見出し画像

大晦日の背徳感|行列のできる店よりも、いつもの定番✨

私は待つのが苦手である。近所に、いつ見ても行列のできているラーメン屋がある。昼も夜も、真夏も真冬も、そして大晦日でさえ、人々は黙って店の前に並んでいる。あれはもう食事ではなく、寒空の下で行われる修行である。その横を通るたび「空いていたら行こう」と思うのだが、空いている姿を一度も見たことがない。もしかするとあの店は、客ではなく行列そのものを仕込んでいるのかもしれない。

大晦日、その行列はいつも通り伸びていた。世間が年越しそばへ向かう中、私はスマホで別店舗を検索した。「自転車で三十分」。普通なら諦める距離だが、待つ三十分と漕ぐ三十分はまるで違う。前者は魂が停滞するが、後者は、物語が進んでいる。私は寒空の下、自転車をこぎ出した。年末の風はやたらと冷たく、耳のあたりで「そこまでしてラーメンか」と囁いてくる。

店に着き、席に座ると、迷わずいつもの一杯を頼んだ。湯気は控えめなのに、レンゲを沈めると底から静かな怪物が起き上がってくる。スープを一口すすると、舌の上にずしんと腰を下ろした。軽やかさなどない。華やかさもない。ただ、逃げ場のないうまさがある。麺を持ち上げるとスープが絡みつき、食べているのが麺なのかスープなのか、途中から境界線が曖昧になる。もはやこれはラーメンというより、胃袋に提出する年末調整である。今年一年の余計な感情を、まとめて濃いスープに溶かしている気分だった。

また行きたいラーメン屋とは、スープを最後まで飲める店である。健康診断の数値が頭の隅で警告灯を点滅させていたが、大晦日に細かいことを言うのは野暮である。器の底には「明日もお待ちしてます」と書かれていた。年が明けても、店は待っている。行列も待っている。

待つのが苦手な私は、また自転車で逃げるのだろう。これが、私の年越しそば。細く長くではなく、太く重く、スープまで絡め取られる一年であった。

⬅️ 前話はこちら:クリスマスの定番🎄
↩️ シリーズ序章:期間限定?アレンジ?やっぱ定番やろっ❣️

いいなと思ったら応援しよう!