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イヴ、不完全燃焼

しまい忘れの夏を残したままの阿佐ヶ谷にチキンの焼ける匂いが漂えば、それはクリスマスの合図。
十六歳のクリスマスイヴ、私の鼻をついたのは彼女の胸の灼け焦げる匂いだった。

「ウオオオオオオオ!!!!」

大きなクリスマスツリーを風圧で倒し、その背後のハイビスカスを高円寺まで吹き飛ばすが如くケンタウロスの速度で私は高架下を爆走する。

生活指導の教員のスキンヘッドが校内に入らんとしている。
奴を入れてはならぬ!

「待たれーーーーーーーーい!!!!」

奴はチャンスの神様より手厳しい。
そして己を悔いることもしない。
なぜって前髪もなけりゃ後ろ髪もないからだ。
むしろどこを見渡しても髪がないからだ。

「おいおい……十二月に走るのは先生だけって相場で決まってんだよ。生徒が走ってどうする! ガハハ!」

肩で息をしながら私は恨めしげに先生を見つめる。

「いいよ、今日だけ特別だ。エレベーター乗ってけ!でも、三階までな。その先は己の脚で行け!」

助かった。
このまま自力で四階までともなれば危うく二階の半分あたりで心臓を嘔吐するところだった。

息も絶え絶え教室の引き戸を開ける。

「おぎやはぎのやぎでーす!」
「いねえよ!」
という新キャラの誕生と抹殺の瞬間に遭遇。

私は扉の解放によりひとつの命を召喚し、そしてそれを無情にも刹那に葬り去るという悪のメシアとして覚醒してしまったらしい。
あろうことがイヴの朝に。

……小規模なサイレント・ナイトかよ!

普段以上に馬鹿騒ぎの過ぎる教室で、ユリナはぼんやりしている。
少なくとも実体のみをクリスマスイヴに置き、心はどこか別の日付に不法投棄してきたようだ。

現に、彼女の足元で巨大ゴキブリがのんきにぬくぬくと休憩しているのに
ユリナ・パニックが起きていない。

よかったな、G!
お前、命拾いしたんだぞ!

ユリナ・パニック
ユリナが虫に遭遇した際に起こる現象。
虫の種類、サイズ問わず発生する。

「ヴォォォォォォォォォォォォオ(デスボイス)!!!!!
虫!!!虫!!!
イヤァァァァァァア!!!!」
と言う音声と共に暴れまくり、時に対象の虫を冥土送りにすることがある。

技の一例)
◽︎エスケープスキップ:虫から逃れようとして踏むこと。
◽︎巻き添えパンチ:電車で起こりがち。手すりや人にぶつかりながら虫を潰す技。

Yomopedia

日頃、クールビューティーを装っているユリナ。
彼女の敏感過ぎるリミッターはわずか一センチにも満たないコバエで解除できてしまう。
鞄には推しグッズと虫コナーズがぶら下げてある。
故に、堅さゆえの脆さと言うべきだろうか。

とにもかくにもリミッターの外れたユリナは縦横無尽に火力高めの技を繰り出しまくる。

足元のゴキブリに関しては、エスケープスキップで踏み潰すことも多々あった。

だが今日は、ユリナもゴキブリも微動だにしない。
リミッターはおろか、そもそものムシ・セコムのセンサーが切られている。

セキュリティは脆弱を極めたまま時は進む。

ゴキブリを教室に残し、日直が厳重に鍵を閉める。
我々は一体何からゴキブリを守っているのだろう。
常日頃気になっている。

私は心理的満身創痍で歩くことすらままならないユリナの腕を自分の肩に回し、廊下を進む。

「……正面知っちゃった……正面……正面……」
私の右側で、うわごとのように唱えている。
空前の正面恐怖症を発症してしまったユリナは私の顔すら見てはくれない。

わかるよ、ユリナ。
知りたかったはずの正面に見たくもない不都合な事実があったんだよね。
それは別にあなたを傷つける目的で存在していたわけじゃないけれど、ひどく打ちひしがれたんだよね。
だから、眉毛剃るのに失敗して全剃り状態かつ鼻かみすぎて皮がズル剥けの私の面白フェイスですら真っ正面から見られないんだよね。
いいよ、無理しなくていいよ。
と心の中で伝えた。

そんなノロノロな我々の後ろから家庭科の三枝先生(仮名)がドタドタと駆けてきてビュンと追い抜いていった。

「うおっ!! すれ違わないパターンの激ヤバ速度の点P!!」

私は、その衝撃を数学で例えてみたがユリナには全く響いてはいなかった。
そして背中の一点がとんでもなく熱くなる感覚があり振り向くと、クラスメイトの山中君が歩いている。

おのれキサマ山中……
視線で我が背中を燃やすな!

そして、ニヤリともせずに追い抜いていく山中君。

家庭科室にはカラフルな天冠を頭に乗せた……じゃなかった。
三角巾をつけ、エプロンを装着せしクラスメイト。

どれも同じなのに包丁を凝視する山中君。
おぬしの魂胆はわかっている。
視線で溶かして鍛造し直すんだよな。
君の調理実習は包丁の根性を叩き直すところから始まるんだよな。

──絶対に違う!
頼むから私の妄想に薪をくべないでくれ。
山の中から薪を切り出してくるのをやめるんだ、山中!

「はい、皆さん注目!」
黒板には今日のメニューが書かれている。

〈今日作るもの〉
1.香味野菜とローストチキン
2.小エビのカクテルサラダ
3.ショートケーキ

テーブルにずらりと並ぶは、丸鶏、株ごとセロリ、エビ、いちご、謎の草、そして……

「私としたことが不覚でした……」
突如として推理をミスった名探偵的テンションの家庭科教師・三枝先生。

「私は授業で散々スポンジケーキの焼き方について熱弁しました……」
先生の左隣で申し訳なさそうに積み上がる既製のスポンジケーキ。
先生は丸鶏をひとつ持ち上げ再び語り始める。

「ケーキを焼けるはずがないのです! だって、一班につき一つのオーブンしかないのですから!」
丸鶏が土下座している。

「私は迷いました。今後の人生で役に立つのはどちらなのか!」

先生は丸鶏を静かに机に置く。
もう、切腹最中を携えて謝罪行脚真っ只中の会社員にしか見えない。

「そして、実用性よりもドラマティックな経験を優先してしまいました! だから丸鶏で作るローストチキンにオーブンを捧げます!」

確かに丸鶏を焼く機会よりスポンジケーキを焼く機械の方が多かろう。

「そして……」

この後もしばらく先生のドラマティック教育論が続いたのだと思う。
私の隣でユリナは一点を見つめていた。
私の意識はアイリスアウトした。

再び意識がフレームインしたところでいざ調理開始。

マッシュルーム頭の星野君が
「やあやあ俺たちは泣く子も黙る星野リゾート! 君達よりも早く、美しく、美味い料理を提供してみせるよ!」
と別の班に喧嘩を売っている。

が、誰も買わない。
売れ残っている。

開幕早々彼は生クリームをモリモリと泡立てている。
佐々木は黙ってエビの背ワタを抜いている。

私は誰も手をつけない丸鶏とモリモリホイップ男との間で視線を走らせる。

「よろしくどうぞ!」

お前ら、絶対丸鶏の処理に困って早々に作業し始めたんだろう!

ユリナはやはり頬杖をついたまま一点を見つめている。
……いかん!
収斂火災が起きる。

私はセロリを丸鶏に詰める。
その度に星野君が
「グハッ!!」
「ウォッ!!」
と渾身のアフレコを入れる。
それでも詰める。
私は不屈の精神で詰め込む。
期末試験のために頭に詰め込んだ知識ごと丸鶏の中に詰め込む。

「いってらっしゃい……」
なぜか唐突に厳かな空気が流れる。
丸鶏は土下座したまま二百度のオーブンの中へ。

小エビはすでに、ワイングラスの縁でお行儀よく円陣を組んでいる。

星野君がケーキに最後のひとつの苺を乗せると同時に丸鶏も焼き上がった。

行儀良く並んだ小エビのカクテルサラダはまるで五つ星ホテルの前菜のよう。
先程まで申し訳なさそうに土下座していた丸鶏はこんがり焼けて、謝る気皆無の夏の陽キャと化している。
ケーキの上のサンタクロースは微笑んでいる。

それでもユリナは沈んだまま、サンタクロースの横顔を眺めていた。

ここで、先生が気を利かせてルロイ・アンダーソンの「そりすべり」を流す。
やめろ!
人生の一番楽しい瞬間的なBGMやめろ!
ユリナのドス黒い影がより一層黒さを増している!
このままでは彼女自身が影になってしまう!

私は頭をかかえる。

ウンウンと唸り続けた私が次に見た時ユリナは、ホイップクリームまみれのエビを見つめていた。

あ、まずい。
と私が思ったのと同時にユリナはそれを口の中に放り込んだ。
彼女の喉が動く。

星野君は口をあんぐりと開け、固まっている。

「ねえ、あれアンタの仕業でしょ?」
「い? え?」
「とぼけるな!」
「佐々木……」
「佐々木なわけあるか! いやあってたまるか!」
「ごめん俺……」
「やめろよ、そういうロシアンルーレット的なガレット・デ・ロワは! バトルロワイヤルかよ! ガレット・デ・ロワイヤルかよ!」
「え?」
「何回も言わせるな! ガレット・デ・ロワイヤルかよっつってんの!」
「え?」
「おん?」
「小声だからよく聞こえないんだって!」

愉快なBGMにかき消されてしまう、悪ふざけの責任の所在。

ユリナは無表情のまま、黙々とケーキを食べ続けている。

私は黙ってユリナの隣に座って、ケーキを口に運ぶ。
今まで食べたどんなケーキよりも甘かった。
笑ってしまうほどに。
飲み下せば、その甘さで食道が灼け焦げる感覚を覚える。
右側から視線を感じたけれどあえてそちらを見なかった。

──帰り道、しまい忘れの夏の横を歩く。

ねえ、ユリナ。
その痛みの全ては私にはわからない。
でもね、想像することはできる。
……ただあまりにも胃もたれがひどくて私は死にそうです。
だからごめん、今だけは、今だけは胃薬のことだけ考えさせて。

別ベクトルの灼け焦げる匂いを放ちながら、私たちは横並びで中央快速高尾行きに揺られている。

街は相変わらず浮かれている。
電車の窓越しに見るユリナの正面は、私の正面を穏やかに見つめていた。


ユリナの横だの正面だのの話。


ユリナがブチギレていた相手。

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