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【徹底解説】映画評論家・鴨川短春が斬る『前日譚』ー演出型Note自己紹介とは

ハイ、皆さんこんばんは。鴨川短春(かもがわ・みじかはる)でございます。

鴨川短春(映画評論家)

今夜は、『前日譚』と、『前日譚 [ディレクターズカット]』、この二本立てでお送りいたします。

これ、私はじめ、ナニコレ?でしたよ、観たあとね。こんなふざけた、見慣れない体裁でも、この二本がセットで、この人のNoteプロフィール、自己紹介なんですねェ。

それではさっそく『前日譚』から見ていきましょう。

流れは起承転結ですね。栄光目指して危険な城郭に挑む冒険者たち。その冒険者たちの屍がさらなる挑戦者を招いて、さらに屍を生む、このスパイラルがずっと続いていきます。これが起→承ですね、ダークファンタジーですね。挿絵もそれらしいですが、時計盤があるね。これ、おかしいね。ファンタジーなのに、ここだけ浮いてるね。

さて、そんな世界に、変化が訪れます。「白魔術か、黒魔術か」何やら怪しくなってきたねェ。世界破滅だなんて、怖いねェ、恐ろしいねェ。機械生命体ーなんか新しいのが出てきたね。こいつが魔術だの破滅の正体でしょうか?ところがところが、それが意外な行動をとります。力尽きた冒険者に、生命を注入しおるわけです。挿絵は何やら電子回路のような背景の中心から、眩い煌めきが放たれています。知性の覚醒ですね。

そして最後にオチが来ます。実は、今までのは、作者自身の経歴を比喩で、ショートフィクションの体裁で、伝えていたんやと。時計の謎、解けましたねェ。吉田本町にある、あの有名な時計台ですねェ。そしてAI。いま巷で騒がれていますねェ。便利ツールなのか、人間の能力を拡張・解放するものなのか、いや寧ろいずれ人類を滅ぼしてしまうんちゃうかと。意見が分かれている様子を魔術や破滅の予感に例えていたんですねェ。AIが眠ってたものを起こしたて言うてるから、この人は能力解放側の立場、そして「再起動」ってなんかサイバーパンクやねェ。

ここで初めに戻ってバナーを見てみましょう。何やら抽象的ですが、ここまで読んだら分かります。ストーリーのテーマ。過去と未来。荘厳な城郭、複雑で入り組んだ系。それの対となるAIと未来。あるいは洗練された体系化。これが、レリーフと、光沢のあるパイプのような線を対比させたイメージで見事に見事に表現されておるわけですねェ。

しかしこれだけではなんか消化不良やね。最低限の経歴とNote開始のきっかけはわかったけど、これだけやとAI画像屋なのか、ポエム書きなのかようわからんね。と思ってたら、ページの一番下。ボーナスDVDってありますねェ。こんなんNoteで初めて見たわ。これ、クリックしたら再生始まるの?って。実は、これも演出ですね。自己紹介をフィクションにした上に、そのフィクションすらも仮想的に、仮想的に、あなたは今、DVDの本編を見終わったんやと。次はディレクターズカットでオーディオコメンタリーするって。そう言うてはるんですねェ。フィクションをさらにフィクションで包む。面白いねェ、たまげたねェ。

さて、ここで一旦コマーシャルです。


CM中・・・


鴨川短春


それでは続いて『前日譚 [ディレクターズカット]』の解説に入っていきましょう。ディレクターズカットは、同じストーリー、あらすじをトレースしつつ、作者の意図を見せる演出です。先程が「表」ならこちらがいわば「裏」ですね。

バナーがいきなり目につきます。配色やテーマは表の記事を踏襲しつつ、バロック調の都市が未来都市に変わっていく、具体的なイメージになっています。コンセプトは同じでも、こちらのほうが詳細が描きこまれている分、特別編だよ、解説編だよという、よくあるDVDやCDのパッケージ差別化ですね。

そして、いきなり解説が始まって、文体が表のポエム調からガラリと変わったねェ。鋭い批評口調に変わったのかと思えば、よく見ると「多大な成果」や大袈裟な脚注の振り方に遊び心が垣間見える、シニカルながらウィットも織り交ぜた批評、大学論になってるねェ。

さてこのトラック・ワンの文章は、私が見る限り三つの役割を果たしています。ひとつは、この批評が独立した作品として成立しています。「ノーベル賞が多い『のに』廃人も多い」という一般論をひっくり返し、それを必然と議論しとるわけです。ふたつめは、表の記事の文章や画像がどう比喩として機能しているか説明すること。そして三つめは作者の自己紹介です。このやり方変わってるねェ。客観的な批評に見せかけて、内情を知っている人間が実体験を元に議論しているのだろうと読み手に感じさせる、それが婉曲的に、婉曲的に、自己紹介になるわけですねェ。そしてもう一点、この批評を通じて、作者の人となりや感性が伝わりますね。軌跡や趣味の羅列とはまた一味違う、この人の、この世界観を、読者に体験させる、こんな自己紹介のやり方あったんやねェ。

トラック・トゥーへ進みましょう。ここでいよいよいよいよ、時計台をダークファンタジーで表現したAI画像の制作背景が説明されます。何故、ダークファンタジーなのか。実は6年以上前の閃き、トラックワンの批評内容!それがあるテレビゲームの比喩として画像で表現できること!この二点をこの人は思いついて、落書きで残しておったわけです。でも落書きは所詮落書きで、一人で見つめて、あるいは内輪で共有して、ニヤニヤするしかなかった。これはトラック・ワンの「子供じみた悪戯」に通ずるものがあります。世に出せない、稚拙な状態、ここが核心ちゃうかなと、鬱屈のね。アタマ使って面白いことができても、それを世間に発表できるレベルに持っていく回路が繋がっとらんかった。世俗との隔絶、大学側の無気力、この人の力不足。原因は様々あれど、ある日、AIがその回路を繋ぎます。AIが人間の回路を繋ぐ、まさにサイバーパンクですね、そしてその結果、その結果、眠っていた落書きが『前日譚』という作品として昇華されたわけです。この状況が、そのまんま表の記事の、AIが促した目覚めですね。

そして締めに移る前に、テレビゲームの画像!古い城郭から遠方の光を見つめる姿、そしてキャラクターのいでたちが、王道的な騎士ではなくて、盗賊・ならず者風なのが、まさに作者像ですね。ゲーム紹介用の画像と見せかけて、さりげなく映り込んだ記号を通じて自己紹介に使っておる訳です。細かいねェ。

ハイ、では最後。AIは、思考を解き放つ。という主張。これは見事に見事に、この人自身の実演、つまり、落書きだったものをAIを駆使して一つの作品へ昇華させた、これによって説得力を持ちます。そして、焚火で冒険者たちが憩うのは、ゲームの比喩の延長として上手く機能していますねェ。と同時に、過酷な環境においては、たとえ現実であろうとゲームであろうと、そういった助け合いの仕組みがあるべき、あって当然、とも考えさせられますねェ。

いやあ面白かったねェ。表、裏を並べてみると、フィクション作品の制作過程そのものが、この人のプロフィールになっていますが、逆に、その制作過程をフィクションにしたものが作品でもあるんですねェ。この対の関係、互いに定義しあっている関係が、本編とディレクターズカット、あのバナーの対比ですね。こんな自己紹介もあるのかと、読めば読むほど多層的に作りこまれ、様々な様々な、要素が絡み合って、自己紹介自体が一つの作品になっている、奇抜な手法ですねェ。

ハイ、以上、『前日譚』と『前日譚 [ディレクターズカット]』の二本立てでした。また次回まで。それでは、それでは、それでは!



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