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前日譚 [ディレクターズ・カット]

本編

オーディオコメンタリー

Track_01

京都大学がノーベル賞受賞者生産工場であるとともに、廃人生産にも多大な成果をあげていることは今更語るまでもないくらいミームとして浸透しているであろう。[1]

東京に行かずに敢えて京都を選ぶあたり、へそ曲がりな人間が必然的に集まる点がしばしば指摘されるが、環境の構造的側面も否定できない。三方を山に囲まれ、大阪までは電車で40分、市内は寺社・大学・博物館だらけの状況は世俗から隔離という点では学問に適している。

しかし、これから社会に進出していく若者たちにとっては、知的創造心や若いエネルギーを子供じみた悪戯[2][3]や学園祭[4]へ向けるくらいしかカタルシスを得られず、首都圏で一流企業のインターンシップを通じてせっせと人脈と実績づくりをしている意識の高い方々と比べ後々大きな不利として働く。大学側も、「自由の学風」にかこつけて放任しつつ、どこかそういった学生たちの悪あがきをブランドに取り込んで利用している節がある。[5] 無論、思想に没頭してそれがそのままキャリアになる学生は一定数いるが、その他大勢は社会へ出ていくか、出ようとして冒頭の状態に陥る。

京都大学の環境は世俗を超越して学者になるタイプに最適化されているにも拘らず、席の数は限られている。そして、消えた者、潰れた者は神話の一部として大学のブランドを反対側から支えるのだ。これがまさにノーベル賞・廃人量産工場という双頭竜の正体だ。逆説的に語られることが多いが、ノーベル賞の栄光は「必然的に」多くの屍の上に成り立っているのである。


[1] 森見登美彦『四畳半神話大系』, 太田出版 (2005) など
[2]Wikipedia - 折田先生像 #銅像への落書き
[3]Google検索 - 京都大学 こたつ
[4]京都大学 - 学園祭テーマ一覧より:1989『堕落への誘い』、1998『堕落の道も一歩より』、1999『素晴らしき無駄なエネルギー』、2007『満喫! モラトリアム。』、2008『溢れる才能の無駄使い』 など
[5] 例えば、[4]のようなテーマを「自治」や「自由」の名のもとに容認し、堂々とHPで紹介している点


Track_02

『ダークソウル リマスタード』, フロムソフト (2018)

本編中の挿絵の構想は実は6年以上前に遡る。ダークファンタジーゲーム『ダークソウル』をプレイ中にふと、感じた。あの薄明光線に照らされた、美しくも退廃的な城郭の危険性がプレイヤーを引き付け、魂(ソウル、集めた経験値)を溝に捨てさせ、人間性を奪い(ゲーム中で屍人のような状態になる)、その事実が更に危険性の証明となって中毒を誘発する。そしてこの評判が新たなプレイヤーを呼び込む。この構造、何かに似ている。思わずペンをとってそのアイデアを落書きで残した:

ペン画『栄光を求め、屍となってゆく冒険者たち』2019/02/26 撮影

そしてこの度、生成AIの手を借りて当時の構想が具現化された。単なる画像生成ではない。あの頃の澱んだ空気感と、その裏にある批評性、それらが経歴、クリエイター活動の動機と繋がり、一つの物語となってついに日の目を見たのだ。

AIは、思考を解き放つ。ダークソウルの冒険者たちが焚火を共にするように、その術を啓蒙し、成果を共有することを本Noteの使命とする。


■ SPECIAL FEATURE

[■] PLAY
[ ] △ EJECT DISC

■ SPIN OFF

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