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何度でも──『水辺のつつじ』ep.55

気付けば空は紺色へと変わっていた。
樹々の先、ビル群の奥に薄紅色の光が帯状に残されている。
まるで、襷のように。

騒がしい国道沿いの道を外れ、逃げるみたいに駆け込んだ小径の隅で、僕は膝から崩れ落ちた。
浅い呼吸を繰り返す。
額には汗が薄らと滲む。
僕はそれを手の甲で拭った。

瑞樹みずき……君……?」
僕の方を振り向いた彼女もまた、途切れ途切れに呼吸を繰り返す。
彼女は小走り気味に戻ってきて、乾いたアスファルトの上、灰色のスウェットの膝を僕の膝と並べた。
そして僕の肩を抱き言った。
生駒いこま君みたい。」

──生駒君。
彼女に背を撫でられながら、僕は彼の姿を思い出していた。
襷を繋いだ彼もまた、浅い呼吸を繰り返していた。
地に膝をつき、額の汗を拭いながら。
紫紺のタオルに肩を抱かれて。

ぽつり、ぽつり、住宅の灯りがともり始める。

僕は座り直し、塀にもたれかかった。
彼女も黙って、同じ風にした。

「そうかな?」
空の色はみるみるうちに濃くなっていった。
それでもまだ僕のコートの紺色の方がよほど夜の色をしていた。
「そうだよ。」
彼女は笑った。
きっと、笑った。
僕は彼女と同じ灯を見ていたかった。
だから、彼女の顔を見なかった。

間も無く星が瞬きそうになった頃、僕たちはようやく立ち上がり、鳥居をくぐる。
右手の方から突然上がった笑い声に目をやった。
大きめの子どもが数人、滑り台を懐かしんでいるらしい。
「瑞樹君もやってくる?」
僕は咄嗟に首を振った。
「そう? やるなら待っとくのに。」
背中で言って、彼女はつかつか進んで行く。
僕の前をひとり、またひとり、横切った。
白いスーツケースを身体に引き寄せてから、視線で人を掻き分ける。
「ゆうか」、その名前を呼んでみたかった。
でもその瞬間ときはどういうわけだか躊躇われて、僕は幼い子どものように口を真一文字に結び、突っ立っていた。
「ねえ、行こう?」
彼女は僕の手首を掴み、自分の方へ引きつける。
掴まれた手首から、すべてを見透かされてしまう気がした。
同時に、今なら誤魔化しがきくような気もしていた。

石燈篭にが入れられ、橙色の光が揺れ始めた。
水舎の前まで人の列は伸びている。

自分の番が来る前から手をすり合わせる制服姿の高校生、無尽蔵に願い事を叫び続ける小さな子ども。
スーツ姿の目の前の彼は一体何を願うのだろう。

いよいよ僕たちの番だ。
二礼、二拍手、一礼──
通り一遍の型をこなす。
問題は願いごとだった。
僕は一体、何を願う?
何を願えばいい?

ちらと彼女の方を見る。
まだ目を閉じている。
僕は慌てて正面を向き、目を閉じる。
またちらと隣に目を向ける。
まだだ……
次はもう隣ではなく後ろを向いた。
正面にするよりよっぽど深く二礼して、狛犬の背へ身を寄せた。

「瑞樹君、何お願いしたの?」
潔いまでに頭の中は真っ白だった。
「ええと……」
「だめ!」
彼女は自分の唇の前に人差し指を立てた。
「言ったら叶わなくなる!」
「そうだね。」
顔を見合わせたまま、ただただ笑っている。

階段を半分ほど降りたあたりで彼女は立ち止まる。「あ。」
後ろを降りてきた人に、僕は頭を下げた。
後ろの人を見送った僕は、鳩尾を拳で突き上げられたみたいな顔をしていたと思う。
彼女は一瞬、首を傾げた。
僕は慌てて笑顔を貼り付けた。

「おみくじ、ひいてこうよ。」
「いや、俺は別に……」
その言葉は輪郭を持たなかった。
単なる音として雑踏に紛れた。
でも、それで良かった。
僕はまた彼女の背を追いかけている。
「ゆうか……早い……」
僕はスーツケースをかかえ、なるべく早く足を動かした。

御籤処は鳥居の手前にある。
角ばった箱をがらがらと振る人、縦に長い薄紙を手に一喜一憂する人で溢れていた。

それよりも先に、僕の目に飛び込んできたのは木箱に並べられた白鳩の姿だった。

「瑞樹君、瑞樹君。」
「え?」
「やろ? おみくじ。」
彼女は箱を振る動きをして見せた。
でも、僕の目は彼女に焦点を合わせることができなかった。
「ん?」
彼女は僕の瞳を上眼にのぞく。
「もしかして……」
視線は鳩と僕との間を足早に行き来する。
「鳩?」
僕は大きく頷いた。

揃って鳩を迎えた。
大吉に喜ぶ彼女のとなり、僕は鳩に満足してしまいずっと眺めていた。
「ねえ、瑞樹君? 何吉だった?」
「え?」
「『え?』じゃないでしょ?」
促されるまま、僕は鳩のお腹からおみくじを引っ張り出した。

──待ち人  来る、便りあり
燈篭の揺れる灯に浮かんだ文字と、首を傾げる僕の待ち人。

「何吉?」
「末吉。」
「何、なんでそんなに笑ってるの?」
「へへ……別に。」

僕はまた、白鳩を包み込んでいた。
半ば無意識だった。

こうして彼女は二回目の、僕はようやく一回目、、、の初詣を終えた。

再び鳥居をくぐったときにはもう、空は僕のコートの紺よりも濃い闇に染まっていた。
星は、都会の空で薄く銀色に燃えている。

「私、そっちの子がいい。」
そう言って彼女は僕の手に乗る白鳩を指さした。
「こっち?」
「うん。」
僕は鳩を受け取った。
ひんやりとしていた。
冷たい、とは違う。
ただ、ひんやりとしていた。
歩き出す空気に、僕は佇んだまま鳩を包んだ。

どれくらいこうしていただろう。
「まだ?」
彼女の声に僕は目を開けた。
このとき初めて目を閉じていたことに気づいた。

「もう!」
そう言って彼女は僕の背を叩く。

僕はまた、鳩の温度を感じながら乾いたアスファルトを進んで行く。

相変わらず二四六国道は騒がしい。
彼女も僕も、けたたましい光に目を細め笑っていた。

「またね」と手を振るその時まで。


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恋愛小説部門エントリー中。
やっと初詣に行けた貝原瑞樹。
ちょっと珍しいおみくじに挑戦しました。



一話前


オールカテゴリ部門エントリー中の詩人酒場。


ゆきお様・解説
自分ですら気づけなかった真相へと向かう面白さ。

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