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虫と雷鳴

──ホリカワクシヒゲガガンボをご存知でしょうか。
僕とてたった今、その名を知るに至ったところです。

窓の外は、先ほどまでの青空が嘘のように真っ黒です。
雲に覆われ、随分と近くで雷が鳴るのが聴こえています。

そういえば、逆ですよね。
「先ほどまでの曇り空」ないし「さっきまでの雨」が嘘のように「晴れ渡っ」たり、「上がっ」たりするのが定石、、です。
要するに、あんからめいへと転ずるのがセオリー、、、、です。
それに雷はまず、「遠く」の方から聴こえるはずなんです。
そしてじわじわと──もしくは突発的に距離を詰め、トドメ的に撃ち込まれて然るべきなのです。

でも、現実は違いました。
さっきまでの青空が嘘みたいに真っ黒になってしまったのです。
そして、雷が鳴り始めました。
かなり近いです。
光と音がほとんど時を同じくして、でしたから。
平べったく言うと……
──ピカッとしてドカンッ
です。
なんならたった今、雨まで降り始めました。
──ザアザア、ゴオゴオ
です。
ピカッとして、ドカンッと来て、ザアアンドゴオです。
本当に突然に。

僕は今、図書館にいます。
いつも通り、端っこの席。
一箇所だけ、手元を照らすライトの付いていないあの席です。
」いていないのではなく、「」いていないのです。
そして、僕はとっても「ツ」いていない。
ああ、でもこの「ツ」は「付」なんですよね。

あの、傘がないんです。
正確に言うと、なくなってしまったんですね。

僕にしては珍しく、今日は傘を持って出かけたんです。
それで、背もたれにかけていたんですけれども……
戻った時にはもう、なかったんですよ。
僕の傘。

まあ、仕方ないと言えば仕方ない……
いや、もし、です。
もしも、ですよ。
僕がこの話を聞く立場だったら、
「仕方ない、で済ましちゃだめだよ。それ、立派な窃盗罪だよ。」
と言うかも知れません。
でも、あくまでも僕自身のことですから。
仕方ない、で済まそうと決めました。

だっていちいち警察署に出向いて、
「おしっこしている間に傘がなくなったんです。」
なんてだいぶマヌケですし、何よりそんなこと、、、、、を相談される警察官が気の毒でなりません。
それに、僕が警察官ならそれこそ、
そんなこと、、、、、でいらしたんですか?」
なんて言って退けるに決まっていますから。

……でもきっと実際の警察官は僕の目を真剣に見つめ、
「そうですか、おしっこをしている間に……」
なんて聞いてくれちゃうのでしょう?
「そうなんです。今朝、西瓜を食べ過ぎまして。」
「ああ……西瓜。今の季節、美味しいですからね。」
「あ、西瓜。お好きですか?」
「お好きで……好きですよ、西瓜。」
「赤と黄色ならど……」
「ええと、お手洗いに行かれたのは何時何分頃……」
「赤と黄……」
「おしっこに……」
「赤と……」
「それを証明してくれる人は?」
「それなら……」

ここで、ホリカワクシヒゲガガンボの出番です。
なにも、ホリカワクシヒゲガガンボが証明してくれるわけではありません。
いかんせん、彼は虫ですから。
何故、彼と言ったかといえば昆虫図鑑によるとあの個体はオス、つまり男、よって「彼」となるわけです。

彼は結構、とんでもない見た目をしているんです。
スズメバチを彷彿とさせる凶悪げな複眼に、黒と黄の縞模様の筋肉質の胴体。
その胴は尻に向かって鋭い曲線カーブを描いていきり勃ち、その先端には見る者全てを絶望の淵へと追い詰めんとする針が毒々しく黒光くろびかっているのです。

くだんの彼は、ずいぶんと長いこと僕の近くを探索していました。
壁を歩いてみたり、僕が開いている見せかけばかりの資料の上を這ってみたり、かと思えばカーテンに掴まり長いこと静かにしていたり。
僕は虫、平気……あの、それは語弊がございまして、ムカデとかヤスデなんかはだめなので鎌倉への取材なんかはご遠慮申し上げたいのですが、まああの……
翅のある虫は平気なので、全く気にも留めずにいたのですが……

「あれ? 河井さん。どうして……?」
「どうしてもこうしてもないでしょう?」
河井さんの人差し指が眼球すれすれで震えている。
僕の膝はみるみるうちに湿ってきた。
「ご自身でおっしゃったんじゃないですか、図書館にいるって。」
「ああ……それはそれは……遠路はるばる……」
「本当ですよ! 遠路……どころか、辺境……なんなんですか! 駅から徒歩三十分って。まあ、実際には二十分でしたけど。」
「え……」
「え?」
「僕、この間一時間かかりましたよ。ここまで。」
「駅から?」
「駅から。」
どうにも呆れを通り越してリスペクトしちゃうわ、の顔をしている。
僕にはそう見える。

「どうして今日に限って外、出たんですか。」
「え……たまには外に出ろって河井さんが……」
「だからって今じゃないでしょう?」

窓の外は明るくなり始めている。
河井さんはきまり悪そうに、眉間の皺を伸ばす。
僕にはそれがどうにも不健全なスラング的動作に見えて、胸がひりついた。

「河井さん……」
「何ですか?」
「少し、出ませんか……?」

剥がれかけの貼り紙がエアコンの風に負け、かさかさと音を立て始めた。
赤い文字が見え隠れしている。

河井さんと僕は家庭菜園とディストピアの間を駆け足気味に通り抜けた。
図書館の自動扉が閉まる音を最後まで聴いてから、僕は彼女の顔を見た。

「で、ホリカワクシヒゲガガンボがどうしたんですか?」
僕はつい、吹き出してしまった。
「え? なに、なんですか?」
「ごめんなさい……思い出し笑い……」
「はあ……」
呆れ返る河井さんの目の前で僕はヒィ、ヒィと死にかけのヒヨドリと化している。

「いや、あのさっき僕の隣に座っていた青いシャツの男性わかります?」
「え?」
河井さんは図書館のはめ込みガラスに額を押し付けた。
「あ……あのシゴデキ風の……?」
どうにも、あなたと違って、、、、、、、を裏読みしてしまい僕は暗澹たる思いにかられつつも、ことの顛末の末まで綴ることにした。
とある矜持をもって。

──突然、彼が飛び立ったのです。
空席をひとつ挟んだ左隣の男性の元へ。
僕は純粋に動くモノに魅了されたイチ動物として、彼の飛跡を追いました。
そして着地点をしかとこの眼でとらえました。

その瞬間です。
「彼」が吹っ飛んだのです。
この彼は左隣の「彼」です。
彼の巻き添えを喰らい、彼の座っていた椅子も吹き飛びました。
椅子は背後の書棚に激突し横倒しに。
彼は床に尻もちをついた形のまま、わなわなと右手を震わしているのです。

時を同じくして、窓の外が鋭く光ったのです。
そして、腹の底を打つような雷鳴が響きました。

ホリカワクシヒゲガガンボ、左隣の彼、そして雷……

僕がまた笑いの渦に身を投じたとき、河井さんは特大のため息をいた。

「ごめんなさいね、ため息なんて『』いてしまって。」

僕は首を横へ振った。

「で、先生。今、何文字ですか?」

点いたり消えたりを繰り返していた蛍光灯が、ついに明滅をやめた。
僕が朝から費やした時間は、一体なんだったのか。

「終わった……」
こう呟いた僕に、彼女は言った。
「まだ、終わってません。」
「え?」
「始めてもないんです、ついえるはずがないでしょう……?」

暗雲がたちこめる。
光と音が徒党を組んで黒雲を引き裂いた。

腹の底に響く雷鳴。

こんな時だけ、若干、セオリーに従うのですね。



こんなものを読ませてしまってかたじけない。
しかし今日はイレギュラーにやられた。
重ね重ねの「しかし」で申し訳ないのだが、まだ毎日更新をやめる決心がつかぬのだ。
故に低クオリティだが【習作】として置かせて欲しい。
後日推敲する。
つまり、これはある意味での「生」原稿である。
逃げも隠れもしない、「生」だ。
連載は丁寧に書きたい。
だから、頭の中に降ってきたものを直しもせず書き殴った「生」なのだ。
本当はこんな逃げ腰の後書きはするべきでないのもわかっている。
だが、弱みを見せるのもまたいいのかもしれないと思ったりもする。

……何言ってんの?


絶賛スランプ中だが、その割にはまあまあ良いこれ。


この習作は習作にしては良かったと思う。


ゆきお様・解説
スランプ大解剖!
的確です……。
まじで。

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