『殴り殴られ詩人酒場』ep.78「六花、金平糖」
本をかき分けること、砕氷艦が如し。
俺は姿勢を正し、小卓の前に座した。
インク壺の蓋を廻しつつ、窓の外に目をやった。
相変わらず小雪がちらちら舞っている。
向かいの家の庇では白花の蕾が綻び始めていた。
──おみおへ
俺は一行目を書き出そうとして、はたと手を止めた。
「おみお……?」
俺は足を崩し、冷たき花の落つるを数えた。
一輪、二輪、三、四輪、五輪、六輪、七……
「きりがねェや。」
一人きりの部屋の中、俺は後ろ手に指を組み、毳立つ畳に仰向いた。
あれは俺が九つを手前にした八つの歳の冬のことだった。
あの日も小雪が舞っていた。
「坊っちゃん、気ィつけるんだよ。」
「修ちゃん、こんな時くらい仕事なんかよしなよ! 見えるかい? 金平糖!」
小学校も冬休みに入った年の瀬、昼餉を終えた俺は庭で雪と戯れていた。
頭を擡げ、大口開けて、片足だけで跳ねていく。
鯉の池の飛石に薄ら白い花が咲く。
舌の上で溶け消える、甘みの弱い金平糖。
修ちゃんは、部屋の中にて分厚い帳面を忙しなく繰っている。
繰っては何か書きつけて、書いてはまた繰って、その間合いを縫って「ほれ、前! 前を見!」だの「こりゃあ晩には腹痛でお医者を呼ぶようだ……」と俺のお守りに精を出していた。
「修ちゃん、見てて!」
とりわけ大ぶりの金平糖が、大地を目指し降ってくる。
ゆうらりゆうらり浮き沈みを繰り返しつつ、降りてくる。
俺はそれを喰ってやろうと口を開いて石を蹴った。
──坊っちゃん!
薄く張った氷を尻で割って、俺はびしょ濡れで笑っていた。
「言わんこっちゃない……」
眉間に尾骨を差し入れて、修ちゃんはやれやれと庭へ降りて来る。
門の内、水木の横──
ひとりの男が佇んでいる。
鳶を羽織った彼は蝙蝠傘を目一杯傾けている。
その肩には白く雪が積もり出していた。
多分、あれは俺の父親だ。
──男の差し向ける傘の下、一人の少女が立っている。
数えで十四だというおみおは、随分と大人びて見えた。
「修ちゃん。あの子、誰だい?」
「おや、早かったね。」
「ん?」
「年明けてからって話だったんだけどな。」
「修ちゃん?」
「いんや、こっちの話だ。……って、坊っちゃん!」
本当は自分で立てたのに、俺は甘えたくなって彼の腕にしがみついて池から上がった。
鳶の男と少女の姿はすでに消えていた。
水木は華奢な枝先を揺らし、白透明の花を舞わせた。
「ほれ、朔坊。こっちいらっしゃいな。」
「なあ、ハルさん。俺、この着物いやだな。」
濡れ着物を脱がされながら、畳の上に置かれた縹の着物を指差した。
俺は部屋の隅でうずくまる少女にちらと目を遣る。
彼女の視線は行き場なく、己の運命でも恨むが如く所在不明の睨みを漂わせた。
「え?」
「修兄ちゃんが着てんのみてェのがいいなあ……」
「何言ってんだい、坊っちゃん。それこないだ仕立ててもらったばっかだろう? これよりよっぽど立派だぜ?」
修ちゃんは自分の紺絣の着物を叩いて、笑った。
ハルさんは素っ裸で逃げ出そうとした俺の腕を掴むや否や、「あ」とも言われないうちに帯を結び終えてしまった。
修ちゃんとハルさんは何やら言葉を交わしたのち、互いにうんうん頷いて部屋から出て行った。
あの日、おみおはずっとむくれていた。
相変わらずその少女は部屋の隅でうずくまったままだった。
真っ赤になった手に、息を吹きかけている。
二人の会話から、彼女の名を知った俺はつい嬉しくなって声をかけた。
「みおちゃん。」
彼女は膝を抱え、俺のいるのと反対の隅を睨みつけた。
俺はハルさんが肩に掛けていった毛布をおみおにかぶせた。
「みおちゃん。俺、サクヤ。上原朔也。」
微動だにせず、睨みの色だけが濃くなっていった。
「あと二月もしないうちに九つになるよ。」
襖が開いて、二人が戻ってきた。
ハルさんが障子を空けて庭と部屋とをひと繋ぎにすると、そこへ修ちゃんが火鉢を置いた。
「朔坊、風邪ひきますからね。」
俺はされるがままに火鉢の前に腰を下ろす。
海碧の火鉢には焼き網が載せてあって、傍には皿にこんもり盛られた干し芋が置かれている。
「それ食って、あったまっときな。」
そう言って修ちゃんは出ていった。
ハルさんは何やらおみおに一言二言声をかけたらしく、おみおは力無く頭を揺らしていた。
修ちゃんに遅れること一、二分、ハルさんが去り襖が閉まった。
火鉢の熱は外の空気と混じり合い、部屋は相変わらず冷えたままだった。
俺は早速網の上に芋を並べる。
「みおちゃん。」
もはや、返事がないのが当然のこととなっていた。
「火鉢あったかいよ、こっち来てあたんないかい?」
おみおの顔はいよいよ行き場を失って、彼女の真横の壁に額を押し付けんばかりになってしまった。
程なくして芋の甘い匂いが漂い出して、俺はそれを箸でつまみ上げた。
取分け皿のないのに気づいて、仕方がないからまだ焼いていない残りの干し芋の上に載せる。
大皿ごとおみおの前に持って行く。
「みおちゃん。芋、一緒に……」
瞬間、俺は何が起きたのか分からずにいた。
畳の上の芋、甘い匂い、初めて聴く声の鋭い余韻──
「おめェにオラの何がわかんだ! ほっといてくれ!」
雪燈で透かされた瞳には花びらのような模様が見える。
それを隠すほどに伸びた睫毛が小刻みに震えていた。
遅れて頬が痛み出した。
「みおちゃん……」
赤切れた指が縹を掴んだまま固まっている。
まただんまりになってしまった彼女に、俺は言った。
「このお芋、みおちゃんいらないなら俺、全部食べちまってもいいかい……?」
言い切るか言い切らないうちに、腹の虫が輪唱した。
おみおは縹を放し、腹を抑えた。
俺もまた、腹を撫でた。
その実、俺は雪恋しさに「腹具合が悪い」などと嘯いて昼餉を相当に減らしてもらっていたのだった。
のちに聞けば、おみおは俺の腹っぺらしの発言に拍子抜けしてしまったそうだ。
すっかり苛立ちは馬鹿らしさに変わって、途端に腹が空いたんだとか。
その後、おみおはぽつりぽつり、実家の芋の畑のことや「みお」は「水脈」と書くこと、自分は干し芋より干し柿が好きであることを教えてくれた。
それからは毎日、俺とおみおは八つ時になると芋を焼いて食った。
そして彼女は平気で俺の前で屁をこいた。
「朔ちゃん、オラの屁ェに勝てっか?」なんて勝負を挑んでくるもんだから、俺も負けじと屁をこいた。
いつしかそれは「屁相撲」と呼ばれるようになり、秋から冬は殊に盛り上がったのだった。
……ん?
俺は咥えていた万年筆をぷっと飛ばし、跳ね起きた。
どたどたと階段を降り、土間でうずくまりこそこそしているイヨさんの背に向かい叫んだ。
「初恋でもなんでもねえや!」
イヨさんは顔を真っ赤にして胸を叩きつつ振り向くと「なんの話だい?」と絞り出すように言った。
「すっとぼけんじゃないよ! おみおのことさ!」
「ああ……あんたの初恋の……」
「アレのどこが初恋だってんだ!」
俺は勝手に怒り、勝手に叫び、イヨさんの手に握られているブツを奪い、どたどたと階段を登った。
そして、便箋一枚を屑籠に食わせた。
──みおちゃんへ
俺はあの日の雪辱を果たすべく……を喰ろうておりますが……
万年筆は走り、窓の外の雪はいよいよ街を埋め始めていた。
街は白、文は黒。
畳に積もる本と埃のことだけは、しばし忘れたふりをして。
俺は指の先から甘い雪を降らすのだった。
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【創作大賞2026】
オールカテゴリ部門エントリー中。
父上に手紙を書けないので代わりに……?
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ペトリコールはやたらみんな使いたがるのになんでゲオスミンは使ってやらないんだい?
響きの問題?
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ゆきお・様解説
なお、この記事、誤読含めて五、六通りの読み方ができるように作りましたのでぜひ。
※プロットはない。
言葉で遊んでみただけ。、
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よもぎちゃーん!
はーい!
何が好き?
ポテトチップスよりも
お・ぬ・し