【読書記録】ジェネレーター 学びと活動の生成
今回は、2022年3月に出版された市川力・井庭 崇著『ジェネレーター 学びと活動の生成』(学事出版)の読書記録をまとめました。

「ジェネレーター」とは、創造的な学びに関する探究を教育現場での実体験も通じて行ってきた著者2人によって提唱された概念であり、「創造的コラボレーションの担い手」であり、「場に一緒に参加して盛り上がりをつくる人」と称されます。
「ファシリテーター」とも並び称されるこの「ジェネレーター」という概念・あり方に関して私自身も以前から関心があったものの、なかなか深める機会が得られませんでした。
そうした中、2023年に本書を用いた連続ABD読書会(アクティブ・ブック・ダイアローグ®︎)が開催されたことをきっかけに、ようやくその探究を始めることができました。
今回は、この「ジェネレーター」という概念・あり方について、私自身がこれまで探究を続けてきたテーマをいくつか参照して深掘りしつつ、現時点での理解についてまとめていければと思います。
ジェネレーターとは?
ジェネレーターの誕生
本書中で用いられる『ジェネレーター(Generator)』とは、一般社団法人みつかる+わかる代表理事であり東京コミュニティスクール初代校長である市川力さんと、慶應義塾大学総合政策学部教授の井庭崇さんによって2011年に初めて提唱された概念です。
2011年、市川さんと井庭さんは『Pedagogical Patterns for Creative Learning』という論文中において『ジェネレーティブ・パーティシパント(Generative Participant:生成的な参加者)』という言葉が初めて用いられました。
2013年、井庭さんのSFCの授業に市川さんがゲストにやってきた際、『ジェネレーター』と呼び変えてはどうかという提案がなされ、その後『ジェネレーター』と改められたと言います。
著者2名のジェネレーターに関するインタビュー等は、以下をご覧ください。
ジェネレーターはどのような存在か?
ジェネレーターとは、「創造的コラボレーションの担い手」であり、「場に一緒に参加して盛り上がりをつくる人」と称されます。
ファシリテーターの相違点として本書中で挙げられているのは、ファシリテーターが場の参加者の外側にいる人とした場合、ジェネレーターは場の参加者の1人として内側に入り、自らも活動に参加する、という点です。
ジェネレーターの誕生には、ここ100年の社会の変化と学び・教育のかたちの変遷が大きく影響しています。
井庭さんはここ100年の社会の変化を、3つの「C」というアイデアで言い表しています。
Consumption(消費):消費社会
1920年代〜、よいモノ・サービスを享受することが生活・人生の豊さを表す。物質的なモノに重点
Communication(コミュニケーション):情報社会
1990年代〜、インターネット・携帯電話の普及。リアル、オンライン問わず良い関係性、社会的(ソーシャル)な関わり
Creation(創造):創造社会
2010年前後〜、自分で何をつくっているか・つくることに関わっているか。創造的な方向へと関心が向かう時代
この時代の変遷に対応するように、必要とされる学び・教育の担い手のあり方も変化します。
消費社会においては、知識・スキルを教える/教わるという関係性を結ぶティーチャー、またはインストラクター。
情報社会においては、コミュニケーションを促す・または交通整理を行うファシリテーター。
創造社会においては、学び手のつくることによる学び・創造的な学びに参加し、一緒につくるジェネレーター。
ジェネレーターはこのような時代の趨勢の中で、また、市川・井庭両氏の実践の中からも必要な存在として現れ、広がりつつあります。
創造社会における「創造化」
創造社会の到来は、現在、さまざまな領域で確認できます。
ものづくりの民主化として、FAB(デジタル・ファブリケーション)が存在感を増し、まちづくりにおいては、住民参加型のまちづくり・地域活性・地方創生といった潮流が2010年代以降に生まれ、広がりつつあります。
2020年以降のコロナ禍によって始まった、自分たち家族の暮らし・働き方を自分たちでつくるという経験もまた、創造社会の一側面です。
これまでの常識、画一的なやり方、一般的な基準をただ受け入れるではなく、自分たちでやり方・あり方をつくるということが、創造社会では求められます。
ジェネレーターはこの創造社会において、一人ひとりの創造性を場の中で増幅・共鳴させ、創造的なコラボレーションを実現するためにもまた、必要な存在と言えるかもしれません。
ジェネレーター概念の構成要素を深掘りする
ここからは、ジェネレーター概念に含まれるさまざまな要素について、私がこれまで探究してきたテーマも参照しつつ、ジェネレーターがどういったものなのかをより立体的に浮かび上がらせていければと思います。
この章で扱うテーマとしては、「世界観の変化」「ファシリテーション」「探究」「ラーニングダイバーシティ」の4つです。
以下、順番に見ていきましょう。
世界観(パラダイム)の変化
『ジェネレーター 学びと活動の生成』(学事出版)において、ジェネレーターの出現はここ100年の社会の変化(消費社会→情報社会→創造社会)と関連づける形で説明されています。
これは世界観の変化、パラダイムの変化によって学びの現場で必要とされる役割に変化が現れていること表現しており、このような世界観の変化、パラダイムの変化についてはこれまでにビジネスの世界でもさまざまな形で紹介されてきました。
元日産自動車で静岡大学大学院教授を務められていた舘岡康雄さんは、私たちのいる社会は結果を重視するリザルトパラダイム(Result Paradigm)から、過程を共有しながらイノベーションが起こるプロセスを重視するプロセスパラダイム(Process Paradigm)に移行しつつあり、その後、人々や組織の互いの振る舞いが連鎖し、未来が生成されるコーズパラダイム(Cause Paradigm)に至ると説いています。
また、2018年に出版され、日本の人事部「HRアワード2018」経営者賞を受賞した『ティール組織』もまた、パラダイムによる経営やマネジメントのあり方の変化を示した一例と言えるかもしれません。
時間軸と規模をさらに大きく取れば、17世紀から19世紀まで隆盛を誇り、産業革命を後押しした『機械論的世界観』から、20世紀以降に生まれた『全体論的・生命体的世界観』へのパラダイムシフトも見ることができます。
ある原因がある結果を生み、その連鎖によって世界が成り立っており、その価値観が人を道具的・機械的に扱うことにもつながった『機械論的世界観』から、世界に存在するさまざまな構成要素はシステムとして有機的につながっているとする『全体論的・生命体的世界観』へのパラダイムシフトが20世紀初頭の量子力学の発展を契機としてもたらされました。
いずれの世界観の変化(パラダイムシフト)も、能動と受動という関係性から双方向的な関係性へ、正解を求める部分最適化から絶え間ない実験と実践による全体の調和へ、機械的な物事の捉え方から有機的な物事の捉え方へ……などのような、ある一定の方向性が垣間見えます。
そして、この傾向は『ジェネレーター 学びと活動の生成』(学事出版)の示したここ100年の社会の変化(消費社会→情報社会→創造社会)にも共通しているように考えられます。
ファシリテーション
『ジェネレーター 学びと活動の生成』(学事出版)』ではファシリテーション、ファシリテーターという用語も扱われているため、あらためてこれらの用語についても見てみましょう。
『ファシリテーション(facilitation)』は、「促進する・容易にする」を意味する動詞・ファシリテート(facilitate)の名詞形です。
『ファシリテーションとは何か―コミュニケーション幻想を超えて』を引いてみると、ファシリテーションには以下のような定義が用いられています。
人々が集まって、やりとりをしながら共同で何かを行うときに、コミュニケーションの場を保持し、そのプロセスに働きかける取り組み・仕組み・仕掛け
一般的には、参加型・体験型のワークショップの進行役がファシリテーターと呼ばれ、彼らが行う仕掛け・取り組みなどを指して「ファシリテーション」と称されることが多く、そのような認識をされている方も多いかと思います。
また、日本におけるファシリテーションの広がりにおいて、中野民夫さんの存在は欠かせません。
中野民夫さんが2001年に出版した『ワークショップ』は、それまでさまざまな業界・領域で実践されていたものの、体系立てて説明されていなかった参加型・体験型プログラムである『ワークショップ』、それらの担い手である『ファシリテーター』、そして『ファシリテーション』を広く日本に知らせることとなりました。
その中野民夫さんは、『ファシリテーション』について以下のように述べています。
明るい兆しが広がっている。
環境、社会、経済、どこをとっても危機だらけのこの時代に、いや危機が深刻だからこそ、なんとかしなければという人々の意識と行動が、ふつふつと湧き出してきている。
(中略)
様々な問題は複雑に絡み合い相互に関連していて、簡単な解決策などない。誰か特定のリーダーや専門家や先生が、すべてを一気に解決してくれることも残念ながらありえない。だからこそ、様々な現場を懸命に生きる私たち一人ひとりが、孤立しないで集い合い、問い合うことが、出発点になる。力を生み出していくきっかけになる。それぞれの思いや知恵を率直に出し合い、刺激し学び合う。理解を深め、共感し、新たな解決策と結びつける。 そして行動し、振り返り、改善しながら前に進み続ける。人々の参加を大事にしたこのような動きが確かに広がっている。
そして、このような場をつくり、人々の参加を促進し、対話を育み、学びや創造を容易にする技法が「ファシリテーション」なのだ。
2001年に中野民夫さんによる『ワークショップ』の出版、2003年に堀公俊さんらが発起人となって日本ファシリテーション協会(FAJ)の設立と、日本国内における現代的な形でのファシリテーションの普及・広がりは四半世紀近くの歩みが存在します。
教育の現場における「探究」
ジェネレーターとも関係が深い概念としては「探究」がありますが、ここでは「探究」についても見ていきたいと思います。
まず、文部科学省による「総合的な学習(探究)の時間」は以下のような説明がなされています。
総合的な学習(探究)の時間は、変化の激しい社会に対応して、探究的な見方・考え方を働かせ、横断的・総合的な学習を行うことを通して、よりよく課題を解決し、自己の生き方を考えていくための資質・能力を育成することを目標にしていることから、これからの時代においてますます重要な役割を果たすものである。
また、「探究的な学習における児童・生徒の学習の姿」として、文部科学省は以下の図のような一連の学習過程を示しており、課題の設定、情報の収集、整理・分析、まとめ・表現の4つのプロセスが含まれるものとしています。

学校教育の場面における「探究」は、「総合的な学習の時間」の中に位置づけられた「探究的な活動」といった表現などに遡ることができます。
2008年(平成20年)1月17日の中央教育審議会答申『幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善について』では、以下のように表現されています。
総合的な学習の時間については、その課題*2 を踏まえ、基礎的・基本的な知識・技能 の定着やこれらを活用する学習活動は、教科で行うことを前提に、体験的な学習に配慮 しつつ、教科等の枠を超えた横断的・総合的な学習、探究的な活動となるよう充実を図 る。このような学習活動は、子どもたちの思考力・判断力・表現力等をはぐくむととも に、各教科における基礎的・基本的な知識・技能の習得にも資するなど教科と一体となって子どもたちの力を伸ばすものである。
総合的な学習の時間のねらいについては、小・中・高等学校共通なものとし、子どもたちにとっての学ぶ意義や目的意識を明確にするため、日常生活における課題を発見し 解決しようとするなど、実社会や実生活とのかかわりを重視する。また、総合的な学習 の時間においては、教科等の枠を超えた横断的・総合的な学習、探究的な活動を行うことをより明確にする。
その後、学習指導要領の改訂により、2020年から小学校で、2021年から中学校で、2022年から高校での新しい学習指導要領が実施されました。
これにより、特に高校における「総合的な学習の時間」は「総合的な探究の時間」へと置き換わり、新たに6つ「探究」と名のつく科目が新設されました。新設された6つの科目とは、「古典探究」「地理探究」「日本史探究」「世界史探究」「理数探究」「理数探究基礎」です。
ラーニングダイバーシティ
文部科学省による「総合的な学習(探究)の時間」は、変化の激しい社会に対応して、探究的な見方・考え方を働かせ、横断的・総合的な学習を行うことを通して、よりよく課題を解決し、自己の生き方を考えていくための資質・能力を育成することを目標にしています。
この取り組みは、学ぶという行為にまつわる仕組みやシステム自体が時代に合わなくなってきているために打ち出された教育施策とも考えられます。
そういった背景もある中で注目を集めつつある概念が、ラーニングダイバーシティ(learning-diversity)です。

ラーニングダイバーシティ(learning-diversity)とは、learning(学び)とdiversity(多様性)を組み合わせた村中直人氏による造語であり、「学びの多様性尊重」を企図する概念です。
村中氏によると、ラーニングダイバーシティの概念には「いつ」「どこで」「誰と」「何を」「どのように」学ぶのかという5つの要素があり、これら5つの要素は学びの「機会」と「方法」の2つの多様性をいかに実現するか?という問いに集約されると言います。
さらには、そもそも学ぶことの意思決定を誰が行うのかという主体の問題や、一人ひとりの「学びの多様性」が尊重される社会や教育システムへいかに修正、構築していくか?という問いかけをも含む概念であると、村中氏は著書『ラーニングダイバーシティの夜明け―多様な学びを選択できる教育のために』(日本評論社)の中で紹介しています。
私たちはこれまで、一ヶ所に同年齢集団を集め、同一の基準や方法による画一的で標準化された一斉授業を通じて行われる教育のあり方に慣れ親しんできました。
一方で、教育におけるさまざまな課題について耳にすることも増えてきました。この点について、村中氏は以下のように述べています。
近年、教育に関連する様々な出来事が良くも悪くもダイナミックに起こっています。ざっと列挙するだけでも「不登校児童・生徒の増加と学校外教育システム構築の課題」「知的発達に遅れのない発達障害児童・生徒を含む特別支援教育の拡充と整備の問題」「科学技術×教育のEd Tech領域の技術発展と活用の問題」「今までと異なる観点からの公立学校改革イエナプランの導入など」「教員の過重労働や人数不足の問題」「大学入試システムの大規模改定」などなど、言い出すと切りがありません。
また、子どもたちの状況を見てみても、学びの諸問題が子どもたち一人ひとりの属人的問題ではなく、学ぶという行為にまつわる仕組みやシステム自体が時代に合わなくなってきていると考えられます。
本書中では特に、不登校と10代の自殺について言及されています。
日本財団は2018年末に「不登校傾向にある子どもの実態調査」を行い、全中学生の10.2%にあたる33万人が学校に馴染んでいないと見られる結果を明らかにしました。
著者はまた、2019年度版の自殺対策白書を引きつつ、10代の自殺の動機・原因のトップに「学校問題」、その中で最も多かった理由に「学業不振」があったと紹介しています。
今年2024年に発表された自殺対策白書においても、子どもの自殺が500人を超える高止まり状態であり、中高生以上になると「学校問題」が大きな動機・原因であることが述べられています。
これらのことから、既存の教育システムに馴染むことができず、時に命に関わるほどの強い不全感や心理的苦痛を抱える子どもたちが増加傾向にあることが見て取れます。
先述した教育に関して取り組むべきさまざまな課題や、既存の教育システムにおける子どもたちの葛藤も、「学びの多様性尊重」という新しい「学び」「教育」の哲学や思想に基づいた構造転換を必要としていることや、ラーニングダイバーシティがその中核的なテーマの1つとなり得ることを示唆しています。
また、ジェネレーターが「つくることによる学び・創造的な学びに参加し、学び手と一緒につくる」際には「探究」に加え、この「ラーニングダイバーシティ(学びの多様性尊重)」という、学び手一人ひとりの個性・特徴に着目する視点も非常に重要だと思われます。
ジェネレーターシップの発揮
ジェネレーターシップとは?
以上、ジェネレーターの構成要素について深掘りしてきました。
では、ジェネレーターは実際にどのような姿勢・あり方を持って学びの場づくりや創造活動に取り組むのでしょうか?
本書中においてジェネレーターは、時にティーチャー(知識を伝える必要がある場合)、ファシリテーター(問いかけと議論の交通整理の必要がある場合)としての顔を使い分けつつも、目先の成果を追わず、つら楽しく生成し続ける場をつくる存在と表現されます。
見えないなりゆきを追いかけつつ、みんなで取り組んで何か良いことを起こそう、発見を生み出そうと最大限の努力をする中で、一度の成功、一度の失敗で終わらせず、企み始めてあれこれ「生成」してここまでできたと捉え、不断の積み重ねを厭わない姿勢の大切さも本書中で述べられていました。
そして、この生成の最中では正解がわからない状況に直面することも求められます。
この、流動的かつ生成的な、気持ちの準備も整わないような状況に直面した際にジェネレーターはどのようにあるべきか?
本書中では、以下のように紹介されていました。
自分からあえてその「状況」を「引き受けよう」とする。「やりたいからやる」のではないし、「やるべきかどうか」もわからないが、とりあえず「主体的に引き受け」て、やってみるのである。このことを川喜田二郎は「絶対的受身の主体性」と言った。
ある時は引き受け、ある時は身を任せ、創造的コラボレーションをすることの積み重ねで、ジェネレーターシップを発揮できる人が育つ。教育哲学者のパウロ・フレイレは、こうした出会いこそ「引き受けた者がそうでない者に施し分け与えるようなもの」ではなく、「世界を"引き受ける"人間同士の出会い」であり、「創造の行為」だと言った。
この表現を見たときに私の脳裏に浮かんだのは、『ソース原理(Source Principle)』でした。

ステファン・メルケルバッハ『ソース原理[入門+探求ガイド]』
「ソース原理(Source Principle)」
ソース原理(Source Principle)とは、経営コンサルタント、コーチであるピーター・カーニック氏(Peter Koenig)によって提唱された、人の創造性の源泉、創造性の源泉に伴う権威と影響力、創造的なコラボレーションに関する洞察・知見の体系です。
『ソース原理(Source Principle)』は、お金に対する一人ひとりの価値観・投影(projection)ついて診断・介入できるシステムであるマネーワーク(moneywork)の発明を機に発見・体系化されました。
トム・ニクソン『Work with Source(邦題:すべては1人から始まる)』を参照すると、ソース(Source)とは、あるアイデアを実現するために、最初の個人がリスクを取り、最初の無防備な一歩を踏み出したときに自然に生まれる役割を意味しています。
また、『Work with Source』の用語解説では、『脆弱なリスクを取って、ビジョンの実現に向けて自らを投資することで、率先して行動する個人のこと』と説明されています。

トム・ニクソン『すべては1人から始まる』
ステファン・メルケルバッハ氏の書籍『A little red book about source(邦題:ソース原理[入門+探求ガイド])』においては、この役割を担うことになった人について、特に「ソース・パーソン(source person)」と呼んでおり、『あるアイデアに基づいてイニシアチブを取る人』のことを指し、イニシアチブ(を取ること)にはリスクを取ること、未知の世界に飛び込むという側面があると紹介しています。

ステファン・メルケルバッハ『ソース原理[入門+探求ガイド]』
また、この概念・哲学の中で大切にされているのは、ソース(Source)は特別な人だけがなれる役割ではなく、誰もがソース(Source)である、というものです。
アイデアを実現するために一歩踏み出すことは、社会を変えるような大きなプロジェクトの立ち上げに限りません。
自身の研究課題を決めること、就職を思い立つこと、ランチを作ること、休暇の予定を立てること、パートナーシップを築いていくこと等、日常生活の様々な場で誰しもが何かのソース(Source)として生きていることを海外のソース原理(Source Principle)実践者たちは強調しています。
This applies not only to the major initiatives that are our life’s work. Every day we start or join initiatives to meet our needs, big and small.[…]Whether it’s making a sandwich or transitioning to a zero-carbon economy, we start or join initiatives to realise ideas.
We take initiatives all the time: deciding on a particular course of study, going after a certain job, starting up a business, planning a special dinner. I can initiate a friendship or partnership, change my housing situation, make holiday plans, decide to have a child. Or I might step forward to join a project sourced by someone else.
なお、ソース(Source)は、ソース(Source)がめざしているビジョン(vision)と深く、個人的に、身体的につながっているものの、自分の活動・イニシアティブ(initiative)がどのように進むのかを正確に知ることはできません。
Think of the source as having a deep, personal, embodied connection to a future she is working towards. It could be a picture of something specific she imagines creating or changing in the world, a picture that may not be very clear yet. Or she may be sensing a potential for something new or better that might be possible – a question to answer more than a picture to paint. Often it’s something she is uniquely positioned to address. She won’t know exactly how things will go, since the future is always uncertain and many questions are too large and complex for any one person to fathom. Whatever the degree of clarity may be, I refer to all of this as her vision.
進むべき方向性が明確になるまでの待っている間、ソース(Source)の責任は聞き続けることです。これは、ソース(Source)自身の創造的なニーズに耳を傾け、自身が利用できる多くの情報源に耳を傾けることを意味します。ソース(Source)の創造的な精神は 、これらの情報を計り知れない方法で処理し、準備が整ったときに明確になります。
Patiently listen
While she’s waiting, the source’s responsibility is to continue listening. This means listening inwardly to her creative needs and outwardly to the many sources of information available to her. The source’s creative mind will be processing this information in unfathomable ways, and clarity will come when it’s ready.
この聞き続けることとは、問い続けること、とも言えるかもしれません。
私自身、ソース原理を日本に紹介してくれたトム・ニクソン氏、ステファン・メルケルバッハ氏とも交流を持ちながら探究を進めてきていたため、縁が遠かったジェネレーターとの親和性を感じられたことが、とても嬉しかったですね。
終わりに
以上、市川力・井庭 崇著『ジェネレーター 学びと活動の生成』(学事出版)の内容を読み解きつつ、「ジェネレーター」と私自身の複数の探究テーマとの共通点や通底する考え方、価値観について探ってきました。
こうしてまとめ終えてみると、「なぜ、これまで十分に深めてきていなかったのだろう?」と感じるくらい、「ジェネレーター」と私の探究テーマには重なりがあるように感じられました。
これまでの私は児童福祉、企業・NPOの組織開発・リーダーシップ開発、そして事業承継した米農家など一見、つながりの見えづらい領域で活動に取り組んできました。
その中で、『人と組織のポテンシャルを発揮するための叡智を、より多くの必要とする人や、次の世代へ伝えていくこと』という活動の目的・指針といったものも掲げてきましたが、今回扱った「ジェネレーター」という概念・あり方の探究によって、これまでのプロセスや経験が一本の線にまとまっていくような不思議な感覚が感じられました。
気づけば10000字を超える記事となりましたが、最後までご覧いただきありがとうございます。
本記事が皆さんの「ジェネレーター」に関する探究の一助となれば幸いです。
さらなる探求のための参考リンク
苫野一徳✕村中直人 『ラーニングダイバーシティの夜明け』を語る夜|日本評論社YouTubeチャンネル
「人」「関係性」から捉え直す自律分散型組織――『Moose Heads on the Table』日本版のクラウドファンディングに合わせて|山田裕嗣 / Yuji Yamada
4/21(火)〜23(木)ソース原理の真髄に触れる「マネーワーク(取り戻しワーク)実践合宿2026」

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