代藩主になる山内一豊が在城
徳川家康の異母弟と言われる内藤信成が入ったあと、1615年には廃城となり、建物や石垣は井伊直政の彦根城や市内の大通寺などに移築されました

現在の建物は1983年に再興されたもので、内部は博物館となっています

長浜城石垣根石

周辺には石垣の跡や本丸跡の石碑が

左が朱印地境界石柱
正面に「これより東 長浜領」
左側面に「これより南 長浜領」
と書かれています
(隣の石柱はわからず…)

こちらは「朱印地境界石柱」
年貢が免除された「朱印地」のエリアを示すために建てられたもので、市内にいくつかあるようです
ここにも秀吉の市政がわかる史跡があるんですね

長浜町に年貢免除の特権を与えたが、その免除範囲が朱印地である。慶安4年(1651)に、その内外を区別するため石柱が約30本程建立されたが、ほぼ本来の位置に残っているのは、この4本のみである。

https://nagahama.net/jyoukamachi/heritage/71/
タイムカプセルも埋められているようです

さっそく最上階の展望台へ
琵琶湖が一望できるすがすがしい光景
彦根城は左側、真正面が安土城跡になるようです

長浜城博物館の展望台からみた彦根〜安土城〜竹生島方面

館内は企画展「湖北・長浜のあゆみ」と常設展「秀吉と長浜」など、長浜や竹生島の信仰などの歴史をよく知ることができます

近隣には大河ドラマでもお馴染みの歴史的な出来事や有名人に関わる場所がたくさん
二条城の二の丸庭園や桂離宮などあちこちの見事な庭園を作った小堀遠州の出生地や
鉄砲鍛治が盛んだった国友町もすぐ近くにあります

…というか、ちょっと行くと関ヶ原古戦場なんだね…
まあ壬申の乱でも戦場になったところだから、そりゃ近江大津宮や琵琶湖から近いのか
なんか感覚的にもっと遠いような気がしてましたが意外と近かった
琵琶湖周りは本当に歴史と密接に関わってるんだなあ


長浜城建築中のジオラマ
琵琶湖から見た長浜城と城下の様子

というか長浜城、わりと水に囲まれたお城だったんだね
豊公園内は昔はほぼほぼ堀と水路だったようで、現在の長浜駅前まで堀が広がっていたようです
へえ〜
なんだか水に浮かぶ島のようなお城です

竹生島クルーズ


時間になったので、長浜港から船に乗って竹生島に向かいます

本日の船は「リオグランデ」

竹生島行きのびわ湖クルーズは、長浜港や今津港と往復するルートと、長浜港↔︎竹生島↔︎今津港と琵琶湖を横断できるルートがあります

https://www.biwakokisen.co.jp/cruise/chikubu/

この他、季節限定の「雪見船クルーズ」に「近江八景を楽しむクルーズ」などもあるようです
お誕生日や初日の出のクルーズもあり、本当にラインナップ豊富なようです
どれも楽しそう!


竹生島


緑樹の影は湖面に沈んで魚も木に登り
 月の兎も波間を走る
 面白の浦の気色や」

船に乗って30分、竹生島が見えてきました
30分も船で移動できる広さがあるって、本当に大きな湖ですね

さすがは能や謡曲「竹生島」でうたわれた幻想的な風景が広がる湖です

島に近づくと、琵琶湖八景の一つでもある「深緑 竹生島の沈影」が見えてきました

夕日が沈むところとか、神秘的だろうな〜

5月の連休だったので、ちょうど新緑の季節でとても綺麗な島影が見れました

どっからみてもきれいだな

また、彦根港から竹生島にくる直政号もきておりました
彦根港からだと竹生島の他にも多景島に行く船も出ているようですね
直政号、井伊の赤備えイメージのかっこいい船です
今度はこっちにも乗ってみたいな

竹生島の港を降りると、石碑がいくつか立っています

⚫︎竹生島の由来

竹生島の島内には弁財天を祀る宝厳寺と都久夫須麻神社などの寺社仏閣のほか、
国宝の唐門や重要文化財の舟廊下などの歴史ある建物がいくつもあります

竹生島は、周囲2㎞の琵琶湖で沖島に次ぐ2番目に大きい島です。島の名は「(神を)斎く(いつく)島」に由来し、その中の「いつくしま」が「つくぶすま」と変じ「竹生島」になりました。
また、「竹生島」という漢字は、島の形が雅楽などで使われる楽器の笙(しょう)に似ていることからつけられたという説などがあります。

琵琶湖八景のひとつに数えられ、平家物語『竹生嶋詣』や謡曲「竹生島」にも神秘的な美しさを秘めた島として登場し、千年を経た今日でも、その姿は人々をひきつけてやみません。

https://kitabiwako.jp/spot/spot_29625
引用:https://www.chikubushima.jp/precincts/

竹生島に上陸し、165段の石段を登ると見えてくる大きな建物が宝厳寺です。本尊は弁才天で、江ノ島、厳島とともに三弁才天と呼ばれています。また、宝厳寺観音堂は西国33所観音霊場の30番目の札所として今も多くの方が訪れます。

舟廊下を渡ると都久夫須麻神社。本殿(国宝)は、伏見城の遺構とされ襖や柱、欄間に桃山美術を見ることができます。特に、襖絵、天井画は、狩野光信の筆と伝えられています。
平家物語にもでてくる拝殿からはかわらけ投げができ、素焼きの小皿に願いを書き岩場に立つ鳥居に向かって投げ、鳥居をくぐれば願い事が叶うといわれています。

https://kitabiwako.jp/spot/spot_29625

それでは早速!
165段の「祈りの石段」を登って行ってみましょう
参拝者や巡礼者が祈りを捧げながら登ったことから名付けられたそう

せっかくだからお願いごとしながら登るかあ…
健康第一〜 健康第一〜

⚫︎宝厳寺(ほうごんじ)

石段を登った先にあるのが弁財天を祀る宝厳寺
奈良の大仏を建立した聖武天皇の命により、行基が創建したと伝えられています

竹生島宝厳寺は、神亀元年聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より
江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。
すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう。
というお告げを受け、僧行基を勅使として遣わし、堂塔を開基させたのが始まりです。

https://www.chikubushima.jp/origin/

聖武天皇&行基の2人によって創建されたお寺って、史料があるものから伝承までかなりいっぱいあるんですよね
東北の林家舞楽が伝わる山形県寒河江市の慈恩寺、2024年まで黒石寺蘇民祭が行われていた岩手県奥州市水沢の黒石寺もそんな感じ
奈良の大仏建立のため行基はあちこち勧請していますし、あちこちに国分寺・国分尼寺が建てられた時代でもあるため、その影響なのかもしれません

宝厳寺 本堂

本尊の大弁才天は、江ノ島・宮島と並ぶ「日本三弁才天」の一つで、その中で最も古くに建立された弁才天です。そのため、当山のみ「大」の字をつけ、大弁才天と称します。
この本尊は、開山時(七二四年)聖武天皇の勅命を受け、僧行基が開眼したものです。内陣の壁画は、荒井寛方画伯によるもので正面の壁画を「諸天神の図」、側面を「飛天の図」と呼びます。

https://www.chikubushima.jp/precincts/precincts3.html

本堂には本尊の弁天様の像が祀られていますが…
通常みえる立ち姿の像は御前立像だそう
分身のような存在なんですかね?
本尊は秘仏で60年に一度しかご開帳されないとのこと
次は2037年。結構先だな〜

稀に特別ご開帳もあるようです
2024年は開創1300年記念とのことで特別に本尊秘仏のご開帳がありました
引用:https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/news/3882/

というか、本堂に小さい弁天様がたくさんいてかわいいな
「弁天様の幸せ願いダルマ」という弁天様をかたどったダルマとストラップのセットのお守りです

弁天様ダルマの方にお願い事を書いた紙をいれ、ストラップの方はお守りとして持ち帰ります
ダルマさんの方も可愛いのでお家にきて欲しくなりますが…こちらはちゃんと本堂に奉納してきました

⚫︎三重塔

1487年に建てられた三重塔
江戸時代に落雷で消失したそうですが、今の塔は2000年に再建されました
宝厳寺創建の奈良時代から比べたら、割と最近建てられたんですね
ちなみにここで、井守か家守を発見しました
どっちだったんだろう?
建物の守り神に会えるとは縁起がいいなあ

船着場がよく見えます

⚫︎宝物殿

歴史の長い島だからこそ、奉納された宝物がいっぱい

入ってすぐに大きな亀さんの像がお出迎え
こちらは井伊直政が藩祖の井伊家から寄贈されたものだそう
この他にも幕末の大老・井伊直弼奉納の「井関の面」もあり、彦根藩との繋がりも感じられます

「平家物語」の一番面「経正の竹生島詣」
戦勝祈願にやってきた平経正が、竹生島にて仙童の琵琶を弾いたところ龍神が現れたとのエピソードがあります
この時使用された「仙童の琵琶の撥(ばち)」が現存しているのだそうです
物語に出てくるものをリアルに見れると…なんだか本当に不思議な島だなあと思います

刀剣類もいくつかあり
瀬田の唐橋で大ムカデを退治した藤原秀郷が奉納した「毛抜型太刀」
武蔵坊弁慶が所持したとの説がある三条宗近作の「鎧通し」

いやとても興味深いものばかり
こじんまりとした建物ですが、どれもこれも全て面白い
ロマンがあるなあ

⚫︎面向不背(めんこうふはい)の玉

そんなワクワクしっぱなしの宝物殿で一番気になったのが「面向不背の玉」
能「海士」や謡曲「海人」に登場する宝珠です

東京国立博物館所蔵
能狂言絵巻(上巻)の内「海士」複製

「玉中に釈迦の像まします、いづかたより拝み奉れども、同じ面なるによって、面を向かふに背かずと書いて、面向不背の玉と申し候」

つまりどういうものかというと…
どの面からみても中にある釈迦像が正面に見える宝珠のことだそう

藤原不比等[淡海公]の子、房前(ふさざき)の大臣は、亡母を追善しようと、讃岐の国[香川県]志度(しど)の浦を訪れます。(略)
淡海公の妹君が唐帝の后になったことから贈られた面向不背(めんこうふはい)の玉が龍宮に奪われ、それを取り返すために淡海公が身分を隠してこの浦に住んだこと、淡海公と結ばれた海人が一人の男子をもうけたこと、そして子を淡海公の世継ぎにするため、自らの命を投げ打って玉を取り返したこと……。語りつつ、玉取りの様子を真似て見せた海人は、ついに自分こそが房前の大臣の母であると名乗り、涙のうちに房前の大臣に手紙を渡し、海中に姿を消しました。

能・演目事典:海人/海士:あらすじ・みどころ (the-noh.com)

ストーリーはこのような感じ
中臣(藤原)鎌足の息子・不比等が今の香川県の海女と結婚し、その息子の房前がお母さんの霊に会いに行くというお話なんですね
ちなみに房前は、藤原北家の祖となります
のちに藤原道長や紫式部に道綱母、奥州藤原氏など、有名人を輩出する藤原家の中でも繁栄した一族です
ある意味一族の繁栄の由来を表したお話であるともいえます

extension://elhekieabhbkpmcefcoobjddigjcaadp/https://ka-ju.co.jp/downloads/hujiwara-hokke_keizu240521.pdf


あくまで伝説の宝物なんですが、こうして歴史上の有名人にちなむ現物がしっかり存在すると不思議な感じですね
藤原氏や海人族、興福寺や平家物語と、たくさんの人と出来事に関わっている宝珠です

引用:https://www.chikubushima.jp/story/story6.html

よーくよーくみてきましたが…
丸い水晶のせいか屈折しているので、中の仏像が少し見づらい感じでした
例えて言えば、ビー玉を通して向こう側を見てるような感じ…
スノードームみたいに中にあるものが360℃はっきり見えるというイメージではありません
ということは中は全くの空洞ではないということ?
どうやって仏像を入れてるの?
どこからみても仏像の正面が見える仕組みはどうなっているんだろう?
とても気になる宝珠でした。謎すぎてまた見てみたいです

⚫︎唐門(国宝)

さて一段下に降りると、都久夫須麻神社に繋がる国宝の唐門があります
カラフルだなー!!
こちらは元々秀吉が建てた大阪城の極楽橋の一部を移築したものだそう
今の大阪城とは違う「秀吉の大阪城」の唯一の遺構です

この『唐門』『観音堂』『舟廊下(渡廊 高屋根・渡廊 低屋根)』は、2013年から修理保存事業が行われており、2020年に無事完成、公開されました
当時の鮮やかな色彩をまた見ることができるようになってよかったですね

鮮やかな唐門
屋根の裏側も細かく模様が描かれています

この唐門を通り、まずは観音堂をお参りします
さらに観音堂の横を通り奥に行くと、船廊下につながっていきます

⚫︎舟廊下

ちょっと不思議な形ですね
それもそのはず、秀吉の御座船「日本丸」の船櫓(ふなやぐら)を利用した廊下とのこと

あたけ‐ぶね【▽安▽宅船/×阿▽武船】
戦国時代から江戸初期にかけて建造された大型軍船紀伊安宅氏の創始とされ、大砲を備えたものもあった。あたけ。

https://kotobank.jp/word/安宅船-25758#goog_rewarded

というか船櫓(ふなやぐら)てどこの部分やねん?
調べてみたところ豪華な御座船にある天守閣のような屋根付きの建物の部分を船櫓というそうです
なるほど
これを廊下として移築したのね

また、この日本丸は元々は九鬼水軍が所有していたとのこと
九鬼正宗に縁のあるお家ですね

※九鬼くんに会いにいった岡山の旅↓↓

ちなみにこの「日本丸」よりもう少し後の時代に作られた御座船「安宅丸」をイメージしたクルーズ船が神戸港から出ています
カラフルで豪華〜
これはこれで一度乗ってみたいですね

引用:https://kobebayc.co.jp

↓↓安宅船が活躍していた九鬼水軍の本拠地・鳥羽の旅はこちら


⚫︎都久夫須麻神社

船廊下を通り抜けると都久夫須麻神社に到着します
昔はここが宝厳寺の本堂だったそう

明治時代、この島は大きく変化し、当山より都久夫須麻神社(竹生島神社)が分かれました。古来、現在の神社本殿を当山は本堂とし、本尊大弁才天を安置しておりましたが、明治元年(1868年)に発布された『神仏分離令』とそれに起因して過激化した「廃仏毀釈」運動の影響を受け、明治4年、大津県庁より、当山を廃寺とし神社に改めよという命令が下りました。
しかしながら、全国数多くのご信者皆様の強い要望により廃寺は免れ、本堂の建物のみを神社に引き渡すこととなりました。
本堂のないままに仮安置の大弁才天でしたが、昭和17年、現在の本堂が再建されました。

https://www.chikubushima.jp/origin/


国宝の都久夫須麻神社本殿

こちらの建物は元々京都の伏見城の勅使殿を移築したもので、
こちらもカラフルな彫刻があり、国宝に指定されています
というか伏見城の建物を移築したところ、日本全国に結構たくさんあるな
京都市内はもちろん、広島県福山市にある福山城にも伏見城の一部を移築した伏見櫓があります
新幹線のホームからドーンと見える櫓がそれです
それを見る限りかなり大きなお城だったことはわかりますが…どこにどんな建物があったんだろう?
当時のお城の見取り図が欲しいです

引用:https://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/cmsfiles/contents/0000120/120267/09.pdf

↓↓福山駅新幹線ホームから見えるのが、伏見櫓
(写真2枚目)

↓↓江雪左文字の像でもおなじみの福山城の旅はこちら

この本殿前で、平安時代に平経正が琵琶を演奏したわけですね
平経正は幸若舞の「人生五十年〜」のフレーズで有名な平敦盛の兄で、琵琶の名手だったそう
使用した琵琶が、先ほどの宝物殿に展示されていた「仙童の琵琶」
平家物語のワンシーンですが、実際にこの場であった出来事だといわれると、なんだか不思議な感じがします

引用:https://dcollections.lib.keio.ac.jp/ja/ukiyoe/1087

竹生島詣 (ちくぶしまもうで)
副将軍平経正(つねまさ)は,管絃の道に長じた人で,進軍中ながら湖上の名島に心ひかれ,小舟で竹生島に渡った。(中略)
日が暮れて月が湖上に照り渡るころ,別当寺の僧が琵琶を持参したので,経正が秘曲を奏すると経正の袖の上に白竜が現れたように見えた

https://kotobank.jp/word/竹生島詣-1184653

NHKで放送されていた、人形劇「平家物語」の中でも、風光明媚な竹生島で琵琶を演奏するシーンがあります
琵琶の名手の兄・経正に笛の名手の弟・敦盛。兄弟揃って音楽にいそしむ貴公子だったんでしょうね
彼らのエピソードは、それぞれ能や謡曲のほか小説や映像になったりと、今も伝統芸能や文学として現代まで引き継がれています

⚫︎能「経正」

⚫︎能「敦盛」


⚫︎八大龍王拝所

都久夫須麻神社の本殿向かいにある八大龍王拝所
こちらには龍神様が祀られています

拝所のところから竹生島一番の絶景が見えます

すごくいい眺めだなー!!
本当にきれいな島です

こちらでは「かわらけ投げ」という祈願ができます

2枚のからわけに、それぞれ自分の名前と願い事を書き、海に面した宮崎鳥居に向かって投げます

この宮崎鳥居まで届くとお願いが叶うそうです

早速投げてみます!!!

…届かん!!!!!!!

結構風が強いため、真っ直ぐ飛んでいきません
力一杯投げてもなかなかうまくいかないです!

まあそれでもこの絶景が見られるなら十分満足です
ちょっとぐらい寿命が延びてんじゃないかな?


⚫︎『飛びだす絵地図 E3D Map』

このようにとても風光明媚な竹生島…
また竹生島行きたいな〜あの光景がまた見たいな〜と思った時でも大丈夫!
こちらの『飛びだす絵地図 E3D Map』は、VR画像や3D画像、動画によって実際に竹生島宝厳寺に行ったような風景を楽しめるコンテンツです
これはこれで楽しい

https://www.chikubushima.jp/precincts/


⚫︎お土産・カフェ

船着場にあるお土産もの屋さんやカフェ
竹生島には食堂などはなく、「野坂みやげ店」さんと「cafe&shopここや」さんの2店だけ
こじんまりとした感じです

野坂みやげ店さんには、琵琶湖の魚や貝の佃煮が
「滋賀おでん」と「弁天あげもち」などが美味しそうです
近江名物の赤こんにゃく、とても鮮やかな色です
珍しいなあ

https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/aka_konnyaku_ni_shiga.html

cafe&shopここやは2017年にオープンしたおしゃれなカフェ
店内にはかわいい手ぬぐいがたくさん飾られています
フードの方も美味しそう
近江牛まんや近江牛カレーパン、かわいい弁天様のラテアートなどなど

…残念ながら夕方だったのでほぼ売り切れ…
また今度の楽しみにしておきます



長浜城の御城印や竹生島の御朱印
幸せ願いだるまの小さいストラップの弁財天様をお家にお迎えしました

今度は黒壁スクエアなど、長浜駅の城下町にも行ってみたいです
それにしてもまた竹生島にはにはまたいきたいな
古代から風光明媚な島と言われるだけあって、本当に心が洗われるようなきれいな島でした


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