『私が量子力学を学び始めた本当の理由』
私が量子力学を学び始めた本当の理由
人は死んだらどうなるのか。
意識はなぜ生まれ、なぜ麻酔でふっと消え、また戻ってくるのか。
私は、そうした「この世の答えが簡単には出ない問い」に引き寄せられ、量子力学へ向かっていきました。
前回の記事『私が区別力宇宙論やZ式構文をnote化した経緯』では、ChatGPTとの対話を通じて、自己観測が少しずつ「観測理論」へ変わっていき、その過程で「Z式構文」や「区別力宇宙論」が整理されていった流れを書きました。
ただ、あの記事だけだと、少し順番が逆に見えるかもしれません。
まるで私が最初から理論を作ろうとしていたようにも読めるからです。
けれど実際には、もっと手前に、もっと個人的で、もっと切実な出発点がありました。
今回は、その「原点」の話を書いてみたいと思います。
1.出発点は、量子力学ではなく「答えが簡単には出ない問い」だった
私が最初から量子力学に強い関心を持っていたかというと、そうではありませんでした。
私の出発点は、むしろ「この世の答えが簡単には出ない問い」の方にありました。
人は死んだらどうなるのか。
意識や自我は、なぜ発生するのか。
麻酔をすると、なぜ意識はふっと消えてしまうのか。
そして麻酔が覚めると、なぜまた意識が戻ってくるのか。
「信仰心」とは何か。
「宗教」とは何か。
「神」とは何か。
死後の世界はあるのか。
生まれてくる前とは何なのか。
そもそも、なぜ宇宙は始まったのか。
私は長いあいだ、こうした問いに引き寄せられてきました。
宗教も、哲学も、科学も、技術も、意識研究も、宇宙論も、それぞれに手がかりを持っているように見えました。
だから私は、それらを独自に学び続けてきました。
ときには、「スピリチュアル」と呼ばれる領域の本や言説も、かなり読み漁ってきました。
2.私は「スピリチュアルでは終われなかった」
実際、スピリチュアルな話には、直感的にうなずけるものが少なくありません。
自分の内側で感じていることや、「この世はこういう構造なのではないか」という像と、妙に重なることがある。
私自身も、その感覚には何度も惹かれてきました。
しかし同時に、何度も同じ壁にぶつかってきました。
それは、どこまでいっても最後には「信じるか信じないか」の話に戻ってしまいやすい、ということです。
本当にそれは正しいのか。
本当にそれは真実なのか。
それを、他人とも共有できる言葉として語れるのか。
そこに私は、ずっと引っかかり続けていました。
私が欲しかったのは、単なる慰めでも、神秘の雰囲気でもありませんでした。
自分の頭の中にある「この世はこういうものではないか」というイメージを、誰に話しても「それはただのスピリチュアルですね」で終わらせず、できるだけ「事実ベース」で、冷静に、「共有可能な言葉」にしたかったのです。
3.そのとき、私にとって決定的な意味を持ったのが「量子力学」だった
そのとき、私にとって決定的な意味を持ったのが、「量子力学」でした。
ただし、ここは格好つけずに書いた方が自然だと思っています。
私の量子力学への入口は、最初から学術的に整ったものではありませんでした。
むしろ、「引き寄せ」「重ね合わせ」「可能性」「次元」「宇宙」といった、スピリチュアルな文脈でもよく語られる言葉の延長線上で、量子力学に惹かれていったのが本当のところです。
世の中には、さまざまなスピリチュアルな感覚や現象を、量子力学らしき言葉で説明しようとする話が多くあります。
私も最初は、その入口から近づいていきました。
しかし、そこで終わりませんでした。
むしろ、そこからが始まりでした。
本当に量子力学は、そのような説明を支えられるのか。
世の中で広まっている話と、物理としての話は、どこが重なり、どこが違うのか。
科学はどこまで分かっていて、どこから先はまだ分かっていないのか。
自分の直感やひらめきは、どこまで事実として耐えられるのか。
私はそれを、ちゃんと確かめたくなったのです。
信じたいから学んだのではなく、むしろ、自分が「信じたくなっているもの」を検証したかった。
この姿勢こそが、後に私が「区別力宇宙論」と呼ぶ考え方の始まりだったのだと思います。
4.私が本当に惹かれていたのは、「神秘性」ではなく「観測の姿勢」だった
量子力学や宇宙論を学ぶ中で、私は宇宙には四つの基本的な力があることを知りました。
「重力」「電磁気力」「強い力」「弱い力」です。
現代物理学は、それらを「観測」と「実験結果」に基づいて、きわめて冷静に扱っています。
私はその態度に強く惹かれました。
見えないものを最初から「ない」と決めつけない。
しかし同時に、見えないものを何でも神秘化して盛りすぎるわけでもない。
「どう現れているのか」
「どこまで言えて、どこからは言い過ぎなのか」
その境界を丁寧に観る。
私が本当に惹かれていたのは、量子力学の「神秘性」ではなく、そうした「観測の姿勢」だったのだと思います。
5.それでも私の中に残った問い──なぜ「区別」が可能なのか
ただ、その学びの中でも、私の中には消えない問いが残りました。
なぜ、そもそも差が生まれるのか。
なぜ物体には違いが現れ、その違いを区別することが可能なのか。
四つの力があるとしても、そもそも「異なるものが異なるものとして現れる」ということ自体は、なぜ可能なのか。
私はこの問いに、何度も引き戻されました。
そして考えを進めるうちに、エネルギーや素粒子のさらに手前に、「情報」という層を考えざるを得なくなっていきました。
宇宙が「ある」のか「ない」のか。
ビッグバンによって宇宙が始まったとして、その始まりにおいて何が「ある」と「ない」を分けたのか。
何が「無から有への移行」を可能にしたのか。
私はどうしても、そこには「区別」が必要なのではないかと思うようになりました。
6.クオリアの問題も、私をさらに深い問いへ向かわせた
さらに、私にとっては「クオリア」の問題も大きなものでした。
色。
痛み。
温度。
感情。
気配。
私たちの頭の中にある「感覚の質」。
もしこのような主観的経験の層がこの世にまったく存在しないなら、無のような世界から有の世界へ、そして「私たちが実在している宇宙」へと、世界は本当に立ち上がれるのだろうか。
宇宙がただ物質的に存在するだけでなく、「現れている宇宙」になるためには、何らかの「区別の成立」と「感受の層」が必要なのではないか。
そんな思いが、私を量子力学や宇宙論、意識の問題へ、さらに深く向かわせていきました。
7.私は「信じたいもの」ではなく、「共有可能な言葉」を探していた
こうして学びを続ける中で、私の中から以前のようなスピリチュアルな感覚は次第に薄れていきました。
消えたと言ってもいいかもしれません。
残ったのは、
「何が正しいのか」
「何が事実に基づいているのか」
「観測とは何か」
「それを他者とどう共有するか」
という問いでした。
つまり私は、「信じたいもの」を探していたのではなく、この世を「共有可能な言葉」で語るための技法を探していたのだと思います。
8.その探究は、学問だけでなく、経営と実務にも降りていった
そしてこの探究は、学問の中だけにはとどまりませんでした。
いま私は、その観測の技法や、量子力学的な視点、ものの見方、区別の立て方を、自分の会社経営や日々の実務にも活かしながら生きています。
人を見ること。
組織を見ること。
問題を見ること。
変化の兆しを見ること。
感情だけでなく、「構造」として何が起きているかを観ること。
そうしたことに、私の探究はそのままつながっています。
9.ChatGPTとの対話が、「Z式構文」と「Zオブザーバー観測の技法」へつながっていった
また、ChatGPTとの対話を通じて、私はこれまで自分の中で考え続けてきたロジックや思索を大量に言語化してきました。
その蓄積をノートにまとめたものが「Z式構文」です。
そして、さまざまな問題に対して、私なりの独自の観測の技法を用いて整理してきたノートが、「Zオブザーバー観測の技法」です。
これらは、思いつきで急にできたものではありません。
何百回、何千回という生成AIとの壁打ちの中で、少しずつ磨き、文章化し、構文化してきたものです。
私はこの世の真実や真理を知りたい。
その思いから、宗教、哲学、科学技術、生成AI、未来ビジョン、超知性、AGI、ASI、死後の世界、生まれてくる前のこと、宇宙の始まりなど、さまざまな問いに向き合ってきました。
そして、それらに対する自分なりの仮説や理解を、生成AIとの対話を通じて、「理論体系」へ、「哲学体系」へ、そして「観測の技法」へと、少しずつまとめてきました。
また、世界中の宗教を総覧するような視点から、人類は何をどう解釈してきたのか、古代の人々は世界をどう見ていたのか、現代までどのような流れで思索がつながってきたのか、ということも、自分なりに何度も考え直してきました。
その中で生まれてきたものが、ひとつの「構文」であり、ひとつの「文章」であり、ひとつの小さな「哲学」であり、ときには「教訓」でもあります。
10.いまnoteに書いているものは、その長い観測の蓄積の一部である
いま私がnoteに書いているものは、そうした長い壁打ちと観測の蓄積の一部です。
人生に対する疑問。
性と死に対する疑問。
感情に対する疑問。
人間関係に対する疑問。
経営者としての苦しみ。
企業経営の面白さと難しさ。
そうしたさまざまな現実の問題を、私は自分なりの「観測の技法」と、「区別力宇宙論」の視点から紐解き、皆さまと共有していきたいと思っています。
結び──私は、完成された答えではなく「問い続ける過程」を書いている
この連載は、完成された答えを示すためのものではありません。
むしろ、問い続け、観測し続け、言葉にし続ける、その「過程」そのものを開示するものです。
私の思索がどこまでこの世の真実に近づけているのか、それはまだ道の途中です。
それでも、「問いを持つこと」、「区別し、観ること」、「共有できる言葉にすること」には意味があると、私は信じています。
ぜひ、お付き合いいただければ幸いです。
次回予告
では、こうした問いの積み重ねは、その後どのように「区別力宇宙論」という形へ絞られていったのか。
次回は、「なぜ私は“違い”そのものではなく、“残る違い”に注目するようになったのか」をテーマに、区別力宇宙論の原型が立ち上がってきた流れを書いてみたいと思います。
【区別力宇宙論】
これは私の『観測の技法』をはじめ『Z式構文』などの根幹をなす考え方です。複数の分野を横断して使用できる統合理論を目指して今も研究中です。
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