ケーキの角に頭をぶつけてしまいたい
私はゲコだ。
酒を飲んだ暁には、全身に魔の紋章の如き赤いブチ模様を浮かび上がらせ世の集合体恐怖症の民を震え上がらせるバケモノと化す。
「飲めないなら、食べてしまえばいいじゃない?」
盛大にベクトルをミスったマリー・アントワネットがヴェルサイユ宮殿のバルコニーに薔薇模様の掛け布団を干しながらぽつりとこぼした独り言。
地獄耳の私はアントワネットの言葉を時空と距離をすっかり無視して聞きつけてしまった。
我が耳は言わばアナログ盗聴器。
完全犯罪だ。
クリミナル・コンプリート、オールグリーン、ミッションクリアだ。
アイムイノセント……
……黙れ!
そうやって気を抜くから職質されるんだ。
しかも今回は国際犯罪だからな。
警視庁どころの騒ぎじゃないぞ。
霞ヶ関すっ飛ばして国際刑事警察機構。
本部は……フランスのリヨン。
マリーちゃんが潜伏しているヴェルサイユ宮殿までは徒歩なら4日と6時間、チャリなら27時間、車で4時間34分、公共交通機関で3時間53分、飛行機なら1時間5分だ。
……ちなみに警視庁からヴェルサイユ宮殿までは最短で14時間30分。
念の為調べておいただけだ。
特段意味はない。
そしてマリーちゃんの言葉をまに受け、2026年の東京のド田舎の暗い暗い台所の冷たい床で尻を冷やしながら、指を伝うベトつくほの甘さに構うことなくその今にも崩れそうな黄金にかぶりつく。
月夜に照らされるそれは、神々しくも艶かしい。
……新年早々、真夜中にブランデーケーキ踊り食い……ではなく一本食いをやらかした。
1125キロカロリーだ。
このままでは年内に体重300キログラムも夢ではない。
膝と腰の同時爆発により地球が滅びてしまう!
さすがの私も357キロカロリーあたりでオゾン層のもとで暮らすいとしき者たちに思いを馳せましたよ。
馳せたんですけど、555キロカロリーあたりで自我ってもんがちょっと……
どこかへいっちまいまして。
気付いたら黒いボーラーハットなんかかぶっちゃって、黒いマントに黒いコート、黒いスラックスに身を包んでおりまして。
つまり、残りの570キロカロリーは私の意思とは無関係に胃の中にねじ込まれたわけだ。
だから570キロカロリー分の責任は負いかねますのでご了承願いたい。
とはいえ556キロカロリー目の罪悪感というのもなんとなく覚えてはいる。
ブランデーケーキをラッパ飲みならぬラッパ食いするその腕に歪な紅のブチ模様が浮かび上がっていたから。
「なあ、マリー。あんたさっき、飲めないなら、食べてしまえばいいって言ったよな……?」
ヴェルサイユ宮殿に向かって牙をむく。
「ええ……? 聞こえてらしたの? 独り言よ。」
マリー・アントワネットは干した布団の埃をてずから払う。
埃は季節外れの雪の如くこちらへ届く。
額の左側の血管が爆発寸前と言った具体にザー、ザーと大量の血液を流し始める。
ウグッ……
烈しい頭痛!
流れを堰き止めようと折り曲げた左手の人差し指でグイグイと血管を押し潰す。
反対側の人差し指を彼女に向け、
「クソが! 飲めど食えど結果は変わらないじゃないか! ふざけるな! あんたを信じた俺が馬鹿だった!」
と喚く。
他人事の怒りで心拍数は限界突破している。
落ち着くまでこの何者かとシンクロしていそうな心臓を取り外しておきたい。
「そこの庭の噴水の水、全部塩酸にしてやるからな! もしくは……」
言い切るよりも先にマリーは掛け布団を持って奥へと消えていった。
「おい! 逃げるのか?!」
黒いコートのポケットに両手を突っ込み、中指を立てた。
──フィーンフォーンフィーンフォーン……
マヌケな音と青い光……
まずい……もうバレたか……
ヴェルサイユなのにパトカーに「Paris」って書いてあるな……
ん?
なんだ?
フランス一帯の磁力と我が靴底が激しく惹かれあっている!
動けない!
「Ne bougez plus !」
……何が「動くな!」だ。
見てわからないのか?
俺は動けねえんだ!
この節穴ポリシエめ!
「T'as des yeux ou des trous ?」
……あれ?
私なんでフランス語……
「Merde!」
……クソはどっちだ!
コートの中の中指を形状記憶のまま出そうとした瞬間……
──ペーポーペーポーペーポーペーポー……
もはやこれまでと覚悟した直後、脳の深いところで聴き慣れた方の間抜けな音が鳴った。
しかし赤い光はどこにもなくて、白く薄汚れた黒い革靴の左右の爪先が品なく前後に広がっていることに気付く。
身体より前に出ている右の爪先の向こうに目をやると、ボロボロの布団が膨らんでいるのが見える。
その膨らみはぶるぶると震えている。
私はその膨らみに向かって「ばーか! ばーか!」と未就学児のように叫んでいる。
突き出した人差し指はいつもより骨ばっているように見えた。
頼む、頼むからこの口に栓をしてくれ。
ないしせめてこの突き出した人差し指だけでもへし折ってくれ……!
視界に飛び込んできたのはもじゃもじゃ頭の丸眼鏡。
ああ……なんか頼りないな……
こいつァダメだ……
と思うや否や、モジャ眼鏡に腕を引っ掴まれている。
「おい! 離せよ! 檀!」
あの、えっと、離さないで?
檀……さん?
このモジャ丸は“檀さん”っていうのか!
「ふざけるな!」
私は雪の中に沈んだ。
「わかったよ……あんたは強ェ……」
後に知る。
このモジャが檀一雄だということを。
だが、それはもう少し先のこと。
背中が冷たい……
冷た過ぎる……
雪の中にいるのだから当たり前……
───空蝉文庫新人賞、大賞は後藤帆奈美さんです!
今度はどこだ……
もう疲れたよ……パトラッシュ……
なんか全然わからないのだけど私、この後藤帆奈美が気に入らない!
「くたばれ! エモの下僕めが!」
という暴言は、幸いにも食い止められた。
ギリギリと有刺鉄線が私を締め上げる。
……声が出ない!
白い光、冷蔵庫の呻めき。
ウォン……ウォン……
身体が動く。
蛍光灯に腕をかざせば、その腕には魔の紋章の如き赤いブチ模様が浮かび上がっている。
右側切歯の裏にこびりついたブランデーケーキが夢から現実へと引き戻してくれた。
ああ……ブランデーケーキに翻弄されし我が人生……
私は時間を確認しようとスマートフォンを取り出す。
1月3日 01:43
ロックを解除すると、こんなメモが残されていた。
汚れちまったんじゃない。
気付かぬうちに既に汚れちまってたから悲しいんだ!
ああ……また闇夜を貪って、後悔までもお忘れね。
「酒はだめだと言っただろう?」
「そうね。わざとよ、わかるでしょう?」
フィーンフォーン、フィーンフォーン……
間の抜けたパリの青光り。
喉元過ぎれば雪の上。
──雪の降る夜、確かに私は中原中也だった。
シャラシャラと落ちては消える花々を耳の中で見送る。
私は冷たい床の上でハッとした。
──文豪メタモルフォーゼ……
年末に契約してしまった吉とも凶ともでない謎の力。
まだ使いこなせてはいない。
しかし、徐々に我がメタモルゲージは上がってきている。
その証拠にほら……
俺は動けねえんだ!
この節穴ポリシエめ!
「T'as des yeux ou des trous ?」
……あれ?
私なんでフランス語……
こんな暴言を吐けるくらい、フランス語に精通している。
それでいて、その事実におののいている。
これはつまり、変身先と自我とが一時的に共存できたというわけだ。
完全に身体を乗っ取られるのではなく、半自我半文豪。
そして今回はこのメタモルフォーゼのおかげで一本書けたのだ。
またスランプの襷をつないでしまった。
第265区!
しかも給水所がない!
口の中の水分はブランデーケーキに全て持っていかれた。
この襷、どこまで繋がるのだろうか。
まあ繋いだ先も、その先もきっといるのは私なのだけど。
263区、心臓破りの登り坂は中原中也が爆走いたしました。
「はあ? 俺を走らせるな!」
……まだ、制御不能。
文豪メタモルフォーゼの修行はこれからも続くのであった。
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よもぎちゃーん!
はーい!
何が好き?
ポテトチップスよりも
お・ぬ・し