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7月の読書予定と6月の反省会議

さて、7月ですね。
7月の読書予定と6月の反省を。

6月の読書予定は、

ナボコフ『ナボコフの文学講義』
カルヴィーノ『なぜ古典を読むのか』
日本の古典を読む

というものでした。
ナボコフについては記事を書いて、一応の達成ということになります。

カルヴィーノは読んでいる途中ですが、エッセイのようなもので、逆に何でも飛躍させて考えられるから、むしろ読んでも読まなくてもいいような気がしています。

日本古典は『雨月物語』を読んで、日本のものの密度や内容を読み取るというより、描写がしたくなるような気分にさせられて、note とは関係なく個人的に書き始めたりして読み進んでいません。

内容は知っているので原文で読んで、リズムを夏の虫みたいにたまにちゅーちゅー吸う感覚で読んだりチラ見したりで、結構それでも満足です。

私としては6月の読書予定は達成した気分ですね。


カルヴィーノのこの本を読んでいると、クルティウス『読書日記』を思い出します。
なんとなく、『読書日記』は『なぜ古典を読むのか』の先輩のような気がして、やっぱりパイセンを先に読むのが筋というような、よくわからん感覚になるんですよね。
要するに、オーソドックスな知識やその界隈の慣習で語るという手筋を見せられた時に、何処まで遡るのかという問題かもしれませんね。

『読書日記』は教養主義的な読書文化に親しんだ人々のあいだで繰り返し名前が挙がる本だったのでしょうか。クルティウス自身はむしろヨーロッパ文学とラテン中世方面の文学史・比較文学の古典となっている?
結構、名前を聞く気がします。

私も読んだり読まなかったりで、結局は『なぜ古典を読むのか』と似たような感想で、読んでも読まなくてもいいけど、読めるなら読んだほうがいいよなぁ、という感想が沸いて、その日の気分で読んだり止めたりする本になっています。

この文章もどうでもいいでしょう。
でも、オーソドックスってそういうことでもある気がします。


note でも何度か書いたかもしれませんが、「学ぶ」という姿勢はスタイルや既存のやり方をなぞる部分があり、それが積み重なっていることが集団的に承認されるという働きによって保障されているんですよね。
学校で教えられたようなやり方で勉強がしたくなる。勉強という形式を疑わなくなっている。
私たちはそれをしたくなるんですね。

でも、はっと思ったときに、それに何の意味があるんだろう、と考えることもあって、考えてしまうと終わりですね。
問いを訴求するという無限回廊に入るからではなく、その問い立てが約束事の外に出てしまうからです。

厄介なのはそれがわかっていても、勉強という形式があまりに楽だから、それに戻りたくなるということでしょうか。
私もついつい積み立て形式の知識を身に着けて、その根拠をもとに語りたくなるし、それをしている気分の良さを味わいたくなります。
何かを学びたい、学びの形式に埋もれてしまいたいような気分によくなります。

その形式が、『読書日記』や『なぜ古典を読むのか』など、いやいや、様々な本もその形式で読んでいる部分が多分にあるのでしょう。



長くなりましたが、7月はどうしましょうか。

一応
クルティウス『読書日記』
カルヴィーノ『なぜ古典を読むのか』

を念頭に置きながら、久しぶりに哲学書でも読んでみたらいいのでしょうか。
哲学を読むとまた愚痴になりそうだから止めたほうがいいのか。

うーん。
加藤周一『日本文学史序説 上』が目の前にあります。
これもなぁ、西洋的な頭で日本文学を分類している感じがあるから、、、でも学的に語るということがそういう形式で、やっぱり勉強的な頭で理解している人たちの話になってしまう。
実情以上に学的形式の約束事への参加が要求されているのでしょうか。


ああ、岡本かの子でも読もうかな。
全集が1~12巻まで揃えてあって読んでいない。少しは手を付けようか。
私の中では、短編に力を発揮した女性版谷崎みたいなイメージは少しあります。
仏教色を入れて、死生観や芸術を語りながら、鏡花の感じも少しあるのか。
そういうことをしたい人は多くいたでしょうけれど、それができた人は少なかった。岡本かの子はできた人だったんでしょう。ちゃんと自分なりの世界を作った人ですね。

それから、『今昔物語集』でも読もうかな。
変な話を読んでみたらいいでしょうか。


なんとなく流れで書いて、理解の形式からの離脱を意識させられたので、そういう方面とは別のものを読んでみたいと思います。
そういう気分が断片的に味わいたかったり、読書欲を刺激されたくなったら、『読書日記』『なぜ古典を読むのか』など読んで、飽きたら岡本かの子、それから隙間時間で『今昔物語集』ですかね。

つまりは暑い季節が続くから、集中が切れてもいいように、細切れに何かを少しずつ読んでみます。

何か一冊や数冊に集中するというよりも、季節や環境に合わせて読むということを考え始めると、本読みとして成熟したような気分にさせられて、その感覚を気持ちよく読むときに、私はやっぱり学的な形式の気持ちよさと似たものを味わっているのでしょうか。

違うと思いたいから、今は違うことにしておきます。


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