自分がなぜ回避型なのかがわからないから自分なりに考えてみた
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「回避型」という言葉を知った時、すごくほっとした。やっと自分に名前がついたって感じで。だから、自分の取り扱い説明書だと思って本を購入して、たくさん調べて回避型については理解できた。でも同時に「なんで私が?」って疑問も湧いてきた。
家庭環境は悪くない。両親もいるし弟とも仲いいし、親戚関係も普通。だから私は、いわゆる回避型の特徴に出てくる毒親育ちとかそういうのじゃないはず。
友達や職場では普通にやっていけるのに、私の場合、恋愛になると急に「何考えてるかわからない」とか「釣った魚に餌をやらない」とか言われる。挙句の果てには「チャラい」とか「メンヘラ製造機」なんて呼ばれたこともある。
アラサーになって、ようやく回避型を克服しつつある今だから、過去を振り返って自分なりに考えてみた。
回避型の心の中が気になる方はこちらもみてください。
中学生の時の決定的な出来事
思い返すと、回避のスイッチが入った最初の記憶は中学生の頃。
回避型とはいえ、私は自他共に認める一途だ。まあ、結果最後は自分が関係を壊してしまうから意味ないじゃん。といわれればそれまでだけど。
そんな私は、小学生時代からずっと好きだった人と、ついに両想いになった。相手から告白されて、ボディタッチとかスキンシップが増えて。
その瞬間、なぜか「怖い」って思った。視線を逸らして、体がこわばって。その後は典型的なパターン。返信遅らせて、そっけなくして、会う回数減らして。相手が「なんかした?」って不安になると、嫌いじゃないのに「嫌いになった」って嘘ついて振ってしまった。
結果、絶縁。正直、この時の彼とだけはいまだに会えない。運命の人は2人いるとかよくいうけど、間違いなく1人はこの人だと思うほど、絶縁してからも偶然が重なることが多い彼に、成人してからたまたま交差点ですれ違って声掛けられた時は、「成人式で話したかったんだけど、見かけなかったから」って言われた。「ごめん」としかいえなくて、あまりにも気まずすぎる空気だったからそれだけ話して別れたんだけど。
それくらいに子供ながら真剣に恋愛していたつもりだったし、私の小学生時代も中学時代も彼だけだった。担任にも応援してもらってたし、大切にしてもらってたと今でも思うし、相手の親にも気に入られてた。ほんとに好きだったんだけどなあ。
大人になっても変わらないパターン
大人になっても恋愛のパターンは同じだった。
出会って、いい感じになって、付き合って、でも連絡頻度とか会う回数が多くなると萎える。相手の気持ちが大きくなればなるほど冷めていく。で、こっちが頻度落とすから相手は不安になって束縛気味になって、最終的に限界で別れる。
逆に私が追いかける側の時は、気持ちが大きすぎて相手が引いちゃう。そうすると相手になめられて、浮気疑惑みたいなことになったりして、不信感で終わる。
引き金になるのは決まって「毎日会いたい」とか「急に泊まりたい」みたいな、距離を縮めようとするサイン。その瞬間、未読無視したり距離置いたりしちゃう。相手が素直になる瞬間ほど、なぜか「別に」ってそっけなくなる自分がいた。
家での疎外感
でも、なんで?家族仲は悪くないのに。
でもよく考えてみると、家ではずっと疎外感を感じてた。甘えたい時は「今は忙しい」「いや」って言われることが多かったし、学校であった出来事を話すと、聞いているようでリアクションは、上の空。露骨に興味のない態度をされる。怒ったり悲しんだりすると「ちょっと黙って」とか「めんどくさい」「もういいから」って言われて、最終的に無視される。
喜びとか楽しさは歓迎されるけど、ネガティブな感情はあんまり受け入れてもらえなかった。
「私たちの子供じゃないみたいによくしゃべる」とか「うちの子は〇〇だから」と目の前で否定的なことを言われることも多かった。何をしても怒られている感覚があって、年を重ねるにつれて実家は居心地の悪い場所になってた。親の私に対する口癖が「うるさい」だったのも、今思えば影響してたかも。
中学生ごろから、特に夢はないけど18歳になったら都会で1人暮らしするってことだけは決めてた。家族はすきだけど、長時間は一緒にいれない。家にいると自分らしくいられない感覚があったんだと思う。
なんで回避型になったのか
私にとって「親密になる」ことは「安全が脅かされる」ことだったんじゃないかな。近づけば否定される、感情を出せば面倒がられる、甘えれば拒否される。そんな経験が積み重なって、恋愛で距離が縮まりそうになると反射的に逃げる癖がついたんだなと。
でも逆に、尊重しあえる人や干渉しない関係、似た価値観の人とは長く付き合えてる。友達関係は長く続くのも、恋愛ほど密着度が高くないからかもしれない。
少しずつ変わってきた
そんな私は自分を変えてくれる人に出会えた。私たちは遠距離で、連絡は毎日2、3通、たまに電話くらいの距離感から始まった。いつものように逃げても「すぐ壁作るんだから」「そんなんで冷めないよ」って受け入れてくれる。連絡催促しないし、素直に伝えてくれるし、肯定してくれる。
まだ完全に治ったわけじゃないけど、「逃げても大丈夫」っていう安心感が、少しずつ回避のスイッチを和らげてくれてる気がする。
今回は、私の回避行動がマシになった理由をがまとめてみた。まずは、回避型を代表して謝りたい。私たちは、安定型の人からしたら最高に意味わかんなくて、めんどくて身勝手で、最悪トラウマにさせちゃうことだってある。最低でごめんなさい。でも、そんな私たちを受け入れてくれる人だっている。
彼の行動がすべての回避型の克服に繋がるになるなんて無責任なことは言わないけど、なにか役に立つことがあるのかも。回避型のパートナーを持つ人になにか少しでもヒントに繋がりますように。
回避型になった理由は人それぞれだと思う。私の場合は「親密さ=否定される」っていうのが無意識にすり込まれていたからだったけど、きっと他にもいろんなパターンがある。
でも共通してるのは、私たちはただ自分を守ろうとしてるだけってこと。相手を傷つけたくて逃げてるわけじゃない。
むしろ本気で大好きでだからこそ、嫌いになりたくないから嫌いになる前に距離を取る。
だからって無視は違うんじゃない?とか言われそうだけど。そこは本当に弱くてごめんなさいって素直に言いたい。
いずれ傷つけてしまうから「恋愛」は怖いものだと思っていた私に、離れないからゆっくりでいいよという安心感を与えてくれた人に出会えたおかげで、こんな私でも回避型を克服しつつある。
これからどうなるかなんてだれもわかんないけれど、彼に出会えて少し自分を好きになれた気がしている。だから、彼とは、最悪バッドエンドを迎えても、私にとって、一生大切な存在として、心に居続けるんだろうななんて思っている。それくらい私にとって大切なことを教えてくれた存在なのは紛れもない事実だ。
私のノートが誰かの目に止まってこれがだれかの苦しみによりそうヒントになれたらな。
回避型の私が自分を知るために読んだ本
回避型という存在を知ったものの、インターネット上の情報では「なぜ自分が回避型になったのか」ずっと言語化できずにいました。でも、この本を読んで、過去の自分があるから今の自分がいるんだなって実感して、読みながら自然と涙があふれてきました。すべてが該当するわけではないけれど、少なくとも私が私を理解するための道標になりましたし、救われました。
回避型に悩む人も回避型の人と向き合う人にも読んでほしい1冊です。
生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害 (朝日新書570)
