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人生は冒険より、忘却だ

「忘年会」とはよく言ったものだが、こちとら日々のことすらまともに覚えていられないというのに、これ以上何を忘れろと言うのだ。

急なシステム変更に「最近、物覚えが悪くて……年のせいかな。」と言い訳をし、
昨日の夕飯すら思い出せず「最近物忘れがひどくて……年のせいだな。」と開き直る。

そのくせ年末には“忘年会”である。
もう忘れるものなんて何も残っちゃいないというのに。

これ以上忘れたら督促状を焼き払ってまで延滞したあの輝かしくも混沌とした二十代のめくるめく日々まで忘却の彼方へと消えてしまう。
午前5時の牛丼の味も、小さな映画館で見た12歳の少年少女の駆け落ちも、全部色を失うだろう。

それなのに、年の瀬に年単位でまとめて忘れようとするこの風潮。
今日もどこかで2025年が消えてゆく。

──かつてよく来た居酒屋で、あの頃とはまた違った苦悶を浮かべつつ烏龍茶と首を傾ける我々。

「こちとら毎日開催の忘日会ぼうじつかいに追われているというのに。」
「年単位で覚えてられるってだけでもすごいじゃんね。」
「むしろ365日分のあれこれを駆け込みで一気に消去できる機能が羨ましいよ。」
「ああ……俺らなんてもうチェックボックスひとつずつクリックしてるようなもんなのに……」

隣の島の二十代、推定現役大学生集団の隣で、延滞に延滞を重ねたモラトリアムをくすぶらせ、いらぬ燻銀を作り上げるアラウンドサーティ。

寄る年波ではなく、現役のモラトリアムのきらめきに惨敗している。

「……なんだっけ、あの……なんかいつもあわよくばあしかがフラワーパークを食虫植物だらけにしようとしてた先輩の名前。」
「あー……なんか“川”ついてなかった?」
「いや、“岩”じゃない?」
「“岩”ってほど大それたもんじゃなかった気がするけど。」
「じゃあ“石”?」
「いやあ……」
「礫!」
「砂!」
「泥!」

あまりにも物事を忘れすぎて、人の悪口すら言えないアラウンドサーティである。

歳を重ねると丸くなると言うが、丸くなっているのは身体だけで心そのもののささくれ自体は年々ひどくなっている。
ただ、怒りの矛先を忘れてしまっているだけだ。

「あ! そう言えば……」
「うん。」
「……」
「……」
「ごめん、いいや。何言おうとしたか忘れた。」

朝ドラの金曜日の結末をすっかり忘れた月曜日的な物忘れで他人をモヤつかせることも日常茶飯だ。
そして、必ずこう続ける。

「大したことじゃないから気にしないで。忘れて。」

たいてい言っている本人の中では世紀の大発見とか、名だたる文豪達をも凌駕するキラーフレーズが生まれている瞬間なのだが“大したことじゃない”と忘れてしまった悲しみと悔しさをひた隠しにする。

そして、“忘れて”と言われた側の方がよっぽど忘れた当事者以上に忘却の彼方へとおいやられた“not 大したこと”が気になってしまうのは、それがおうおうにして大したことであることを知っているからだ。

「ねえ、それっていつ頃の話?」
「……だからさ、それが思い出せな……」
「仕事のこと?」
「うーん……」
「わかった! ご祝儀貧乏!」
「それは3年くらい前に終わった!」
「わかった!」
「何?」
「田園都市線の水が噴き出してるとこの話!」
「それじゃないことだけは確かだよ!」

こうしてあれこれ思い出させようと試みる。
思いつくままにぽこぽこぽこぽこ言っているうちに大喜利と化し、挙句炙り出されるのは“そうじゃない”ことがらがいかに“そうじゃない”か、である。
そして思い出させたい事柄はもはや迷宮どころではなくブラックホールに飲み込まれている。

「ねえ、アレ食べたいんだけど。」
「ああアレ?」
「そうアレ。塩味のアレ。」
「え? ないよ?」
「嘘つけ! 学生時代ほぼ毎日食ってたじゃん。ないわけなかろう。」
「毎日は言い過ぎだから! 明らか餃子と天津飯の日の方が多かったから!」
「いんや? 私は断然四川麻婆ばっか食ってたけど!」
「アレないよ……」
「アレの名前なんだっけ?」
「あー……薄塩ピース?」
「塩薄くはなかった、だいぶ塩だった!」
「だいぶ塩ピース鶏?」
「ソルティピース!」

その味はここにいる全員の舌に蘇っている。
そしてあれやこれやと適当なことを宣うほざくノリも健在だ。
それでもメニューの名前は出てこない。

「ほら、レノン(仮名)が学生映画祭、当たり前のように一次審査で落ちて自暴自棄になってた時に一気に10皿頼んだアレ!」

──正確には7皿である。
タッチパネル注文ではなかったあの頃。
レノンがへべれけで「10皿ください!」とアレを頼んだのだ。
すると、ベテランらしき店員の方がさながらヤンキー漫画で「ああん?」と吹き出しをつけたくなるような顔面で押し黙ってしまい、気圧された彼はおずおずと注文を引っ込めて交渉に入った。
「9……8……7……」
「かしこまりました。」

結局このあと3皿注文して……
10皿じゃん!
なんなんだよ!

「俺には才能がない! にゅうすい・・・・・してやる!」
「多摩川で!」
「……それを言うなら入水じゅすいでしょ。」
「あった! そのくだりあった!」

そんな人様の傷に塩を塗るようなエピソード記憶を呼び起こしたところで、正式名称を紐付けしていないのだから思い出せるはずもない。

「彼氏に浮気された女の子が多摩川に飛び込む!」
「いや、私はそのシーンの手前の近所のおじいさんの前でヨーヨーを地面に落として泣いちゃう子どものシーンが好きだった!」
「開幕早々ベッドに散らばってるラムネを変な男がバリバリ食ってるシーンがさすがにわけわからなかっ……」

散々食べ尽くしたあの思い出のメニューの名前すら思い出せない奴らに黒歴史的な過去の監督・脚本・演出、全部俺の映像作品を事細かに記憶されていて、
傷のみならず全身塩まみれになったナメクジの如く突っ伏しているレノン。
最善の妥協案としての軟骨の串焼きから漂う湯気と共に彼の魂も換気扇に吸い込まれかけている。

そのことに気づかないド天然官房長がとどめを刺してしまう。

「俺は大学生がケバブこぼしまくってるシー……」
「それは映画のワンシーンじゃなくて、落選作を観ている時の俺らだから!」

追い討ちをかけるように、スピーカーの中から米津玄師が重ね重ねのダメ出しをし始める。

やめろ馬鹿、今じゃない!

「ああもう! 米津!!」
「え?」
「米津許さん!! 米津!!」
「あ?」
「米津、お前は一生白米を食うな! 玄米だけ食ってろ!」

──私の頭の中で、米津玄師さんが梅干し入りの玄米おにぎりにかぶりついている。
しかも、小ネギしか入っていない味噌汁が添えてある。
首をぶんぶん振って妄想を飛ばす。

「あいつが石ころにでもなれたらいいとかなんとか言い腐っていた頃から俺は女の子を川に飛び込ませることしかしてない……」

「ねえ、米津玄師って石ころ目指してんの?」
「石ころ通り越してジュエリーネイティヴ発音になってるがな。」
「そういうことじゃねえわ! アイネクライネの歌詞だよ多分!」

突っ込むところもそこじゃない。

「多摩川の次は荒川……荒川の次は隅田川……」

もはやなんの話なのかわからない。

「ちょっといいかいレノン君!」
「なんだよお……」

もうほとんど涙声である。

「女の子を川に飛び込ませているってのはなんだい? 君の性的嗜好のせいで何人ものいたいけな少女を泣かせてきたっていう自慢ないし武勇伝かい?」
「断じて違う!」

レノンは軟骨串を丸々一本バリバリと食べ切るとこう続けた。

「今は利根川に飛び込ませようとしてる……」

突然の重苦しい空気。

「……何で俺が書く女の子はみんな川に飛び込んじゃうんだよ!」

こっちが聞きたいよ!
なんでだよって!
それから利根川に飛び込ませたら漏れなくヤマメとかニジマスに遭遇しちまうよ!
そしてここでようやく気付く。
彼が今でも脚本を書き続けていることに。

「米津が書く女の子は空に唾吐くし、未練がましくてちょっと強くて芯があるのに何で俺が書くと……」

ボロボロと涙をこぼすレノン。
私は彼の肩に手を置いた。
あの日のように彼は私の目を見ようとしたが、絶対に目を合わせない。

さあ、レノン。
伏線を回収したまえ……

「才能の結晶を米津玄師が全部持って行った挙句、本人がそれを磨きすぎたせいで我々が霞んでいるだけだから安心しろ。」

これは我々世代の言い訳だ。

同じ時代に生まれ落ちたとて、平等に光が当たるとは限らない。
だが見てみろ。
ウドを!
奴らは陽の当たらぬ暗い場所でニョッキニョッキと図太く生きているではないか!
それも、生育期間は約1年。
光も当たらなけりゃ雨風にさらされることもない。
薄暗い地下室で、ある意味安全に過ごすのだ。

そして米。
米は4ヶ月くらいで実を結ぶ。
その間たっぷり陽を浴びる。

育つ過程ですら注目の的となる。

魅せ方が上手いからな。
夏には鮮やかな緑色をたなびかせ、人々が暑さを懐かしむ頃に夕陽を映しとったかの如く黄金に輝き始める。

しかしそれは、命の危険と隣り合わせとも言えるだろう。
雨や風に倒れる者もいる。
時にはいき過ぎた光の下で干からびてしまうこともある。
常にあわよくば食わんとしてくる鳥やネズミ。

主役には、主役の苦悩がある。
それをわかった上でも、自分の不甲斐なさを誰かのせいにしたい瞬間が存在する。

忘れたくないことは忘れがち。
忘れたい感情は、忘れようとすればするほど深く刻まれてしまう。

だからそれはフォギーフィルターをかけておくくらいがちょうどいい。

そうこうしているうちにえんたけなわとなる。

「おかえりー!」
「ただいま。」
「ねえねえ、何食べた? つくね食べた?」
「あ……」

直前まで食べていたものが全く思い出せなかった。

「思い出せないな……年のせいだな!」

私は性懲りも無く、開き直る。

ただ縦横無尽、自由奔放に広がる腹を見下ろしてたくさん食べたのだろうという事実だけは認識できる。

もはや、忘年会でもなけば忘日会でもない。
忘時会だ。

ああ、もうこれ以上何も忘れさせないで。

何でもかんでも忘れてしまうことを忘れたい、2025年の忘年会なのであった。


脚本を書くレノンそのものを小説にした挙句彼の撮った映画まで作中で改変する嫌がらせをしました。


レノンたちと反省会をします。

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