「CITY THE ANIMATION」はセカイ系喜劇ですよね?
今回は、話題の京アニ新作アニメ「CITY THE ANIMATION」について書いていきたいと思います。

京アニの新作(続編ではないやつ)としては、ホント久しぶりだよな。
とはいえ、これは「日常」のあらゐけいいち先生の漫画が原作。
しかも「CITY 」と「日常」はパラレルワールドの相関関係ってことらしく、ある意味では「日常」のスピンオフと解釈できなくはない。
皆さんもそのぐらいの事前情報は得た上で視聴されたと思うが、正直感想はどうでした?
・・うむ、私の率直な感想を言わせてもらうなら、
「これ、『日常』とは全然別モノだな!」

といったところです。
いや、別作品なんだから別モノなのは当たり前なんだが、こっちが勝手に「日常」みたいなやつだろうと想定してたので、思わずギャップに戸惑っただけなんですけどね。
<「日常」と「CITY」の違い>

①画が明らかに違う
同じ原作者のものだからキャラは当然似てるんだが、でもアニメ表現としては完全に別モノだった。
「日常」が比較的淡い色使いだったのに対し、「CITY」はかなり色が鮮やかである。
そして「日常」は比較的細い線での表現だったのに対し、「CITY」は明らかに線が太い。
というか、他にあまり例がないほどに極太だった・・。
②キャラの湿感が違う
「CITY」でやたら気になったのが、涙と汗の表現だよね。
もちろん「日常」でも涙と汗はあったが、そこまで気にならなかった。
でも「CITY」では、気なるほどに水分量が多い。
単に、夏という設定だからか?
③脚本/シリーズ構成
「日常」のシリーズ構成(脚本の統轄)は花田十輝だった。
一方、「CITY」ではシリーズ構成が存在せず(そんなこと、普通あり得るか?)、代わりに「石立太一<脚本監修>/あらゐけいいち<脚本監修>」と謎の表記がされている。
これって、どゆこと?
④キャラデザ/総作画監督
「日常」では西屋太志(彼は例の放火事件で逝去・・)という当時「天才」と呼び名のあったエース中のエースをキャラデザ/総作監に投入してたわけだが、対して「CITY」のキャラデザ/総作監は徳山珠美という女性の若手を抜擢している。
多分、彼女はここまでの大役、今回が初めてなんじゃないかな?
以前、京アニPRのショートアニメでキャラデザ/作監を任されたのが彼女にとってはMAXという経歴だったはず・・。
師匠の石立さん(彼は今、社内で若手育成の先生的立場らしい)がついてるから大丈夫だと思うが、ちょっと心配だね。
⑤作画体制
何より「CITY」で気になったのが、原画マンの数の少なさである。
第1話では、なんと5名だった(それも、ほとんどが女性)。
そして、第2話でも5名だった(ここでは男性3、女性2)。
ちなみに「日常」では第1話で17名、第2話で22名。
う~む、「CITY」はたった5名であのクオリティを表現できたことをまずは褒めるべきなんだろうが、しかし、この5名体制で最後までいくつもりなのか?
大丈夫なのか?
⑥パロディ
「CITY」でやたら目についたのが、藤子不二雄パロディである。
「日常」の時は、こういうのあったっけ?
よく覚えていない。
聞けば、あらゐ先生が大の藤子不二雄マニアらしくて、あるいは先生自身の意向が反映されてるのかもね。
とにかく、テイストが妙に「昭和」なんですよ・・(笑)。

以上、「日常」と「CITY」の違いを列挙してみたわけだが、中には「監督が変わったんだから、作風も変わって当たり前でしょ?」と思った人もいるのかもしれん。
・・いや、それは少し違うんですよ。
というのも、前の「日常」は<監督/石原立也 副監督/石立太一>という2頭体制だったんです。
今回はたまたま石原さんが劇場版「メイドラゴン」に回る必要性から降りただけのことで、副監督の石立さんは単に昇格したにすぎない。
・・で、「日常」を全部把握してる石立さんが、わざわざリスクを張って「CITY」を大きく変える必要性なんて、本来はどこにもないんですよ。
なのに、今回は敢えてそのリスクを張っている。
そもそも、なぜ花田十輝を再招集しなかったのか?

ここ、実はポイントだと思う。
きっと花田さんを呼べば一定のクオリティは担保できるというのに、敢えてそうしなかったのは、「あらゐ先生の<脚本監修>が事前に決まっていた」という事実を示してると思う。
同時に石立さんも<脚本監修>になってるが、おそらくこれはあらゐ先生が書いたものを「アニメ用に翻訳」をしていくという役割だろうし、主導権はあくまであらゐ先生の方なんだろうな、と。
だから、敢えて今回は「シリーズ構成」を設置しなかったんだろう。
でも、なぜそんなメンドくさいことしてまで、あらゐ先生を今回スタッフ入りさせたのか?
・・多分だけどね、あらゐ先生ご自身がアニメをやりたくってしようがないんでしょ~(笑)。
その証拠に、YouTubeのあらゐ先生のチャンネルをぜひ一度、ご覧になってみてください。
先生自作のアニメーションがたくさんありますから・・。

「こんなもん作ってる暇あるなら、漫画描けよ!」とツッコみたい人もいるでしょうけど、いやいや、手塚治虫の時代から漫画家の眼には「隣りの芝生が青く見える」ものらしいんです。
つまり、あらゐ先生は自分の手でアニメ作りたくてしようがない・・というふうに私は解釈しました。
・・でも、別にいいんじゃないでしょうか。
こうやって原作者自らアニメに参入してくることのひとつの利点は、何より原作の改変をスムーズにできることでしょ?
だから、私はこの「CITY THE ANIMETION」が原作漫画とは大幅に違う展開を見せる可能性だって十分あると思うのよ。
じゃ、それを踏まえた上で、ここで私なりの「日常」⇔「CITY 」の相関関係の解釈論を書かせてもらうね。
<「日常」と「CITY 」の対比>
「日常」⇒淡い色彩⇒<夢>っぽい
「CITY 」⇒鮮やかな色彩⇒<現実>っぽい
「日常」⇒湿感が薄い⇒<夢>っぽい
「CITY 」⇒湿感が強い⇒<現実>っぽい
「日常」⇒閉鎖されたユートピア感がある⇒<夢>っぽい
「CITY 」⇒人間の哀愁まで描写している⇒<現実>っぽい


もともと、この両作品の相関関係は「パラレルワールド」とアナウンスされており、つまり同一世界線上ではないんですよ。
そして一方がくっきりしており、もう一方はふわっとしている。
仮にこれが「制作側の意図した表現の差」だとするなら、
<一方が現実世界で、もう一方は仮想世界>
という解釈も、あながち不自然ではない、と思いませんか?
私としては「日常」⇒仮想世界(夢っぽいもの)、「CITY 」⇒リアル世界と解釈するけど、むしろ逆に「CITY 」の色調の鮮やかさが「人工着色っぽい」⇒バーチャルっぽい、という解釈もできるし、そこは何とも言い難い・・。
・・まぁとにかく、どちらかが「正史」、どちらかが「創造セカイ」という可能性は十分にあると思う。
えっ?「GQuuuuuuX」の影響受けすぎ(笑)?
・・というかね、そもそも「CITY 」に謎の博士↓↓がいるんですよw

しかも、それがcv子安武人って、めちゃくちゃ怪しいじゃん(笑)。
この子安武人、絶対「日常」の「はかせ」↓↓と何か繋がりあるでしょw

「でも、あらゐ先生って別にSFの人じゃないでしょ」と皆さんは思うかもしれないよね。
いいえ、先生はめっちゃ「エヴァ」厨ですww


つまり、「セカイ系的なネタ」も大好きな人なのね。
で、前述の諸々から導かれる仮説として、私は「CITY 」の最終話、この物語のセカイ系の構造(「日常」セカイ⇔「CITY 」セカイの相関)が明かされることになるんじゃないかな・・と予想してるんですわ。

そもそも「CITY 」の第1話冒頭の「石化した鳥の話」。
皆さんは、あれに少し引っかかりませんでした?



あのネタは「壮大な歴史の話をしておいて、結局、それは本筋と全く関係がない」という一種のボケだと皆さんは解釈したと思うけど、いや、ホントにそうかな?
そんなレベルの低いボケの為に、ご丁寧にも京アニが尺を費やすだろうか?
・・なんか、あの鳥がひとつの伏線になってるような気がするんだよねぇ。
あと、もうひとつ考えられる可能性は、「劇中劇」構造、いわゆるメタ構造なんだわ。
ひとりキーパソンだな、と思ったのがこの人物↓↓

この鬼カマボコは、漫画家なんですよね。
漫画家、すなわち「セカイを創造する人」である。
たとえばだけど、「CITY」のヒロイン/南雲は、「日常」のヒロイン/相生に少しキャラが似てるんですよ。
見た目は似てない。
でも、キャラのガサツなところが少し似ている。
同様にして、「CITY」泉わこは「日常」の「なの」に似てる気が。
天然な感じとか・・。
・・で、こういうキャラの類似性から
「日常」の登場人物たちは、鬼カマボコが同じアパートの住人たちをモデルにして作った架空のキャラたち
⇓⇓⇓
つまり「日常」は、「CITY」の鬼カマボコ作の架空世界

という可能性も視野に入れておいてください。
・・いや、もちろん逆構造の可能性もあるさ。
なぜなら、「日常」セカイにも漫画家↓↓はいるからww

・・はい、みおが描いた漫画のセカイが「CITY」という逆解釈も可能ということですね。
でも、仮にそうなら「BL」や「メガネ」が「CITY」セカイに必ずあるべき(みおはBL/メガネ好き)なのに、残念だがそれは現時点見受けられない。
まぁ、いいや。
とにかく、私は今後も「CITY」を視聴継続してこの件を検証し続けていこうと思う。
・・あれ?
こういう見方してるの、あるいは私だけww?


