【読書記録】本当の勇気は「弱さ」を認めること
今回は、2013年8月に出版されたブレネー・ブラウン著『本当の勇気は「弱さ」を認めること』(サンマーク出版)の読書記録をまとめました。

本書は、ヒューストン大学ソーシャルワーク大学院(the University of Houston's Graduate College of Social Work)の教授であり、現在はテキサス大学オースティン校マコームズ経営大学院(the McCombs School of Business in the University of Texas at Austin)の客員教授も務めているブレネー・ブラウン(Brené Brown)による著作です。
本書の原著である『Daring Greatly: How the Courage to Be Vulnerable Transforms the Way We Live, Love, Parent, and Lead』は2012年に出版されており、著者曰くそれまでの過去12年の研究成果を凝縮した1冊とのことです。
著者が本書を執筆するきっかけとなったのは、1つの登壇イベントでした。
2010年6月にTEDxHoustonの講演者として招かれ、『The Power of Vulnerability(ヴァルネラビリティの力)』と題したトークを披露し、その動画がTED史上最も視聴された動画の1つとなったことです。
それまで人が感じる『恥』の感覚や『ヴァルネラビリティ(Vulnerability:不確実性、リスク、生身をさらすこと)』について研究を重ねてきた著者自身もまた、自分自身や弱さを曝け出す不安、恐れに駆られつつ上記のトークをやり遂げ、その後の反響から巡り巡って本書『本当の勇気は「弱さ」を認めること(原題:Daring Greatly)』の執筆に至ったとのことです。
本書は主題である『ヴァルネラビリティ(Vulnerability)』や『恥による傷つき』『恥からの回復』だけではなく、それを通して『人と繋がること』や基盤となる『自己肯定感』と『勇気』、『「恥」や「心の傷つき」を取り巻く社会的な文脈』といった多岐にわたるテーマを扱っています。
私自身は何年も前から本書については認知しており、何度もページをめくろうとしましたが、どうにも読み進める気持ちにならずに本棚に入ったままとなっていました。
そうした中、今年に入って家族や友人、パートナーに対して自身の「弱さ」を打ち明けたり、そのために「勇気」を振り絞るという体験を何度も重ねることとなり、この『本当の勇気は「弱さ」を認めること』に本気で向き合ってみようとなったのです。
以下、原著版や著者の公式サイトなどの情報も引用しつつ、本書の内容および私自身の気になったポイントや印象的だった気づき・学びについてまとめていきたいと思います。
『本当の勇気は「弱さ」を認めること』
なぜ「自分らしく生きること」は難しい?
著者であるブレネー・ブラウンは、2010年のTEDxHouston以降に持ち上がった出版社との打ち合わせの中で、ビジネスマン、教育関係者、子育てをしている親などさまざまな対象への本を書くことを検討した後、結局のところ中心的な問題とテーマは同じであり、必要なのは一冊だけだったと述懐しています。
その中心的な問題とテーマとは、以下の3点でした。
・不安(fear)
・関わる意欲の喪失(disengagement)
・勇気への渇望(yearning for more courage)
『Daring Greatly』
なぜ、「私は私であっていい」と思うことは難しいのでしょうか?
私たちは日々、 不確実性やリスク、危険に生身がさらされるような場に直面するものの、なぜ必要以上に傷つくことを恐れてしまうのでしょうか?
この点に関して著者は、以下のような問いを投げかけています。
この社会の文化に特徴的なメッセージや期待は何か?この文化は私たちの行動にどう影響しているか?
What are the messages and expectations that define our culture and how does culture influence our behaviors?
私たちの問題や行動は、自己防衛とどう関係しているか?
How are our struggles and behaviors related to protecting ourselves?
私たちの行動・思考・感情は、ヴァルネラビリティや強い自己肯定感への欲求とどう関係しているか?
How are our behaviors, thoughts, and emotions related to vulnerability and the need for a strong sense of worthiness?
『Daring Greatly』
そして著者は、現代社会の至るところに『欠乏感(scarcity)』や『「いつも何かが足りない(never enough)」という感覚』、『恥に基づく恐れ(the shame-based fear)』が根を張っており、こうした状況は私たちの文化におけるPTSD(心的外傷後ストレス障害)のようなものだ、と述べています。
『欠乏感』や『「いつも何かが足りない」という感覚』、『恥に基づく恐れ』……文化におけるこうしたPTSDは『恥(Shame)』、『比較(Comparison)』、『関わる意欲の喪失(Disengagement)』という3つの症状として現れます。
これら3つの症状について、チェックリストとしての問いも著者は準備してくれています。
恥(Shame)
人を管理し規律を守らせるために、ばかにされることやけなされることへの不安が利用されているか?
Is fear of ridicule and belittling used to manage people and/or to keep people in line?
自己価値が業績、生産性、規則の遵守に結びついているか?
Is self-worth tied to achievement, productivity, or compliance?
人のせいにしたり責めたりすることが当たり前になっているか?
Are blaming and finger-pointing norms?
こきおろしや中傷が横行しているか?
Are put-downs and name-calling rampant?
えこひいきがあるか?
What about favoritism?
完璧さが重視されているか?
Is perfectionism an issue?
『Daring Greatly』
比較(Comparison)
健全な競争なら有益である。だが、公然とあるいは暗に、比較やランク付けが常に行われているか?
Healthy competition can be beneficial, but is there constant overt or covert comparing and ranking?
創造性を抑えつけているか?
Has creativity been suffocated?
個性的な才能や貢献を認めるよりも、1つの狭い尺度にこだわっているか?
Are people held to one narrow standard rather than acknowledged for their unique gifts and contributions?
ある理想像やあるタイプの才能を、すべての人の価値をはかる基準にしているか?
Is there an ideal way of being or one form of talent that is used as measurement of everyone else’s worth?
『Daring Greatly』
関わる意欲の喪失(Disengagement)
リスクを負うことや新しいことを試すことに不安があるか?
Are people afraid to take risks or try new things?
体験やアイディアを発表するよりも、黙っておとなしくしている方が楽か?
Is it easier to stay quiet than to share stories, experiences, and ideas?
本気で目を配り耳を傾けている人はいないと感じるか?
Does it feel as if no one is really paying attention or listening?
存在を認めてもらえずに苦しんでいるか?
Is everyone struggling to be seen and heard?
『Daring Greatly』
「Wholeheartedness」:著者独自の用語
一方で、上記のような『欠乏感』や『「いつも何かが足りない」という感覚』、『恥に基づく恐れ』が蔓延する社会にあっても、自身の価値を信じ、確かな自己肯定感を持って人生に深く関わる人々が存在します。
そうした人々は、恥や恐怖、不足感にもかかわらず、価値ある存在として世界と向き合う人々です。
著者はそうした人々を「the Wholehearted」と名づけました。
本書『本当の勇気は「弱さ」を認めること』において、『「偽りのない」』という「」付きの表現は頻出します。
『「偽りのない人々」』、『「偽りのない」生き方』、『「偽りのない心」』などです。
文脈上、どうしても違和感を感じる『「偽りのない」』という表現でしたが、原著の表現を追ってみると、その意図が見えてきました。
これらはそれぞれ『the Wholehearted(「偽りのない人々」)』『Wholehearted living(「偽りのない」生き方)』『Wholeheartedness(「偽りのない心」)』となっており、ベースとなっていたのは著者独自の用語である『Wholehearted』でした。
『Wholehearted』をあえて日本語訳をすれば、『全身全霊』『全心全意』、『充足して生きる人々』のような意味になるでしょうか。
この『Wholehearted』な生き方について、著者は以下のように語っています。
偽りのない生き方(Wholehearted living)とは、自己肯定感に立って人生に深く関わることである。勇気と思いやり、人とのつながりをはぐくみ、朝目覚めたときに、「何を成し遂げたか、どれだけやり残したことがあるかに関係なく、私はこれでよい」と思うことができ、夜眠りにつくときに、「私は完璧ではないし、弱みがあり、ときには不安にもなる。それでも私に勇気があることや、愛され、居場所を持つに値することに変わりはない」と思えることである。
Wholehearted living is about engaging in our lives from a place of worthiness. It means cultivating the courage, compassion, and connection to wake up in the morning and think, No matter what gets done and how much is left undone, I am enough. It’s going to bed at night thinking, Yes, I am imperfect and vulnerable and sometimes afraid, but that doesn’t change the truth that I am also brave and worthy of love and belonging.
『Daring Greatly』
こちらのインタビュー記事において、著者はこうした人々は「不足と同じくらい豊かさを警戒する人々」であり、「充足感(enough)を心から信じる人々」だったと語っており、そうした様子を表す言葉として「Wholehearted」が思い浮かんだとのことです。
彼らはただ生き、愛することを全うしていました。そして気づきました——この人たちに中途半端なところはない、と。暗い感情も全心で感じ、喜びも全心で味わっているのです。そこで「Wholehearted」という言葉が浮かびました。
They’re just living and loving fully. Then I thought, there’s nothing half-hearted about these folks. They feel the dark emotions wholeheartedly, they feel joy wholeheartedly. So then I came up with Wholehearted.
そして、『Wholeheartedness』『ヴァルネラビリティ(Vulnerability)』との関係について、著者は以下のように述べています。
欠乏感に対抗できるのは、豊かさではない。むしろ豊かさと欠乏はコインの裏と表だ。「足ることを知らない(never enough)」欠乏感の対極にあるのは、充足感であり、「偽りのない心(Wholeheartedness)」なのだ。偽りのない心(Wholeheartedness)の中心にはヴァルネラビリティと自己肯定感がある。確実なものがなく、もろさをさらし、感情的リスクを負いながらも、私はこれでよいと思えることである。
The counterapproach to living in scarcity is not about abundance. In fact, I think abundance and scarcity are two sides of the same coin. The opposite of “never enough” isn’t abundance or “more than you could ever imagine.” The opposite of scarcity is enough, or what I call Wholeheartedness. As I explained in the Introduction, there are many tenets of Wholeheartedness, but at its very core is vulnerability and worthiness: facing uncertainty, exposure, and emotional risks, and knowing that I am enough.
『Daring Greatly』
私たちは誰もが不安に怯えることにうんざりしており、欠乏感や恥、他人との比較が支配する環境においても、「私は私でよい」と実感して生きることを願っています。
ここから、本書の本題である『ヴァルネラビリティ(Vulnerability:不確実性、リスク、生身をさらすこと)』について扱っていきたいと思います。
ヴァルネラビリティ(Vulnerability)
「Vulnerability」について辞書を引いてみると、「傷つきやすいこと」、「弱み」、「脆弱性」といった訳語が出てきます。
では、著者自身は『ヴァルネラビリティ(Vulnerability)』をどのように捉えているのでしょうか?
『本当の勇気は「弱さ」を認めること』や近年の著作の中での『ヴァルネラビリティ(Vulnerability)』に関する表現をまとめてみると、以下のようなものが見られます。
ヴァルネラビリティとは、「不確実性、リスク、生身をさらすことである」と私は定義している。
偽りのない人(The Wholehearted)は、ヴァルネラビリティ(もろさや弱み)を、勇気と思いやりと人とのつながりをもたらすものとして捉えている。事実、「偽りのない人(Wholehearted)」に分類された全員に共通する最も明確な価値観は、自分の弱みをさらすのをいとわないことだった。仕事での成功、結婚、子育ての誇らしい思い出などはすべてそのおかげだと彼らを考えていた。
The Wholehearted identify vulnerability as the catalyst for courage, compassion, and connection. In fact, the willingness to be vulnerable emerged as the single clearest value shared by all of the women and men whom I would describe as Wholehearted. They attribute everything—from their professional success to their marriages to their proudest parenting moments—to their ability to be vulnerable.
『Daring Greatly』
ヴァルネラビリティとは不確実性、リスク、そして感情を露わにすることである。しかし、ヴァルネラビリティは弱さではない。それは、勇気に関する最も正確な尺度だ。
The definition of vulnerability is uncertainty, risk, and emotional exposure. But vulnerability is not weakness; it's our most accurate measure of courage.
また著者は、『あなたにとって「ヴァルネラビリティ」とは何ですか?どんなときに感じますか?』という旨の問いをこれまでの面接調査時や一般に向けたアンケートなどのような形で回答を集めており、その一部を『本当の勇気は「弱さ」を認めること』の中で紹介しています(以下、書籍内より抜粋・読みやすく修正)
一般受けしない意見を言うこと
自分の立場を主張すること
助けを求めること
ビジネスを立ち上げること
パートナーをセックスに誘うこと
子供を亡くしたばかりの友人に電話をかけるとき
自分の親のホスピス入所手続きにサインをするとき
離婚後初めてデートをするとき
生体検査の結果を待っているとき
何度も三振した後、バッターボックスに入ること
「ノー」と言うこと
「愛している」と告白したが、向こうの気持ちがわからないとき
自分の手がけた文章や作品を発表するとき
批判や噂に毅然として立ち向かうとき
責任を引き受けること
三度、流産した後で、妊娠したとき
謝罪すること
信じること
自分の不安を認めること
いかがでしょうか?
もしかしたら、皆さんにとってもドキッとするような回答があったかもしれません。
よくある誤解(神話)の1つとして、『ヴァルネラビリティとは「弱さ(Weakness)」だ』というものがあります。
しかし、ヴァルネラビリティの誤解(神話)について扱う第2章において、以下のように著者は力強く断言しています。
私たちはヴァルネラブルな状態にある時、生身の自分が剥き出しにされる。私たちは不確実性に翻弄され、自らを無防備に晒すことは大きな感情的なリスクを伴う。それでもリスクを取り、不確実性に立ち向かい、感情を晒すことが弱さであるはずがない。
Yes, we are totally exposed when we are vulnerable. Yes, we are in the torture chamber that we call uncertainty. And, yes, we’re taking a huge emotional risk when we allow ourselves to be vulnerable. But there’s no equation where taking risks, braving uncertainty, and opening ourselves up to emotional exposure equals weakness.
ヴァルネラビリティを感じている真っ只中にある時、人は冷静ではいられません。
冷や汗が止まらず、心臓はドキドキし、身体は緊張を感じます。気持ちの面ではパニックや不安、恐怖、極度の興奮や希望、自由、誇り、勇気といったものを感じるかもしれません。
また厄介なことに、私たちは他人がありのままの真実の姿を晒す事は歓迎しますが、自分がそうすることに不安を感じます。
そのような傷つく可能性に向き合い一歩を踏み出すことは、必ずしも心地よいものではなく、居心地の悪さや不快感を感じることもあります。
しかしそれは、勇気を奮い立たせての行動であり、果敢なる挑戦(Daring Greatly)です。
それは、弱さとはまったくの別物です。
Daring Greatly(果敢なる挑戦)
この、『果敢なる挑戦(Daring Greatly)』とその先に得られるものこそ、著者がヴァルネラビリティ研究の末に見出した真価であり、『本当の勇気は「弱さ」を認めること』の原題に込められたメッセージでもあります。
ただ批判するだけの人に価値はない―強い人のつまずきを指摘し、やり手ならもっとうまくできたはずだとあげつらうだけの人には。
賞賛に値するのは、実際に競技場に立ち、埃と汗と血にまみれながらも勇敢に戦う人だ。あるときは間違いを犯し、あと一歩と言うところで届かないことが何度もあるかもしれない。過ちや失敗のない努力など存在しないのだ。それでもなお、ことを成し遂げるためにもがき苦しみ、情熱を燃やし、力を尽くし、大義のために身を粉にして励む人こそ偉大なのだ。
順風ならば最後には勝利に輝くだろうし、最悪の場合、失敗に終わるかもしれない。だが彼らは、少なくとも果敢なる挑戦をしたのである。
“It is not the critic who counts; not the man who points out how the strong man stumbles, or where the doer of deeds could have done them better. The credit belongs to the man who is actually in the arena, whose face is marred by dust and sweat and blood; who strives valiantly; who errs, who comes short again and again, because there is no effort without error and shortcoming; but who does actually strive to do the deeds; who knows great enthusiasms, the great devotions; who spends himself in a worthy cause; who at the best knows in the end the triumph of high achievement, and who at the worst, if he fails, at least fails while daring greatly.…”
上記の一説は、1910年にパリのソルボンヌ大学にて、セオドア・ルーズベルト大統領が行った「共和国の市民権(“Citizenship in a Republic”)」という演説の一部です。
「競技場に立つ人(The Man in the Arena)」というタイトルで知られる演説でもあり、最初にこの一説を読んだ時、著者は「これはヴァルネラビリティのことだ!」と感じたといいます。
そして、自身の著書を執筆中、100回は上記の演説文を読み返したという著者は、「おわりに」にて以下のように述べています。
果敢なる挑戦は、勝つか負けるかと言う問題ではない。勇気なのだ。欠乏感と恥に支配され、不安であることが習い性になってしまったこの世界では、ヴァルネラビリティはそれに逆らうということだ。不愉快で、ときには少し危険ですらある。もちろん生身をさらせば、傷つくリスクはとても大きくなる。だが自分の人生を振り返ったとき、私は人生の傍観者だった、自分の存在を示し生身を晒す勇気があったらよかったのに……と思うほど、不愉快で危険で、心が痛む事はないとはっきり言える。
これまでのヴァルネラビリティの実践
以上、『本当の勇気は「弱さ」を認めること』および原著版『Daring Greatly』、その他関連情報を参照しつつ、本書で語られている『ヴァルネラビリティ(Vulnerability)』について解き明かそうと試みてきました。
これに関連し、現代社会に蔓延する『欠乏感(scarcity)』や『「いつも何かが足りない(never enough)」という感覚』、『恥に基づく恐れ(the shame-based fear)』、そして『the Wholehearted(充足して生きる人々)』についてもざっと見てきました。
ここからは『本当の勇気は「弱さ」を認めること』の中の記述で気になった点や、私自身がこれまで見聞きしたり、実践してきた知見とヴァルネラビリティとの関連についてまとめていければと思います。
ヴァルネラビリティと自他境界(バウンダリー)
『本当の勇気は「弱さ」を認めること』を読み進める中でふと気になったのは、自分と他者の『境界線(boundaries)』に関する記述でした。
ヴァルネラビリティに関する誤解3として紹介された、『洗いざらいさらけだすこと(over-sharing)』に関する記述です。
これに関して、著者は以下のように述べています。
ヴァルネラビリティは互いの信頼関係に基づくものなので、境界線を必要とする。過剰に露出したり、何もかも吐き出したり、見境なく公開することではない。それを聞く資格のある人だけに自分の気持ちが体験を打ち明けるということなのだ。また一方的にではなくお互いに心を開いてその自分を見せることで、信頼を築くのに欠かせない。
ふつうなら、心を開いて自分の不安や希望、悩み、喜びを誰かに話すと、つながりという小さな灯りがともる。素の自分を見せたことで、暗い場所に光が輝く。(中略)それはつまり、自分の思うことや体験を語る相手が「それを聞く資格のある人」―話の重みに耐えるだけの関係を築いた人―であるということだ。そこに信頼があるか?共感しあえるか?一方通行ではないか?どうしてほしいかを言えるか? それらはつながりの大切な条件だ。
この他、著者のサイトやインタビューなどでも、『境界線(boundaries)』に関しての言及が存在します。
境界線は思いやりと共感の前提条件である。
自分と他者の境界が明確でなければ、真の繋がりは生まれない。人間関係に自律性がなければ、思いやりや共感は存在せず、ただ絡み合うだけだ。
Boundaries are a prerequisite for compassion and empathy.
We can't connect with someone unless we're clear about where we end and they begin. If there's no autonomy between people, then there's no compassion and empathy, just enmeshment.
私自身、つい最近になって『振り回されるのはやめるって決めた 「わたし」を生きるための自他境界』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の読書記録をまとめ、その最中で『自他境界(バウンダリー)』について探求を深めていたところでした。
いつも親やパートナーの顔色をうかがってしまう
人からの頼み事を断るのが苦手で、仕事を引き受けすぎてしまう
周りに合わせすぎて自分の意見がわからなくなってしまう
こうした傾向を持ち、その結果、いつも心身のエネルギーを消耗させてしまっている場合、自分と他者の間にある境界線に何か問題が発生しているかもしれません。
そして、『振り回されるのはやめるって決めた』著者の若山和樹氏はさまざまな研究者の挙げる定義を総合して、「自他境界」を「こころと体の領域における、ここまでが自分の範囲で、そこから先が自分でないもの(他者)の範囲であることを示す境界線」を意味する言葉と述べています。
さらに、若山氏は自他境界(バウンダリー)の役割について以下のように紹介しています。(強調筆者)
バウンダリーは単に外部からの侵入を防ぐためだけでなく、心身を健全に保ち、さらに他者とうまくつながることを可能にします。なぜかというと、バウンダリーによって自分と他者との区別が明確になると、私たちが何を優先すべきかが見極められるようになり、自分の持っている力を効率よく振り分けられるようになるからです。
そうやって効率よく力を用いることができると、私たちは人とのつながりのなかで、自分が注いだ以上の力を得られるようになります。これが私たちに心地よさや元気さ、楽しさなどをもたらしてくれるのです。
自分らしく生きる、あるいは自身の価値を信じ、確かな自己肯定感を持って人生に深く関わりながら生きる(Wholehearted living)には、時に相手に「ノー」を伝えたり、逆に「〇〇してほしい」と伝えたり、その際にヴァルネラビリティを体感する必要があります。
それは、絶対確実にリクエストが通るとは限らない相手に対して、自分自身の境界線を明確にし、勇気を持ってニーズを伝えることになるためです。
そうした中で、もし相手にリクエストを受け止めてもらえた場合、相手と私の間には確かな信頼と繋がりを重ねていくことが可能となります。
私自身、『振り回されるのはやめるって決めた』を読む中で、問題のある自他境界について物理的・精神的に距離を取る、環境調整を行うといった「最良の方法」についても、できる範囲では既に取り組んできていたことも振り返ることができました。
そして、適切な自他境界(バウンダリー)を設定していくには、他者との繋がり、絆が不可欠です。
『本当の勇気は「弱さ」を認めること』で紹介されている、恥から回復するための4つの要素などにおいてもまた、「誰かに話す」という形で、他者を必要とします。
このように、恥や恐怖、不足感にもかかわらず、価値ある存在として生きていく上でも他者が重要な役割を担うことや、そのポイントとして自分と他者の間の『境界線(boundaries)』を意識できたことは、有意義な学びでした。
ヴァルネラビリティとソース原理
もう一点、果敢なる挑戦(Daring Greatly)という表現と、そこに込められたメッセージに触れた時に浮かんできたのが、人は誰しも自分の人生の創造性の源であるということを説く、ソース原理(Source Principle)というモデルです。
ソース原理(Source Principle)は、経営コンサルタント、コーチであるピーター・カーニック氏(Peter Koenig)によって2010年代に体系化され、日本では2022年以降、ビジネスの領域を起点に教育、医療などの領域でも広がりつつあります。
ソース原理の関連書籍としては、ピーター自らが執筆した『マネーバイアス』(日本能率協会マネジメントセンター)の他、ピーターからソース原理を学んだトム・ニクソン氏(Tom Nixon)、ステファン・メルケルバッハ氏(Stefan Merckelbach)による合計3冊の書籍が邦訳出版されています。

ステファン・メルケルバッハ『ソース原理[入門+探求ガイド]』
トム・ニクソン『すべては1人から始まる(原題:Work with Source)』を参照すると、ソース(Source)とは、あるアイデアを実現するために、最初の個人がリスクを取り、最初の無防備な一歩を踏み出したときに自然に生まれる役割を意味しています。
また、原著『Work with Source』の用語解説では、『ヴァルネラブルなリスクを取って、ビジョンの実現に向けて自らを投資することで、率先して行動する個人のこと』と説明されています。
The role emerges naturally when the first individual takes the first vulnerable step to invest herself in the realisation of an idea.
An individual who takes the initiative by taking a vulnerable risk to invest herself in the realisation of a vision.
ステファン・メルケルバッハ氏の書籍『A little red book about source(邦題:ソース原理[入門+探求ガイド])』においては、この役割を担うことになった人について、特に「ソース・パーソン(source person)」と呼んでおり、『あるアイデアに基づいてイニシアチブを取る人』のことを指します。
A source is a person who has taken an initiative and through that has become the source of something: we can call this a "source person".
A source person takes an initiative based on an idea.
加えて、イニシアチブ(を取ること)にはリスクを取ること、未知の世界に飛び込むという側面があると紹介しています。
We may now add the dimension of risk-taking, which inevitably accompanies the initiative—itself more or less a dive into the unknown.
そして、朝食を作ることや休日の予定を立てること、恋人に結婚を申し込むことから、大きなビジョンを抱いて起業することに至るまで、人生のさまざまな場面で人は自らの創造性を発揮し、何らかの活動における創造性の源(ソース)になり得ます。
ソース原理に関するさらに詳しい説明は以下の記事をご覧いただきたく思いますが、『本当の勇気は「弱さ」を認めること』を読み込む中で、特に大きなチャレンジにおけるソースとしての実感の解像度が高まったように感じます。
私自身がソース原理に触れる直接のきっかけとなったのは、父からの事業承継でした。
父が病に倒れ、家族システムが大きく転換期を迎え、さらに私自身も人生において大きな方向転換をすることになった出来事でしたが、この時の私は他の誰でもない私自身の選択として父の跡を継ぐことを決め、まさに果敢なる挑戦(Daring Greatly)をしていたのだと感じます。
生身の自分が晒され、先行きの見えない不安や恐れと格闘し、ただ無心になって為すべきことを為す。それは、まさしくブレネー・ブラウンが例に挙げた「競技場に立つ人(The Man in the Arena)」の心境であったかもしれません。
もちろん、上記のプロセスすべてが成功裡に終わった訳ではありませんが、巡り巡って仲間たちと共にトム、ステファンの2人に出会うことができたこと、そして、今ここに生きていられることは、とても幸せなことだと感じます。

トム(Tom Nixon)とパートナーのアグネス(Agnes Otzelberger)
そして、2人とのご縁を取り持ってくれた仲間たちと。

ステファン(Stefan Merckelbach)とクローディーヌ(Claudine Merckelbach)
そして、場を共にした皆さんと。
終わりに
以上、ブレネー・ブラウン著『本当の勇気は「弱さ」を認めること』(サンマーク出版)を読み終えての読書記録をまとめてきました。
本書は2013年に邦訳出版された書籍であり、私自身もずいぶん前に手に取って以来、本棚に収めたままになっていましたが、今回このタイミングで読み終えたこと、そして読書記録をまとめていることには意味があったのだな、と改めて感じています。

今年に入って以降、特に5月以降ですが、公私共に大きな変化があり、これまでの延長線でのやり方・生き方が通用しない事態、見直すべき事態に直面しました。
これまでというのは私が生まれて以来、30数年分の凝り固まった思考、行動、価値観のパターンです。
5月にはパートナーに物心がつくかつかないかの頃からのコンプレックスについて初めて打ち明けることとなりました。この出来事は2人の間で「解剖」と名づけるほどの大きな出来事でした。
そして、つい先日の10月某日。
2人のどちらの責任でもない、一方で、2人に大いに関係のある事柄への対処について話し合った時、私はパートナーに対して「生まれてきてくれて、本当に感謝してる」「幸せに生きていこう」というメッセージを伝える瞬間がありました。気づかず涙が溢れていました。そして、その瞬間にはただただ純粋な祈りと願いがあったように思います。
誰かを責めるでもなく、運命を呪うでもなく、ただただ目の前の相手に向き合い、真摯にメッセージを伝えたこと。
この出来事もまた自分の中で大きな衝撃となり、その衝撃はどういったわけか私を『本当の勇気は「弱さ」を認めること』に向き合うことに駆り立てました。
本書の中で恥からの回復に関する記述がありますが、そこには信頼できる相手との関係性と対話が不可欠な要素として紹介されていました。
私自身、誰かに頼ることが本当に苦手です。これまで、長男として、男として、何か困りごとがあった場合は独り引き受けて、解決に取り組んできたタイプでした。その中で人に頼られ、自分も誰かの力になれることに喜びも感じていました。
しかし一方で、自分の中には幼少期から身についていた、拭いきれない他者への恐れも燻っており、「他者と関係を築きたい」と「離れていたい」の綱引き状態、ジレンマにも陥っていました。
8月以降、さまざまな領域の相談相手を増やすための習慣づくりに取り組み始め、これまでとはまったく異なる他者との関係構築を模索しはじめた中で、今に至ります。
そんな中でこの数日の間に手に取ったのが『本当の勇気は「弱さ」を認めること』であり、『振り回されるのはやめるって決めた』でした。何か、大きな流れが働いてるように思えてなりません。

私自身の内面の大きなシフトや蠕動を物語るように、気づけばこの読書記録も15000字を超えました。
何か私は、本書に向き合い、読書記録に遺すことで、ひとつの区切りや通過儀礼としたかったのかもしれません。
あるいは、本書に向き合い、読書記録を遺すこともまた、私にとって1つの果敢なる挑戦(Daring Greatly)だったのかもしれません。
この挑戦が成功だったのか、失敗だったのか、こうして筆を置こうとしている現時点ではわかりませんが、ここまでご覧いただいた皆さんに何かを感じていただければ幸いです。
また、もし本記事を読み進める中で、気になった点や感じたこと・話したいテーマなどがありましたら、ぜひこちらからや、こちらに記載している連絡先などからお気軽にメッセージいただけると嬉しいです。
さらなる探求のための参考リンク
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