若気、至る所なし
「今は恋人なんてそんな耽美な響きに浸ってる場合じゃねえのよ!」
午後三時、ガチャンという音と共に、それなりに席が埋まるカフェーコロラドの時を青年の叫びがピシャリと止めた。
三流どころか四流五流の脚本家がしたり顔で書いた台詞を、劇団のオーディションに落ちた直後の駆け出しの俳優が自信満々に読み、機材ばかりにこだわって腕を磨いて来なかったカメラマンがカメラを回し、威張り腐ってその実中身のない監督が怒鳴り散らすという地獄のような空間を古ぼけたポラロイドカメラで映し取ったような十二秒間。
青年は立ち上がり、ローズウッドのテーブルに置いた両拳を震わせている。
状況をいまいち飲み込めていない、グレンチェックのテーラードジャケットの青年がソーサーにティースプーンを戻しながら尋ねた。
「いや……え? 何? 何急に怒ってんの?」
私は我関せずといった顔でミルクレープの上から五層目あたりまでフォークを降ろす。
「だから、今俺は恋人とかそんなもんにうつつを抜かしてる暇ないわけ。」
先程まで叫んでいた青年は懸命に熱を冷まそうとお冷を一気飲みして氷までボリボリと砕いている。
いっそのこと、頭から氷水を被った方が良さそうな勢いだったがそこまでしてやる義理はない。
終電を逃すたび、この青年の下宿先に転がり込んで始発を待ったが私たちの間には何もない。
強いて言えば……やはり何もない。
「いや、誰も恋人の話なんてしてないじゃん。翔太が急にブチギレたんだろ?」
手元の盆栽雑誌をめくり、十三ページを開いて視線を落としている。
「大泉は何でそんなに平然としてられるんだよ!」
また変な映画のワンシーン、それもしょうもない何度目かわからない“盛り上がり”の熱波が来そうだったので私はまだ口をつけていなかった大泉のお冷を差し出した。
大泉は盆栽に夢中で自分のお冷が生贄にされたことに全く気づいていない。
危うく笑いかけて私は左の頬骨を眉間の辺りから手で覆うように抑え付ける。
ことなきを得た。
「絵里子と別れたんだろ?」
執拗なまでに、とは今まさに翔太のために存在する言葉だ。
あまりにもしつこい。
大泉は相変わらず、雑誌の中の柘植に夢中である。
絵里子は私と同じ学科で、ここのところ見かけるたびに鬱ぎ込んでいるか何が面白いのかもわからない近代文学史の授業中、突如としてゲラゲラ笑い始めたりしている。
また別の日には『東海道中膝栗毛』で喜多さんが風呂釜をぶち壊すというこちらこそゲラゲラ案件の部分ですすり泣いていたりと情緒不安定もいいところなのだ。
それこそ、出席状況が不安定な私が見かける度にそうなのだから相当なものだということがわかるはずだ。
どうにも振ったのは大泉で、理由も釈然としないものだったらしく絵里子はずっと混乱しているようだった。
「聞いてんのか? 絵里子と……!」
私は自分のお冷も生贄に捧げた。
ちなみに、ガムシロップを三個とポーションを一個入れてある。
「ああ、別れたよ! それが何?」
大泉は冷め切っているコーヒーに砂糖をザーっと落としジャリジャリと音を立て飲み干した。
私は奥歯で砂糖を噛むときの独特の感覚を半ば強制的に味合わされている。
一体何を見せられているのだろう。
それともこれは本当に映画のワンシーンで、私は脇役。
そして台詞を与えられていないだけなのか?
靴下の内側のほつれが親指の爪に引っかかっている時のような居心地の悪さに身悶えていた。
大泉の視線はまた雑誌に戻っている。
翔太はへなへなとソファに沈み込んだ。
その目は一心に大泉を捉えている。
視線の着地点がてんでんばらばら。
まるで交わるつもりのない自己主張激しめの別作品の主人公達をクロスオーバーさせて、無理矢理同じ画面に閉じ込めたかのような悪夢の如きシーンだ。
カランカラン……
入り口の木と真鍮のベルの音がゆったりと床に染み込んでいく。
午後四時三十分。
薄暗くなり始めた店内は、甘い香りからトマトソースの香りに変わり始めていた。
「お待たせしました。メロンクリームソーダ、アイスコーヒー、マンデリンでございます。」
私たちは集まった目的などとうに忘れ、好き勝手に時間を巻き取っている。
「あ……」
大泉が雑誌の隅に焦げた香りの湿り気を残した頃、クリームソーダのバニラは形を失っていた。
私は氷をバリバリと噛み砕きながら、ふと窓辺に置かれた花瓶に目をやる。
紫色のふわふわした小さな花が澄ましている。
「ああ、あれ霍香薊……」
「……え?」
ほとんど目線だけでほんの二,三秒見つめただけなのに。
瞬目する間に大泉の千里眼っぷりへの恐怖心を振り払う。
負けず嫌いの私は鼻をひと擦りしてから、右手で作ったクチバシを口の斜め前に出す。
一瞬目をカッと開けて見せる。
「違う違う。」
翔太も小さな花瓶を見つめる。
音を立て、甘ったるい香りの溶けた半透明の液体を吸いながら。
「まだ五時か……」
「もう暗い。」
「そろそろ帰るか。」
大泉は伸びをする。
私はシェードを見上げている。
翔太はまだ窓辺の花を見つめている。
ただ全員、来た時よりも腰がソファに沈んでいた。
この世の中の命の大半に、ドラマチックな結末は訪れない。
エンドロールも流れない。
それでも時間は流れていく。
──翔太はまだ、ため息ひとつつけぬまま。
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ゆきお様が書いてくださった後日談的小説。
これは声に出して読んでほしい。
そのリズムでウッキウキしちまってください。
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餃子食うんだ俺たちは!
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お・ぬ・し