「人間関係が理由です」という言葉が、いちばん何も語っていない
「人間関係が理由で、辞めようと思っています」
人事の仕事をしていると、この言葉を聞かない月は、たぶんない。
新卒も、中途も、20代も、30代も、立場や年齢を問わず、この言葉は、静かに、でも確実に口からこぼれ落ちる。
ただ、何度聞いても、僕はこの言葉をそのまま受け取れない。
人間関係。
あまりにも便利で、あまりにも曖昧で、あまりにも多くのものを一括りにしてしまう言葉だと思っている。
たとえば、面談の場でこう聞く。
「人間関係、というのは、具体的にはどんなことですか?」
すると、少し間があく。
相手は考えているようで、実は考えあぐねていることが多い。
「えっと……」
「なんというか……」
「雰囲気が……」
この時点で、もうひとつの事実が浮かび上がってくる。
——本人も、まだ整理できていないのだ。
人間関係が悪い、という言葉の中には、実にいろいろなものが混ざっている。
たとえば、「誰と誰の関係なのか」。
上司との関係なのか、同僚なのか、部下なのか。
あるいは、特定の誰かではなく、場そのものなのか。
次に、「何が起きているのか」。
怒鳴られるのか。
無視されるのか。
期待されないのか。
過剰に期待されるのか。
正解が示されないのか。
正解しか許されないのか。
さらに、「いつからなのか」。
入社直後からなのか。
異動してからなのか。
評価が下がってからなのか。
自分のミスがきっかけなのか。
それとも、何も起きていないようで、少しずつ積み重なってきたものなのか。
人間関係、という言葉は、こうした問いをすべて省略してしまう。
省略されたまま話が進むと、課題も、打ち手も、全部ぼやける。
結果として、「人間関係が悪いから仕方ない」という、どうにも動かしようのない結論だけが残る。
でも、現実は、そんなに単純じゃない。
ある若手社員は、こう言った。
「別に、誰かと喧嘩してるわけじゃないんです」
「むしろ、みんな優しいですし」
「ただ……」
その「ただ」の後が、なかなか出てこない。
しばらく待っていると、ようやく言葉が続いた。
「何を基準に評価されているのかが、よくわからなくて」
「相談しても、『まあ、頑張って』で終わってしまって」
「自分がここにいていいのか、だんだんわからなくなってきました」
これは、人間関係だろうか。
確かに、人と人との間で起きていることではある。
でも、本質は少し違う。
これは、「関係性の問題」というより、「構造の問題」だ。
評価の基準が見えない。
期待の言語化がない。
フィードバックが抽象的。
その状態が続くと、人は、自分で自分を疑い始める。
そして、その違和感をまとめて「人間関係」と呼ぶ。
別の人は、こう言った。
「上司は、悪い人じゃないんです」
「仕事もできるし、尊敬している部分もあります」
「でも……」
また、間があく。
「話しかけるタイミングが、いつも難しくて」
「忙しそうで」
「質問すると、申し訳ない気がして」
これも、人間関係だろうか。
いや、これは「距離感」と「役割」の問題だ。
上司が忙しいこと自体は、悪ではない。
でも、「今は話しかけていいのか」「どこまで聞いていいのか」がわからない状態は、部下を萎縮させる。
萎縮が続くと、相談は減る。
相談が減ると、孤立感が増す。
そして最後に、「人間関係がしんどい」という言葉に変換される。
人間関係、という言葉は、こうして翻訳結果として使われることが多い。
本人の中にある、
・評価への不安
・期待の不透明さ
・役割の曖昧さ
・心理的な距離
・相談できなかった経験
そうしたものを、ひとつずつ言葉にするのは、実はかなり難しい。
だから、人は、ひとまとめにする。
「人間関係です」
便利で、角が立たなくて、誰も傷つけない言い方。
でも同時に、何も特定しない言い方でもある。
だからこそ、人事の立場では、この言葉をそのまま鵜呑みにしない。
「人間関係」という言葉が出てきたら、それはスタート地点だと思っている。
そこから、丁寧に分解していく。
誰との関係なのか。
どんな場面で苦しくなるのか。
何が起きたとき、一番しんどかったのか。
逆に、少し楽だった瞬間はあったのか。
この問いを重ねていくと、不思議なことが起きる。
最初は「人間関係が悪い」と言っていた人が、途中からこう言い出すことがある。
「……あ、これ、人じゃないですね」
「制度かもしれないです」
「期待の出し方かもしれません」
「自分の捉え方も、少しズレてたかもしれません」
この瞬間、ようやく課題が輪郭を持ち始める。
人間関係、という言葉の裏には、ほとんどの場合、「調整されていない何か」がある。
関係性が悪いのではなく、関係性を支える前提が、整っていない。
だから、
「人間関係を良くしよう」
「コミュニケーションを増やそう」
そういうスローガンだけでは、問題は解けない。
むしろ、的外れになることすらある。
必要なのは、
・期待を言葉にすること
・評価の基準を共有すること
・役割と責任を明確にすること
・相談していい空気を設計すること
それらが整った結果として、人間関係は「後から」安定する。
逆は、ほとんどない。
だから僕は、「人間関係が理由で辞めたい」と聞くたびに、その言葉の奥にある、まだ言語化されていない違和感に耳を澄ます。
人間関係、という言葉は、答えじゃない。
それは、問いの入口にすぎない。
そして、その問いを分解できない組織ほど、同じ理由で、人が静かに離れていく。
何も解決されないまま。
この話を書きながら、ふと、家での光景を思い出していた。
朝陽(あさひ)が、少し不機嫌そうな顔で学校から帰ってきた日がある。
ランドセルを置いて、何も言わずに部屋に入っていった。
「どうしたの?」
そう聞くと、しばらくして、こう返ってきた。
「……友だち」
それ以上は、続かない。
大人だったら、ここでこう言うかもしれない。
「人間関係、大変だよね」
でも、それで終わらせたくなかった。
だから、少し時間を置いて、改めて聞いた。
「その友だちと、何があったの?」
最初は、曖昧な答えしか返ってこない。
「なんか」
「いやだった」
「モヤっとした」
まさに、「人間関係」という言葉と同じだと思った。
そこで、ゆっくり聞く。
何を言われたのか。
どんな場面だったのか。
そのとき、どう思ったのか。
本当は、どうしてほしかったのか。
そうやって一つずつ聞いていくと、朝陽の言葉は、少しずつ具体的になっていった。
「勝手に決められたのが、いやだった」
「ちゃんと話したかった」
「でも、言えなかった」
ああ、これは「人間関係」じゃない。
「決め方」の話だ。
「気持ちの扱われ方」の話だ。
「声を出していいかどうか」の話だ。
もし、あのとき「人間関係って難しいよね」で終わらせていたら、朝陽はきっと、自分の違和感を分解できないままだったと思う。
それはきっと、大人になっても同じだ。
「人間関係が理由です」
その言葉を使う前に、その中身を、誰かと一緒にほどいてもらえるかどうか。
それだけで、人は救われる。
人事でも、組織でも、家庭でも、やっていることは、実は同じなのかもしれない。
人間関係、という言葉で片づけず、その奥にある「本当の問い」に、一緒に向き合うこと。
それができる大人でありたい。
パパとしても、人事としても。
#湯鶴の物語
#人間関係
#早期離職
#若手育成
#組織づくり
#人事の視点
#対話の重要性
#評価と期待
#キャリアの悩み
#パパとしての話
湯鶴の裏方より
スキを押してくださった方へ、湯鶴の言葉をひとつ、おみくじと共にお送りします。
たまたま出会ったようで、どこかで必要としていたかもしれないひとことを、そっと手渡せたらと思っています。
▼おみくじをつくった背景については、こちらにまとめました。
人と向き合う仕事のなかで感じた葛藤、気づき、あたたかさ——。そんな日々を綴った有料マガジン『人事としての湯鶴 —— 組織の中で、人を見つめる日々』があります。
採用、評価、育成、退職——組織のなかにある“決断の裏側”と、“目の前の一人”との対話を、物語として丁寧に描いています。
※1本ずつ(100円)でも読めますが、マガジン購読でまとまって読むのがおすすめです。
▼マガジンはこちら
▼前回の無料物語はこちら
