ポニーテールは揺るがない
──あの時隣り合っていた女と今日は膝を突き合わせて座っている。
もうポニーテールは揺れない。
丸テーブルで向き合う私たちを隔てるのは一枚のクアトロフォルマッジ。
ナオミは蜂蜜を回しかけつつ、眼鏡ごと目をギラつかせながら言う。
「さすがに教授と即興文豪コント披露し始めた時はゾクゾクした!」
「こっちはヒヤヒヤしたわ……」
「ほらこれ。」
解像度の荒過ぎるあの頃の写真をスクロールするナオミ。
ポニーテールを振り乱して教場からの逃避行を繰り返した日々を彼女は懐かしむ。
「でも最高だったたじゃん。あれ以来、誰かしらが文豪のコスプレで授業出るようになって!」
「ああ、そうだね。同時多発的芥川龍之介とかあまちゃんにどハマりして課題やってこない夏目漱石とかね。」
私はなるべくチーズが薄めの一切れを選び、口に運ぶ。
「あとほらこの日。」
ナオミのスマートフォンの画面には三人の人物が映っている。
真ん中には黒い帽子をかぶり困り顔で遠くを見ている私、それを挟むようにタートルネックの上に着物を着た人物が二人。
左が女で右が男。
「出た! ダブル太宰と中原中也!」
左の太宰が中原の帽子に手をかけつつ煙草の煙を吹きかけている。
右の太宰はそれを心配そうに見つめている。
といった前衛的な写真である。
この写真を撮った経緯ははっきりと覚えている。
「左の太宰がむんずと近寄ってきてさ……」
「私のこと指さしてバーカ! バーカ!って叫んだんだよね、グフッ」
「そうそう、逆なのにね。チュウヤンがダザムちゃんに言う台詞なのにさ……グヘヘ」
この時私は中原中也の格好で太宰治の『走れメロス』の「メロスは激怒した。」の九文字だけをねちっこく見つめていた。
そして、メロスが激怒しなかった場合の世界線に意識を飛ばしていたところだった。
「しかも、勝手に思考読み取られてたよねアレ。」
そうだ、何も私は「メロスが激怒しなかったらさ!」なんてことは言っていない。
あくまでもあの帽子の下の脳で考えていただけだ。
というかそれよりもナオミ……
あんたはいまだに中原中也をチュウヤン、太宰治をダザム呼びしてんのか!
その事実だけで腹筋シックスパックに割れそうだよ!
左の太宰ことタカネちゃんは文学少女にして太宰治ガチ勢。
マジのマジで中原中也を嫌っていた。
彼女は入学早々に開催される“国文学科地獄の熱海合宿”往路のバス内にて名前よりも先に「中原中也が嫌いです」と言っていた激強女である。
なお、バスが動く前から乗り物酔いをしていた私は彼女の異常性など正直どうでもよかった。
「ナカハラチュウヤってなんだっけ……そもそもどんな字だったっけ……いや、そもそも漢字? あーいや人? なんかの店?」
これは言い過ぎだがノリとしてはこのレベルでどうでもよかった。
自分に自己紹介のマイクが回ってきた時、ゲロが出るか出ないかの瀬戸際で虚ろだったので何を言ったかは全く覚えていない。
しかしタカネちゃんの私を睨みつける顔は今も脳に焼き付いている。
「でさ、タカネちゃんが言ったんだよね。一回殴り合えば分かり合える。だから、もう友達。って!」
「ギャア、やめてゲヘッゲヘッ! 殴り合ってねえし、私一方的にバーカ! バーカ!って言われただけだし!」
「それを言ったらダザムちゃんも一方的にバーカ! バーカ!って言われただけよ。また私はチュウヤン推しだからなんだったいいけど、オホホ。」
あの写真は和解の証というわけだ。
副流煙を吹きかけられている時点でなんら和解していない気もするがな!
とここで、私は大事なことを思い出す。
「ねえナオミ。ところで今日って、全国的に鉛筆の消費量が上がる日だったよね……なんだっけ。大学共通……共通大学……」
「大学入学共通テストね。」
「それそれ! よ! さすが現役高校教師!」
どこかで誰かが人生を賭けた大勝負に挑んでいるというのに何という馬鹿話をしているのだ、とほんのちょっとセンチメンタル、わずかに申し訳ないような、微かに情けないような気持ちに陥りつつも私の海馬は勇猛果敢にお馬鹿メモリーを引っ張り出してくる。
──あの春は、よく雨が降っていた。
私はエンジニアブーツで地面にへばりついた桜の花びらを踏みつけ、雑音と障壁を掻き分け猛然と歩いている。
「テニスサークルでーす! はーい、新歓やるから来てねー!」
「サッカー部、マネ募集中でーす!」
……うるさい、うるさいうるさい!
どけ!
四方八方どころか十六方、三十六方から差し出されるビラも我が面前では灰塵の如し。
その全てを「要らん!」と跳ね除ける。
「……邪魔だ……私はその扉の向こうに用があるんだ……」
扉を塞いでいたレインボーアフロのパリピを睨みつけ、私はすごんだ。
若気の至りもいいところで、人間的にまずい。
「ご……ごめんなさい……」
色を失いしぼんだ彼を再度睨みつけ、私はズイズイとまるで向かい風にでも逆らうような姿勢で奥へと進んでいく。
そんな人間的に終わっている私の、大学生活は始まったばかり。
とはいえ四月も半ば。
周りを見渡せば皆身を寄せ合い、肩を抱き、只事ではない臭気に怯えている。
だというのに私ときたら覚えたての煙草ならぬ明太子パスタを平然とすすり……
いや違う。
本当は臭くて臭くて死にそうだったがそれをひた隠しにしていただけだ!
要らぬ強がりだ。
しかしいくら強がっても臭いものは臭いので、左の親指と人差し指で鼻をつまみ、最前列で宇宙人みたいな声で教授に質問しまくっていた。
教授もまた、宇宙人の声で質問に質問で返していた。
あの大学で何か解決できた試しがない。
でも、それでいいのだ。
あくまでもあれは人生に伏線を縦横無尽に張り巡らせるための装置であって解決するための鍵ではない。
尤もらしいことを言いつつ自分でも何言ってんだかわからないという実情である。
「ああ……ナオミ、私自分で張り巡らせた伏線に引っかかってまた転んだわ。」
「人生なんてそんなもんじゃない? 伏線なんて張ったもんがちでしょ。」
「なんなら伏線の捏造だっていとわないのが今の世界じゃない? カロリー抱きしめて日付変更線超えたいからってゲフンゲフン!」
「あらやだァ。あなたそうやってまた。エモがお嫌いなのね。私もよ。生徒がすーぐなんでもかんでも“エモ”いって言うからおやめなさいってたしなめているわ。」
「まあ!」
ナオミはテーブルの下、ロングスカートに隠した網タイツの脚を組み替え言った。
「エロよ! 大事なのは健全なエロよ! ってね。」
健全なエロとはなにか。
ナオミにより私の人生に新たなる探究のテーマが与えられた。
胸が灼けるような甘い香りに気圧されつつ、ほろ苦い過去を掘り起こしては悶絶している。
私たち以外の席からは油と砂糖の混ざり合うギルティな香りが立ち昇る。
そして、また記憶を逆走し始める。
「青山一丁目? だめだ、あそこには何もねえ。確かクリスピークリームドーナツがあるのみぞ。」
「そりゃいけませんな、ドーナツといえばミスタードナッツ一択ですぞ。」
「糖衣のことをグレーズと言ってのけるその魂が気に入らぬのだ。」
「わかるゥ! だったら糖衣錠のことも“今日は頭が痛いからグレーズタブレットのまなきゃ〜”って言ってもらわないと我々が浮かばれないぜ。」
「それな!」
どういう理由でわかり合っているんだ、こいつらは。
話の変わり身が早過ぎて、思い出して書こうとしても追いつきやしないのだ。
当事者なのに。
ナオミは今日も現代文を教えている。
私は一人、ナオミによってもたらされた新たなる伏線に足を取られ蜘蛛の巣の蛾状態だ。
特段、言いたいことはない。
ただ今日も、地球は極めて丸そうだ。
それだけである。
揺らせるポニーテールは今のうちに揺らしきれ!
生きとし生けるものに幸あれ。
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中原中也に喧嘩を売りに行ったら小説が書けました。
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夢多き変態少女は高校教師になりました。
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ピンヒールで踏んづけるべからず。
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ゆきお様・作
トーテムポールってなんだったっけなあ……
となりつつ、おおそうだ。
アレだアレ。
と“アレ”で済ます、それじゃあだめだと辞書開く。
さあこれであなたも妖怪字引き網!
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ポテトチップスよりも
お・ぬ・し