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料理は誰のために作ってる?🥘|家事を感謝ではなく「当たり前」になる瞬間を考えてみた💭

気づけば、一週間ずっとカレーを作っていた。

とはいえ、妻は別に「カレーが好きだから毎日食べたい」と言ったわけではない。それなのに私は、仕事帰りにスーパーへ寄り、玉ねぎを切り、人参を刻み、鍋をかき回しながら、せっせとカレーを作っていた。

鍋を見ながら、「これ、誰のために作っとるんやろ」という考えが、湯気と一緒に浮かんできた。

もちろん妻のためである。

この一週間、コメント欄で「うちのカレー話」を読んでいたのだが、そこでひとつ気づいたことがある。誰も「自分が一番食べたいカレー」の話をしていなかった。

祖母のカレーが好きだった
家族が辛いの苦手だから甘口にしている
トマト缶を入れて迷走した
子どもに合わせて辛さを調整する
最後はホットソースで個別対応する

とにかくみんな“誰かに合わせたカレー”の話ばかりしていた。

不思議なもので、ひとりの飯になると一気に雑になる。私は具なし焼きそばで済ませる。フライパンひとつ、洗い物も最小限。腹に入れば勝ちである。最近はレトルトすら優秀なので、「もうこれで完成されてるやん」と文明に白旗を上げる日も多い。

ところが、家族のために作るカレーになると具材が増える。

玉ねぎ、人参、じゃがいも。今回は、苦手だった里芋まで入れた。彩りだの栄養だのを考え始めると、「まぁこれも入れとこか」が止まらなくなる。

妻は肉が苦手なので、大豆ミートを試したり、サラダ豆を放り込んだりもした。私ひとりなら、玉ねぎと牛肉だけで十分だ。じゃがいもや人参の皮なんて、面倒くさくて途中で「もう栄養あるやろ」と雑に切り上げている。

それでも、家族が相手になると、ちゃんとした夫を演じ始める。

料理は、自分が食べたいものを作る行為ではないのかもしれん。「相手に美味しく食べてもらいたい」が先に来る。だから、好きでもない里芋を鍋に入れたりする。

しかし、そこまでやっても、特に感謝はされない。

妻からは、「ありがとう」も「美味しかった」もなかった。里芋事件で若干空気が悪くなっていたこともあり、余計に「なんでこんなに頑張っとるんやろ」と考えてしまった。

ただ、私は、妻が掃除をしている時や、洗濯をしている時、「ありがとう」を言っていただろうか。

……言っていなかった。

自分が感謝されない側になると敏感になるのに、感謝してもらっている側にいる時は、びっくりするほど鈍感になる。

家事というのは厄介だ。毎日発生するうえに、ちゃんと終わらせても拍手が起きない。舞台ならカーテンコールがあるのに、洗濯にはない。むしろ、お気に入りのTシャツを乾燥機に入れられた瞬間、「おい!」と声が出る。

そんなことを考えながら、私は今日もカレーを作っていた。

鍋をかき混ぜながら、「料理って誰のために作るんやろな」と考えた。

自分だけなら、具なし焼きそばで終わる。
相手がいると、里芋が入る。

それが料理である。

⬅️ 前話はこちら:里芋入りジャワカレー🍛
↩️ シリーズ序章:期間限定?アレンジ?やっぱ定番やろっ❣️

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