夫婦岩と夏至と「龍宮」と
突然ですが、ブロック宇宙論という理論をご存知でしょうか。わたしもそこまで詳しくはありませんが、時間は過去から現在、未来へと流れるのではなく、この瞬間、過去・現在・未来は同時に存在するという考え方です。
この説を耳にしてから伝説の場所に立つことが趣味になりました。見えないだけで「時空を隔てたすぐ隣に歴史上の人物が立っているかもしれない」「あの物語が進行中かもしれない」……。観光地にぼぅーっと立っているおばさんは、今日も時空の間に思いを馳せています。
2025年6月21日夏至。今回もまた物語が生まれた場所へと時空妄想の旅をしてきました。7月にブログアップの予定が、1ヶ月も遅れてしまったことをお詫びいたします。
国生み神話と佐渡の夫婦岩
「また佐渡か?」とツッコまれそうなほど、短期間に何度も佐渡を訪れております。それくらい佐渡には物語と伝説がぎっしり詰まっているんです。
あの場所に立たねばならない!ぜひ検証をしてみたい!という謎の衝動にかられ(笑)再びやってきたのは、七浦海岸「夫婦岩」。
日本の国を生んだ伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)の伝説が残る二つの緑色の岩※です。
前回訪れたのは春分の日でした。そのときに夫婦岩の穴のあいている方角を調べていました。方角は北西、そのときは全くピンときていませんでしたが夏至の夕日が沈むのは北西と知り、今回は夏至の夕日検証をするため、再び佐渡へやってきました。(我ながらもの好き)
佐渡の夫婦岩

左が妻の岩・右が夫の岩

「古事記」「日本書紀」のイザナギ(夫)・イザナミ(妻)の国生み神話では、7番目に佐渡を生んだとあります。佐渡に残る夫婦岩の伝説は、この国生み中の話になります。
<佐渡に残る国生み神話>
イザナギ(夫)・イザナミ(妻)は、産後の疲れをいやすために自分たちの分身の岩を作り、この岩つまり夫婦岩から次々と残りの島々を作りました。
二人は神様に見つからぬように見張りに猫を置いたのですが、火の神を作ろうとした際、この猫が大あくびをしたために神様に知られてしまいます。
怒った神様は、二人の乗っていた舟を岩(帆かけ岩)に変えました。
また火の神によるやけどでイザナミは亡くなってしまいました。この周辺の地を「高瀬」(たこせ)と呼ぶのは、高天原と結ぶ瀬であったからだともいわれます。近くには猫岩も帆かけ岩もあります。
向かって右が夫の岩:高さ 22.6m、左が妻の岩:高さ23.1m。三重県伊勢市二見浦の「夫婦岩」より倍以上の大きさです。
(七浦海岸看板より)
※七浦海岸:鹿伏〜二見までの海岸線
<大八島国>
淡道之穂之挟別島(淡路島)
伊予之二名島(四国)
隠伎之三子島(隠岐諸島)
伊伎島(壱岐島)
筑紫島(九州)
津島(対馬)
|佐渡島《さどのしま》(佐渡)
大倭豊秋津島(本州)
その後に生んだ島(吉備児島、小豆島、大島、知詞島、両児島……)


正面から見ると3つに分かれた不思議な形
車が停められず遠くから撮影

佐渡の神様とは?
古事記や日本書紀では、イザナギとイザナミは日本国土を生んだ神様なのに、佐渡の伝説では「別の神様」に見つかって怒られています。 佐渡には先住の神様がおられたということでしょうか? 不思議で面白い話です。「見張りの猫の大あくび」も絵本に出てきそうなフレーズで可愛らしく感じます。
イザナギとイザナミの神話はギリシャ神話に似ていると言われています。竪琴の名手オルフェウス(イザナギ)が、毒蛇にかまれて死んだ妻エウリュディケ(イザナミ)を冥界から連れ戻そうとした物語です。
佐渡の伝説の帆掛け船が「石」になるというエピソードも、ギリシャ神話の蛇の三姉妹ゴルゴンを想起させます。石化の能力があるとして有名なのはメドゥーサです。(ドラえもんのゴルゴンの首も思い出します)
イザナギ・イザナミより先にいた佐渡の神様は……もしかして蛇?と思ってしまいました。縄文時代、太古の信仰は蛇信仰だったと言われています。高天原は外国という説もあり(諸説あり)、昔々、海を通じて日本と世界が交流していたとしたら、日本の神話と世界の神話が似ていても不思議はありません。ギリシャ神話のメドゥーサは海洋の全てを支配した海神ポセイドンの愛人。海洋民族は龍蛇信仰だったことを考えると、イザナギとイザナミは海神に見つかったということでしょうか。
佐渡の伝説でも高瀬は高天原とを結ぶ瀬だったと伝わっています。想像がふくらみますね。
そして、佐渡七浦海岸の夫婦岩は、看板にもあるように伊勢の二見輿玉神社とも繋がりがあるようです。
伊勢の夫婦岩は二つの岩の間から登る朝日が有名で、夏至の日に祭が行われています。
佐渡の夫婦岩のそばにも「二見」という地名があり、検索をすると夏至の日に佐渡の二見神社でもお祭りがあるといいます。
(これは期待できるかも!!春分の「弁慶のはさみ岩」リベンジなるか!?)
春分に佐渡の「弁慶のはさみ岩」に夕日を見に行ったときの話↓↓↓
「二見」地名と夫婦岩はセットになっており、佐渡の他にも福岡(夕日の二見ヶ浦)、石川県(能登二見)、山形(出羽二見)もありましたのでご紹介します。
「二見」地名と夫婦岩

天候に恵まれれば夫婦岩のむこうに
富士山も見れる
三重県伊勢市 夫婦岩
住所:三重県伊勢市二見町江575
古くは総称して、夫婦岩は、興玉神石の門石で、「天の岩門」と呼ばれておりました。明治時代に伊邪那岐・伊邪那美命になぞらえて夫婦岩と呼ぶようになりました。
東の彼方にある神々の理想郷の国、「常世の国」からやってくる神が最初に寄り付く聖なる岩とされる興玉神石を揺拝する為に興玉神石の門石(鳥居)として、夫婦岩を見立て、夫婦岩の間に注連縄を張り巡らせて神の世と俗世とを隔離する結界の縄としました。
伝承によると倭姫命が天乃岩戸屋窟内に御船を泊められて、あまりの美しさに二度振り返った為に「二見」と言う地名になった初伝の場所とも伝えられている。(二見輿玉神社ホームページより抜粋)
二見輿玉神社では、夏至の当日、日の出前に夏至祭を斎行しています。
福岡県糸島市二見ヶ浦 夫婦岩
住所:福岡県糸島市志摩桜井
糸島市を代表する景勝地の一つ「桜井二見ヶ浦」は、三重県伊勢二見浦が「朝日の二見浦」と称せられるのに対し「夕日の二見ヶ浦」として有名です。
海岸から約150m沖に浮かぶご神体の夫婦岩は、スズメ岩とも呼ばれ、6月の夏至頃には、夫婦岩の中央に夕日が沈み、月は旧暦11月16日午前6時~7時半頃まで中ほどに見ることができます。
(糸島観光サイトより抜粋)

能登二見 夫婦岩
住所:石川県羽咋郡志賀町
能登金剛を代表する奇岩の一つが機具岩。
機織りの神様の伝説を生んだ夫婦岩は、伊勢の二見岩に似ていることから「能登二見」とも呼ばれます。大きな穴が空いた方が女岩。しめ縄でつながる尖った岩が男岩です。(北陸物語ホームページより抜粋)
夏至や冬至、春分秋分との関わりは分かりませんが、夕日の名所だそうです。北陸物語ホームページの夕日がとても美しかったです!
<機具岩の物語>
その昔、能登の地に織物の業を広めた、鹿島郡能登比咩(ひめ)神社の祭神である「渟名木入比咩命(ぬなきいりひめのみこと)」が、織機を背負って山越した折、途中で山賊に遭い、思わず織機を海中に投げたところ、こつぜんとしてそれが岩に変じたといわれています。

出羽二見 夫婦岩
住所:山形県飽海郡遊佐町吹浦西楯
海に浮かぶ二つの並んだ岩に注連縄が張られ、伊勢の二見浦(ふたみがうら)になぞらえて出羽二見と呼ばれています。この注連縄は漁師が海上の安全を祈願してつけていました。
5月と8月頃に出羽二見の間に夕陽が沈み、多くのカメラマンが撮影に訪れます。絶景であるとともに、見た人にいいことが起きるという言い伝えもあります。(庄内観光サイトより抜粋)
佐渡 二見神社


よく見るとオーブが写っている
佐渡ではオーブがよく写り込む
住所:佐渡市二見118
<御祭神>
国常立尊(クニトコタチノミコト)
<由緒>
中宮大明神(旧称)は元和四年(西暦一六一八年)京都吉田より補仕する。中宮社は遠い昔二見片谷にあり承久帝供奉女官右衛門佐御局を祀り片谷明神または中宮大明神と称したが、上杉景勝の陳代藤田信吉入国の際に無くした。程なく隣村の沢根より鹿伏まで十四か村の総鎮守であったものを併せて現地に祀ることになった。明治六年(西暦一八七三年)八月第一大区五小区の郷社に列せられ社号を二見神社と改称した。

訪れた時間帯は休憩時間のようで、神社前にお神輿があり、祭りの半纏を着た方たちが離れた場所で談笑していました。観光客は全く見当たらず、佐渡金山が世界文化遺産登録されても、観光客は増えていないのかも。(もったいない!!)
二見集落では太鼓と獅子が門付けにまわります。太鼓は、もともと豆まき型鬼太鼓で二見元町の青年会が担当していましたが、平成に入り人手不足により舞が無くなりました。そのなごりとして太鼓には、翁と鬼の面が積まれていて、長いバチで両面から力強くたたきます。
(佐渡DEEP ARCHIVE より)サイトには鬼のお面写真も載っています!
佐渡の祭りでは「鬼太鼓」が門付けする場合と「豆まきの翁」が門付けする場合と、両方の場合があります。一般的には「鬼」と「豆まき」は相反する立場のような気もしますが、佐渡では仲が良いようです。

(外に一本下駄がありました)

彫刻は牡丹か椿のような柄が目立つ

佐渡から戻り、お隣の龍吟寺にも伺えばよかったと後悔。猫ちゃんが招いてくれていたのに。

龍吟寺の伝説
昔、二見の漁師が双股岩で網を引いていると、中にぴかぴか光るものがあった。拾い上げてみると金の観音菩薩像だった。欲の深い漁師は「中まで金ならすばらしい値打ちだなぁ」とヤスリをかけてみた。すると漁師の手がしびれ指が曲がらなくなった。驚いた漁師は詫びて村の龍吟寺に奉納すると指が動くようになった。観音様の肩の傷はこのときのヤスリ跡だという。
(新潟県伝説集成「佐渡篇」より要約)
寺社帳には「開基は知れず、天正三年(一五七五)中興空円再建」とある。本尊は金銅聖観音であり、順徳上皇の持仏であったと伝えられている。この本尊聖観音は、相川で唯一の国指定有形文化財であり、天平の頃(八世紀中頃)唐の影響を受けて日本で造られた仏像である。
(『佐渡相川史跡マップ』より)
夏至の夕日の行方
前置きが長くてすみません。
結局、佐渡の夫婦岩と夏至の夕日との関係はどうだったんだい!といえは……こんな感じです(><)


2025年6月21日夏至の日の入り(日没)時刻は19時です。写真は18時25分のもの。このあと太陽は顔を出してくれませんでした。いったいどこに沈んだのーー??「弁慶のはさみ岩」に続き検証ならず(T_T)、残念、残念。
それとも夏至の日に夕日が沈むのは、二見の双股岩でしょうか!? !? (双股岩:龍吟寺の伝説に登場した岩)
年に1回しか検証できないのが、もどかしい。

北西よりやや西側
ーー失敗に終わった夏至の日検証ですが、佐渡の旅は意外なほうへ進んで行きます。随所に「龍宮」が浮かび上がり、あの歴史上有名な男女へと繋がります。ぜひ最後まで読んでくださいね。
夫婦岩と白島

夫婦岩から少し視線を左へ向けると、沖に白島という、その名の通り白い島が見えます。岩の絶壁に白馬の足跡、のぼり龍・さがり龍の奇岩、弘法大師の護摩炊き跡など白島だけでも多くの伝説が残っています。
夫婦岩の洞窟からは古い人骨も見つかっているそうです。(夫婦岩か夫婦岩遺跡か?)
(佐渡の伝説 浜口一夫・吉沢和夫 著)
白島は女人禁制だそうで、写真や動画で見る限りポコポコ穴の多くあいた幻想的な不思議な島のようです。(「佐渡 白島」で検索すると写真が出てきます)
※今後キーワードとなる言葉「のぼり龍・さがり龍」「弘法大師」は太字
圧倒される巨岩「影の神」

溶岩ドームでできた一枚岩
旅の時系列とは異なりますが、岩つながりで佐渡「影の神」を紹介します。こちらも牛が岩になったという伝説が残っています。
「影の神」……なんとも厨二心をくすぐられる名称です。
住所:新潟県佐渡市後尾
後尾の娘を山の神様が好きになり、使いの牛を娘に向かわせ「嫁に来てくれ」と頼んだが、娘がうんと言わないので、待っている間に牛はそのまま岩になったそう。
この他にも、元日に霊峰金北山の山頂にある祠の影が映る、弘法大師が護摩を焚いて修行をした、頂上に真柏が密生しているが、これを採ると必ず大暴風雨になると言われ誰も採集するものがいないなどの伝説が残っています。
また、「影の神」岩の南向きの洞穴に「うつろ神社」があり、狢が祀ってあるそうです。
(新潟県伝説集成 佐渡篇/民話ホームページより)
※洞穴には観世音の像が安置されているという方もいます。

風が強いせいか人の気配がないせいか、「影の神」岩へ向かう道でゾワゾワしてきました。風と波の音しか聴こえず、海が荒れたら波にさらわれそうです。近づくと、ずっしりと重い質量を感じる巨岩が目の前にそびえ、壊れた祠の雰囲気も相まって圧倒されてしまいました。
「竜宮両大龍王」とは?
検索すると山形県鶴岡市の龍王尊 善寳寺が出てきました。海の守護神・龍神の寺として全国的に知られているお寺だそうです。
祠の神様かわかりませんが、気になったので更に検索。
善寳寺の龍神さまは、八代龍王のおひとり娑伽羅龍王と、その三女、善如龍王がおられます。この娑伽羅龍王は、大海、龍宮の王様。龍宮と聞くと龍宮城、浦島太郎を連想しますが、その王様が娑伽羅龍王で、善如龍王は、乙姫さまとのこと。(鶴岡観光ナビより)
ーーなんとなく近いような気がします。(なんて曖昧な勘!)
AIがざっくり集めた情報はあまり信用していないのですが、今回はざっくり集めてくれたおかげで、ヒントが見つかりました。
「影の神」にまつわるキーワード
「牛」
牛と言ったら牛頭天王「スサノオノミコト」スサノオノミコトは暴風雨を司るという
世界の神話では「牛」をトーテムとする種族と「龍蛇」をトーテムとする種族が争い、牛族が勝ち龍蛇族の娘と婚姻関係を結んでいる
牛をトーテムとする種族は太陽信仰
スサノオノミコトは娑竭羅龍王(娑伽羅龍王)の娘「婆梨妻女」を娶っている。婆梨妻女は善如龍王と同一視されている
「龍・蛇」
縄文時代は蛇信仰、蛇と龍は同一視されている
世界的にも龍は水や雨乞いと関わりがある
世界の神話では牛族との争いに負け、龍や蛇は悪者として描かれる
龍宮は龍王と乙姫の住む海中の宮殿
「鶴」
「影の神」付近は「鶴の恩返し」の里。佐渡の「鶴」と山形鶴岡の「鶴」
山形にも「鶴の恩返し」伝説がある
「鶴(ツルという音)」地名と「機織り」「秦氏」「鉱物」が関連している
「秦氏」は鳥をトーテムとしている(秦氏:弓月君の子孫)
*****
古代世界と日本が交流していたとしたら、民話にも世界神話のベースのようなものが流れているのかもしれません。ユング心理学でいうところの集合的無意識※のような。
新潟県関川村の大蛇伝説も八岐大蛇伝説が根底にあるようでした。八岐大蛇伝説もまたギリシャ神話のヘラクレスとヒュドラの物語と類似しています。
※集合的無意識:個人の人生経験から構成された「個人的無意識」とは区別された、心の深層に潜在する人類に共通したパターン(元型)で成立する「無意識の層」。
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それでは、「影の神」岩の伝説を振り返ってみます。
山の神が使いの牛を娘に向かわせ「嫁に来てくれ」と頼んだが、娘がうんと言わず牛が岩になったとあります。
↓↓↓
牛をトーテムとする種族が、龍蛇をトーテムとする娘と婚姻関係を結びたがったが断られ、岩になったと解釈してみます。夫婦岩のときにも書きましたが、ギリシャ神話では蛇の目に見られると石化してしまいます。
↓↓↓
しかし、「影の神」の祠「竜宮両大龍王」の両龍王が、娑伽羅龍王と善如龍王だとすると、スサノオノミコト(牛)は善如龍王(または婆梨妻女)と結婚していることになります。
おそらく牛をトーテムにする種族が勝った(または和合した)ということになるのでしょうか。
歴史の真相はわかりませんが、重く高くそびえる巨岩は、真の「影の神」は龍王である。そう言っているような気がしました。
佐渡を訪れた際は、ぜひ「影の神」岩の前に立って、その覇気を感じてみてください。

手前は何の祠か不明です
実は、佐渡には他にも乙姫の話ですか?と思った伝説があります。佐渡では有名な「乙和池」の伝説です。
乙和池と雨乞い伝承

今回、乙和池には実際に訪れてはいません。熊も猿もいないので1人で行っても問題はないのですが、なんといっても佐渡は広い!1日じゃとても周りきれませんでした。
ならばと、乙和池の由来である女遍路「乙和」が住み込んだという長福寺を訪れたのですが、鍵が閉まっており外観のみ写真を撮らせていただきました。(佐渡は世界文化遺産に登録されても、のんびりしています)
長福寺の資料を再度めくってみたら、前回は全く気づきもしませんでしたが、乙和の法名は「乙和浮島善女大竜王」と書いてありました。
なんとなんと!ビンゴです。
乙和池の「乙和」は龍宮の“乙姫”でした。(影の神の記事を参照)

マイカーでの参考所要時間
乙羽池の伝承
佐和田町石田川の上流にさしわたし(長さ)50〜60m、幅25mくらいの池がある。
まわりの鬱蒼たる樹木は水面の影を落として静寂である。池の中には水草からなる大きな浮島があり、その浮島の真中にまた小さな井戸清水があって、いつもきれいな水が湧き出ている。
この池は、旧二宮村(佐和田町中原)の講議所 長福寺の下女乙羽が主の大蛇に嫁して沈んだ所だという。
遠い昔から、旱魃になると、水に困った百姓たちが、主に雨を降らしに登った雨乞いの池である。
主の大蛇が竜となって昇天した後は、乙羽が主となって水の采配を振るのだという。
毎年6月23日(現7月23日)には雄龍が乙羽に逢いに来て、一夜をこの池で明かすのだという。
(佐渡の民話 佐和田国仲の伝説と世間話より)



乙和池の伝承は少しずつ違った内容で残っていますが、図書館から借りた『佐和田国仲の伝説と世間話』が素晴らしく、佐渡の島民の方にこそ読んでいただきたい内容になっています。
初版は1981年に発行され、当時ご存命の明治生まれの方にも聴き取り(採集)をした22ページにも及ぶ調査と考察が記録されています。
乙羽池で雨乞いをしていた当時の日付や会話のやりとりが生々しく、乙羽池が乙和池になっていった変遷まで記されています。
このように地道な聴き取りをしてくださった方のおかげで、歴史のド素人のわたしも旅を楽しめています。先人に感謝です。
*****
乙和は巫女ではないのか?
『佐和田国仲の伝説と世間話』では乙羽は、女遍路で長福寺に宿を求めて泊まり、そのまま下女として住み込んで働くことになったとあります。
“おとは”が「乙和」と表記していないことが気になっていました。『佐和田国仲の伝説と世間話』によると、当時の人は全員が「乙羽が正しい」と答えたそう。このほかにも音羽と表記する場合もあるらしく、「羽」も「音」も巫女を連想させる文字ですし、雨乞い(水神)の「乙」といったら龍宮の乙姫が思い浮かびます。

鳥の装いをしていた
(奈良県立橿原考古学研究所附属博物館で撮影)
乙羽は大蛇に嫁いだあと、大蛇は金龍となって雷とともに天に登り、池の主は大蛇に代わって乙羽になったといいます。
『佐和田国仲の伝説と世間話』では、乙羽がいつ雨を降らせる神通力を得たかと考察しています。池に入り蛇になってから秘伝を伝授されたのではないかと。
しかし、もともと乙羽という名前なら最初から巫女だったのかもしれませんし、後々雨乞いの能力から、「乙和浮島善女大竜王」という法名を付けたのかもしれません。金龍とは年に一度逢うことから七夕伝承の影響もあるように思えます。
乙和池の伝説はコチラで詳しく書いています。↓↓↓↓
会話のニュアンス・表記、全文は書籍でお読みください。
海千山千は龍のことだった!
「海に千年、山に千年すんだ蛇は竜になるという言い伝えから」世間の経験を多く積み、物事の裏表を知り抜いていて悪賢いこと。また、そのような人。したたか者。(小学舘 デジタル大辞泉より)
「鯉が龍」になる話は知っていましたが、「蛇も龍」になるんですね。
振り出しに戻り、全て繋がる
「蛇が龍になる」で検索をしてみると、福岡県糸島市に修行した蛇が龍になる「昇龍伝説」がありました。
え、福岡県糸島市!? 夕日の沈む夫婦岩のある場所です。
話がまた戻ってきてしまいました。糸島市の夫婦岩の目の前には、海洋民族「阿曇族」と関わりの深い「志賀島」(龍の都)があります。そして能登の夫婦岩は「志賀町」にあります。
佐渡に龍の伝承が多いのは「阿曇族」の影響でしょうか?(出雲だと思っていたのですが)
「阿曇族」は物部氏と行動を共にし、物部神社の御神紋は太陽を背に負った「ひおい鶴」」……鶴です。蘇我氏に追われた物部氏は東北に逃れたとか。
さらに検索すると奈良時代に安曇継成が、勢力争いに敗れ佐渡へ配流となり、その後阿曇族は歴史の表舞台から消えたとあります。
新潟県関川村の大蛇伝説を巡る旅では「安角」や、山形県の「温海」は阿曇から来ているのでは?と書きました。(注:諸説あります)
山形の夫婦岩のある地域は「飽海郡」です。似ているといえば似ています。
話がそれてしまいますが、「志賀島」から出土した「漢委奴国王」金印の上部は、金の蛇です。
善女龍王は大蛇の頭の上に乗る小さな金色蛇として描かれているとか……
佐渡の乙和池の伝承は、想像以上に奥が深く、迷路のようです。
加茂神社と金立神社

爽やかで広々とした境内で、本殿の背が高いのが印象的です。日曜日なのに人っ子一人おらず(笑)、鳥と風と虫の羽音と芝生を踏む自分の足音しかしません。
加茂神社を訪れる途中、「畑野駅前」という表示がありました。佐渡に駅?もそうですが、やはり「秦氏」と関わりがありそうです。
(佐渡に鉄道が走ったことはないそう)
加茂神社は能でも有名で8月に加茂神社夜能が行われるそうです。
また、加茂神社は「鶏」の絵馬が有名です。
金北山の鬼の伝承では郷の産土神と山に棲む鬼とが石段を作る対決をした際、「鶏」の鳴き声を早めて産土神が勝利したとありました。
日本に製鉄、織物、土木灌漑の技術をもたらした渡来人「秦氏」との関係は?と思い、今回訪れてみました。加茂氏も秦氏も渡来系の人たちです。
鬼の石段伝承についてはコチラ↓↓↓
加茂神社
住所:佐渡市栗野江1568番地
御祭神:別雷命(ワケイカヅチノミコト)
祭日:4月15日
境内神社:金立神社/諏訪神社/北野神社
<御由緒>
永暦元庚辰年の創立。
山城国加茂神社の分霊を勧請し字西畑という所に鎮座せる禿祠なりしを永徳元辛酉年に至りて現地に社殿を営み遷座した。
天明四年七月正一位下正一位加茂大神宮と改称せしに明治三年位階号を停止せられ加茂神社と称す。
天仁二年加茂次郎義綱朝臣流されし時この社の拝殿を建てられ年経て永徳完年本社を造営する。

この絵馬は畑野地区栗野江の加茂神社に奉納されているもので、縦約1m、横約60cmの板に尾長鶏とチャボが描かれている。
神社は「使わしめ(神の使い)」が鳥とされ、例祭も4月半ばの西の日に行われるなど、古来より鳥と縁が深く、この絵馬の他にも鶏の木鼻や小絵馬などが奉納されている。
この絵馬は作者・奉納者とも不明であるものの、享和2年(1802)の年号が記されており、佐渡に現存する鶏の奉納絵馬としては最古のものと考えられている。

(左甚五郎または牢坂番匠作と伝わる)
人の気配がなく入り口も閉まっていた。

葵の紋
*****
「鶏」で調べると、太陽の神様である天照大神(アマテラスオオミカミ)が天岩戸に隠れた際、常世の長鳴き鳥(鶏)を並べ、その美声で天岩戸から出すことに成功したため、天照大神の使いとなったそうです。
鳥居も鶏の止まり木とのことでした。
『佐渡歴史文化シリーズ8 佐渡史の謎』田中 圭一 著では、「鶏」と新羅との関係が書かれています。新羅の王室が鶏と関係があるとのこと。
素盞嗚尊(スサノオノミコト)は高天原を追われ、新羅の都ソシモリノトコロにいたが、舟をつくって出雲へ渡ったとあります。(日本書紀)
允恭天皇(5世紀前半に実在したと見られる天皇)は、大きな病を患った際、新羅に医師を求めていたそう。
当時は朝鮮半島との関わりが深かったのでしょう。交流圏というか一体というか・・・。
秦氏は新羅系渡来氏族と言われていますが、イスラエルとの関わりについて述べる方も多くいます。(百済説もあり)飛鳥時代にはペルシャ人の役人もいたと木簡に記録されているので、古代世界は広く交流があり影響しあっていたのかもしれません。

加茂神社の鶏の彫刻の伝説、鶏が手水石を引いてきた伝説など3話を詳しく書いています。コチラより↓↓↓
会話のニュアンス・表記、全文は書籍でお読みください。
金立神社

まさに気のいい場所です!
オーブも写ってしまいます


金立神社
屋根の厚みがすごい
御祭神:玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)
玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)は、加茂神社の御祭神 賀茂別雷命(カモワケイカヅチノミコト)の母親であり、神霊が依り憑く巫女の能力をもつ海の神である大綿津見神(大海神)(オオワタツミノカミ)の娘です。
また龍宮がでてきました。しかも、乙和池の主が金龍となって雷とともに天に昇ったことと、賀茂別雷命(カモワケイカヅチノミコト)が雷鳴とともに天に昇ったこととも類似しています。乙和の法名は龍宮(海神)の娘 善如大龍王でした。
しかし、玉依姫命は賀茂別雷命の母であり妻ではありません。いろんなキーワードが佐渡の民話になっていったのか、他にも意味があるのか・・・。
佐渡には菅原道真を祀っている神社も多いように思います。加茂神社の境内神社、北野神社の御祭神は菅原道真朝臣であり、雷神でもあります。
また、玉依姫命を聖母マリア、賀茂別雷命をキリストになぞらえる方もいます。
カバラ生命の樹はジグザグで下に降りることを「神の閃光」(まさに雷)、上昇するジグザグを「進化の蛇」というそうな。
……龍宮も香りつつ、旧約聖書も香ってくるのです。
あとがき
佐渡の夫婦岩近くの白島には、「のぼり龍とくだり龍」があるといいます。日本列島の形を「のぼり龍とくだり龍」と呼んだりします。上から見ても下から見ても龍の形をしているからです。
海洋民族のイメージから、龍は大海原の海流のこと?と思ったり、陰陽(男女や太陽と月)を表しているのかな?と思ったり、はたまた生命の樹なのか!?!? と想像は尽きません。
キーワードとして「鳥」も出てきました。ユング心理学や世界の民話を読むのが趣味だった頃、エジプトのモーセの話をベースとしたヨーロッパの民話を読みました。川に捨てられた赤ちゃん(モーセ)の出生の秘密や、その後誰に拾われたか、知っているのは「鳥たち」だけだったのが印象的でした。
「龍宮」を追っていたら山形県鶴岡市に繋がっていました。|蜂子皇子《はちこのおうじ》(崇峻天皇の第三皇子)は暗殺を逃れ八咫烏(鳥)に導かれ鶴岡市の由良海岸へたどりつきます。付近には福岡県志賀島に伝わる八乙女と同じ八乙女という地名もあります。
八乙女というと、月の女神アルテミスと女神に仕えた7人姉妹のプレアデスを思い浮かべてしまいます。狩人オリオンに追われ鳩(鳥)になって天に昇り星になります。これはギリシャ神話です。
世界の神話・民話はそれぞれ影響しあっているようです。気づかないだけで、もっとたくさん共通点があるかもしれません。
長くてとりとめのないブログを読んでくださり、ありがとうございます!


「愛し合ってるかーい?」
あとがきのあとがき
2025年の8月に大阪の交野天神社(かたのあまつかみのやしろ)に行ってきました。
バスを降りると、あたりには「ゆにわ」と書かれた看板がたくさんありました。「ゆにわ」とは神をまつるためにはらい清めた所。祭の庭だそうです。

2025年8月6日 交野天神社
つい先日、イラストを描きながら「むすび大学チャンネル」(ゆにわさん運営)で、源義経と静御前の動画を聴いていました。面白かったのでオススメです!!
◯白拍子の静御前は「雨乞い」の能力があったようです。
兄の頼朝に追われた義経・静御前一行は九州へ船で渡ろうとし失敗します。動画では九州から「龍宮」を目指すと話していました。
(え!? 雨乞い? 龍宮?:ちゃんと義経記を読みます。。。)
◯義経は静御前と離れ、奥州平泉を目指します。
(そうそう、みんな東北に逃れるよね)
◯静御前は義経と離れたあとに、鎌倉の鶴岡八幡宮で、頼朝側の人たちの前で舞を舞います。「君が代」も舞ったそうです。周りのざわめきは、|牛頭馬頭《ごずめず》のようだったと。
(もはや、グゥの音も出ん!!)
義経と静御前の話は史実なのか、暗号が散りばめられた創作なのか分からなくなってきました。
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山形県鶴岡市 善寳寺には、娑伽羅龍王と、その三女、善如龍王(龍宮の王と乙姫)の伝説が残っています。
鶴岡八幡宮では鳩は八幡様のお使いです。
山形県鶴岡市温海には、神功皇后と武内宿禰が矢を除けたという伝説の岩が存在します。(暮坪の立岩と矢除神社)
※神功皇后は応神天皇(八幡神)の母親。

「君が代」は、福岡市の志賀島にある志賀海神社(龍の都)で「山誉め祭り」という神事の神楽歌で、明治期になって国歌として浸透しました。
|牛頭馬頭《ごずめず》は仏教用語で地獄で亡者を責めいじめるという鬼。牛VS龍蛇という構図は変わらないらしい。
義経と静御前が出会ったのは「神泉苑」、空海(弘法大師)が善女龍王を呼び寄せ祈祷した場所です。
また、義経は静御前を|苧環《おだまき》の花に例えていたようです。民話・伝承の分類として|苧環型《おだまきがた》と呼ばれるものは、蛇が夜な夜な女性のもとに通う、奈良の三輪山の神婚神話がベースとなった伝承の型です。
また、糸巻きのことを|苧環《おだまき》とも呼び、糸をたよりに相手の正体を探るという説話は苧環型と言われているそう……。
まんまと手がかりを手繰り寄せるワタシは、ドコに辿り着くのか!?
うーん(@_@)
源義経と静御前は、イエスキリストとマグダラのマリアっぽいなーと思うんですよね。更なる空想が……
誰かが描いたストーリーか、全世界共通の集合的無意識なのか。

上の方角から
夏至の太陽が昇るらしい
(フォトACより)
