ドランケンネスの花々
──豪雨だろうか?
いいや、違う。
拍手の音だ。
肉や魚の焼ける匂い、そこかしこから発せられるポマードと飾られた花々の香りが嗅覚を圧倒する。
右隣の何もわかっていなさそうな学生風の男が時折こちらを訝しむ。
しかしその手は爆発音を連発し続けている。
左隣の上品そうな女は妙にしなりながら両掌同士を打ち合わせている。
その度に甘ったるい香水が流れてきてくらくらする。
「ワインはブルゴーニュに限るわ。」なんて言いつつその実、味なんかわかっちゃいないのだ。
自分に酔いしれているだけ。
俺はすっかり拍手の仕方を忘れている。
否、忘れたかったのかもしれない。
太腿の横でギリギリと震えていた拳をほどく。
爪痕の残る掌には、えも言われぬ汚い感情が熱を奪われながらもべっとりと嫌な湿り気として居座っていた。
一刻も早く、この感覚を消し去りたい!
思うよりも早く、目の前に置かれたグラスを引っ掴んでいた。
それは舌なんかすっ飛ばして、喉を灼いた。
ガンっと乱雑にグラスを置く。
手首から肘まで電撃がのたうち回る感覚に下唇を噛みたくなる。
透明なガラスは、指五本分、光を通せなくなっている。
底ではわずかに琥珀色が甘く静かに、寝そべっている。
みずみずしい翡翠色の房が垂れ下がっているのが見える。
眩しい! 眩しい!
汚らしい手で網膜に落ちるきらめきの粒を払い除ける。
ただ、その姿は光を求め深海でもがく儚き生命にも見えるかもしれない。
不服だ。
俺はそんなに美しいものではない!
真紅の絨毯から背中を引き剥がす。
どうにも足元がおぼつかない。
それこそ身体が“ゆあーんゆよーんゆやゆよん”、ゆらゆらと宙を漂うが如く。
いや、そんなにいいものではなく回転性の眩暈を伴っている。
──目の前に困り顔の男がいる。
その腕にはおおよそ彼には似つかわしくない花束が抱かれている。
色とりどりの欲望と自意識とを束ねるが如く。
その大きさたるや朴念仁だって大笑いするだろう。
一粒だけ、霞草の茶色くしなびたのを見つける。
途端に自分の中の邪神が口元をおさえつつその肩を小刻みに震わせ始めた。
「何の花が好きだい?」
ああ……臭い、酒臭い!
自分の息が酒臭い!
「えっと……」
そんなに深刻な顔をしないでくれ。
別にお前の好きな花など興味はない。
いや、それ以前に……
「何の花が、好きなんだい?」
俺の眼は生気を失くした花の粒を捕らえて離さない。
「僕は……その……」
「なんだ? 得意の薄っぺらい透かし紙で移しとったような言葉で言ってみたまえよ! そのしらじらし……」
「僕は! 花は……」
「……特段興味はない。しかし、強いて言えば桃……」
自分でも驚くほど、挑発的な目をしていたと思う。
知っている。
嫌と言うほど知っている。
「でもそれすら嘘だ。」
「あ……あ……」
紙の上では饒舌でも、その実体の舌はまともに動きやしない。
「薔薇だ。そうだろう?」
「……」
「黄色が一つ、白が二つ、ピンクが一つ!」
「……」
誕生月だ。
そのインク臭い薔薇が咲いていたのは俺の誕生月だ。
今にも泣き出しそうな男に意味不明の言葉をひたすら飛ばしている。
何だかいつもより声が澄んで、鼻を抜けていくような妙な感覚に喋りづらさを覚える。
それなのに言葉は忙しなく生まれ、喉から口へ、口から外へと巣立っていく。
「その色をいっしょくたに混ぜ合わせて心に垂らしてマーブル模様。気だるさと混ざり合って透明になるの……全てはゼロになる……無を抱きしめたまま夜を超えた……」
一度、目を閉じる。
舌の上に残るムンとした重甘い味が再びわずかに喉を灼く。
迂闊だった。
時間が戻るのなら、グラスが琥珀色で満たされていた頃に帰りたい。
側頭動脈が大袈裟に拍動し、視界は明滅を繰り返す。
激しい痛みに遠のく意識。
いよいよ、目の前の男が不憫でならない。
「気に入らないんだ……型抜きを逆再生したような君の言葉が……」
「したり顔で奇を衒い、霧雨の下の猫みたいに御涙頂戴! それがお前のやり口だ。」
もうやめろ!
そう思うのに、この身体についている口からはよどみなく言葉が溢れ出る。
飛び出す言葉が許せない!
「気持ちいいか? 気持ちいいだろうよ! たかだか“あ”の一文字だってあんたが書けば賞賛の嵐だ。自分の言葉に絶望していたあんたが! 今ではこうして光の中にいるんだもんな! 笑えよ! 愚かだって……愚かだなって笑えよ!」
灼けたはずの喉からは澄み渡りながらもどこか枯れてしまった声が尖りながら彼の元へ飛んでいく。
──嫌だ! 嫌だ!
出ていった言葉の全てを返してくれ。
お前の足元に転がっているそれも、その胸に突き刺さっているそれも、全部返してくれ。
泣きたいのか笑いたいのか、自分の感情が今、一番わからない。
今この世界で、俺が最も俺ではない。
「俺は今のあんたの言葉が嫌いだ……世間がお前を愛しても、俺は絶対に……絶対にお前の言葉には騙されない。」
今一度、穢れに穢れた呪いの言葉を彼に浴びせかけた。
あまりにも捲し立てたせいで、頭に酸素がいっていない。
“ドランケンネス”というものだろうか。
男の顔が歪んでいる。
今、グラスが透明なまま琥珀色で満たされていたならば現は変わっていたのだろうか。
また俺は、本物だと思い込ませていた感情の上澄みを彼に飲ませたのだろうか。
「さすがだね。面白いと思ってた。それに泣きもした。俺には書けないからね、こんなに心を動かすものは。」
ああ……反吐が出る。
どちらにしても反吐が出る。
こんなにも汚い自分が嫌だ。
まだ、上澄みを掬っていた方が……
絨毯の真紅が点状に赤黒く染まっては戻る。
だんだんと赤黒いままになっていく。
パタン……
足元に黒いボーラーハットが落ちる。
へなへなと膝から崩れ落ち、見上げた天井には翡翠色の光の房が燦然と輝いている。
その光は網膜の前に張り付いたプリズムで幻覚を見せてくる。
──小雨だろうか。
あいにく傘は持ち合わせていない。
背中側の大窓を振り返る。
まっさらな空から太陽の光が地上を這っている。
そうか、今日は……
「おめで……」
扉の向こうの真紅の絨毯には、黒い帽子だけが転がっていた。
↑
ゆきお様による当該小説の分析。
ありがたやありがたや、分析していただいて気付く色々。
そう、私の文章の居心地の悪さはここなのだよ!
……を、言語化していただきました。
↑
ミステリ?
何なんですか。
こんなのも書いていた。
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よもぎちゃーん!
はーい!
何が好き?
ポテトチップスよりも
お・ぬ・し