5月の読書予定 4月の反省会議
5月の読書予定を立てたい。
以前、4月の読書予定ということを書いて、毎月のことだが予定通りには全然読めなかった。
4月に立てた読書予定は
① ニーチェ『道徳の系譜』
② ミステリを読む足場を作る
③ 源氏の宇治十帖
④ 娯楽作品や多くの人が読んでいるものを読む
というものだった。
①、②は一応やった。
ニーチェは読んで、やはり絶対性というような論理にとらわれて、自分が否定しているものに依存している構造を思わせるものだった。幼児がおもちゃを買ってもらう正当性を訴えているように思えてきた。
哲学は、というかまあ、論理というものはそういう側面とほとんど切り離せない。
ミステリはまだ一冊という単位では読んでいないけれど、一応ランキングを作って足場はできたと思う。これから読んでいくつもり。
③の宇治十帖は読んでいないけれど、代わりに『蜻蛉日記』を読んで悪くなかった。
④の人気作はなかなか読めない。性根を入れ替えないと今の文学というようなものはちょっと読みづらい。少しずつ体を慣らしていきたいとは思う。
とにかく、5月はどうしようか。
昨日、家にある積読本を数えたら、xにも書いたが6104冊あった。
数え逃しが目の前に37冊あるから、全部で6141冊の積読本がある。
正直自分でもドン引きだ……。
2冊買ってしまった本も80冊以上あるから、本の冊数ということでいうと6200以上。もう数の話は聞きたくない。
それで、まあ、家にある本を積極的に読んでいくことになる。
今ぱっと気になっているのは、山本七平、山口昌男、柳田國男など。
これらは読もう読もうと思って、ずーーーっと放置してある。
読みたい本というより、放置したという事実が読ませようとしてくる。
放置ということで言ったら、6000冊くらいが放置してあるのだけれど、とにかく、山口くらいから読んでいこうか。
山口昌男といえば、私は大江健三郎が思い浮かんで、大江が小説の行き詰まりを山口を読んでロシアフォルマリズムを知ることで乗り越えたような記憶がある。
大江の言葉で読んだような。。。
しかしまあ、私は作家が政治的であることは好まない。
今、批評・理論の歴史を書いているのだけれど、それを作っていて思うのは、結局人間は政治的な立ち位置でものを言ってばかりだ。
実際の政治という以上に、ある立場が言えないことや言ってはいけないことを作り出す。または同時に堂々と言ってもいいことを作り出す。それらが出来上がると、あまりに自然にそれを言ってしまう人間が出来上がってくる。
それへの抵抗としてまた新しい立場が望まれるのだけれど、その立場がまた同じ構造の再生産で、それをやめるということも、動き始めたものへの抵抗といういつものやり口で、政治になっている。
作家はこれに加担しないほうがいいだろう。
何かを言うということは、政治性を避けられないと言ってしまえばそれまでだけれども、それにどっぶりつかる必要はない。目が曇ってしまう。
いい作品ができることはあっても、受け入れられることはあっても、それは政治的に読まれていることで、受け入れられるものになる。
大江は私にとってはそういう作家になる。
私にも政治的な意見はあるけれど、それをすることで面倒なことになるという面からではなく、自分の視点や位置がおかしくなってズレていくということで人前では発言しない場合が多い。
結局は、どういう人間なのかということを読んでいる。
視点が最初から方向づけられているものを好まない。そういう人も好まないのかもしれない。
そうなってくると、本という単位、一冊という括り方で私は本を読めないのかもしれない。
ある本の10ページと、ほかの本の90ページ、昨日食べたアイスの味、それからその日の天気や、悲しい思い出。それらを繋ぎ合わせて、または並べて眺めて、自分だけの一冊を作り出してもいいのだ。人にモザイクに見えても自分にそう思えないような読書がある。
作者が閉じたその閉じ方が成功している保証はない。
むしろ、何かを形作るということは必然的な失敗をこそ見せつけてくる。
そう見えない時には、立ち止まったほうがいい。本という実物が完結してるのではなく、作家の力量が統合的な着地を達成しているのでもなく、本に対する私たちのイメージが本を閉じている。自分の政治性を見つける機会かもしれない。
読書予定を書いて、本という単位を語れないことは致命的だけれども、複数の本や記憶に気分をつなぎ合わせて一冊にする。それでいい気がしている。
ということで、大江つながりだとちょっと怪しい山口昌男だけれど読んでみる。
私の予測では、大江は山口を自分の読みに引き寄せ過ぎて、強くシンパシーを感じていただけだと思われる。ちゃんと読めば山口は偏っていないかもしれない。
それから何を読もうか。
柳田を読めばいいようなものだけれど、柳田を読むとなると折口信夫も読むことになる。折口を読むと結局古典を読むことになるし、私は折口の学術的な面には批判的な意見を述べなければならないところに追い込まれそうだから、結局古典原文を読むことになる。そうなると柳田はどこかへ行ってしまうなぁ。
柳田は保留か。
ミステリの自分で作ったランキングがあるから、それをいくつか読むことにする。
1位 幻の女 ウイリアム・アイリッシュ
2位 Yの悲劇 エラリイ・クイーン
3位 そして誰もいなくなった アガサ・クリスティー
4位 長いお別れ レイモンド・チャンドラー
5位 シャーロック・ホームズの冒険 アーサー・コナン・ドイル
6位 アクロイド殺し アガサ・クリスティー
7位 火刑法廷 ジョン・ディクスン・カー
8位 マルタの鷹 ダシール・ハメット
9位 八百万の死にざま ローレンス・ブロック
10位 Xの悲劇 エラリイ・クイーン
6100冊の暴力でローレンス・ブロック以外は全部手元にある。
『幻の女』、『Yの悲劇』をとりあえず読む。
まあ、こんなものだろう。
5月の読書予定は
① 山口昌男
② ウイリアム・アイリッシュ『幻の女』
③ エラリイ・クイーン『Yの悲劇』
④ その場の思い付きで
ということになった。
ダラダラ書いたけれど、今月こそは達成したい!?
ちなみにだけれど、本がありすぎる人は安いカラーボックスを両面で使うと結構便利。
本棚は壁に沿っておくのが定番というか、ほとんど避けられない配置になっている。しかし、そうではなくて、部屋や廊下に仕切りのようにしておくと、本選びが気楽になるような気がしている。
これは机の配置でも思う。
机が壁に向かっておかれて、壁と向き合ってものを考えたりするのと、机が部屋の真ん中などにあって、前にスペースがあるのとでは思考の広がり方が違う気がしている。
大きくて立派な本棚がすでに壁に備え付けてあったりしたら別だけれども、そうもいかないだろうから、本がありすぎる人は安いカラーボックスを買ってきて裏表にそれぞれ本を置くといいかもしれない。
眺めるのにも取り出すにも便利だと思う。まあ格好よくはないけど。

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