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言い訳だけは饒舌に

今日も今日とてパブロフの犬の如く、画面に向かっている。
書くこともないのに向かっている。

かれこれ二時間以上もガンを飛ばされ続けている我がノートPCが気の毒になってくる。

居眠りすら許されず、不眠不休で睨まれ続けるX年戦士のダイナブックちゃん!

うとうとすれば叩き起こされる。
お仕事かしら?とカーソルを点滅させても音沙汰なし。
ずっと同じところで同じことを繰り返すのって、結構苦痛なの。
あなたもわかるでしょう?
実習先で狭い部屋に詰められて、金と銀の五ミリくらいの小さなトナカイを一日中作らされた時!
あなた、すごく怒ってその夜、私に心のうちを全部聞かせてくれたじゃない。

きたるクリスマスというイベントの重要性というものは理解した上で申し上げる。
金と銀の小さなトナカイを量産する技術以上に今私が身につけるべきは、麦穂帯・環行帯の技術の向上であり……

本音が滲み過ぎてボツになった午前三時の実習レポート

……という具合に、インテル入ってるナコちゃんの声を聞いてしまうくらいにはテンションがおかしい!

誰だ?
今、テンションがおかしいのはいつものことだろうって言ったの!
かっぽじったら耳垢ドバドバ出てきそうなくらい聴力弱まれりな私にもはっきりと聞こえたぞ!

まあそれはいいとして、このナコちゃんってのは私が看護学校に通っている時に出会いそこから苦楽を共にしてきたノートPCである。

お気づきかもしれぬが、なぜか私は持ち物に名前をつけたくなるへきがあるのだ。

例えば、
学生時代に買ったfenderのジャズベースには「村田」、
実家の台所の包丁には「ジャック・金岡」、
ハロウィンの日から満身創痍で働き続ける電子レンジは「サトミ」。

それでいて自分が赤ちゃんの頃からずっと大事にしているカメのぬいぐるみは
「カメさん」。

まんまだな!

これ、ラブラドール ・レトリバーに「ラブ」と命名することと、黒猫を見かけて「クロちゃん」と声を掛けることと同じくらい安直だ。

ちなみに私の祖母は、黒っぽい雑種の犬に「シロ」と名前をつけていたらしい。
らしい、と言ったのはこのシロって犬は私が生まれる前に生まれて、私が生まれる前に死んだからだ。

しかも、白黒写真でしかその姿が残されていないから実際の色がわからない。
なお、この写真ってのがなかなかに不親切なのだ。
ほぼベタ塗りの背景の手前に黒いシロ・・・・がいるもんだから老眼でなくてもブツを近づけたり遠ざけたり、それこそ閻魔大王……は会ったことないが、想像上の奴の如く眉間にシワを寄せまくるなどしないとしなければ認識できない。

我が記事同様、「一体私は何を見せられているのか」問答に巻き込まれるシロモノである。

とりあえず私は、
「そんなに顔に近づけてゲームしないの!」
と母親に怒られるくらいの距離かつ眉間にグランド・キャニオンができるくらいのしかめっツラをしたあたりで、立ち耳にだいぶ長めの尻尾の黒いシロを見つけることができた。

「あー!これ?」
と私は湿気たかりんとうを奥歯でミシィっと噛みしめながら写真から二センチほど浮かせた人差し指で輪郭を撫でた。

祖母は頷きながら熱い緑茶を啜っている。

このシロがやってきた経緯というのがまた、私からすると気まずい。
何って、
「自分で散歩に連れて行く」
「毎日のご飯も用意する」
「だから犬欲しい」
という三拍子から成る、よくある子どもの“やるやる詐欺”。
これによって迎え入れられた犬らしいのだ。

あろうことかこの詐欺事件の犯人は私の母。

というのも、
「ねえ! 机! 片付ける片付けるっていつやるの? 昨日は明日、一昨日も明日! あなたの明日はいつくるのよ!」
と、この日の朝は怒りの圧で背中を押され学校までたどり着いたくらいなのだ。
足を動かして歩いた記憶がない。
気づいたら学校にいた、という具合。

“やるやる詐欺”に激怒している本人もまた“やるやる詐欺”の犯人だと知らされるのだから、気まずい。
それも私は並々ならぬ謝罪案をほぼ半日かけて練っていたのだから、とても気まずい。

──私はこの日、授業そっちのけで謝罪内容を練っていた。
もはやいじめっ子が絶え間なく投げかけてくる暴言すらこの日は痛くも痒くもないといった具合で考えに考えていた。

心ここに在らずとはまさにこのこと。
七歳ながらに、そんなことを思っていた。

「明日など来るな!滅びろ!」というとんでも回答を導き出してしまい、口をついて出たのが
「毎日毎日うるさいんだよ!私に構うな!」
という言葉だった。
デフォルトが蚊の鳴くような声の私が荒れ狂う猛犬の如く吼えたものだからいじめっ子はあっけに取られ、金魚みたいに口をパクつかせていた。
そのオマヌケフェイス、一生忘れて差し上げないんだからね!

とかなんとか強がってみたものの、吼えたことへの後悔はとんでもない早さで私の背後にぴったりくっついた。
転がり出た言葉は戻らない。
いき行きはよいよい、かえり帰りはこわい”
とはよく言ったものだが、一番怖いのは帰れないことかもしれない。

後悔が私を追い越して猛ダッシュで通学路を逆走している。
後悔を追いかけるという全くをもって意味のわからない感覚に脇腹を痛めながら早歩き気味に帰路へ着く。

そんなこんなで、学童に通っていない私は自宅裏の祖母の家へ直行する。

祖母は急須にお湯をコポコポと注いでいて、その傍らには先に帰った後悔がどっかりとあぐらをかいて豆大福で口をいっぱいにしながらモゴモゴと
「ンッフ!ほはへひおかえり!」と言っている。
いや、言ってはいない。
そんな気がしただけだ。
我が物顔の後悔にイラッとしつつ、
祖母に「ただいま」と声を掛けた。

人生の先輩は鋭い。
この言い切るのに一秒すら要しない「ただいま」の中に私の絶望と葛藤を見出したのだ!

「まあ、いろんな日があるわよ。」
祖母はお茶請けのきゅうりの糠漬けをポリっとかじりながら言う。
テレビの中の黄門様がドヤ顔で、紋所を見せびらかしていた。

そんな中もたらされたのが、例の黒い「シロ」の写真と母の前科に関する情報だったわけだ。

私は祖母に我が机の惨状及び、すぐそこで五個目の豆大福を食い終わらんとしている後悔のことを白状した。

「あなたはね、良くも悪くも人の顔色をうかがい過ぎよ。そこは私もそうなんだけど。うかがわずにはいられない。違う?」
「違わない。」
「いいの、別に。それ自体は悪くないの。でもあなたはそうね、うかがったら“相手が気持ち良くなる言葉とか行動”を探す。」

確かにそうだ。
私が今日考え続けていたのは、まさに
“母の本日の疲労度、いらつき指数から割り出される、謝罪時の自身の表情及び声のトーンの最適解”
だったからだ。

もちろん、一人で生きる術をまだ知らなかったから「許されたい」「許されねば生きられぬ」という自己中心的な思いであることも確か。
でも、七歳の私にとっては死活問題だったこともまた事実である。

「だから疲れるの。」

ハッとした。
そうだ、きっとこれが疲れるという感覚なのだ。

「子どもって元気だよね」
「うちの子、疲れ知らずでさ……」
「俺も子どもの頃は平気だったのに今じゃ身体がもたなくて……」
外に出れば耳に入る大人が語る「子ども=元気」というイメージが糠漬けの塩分の如くしっかり私にも染み込んでいたことを知る。

足し算・引き算・掛け算・割り算といった数式は解けずともこういう処世術系数式がお手のものというのはさほど褒められたものではないと理解した。

それでも私は考えることをやめられない。

本日の天気は小雨。
なおかつやや寒い。
外部環境的要素は最悪だ。
加えて今朝は父がポケットに鼻かんだティッシュを入れっぱなしにしたズボンがとんでもないカタストロフを巻き起こし、その残骸がまだ自宅には残っているはず。

父め……
あのカタストロフ発生時、すでに霞ヶ関へ避難していた元凶を恨む。

極めて戦局はよろしくない。
……おい。
いつからいくさになったんだよ!

何かはわからないがテレビの中では筵旗がひるがえっている。
つられた!

とにもかくにも、今回は毅然とした態度で謝罪し、あのしょうもない机の上をいつまでにいかように整え、どのような再発防止策を講じるかを理路整然と並べようと決意したところ祖母が先ほど以上に厳かに語り始めた。

「あなたに足りないのは意地悪な心、意地悪になりなさい。私みたいに。」

“私みたいに”と言われたとて、祖母を意地悪だと感じた試しがない。
一体どういうことなのだ、と首も九十度を通り越して百八十度……も通り越して三百六十度回り、ハイ!元通り!な私を見かねてフゥとため息をひとつつく。

そして語られた内容は……

散歩中、道行く人がシロに向かって、
「ほれ、クロや〜クロや〜」と声を掛けてくるのを
「(心の中で)小馬鹿にしていたわね、ホホホ……」
である。
菩薩のような微笑みで閻魔大王みたいなことを言っていた。
おったまげた私は後ろにひっくり返って窓の外に後頭部から落っこちた。

先程まで私が座っていた出窓から、後悔がニヤニヤしながら見つめている。
もう十個目の豆大福を平らげて、粒あんもなかで口をいっぱいにしながら。

筆ってもんはなかなかにイケズで、乗って欲しい時には乗ってくれなくて「今じゃないんだよ」って時に乗る。

「今じゃない」時というのは、今日はたくさん寝るぞと意気込んだ日の二十三時台とか、のっぴきならない用事の三十分前。

逆に乗って欲しい時ってのは、
家に誰もいなくて、家事も余裕で終わっていて呼吸くらいしかすることがないタイミングのことをさす。

まさに今日の午前中なんてそれだったのに、まあ言葉の浮かばないこと!
意識も遠のいて、京都あたりにすっ飛んでおりました!
だから、筆は“イケズ”。
イケズってのは関西の言葉で「意地悪」という意味でございます。

でもこれは、ネタが尽きたとか、特筆することがないということではない。
溜まりに溜まった落ち葉でギッチギチに詰まった排水口の真上に線状降水帯が発生した時に起こり得る状況……
あれだ!
ネタの悪い意味での無限噴出。
収拾がつかないという状況。

私にはストックがあって、その中でも六種類のランク付けがしてある。

①即出しストック:
   タイトル、文章、見出し画像まで揃っている状態。
  いつでも出せるもの。

②要推敲:
   ある程度書き上がっている。
   いざという時(諸事情で新記事が書けない時等)用も
   ここに分類する。

③要書き直し:
   完成間近、もしくは完成済だが読み直したら「ん?」なもの。

④ただのネタ:
   情報の羅列。
   大抵、別の記事を書いているときの副産物。

⑤ゼロ文字:なぜ存在するのかがわからない無地記事。

⑥落武者(約二千字):
   俗に言うボツ。
   純粋に面白くないか、
   出そうとしたタイミングで他の人が同じような
   話をしていた時に生まれる。

基本的に即出しストックは滅多にない。
二ヶ月くらい前に三本程あったがここ最近はない。

でだ。
重要なのは、ストックしたいがためにモリモリと書くじゃろう?
書きたいことが溢れているから苦痛ではない。
楽しくてやっている。

で、ストックがありつつも新しく書けた方をアップするじゃろう?

そんなことを繰り返していくうちに“即出しストック”から“要推敲”にランクダウン、さらに“要書き直し”にまで没落。
最終的に“落武者”になるわけだ。

先日上げたナオミの記事がまさにそれで、実は今年の五月には書き終えていた。
即出しストックから落武者になり、十一月になりようやく陽の目を見た。

ごめんな、ナオミ……!

とかなんとか思っていたら今日は心ここに在らずならぬ筆ここに在らず、になっていたわけだ。

心は不在票で詰まり、筆は折られる恐怖に打ち震えていた。

という具合に言い訳をした!

……って、ちょっとアンタ待ちなはれ。
書けとるやないの!

乗らぬ筆ほどよく書ける。

気付けばナコちゃんも静かに眠っている。

明日には心も筆も、無事に帰ってきますように。


【とても筆が乗っていた時の記事】

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よもぎ よもぎちゃーん! はーい! 何が好き? ポテトチップスよりも お・ぬ・し