試論Ⅳ:不条理(ハードシングス)を受け入れる者への“祝福”
前章では「快適さ」を求めるほど理不尽を遠ざけられないという逆説を、心理学や社会構造の視点から示した。
ここからは、逆に「不条理やハードシングスを受け入れる」という態度がどんな祝福をもたらすのかを考察する。旧約聖書のヨセフやヨブは、その典型例としてしばしば語られる。
個人的な欲や理不尽をひたすら忌避する代わりに、与えられた困難に向き合い、そのなかで自分にできることを積み重ねた結果、後に大きな成果や幸福を得たという筋書きである。
これは遠い昔の宗教譚だけではなく、起業家や研究者、芸術家などがしばしば体現する「ハードシングスこそ突破口」という現代的な思想とも通じる。
1. ヨセフ/ヨブの成功譚の本質――大いなる秩序への委ねとレジリエンス
(1) 自己を超えた視点を失わない
ヨセフは奴隷としてエジプトに売られたうえ、主人の妻の嘘で投獄されるという冤罪まで背負うが、自らの境遇を嘆き恨んで復讐に走ることはしなかった。むしろ、与えられた環境で忠実に働き続け、結果的に周囲の信頼を得て要職へと登りつめる。
ヨブはさらにはるかに深刻な悲劇、つまりすべての財産と家族を失い、自身も病に倒れるという理不尽を受けるが、神への信頼を最後まで捨てなかった。
二人に共通するのは、「不条理を理不尽なまま認め、それでも神がいると信じる」態度だ。近代的な言いかえをするなら、苦難にあっても「自分が使命や目的を持って生きている」と確信し、短期的な不安や悲哀に飲まれずに行動を継続できる高いレジリエンスを発揮したといえる。

冤罪で獄中入れられているとは思えないほど希望に満ちたヨセフの表情が彼の全てを物語っている。その後、彼は彼を貶めた相手へ復讐をすることが十分可能な権力を手に入れた。しかし、貶めた相手へ復讐するどころか救う。
(2) 長期的な繁栄と深い満足
旧約聖書はヨセフとヨブの物語の最後に、彼らが以前に勝るほどの繁栄や富、名声、そして精神的な平穏を取り戻す様子を描いている。
ここで重要なのは、その繁栄が「理不尽を自分のエゴで追い払う」ことによって得られたのではなく、「理不尽と向き合い、そこで最善を尽くす」プロセスを経た結果としてやってきたという点だ。
短期的に見ると損や苦しみが多いが、それを超えた先で大きな祝福が用意されている。この構図を現代社会に投影すれば、あえて困難な課題へ挑んだ起業家やアーティストが、最終的に破格の評価を得るケースに似ている。

ヨブは全てを失った後、友人に「失った」事をもって彼になにか罪があったのでは?と理由なく激詰めされた。妻にも呪の言葉をかけられた。しかし、ヨブは耐えた。イリヤ・レーピンの書くヨブをボコボコにした友人の正義に満ちた表情は秀逸である。それに耐えるヨブを祝福するように後景の世界が美しく広がる。
(3) “神の秩序”か、あるいは“社会の大義”か
ヨセフとヨブが拠り所とした神の秩序は、近代以降の世俗社会では「公共善」や「社会的使命」といった概念に置き換えられやすい。
たとえば、困難な病気の研究に没頭する科学者や、世界を変えるイノベーションを目指す起業家、社会問題に一石を投じる芸術家などが、その道に身を投じるのは必ずしも神への信仰ではないかもしれない。
しかし、「自分を超える何かへの貢献」を信じ、ハードシングスを正面から受け止めるという点で、旧約的態度と本質的に重なっている。
少なくとも「自分が楽できればそれでいい」という視点では、長期的に大きな飛躍は望めない。

「糸を紡ぐガンディー」は、戦わずして抵抗し、日々の営みそのものを武器に変えたという象徴だ。生涯で何度も逮捕され、牢に入れられ、権力に翻弄された。非暴力を説きながらも、その道は決して平穏ではなかった。
2. ポール・グレアムが提唱するスタートアップ精神
(1) ハードシングスに直面する起業家の姿勢
スタートアップの世界は、失敗率が高く、資金繰りや競争、技術の不確実性など、数多くのハードシングスに満ちている。
シリコンバレーの起業家コミュニティでカリスマ的存在とされるポール・グレアムは、創業者に向けて「嫌でもひどいことが起こる。だがそこを突き抜けろ」と繰り返し説いている。
これは、快適で安定した道を捨て、未知のリスクを伴うハードシングスへ飛び込むよう促すメッセージとも言える。
ヨセフのように「環境がどうであれ、誠実かつしぶとく努力を続ける」姿勢や、ヨブのように「周囲の非難や不運にもめげず自分の信念を保つ」強さは、起業家にとって不可欠の要素である。
ここには旧約的な神が登場するわけではないが、「個を超えて大きなビジョンを信じ続ける」姿勢が共通する。結果的に、目先の楽ではなくハードシングスを選ぶことで、後に社会全体を変えるイノベーションが生まれる。

(2) ユーダイモニックな挑戦がもたらす巨大リターン
ヘドニック(快適さ)とユーダイモニック(意味・使命)の対比でいえば、起業家が目指すのは後者に近い。不確実で過酷な状況を受け入れ、長期的な価値創造に賭けることで初めて巨大なリターンが得られる。
“祝福”のような報酬(成功、名声、社会的インパクト)は、その先にしか待っていない。ひるがえって、「安定的な職に就き、ハードシングスを避ける」生き方は短期的な安全を確保できるかもしれないが、旧約的な奇跡的繁栄や転換点には到達しにくい。
とはいえ、ポール・グレアムの思想は必ずしも「全員がハードシングスへ行け」と説いているわけではない。
むしろ、本当にユーダイモニックな挑戦を望む少数者が突き進むことで、社会は加速度的に変わるのだという認識が背景にある。
ヨセフやヨブが一部の特異な存在として際立つのと同様、起業家の大半は失敗して散っていく。
しかし、生き残った少数者が絶大な成果を得るという構図は、旧約聖書が描く祝福の構図とも重なる。

ポール・グレアムは自身のエッセイ「How Not to Die(死なないために)」の中でこの写真に言及し、「彼(Octopartの創業者)はもはや失敗するわけにはいかなくなった。彼の知る人間はみな億万長者)の文字が入ったシャツ姿の写真を見ている」と述べ、「すべてのスタートアップが同様に『Newsweek』で「次世代の億万長者」として紹介されれば、誰も諦めることができなくなり、成功率は90%に達するだろう」と続ける。これは、スタートアップ創業者が社会的に「背水の陣」に立たされること(ハードシングス)と、ポール・グレアムがそのハードシングスを推奨する象徴的なエピソードである。
3. 起業・研究・芸術分野の“使命”と祝福

『星月夜』は、ゴッホが精神療養のために入院していた南仏サン=レミの病院の窓から見た風景をもとに描かれた作品である。昼間は制作に集中し、夜は心の混乱に襲われる。そんな苦しみの中で彼は、「夜はもっと色が豊かだ」と語り、内なる闇と静かに向き合いながら孤独に筆を取った。
(1) リスクと孤独を厭わない少数者への社会的評価
スタートアップに限らず、学問研究や芸術の世界でも、安易に快適な道を選ばず“泥臭い試行錯誤”や“時には迫害・嘲笑を伴う挑戦”を貫いた人々は、後に大きな発見や傑作を生み出してきた。
ノーベル賞を受ける科学者や歴史に名を残す芸術家の多くが、周囲から理解されない時期を経験しながら、理不尽の坩堝で努力を続けるというパターンが見られる。

起業家 安藤百福は戦後、財産を失い、投獄され、無一文からの再出発を余儀なくされた。60歳を過ぎてなお、飢えに苦しむ人々を見て「すぐに食べられるラーメン」を開発。失敗を重ねながらも執念で完成させ、世界初のインスタントラーメンを生み出した。絶望の中でも信念を貫き、社会を変える事業へと昇華させたその姿は、まさにハードシングスを乗り越えたユーダイモニックな起業家の典型である。
これは、短期的な快感や安楽を捨てても「何かを成し遂げるべきだ」と感じるユーダイモニックなモチベーションの現れだともいえる。
その道を進むことで理不尽と戦い続け、結果的に大きな社会的評価(祝福)を手にする。いわばヨセフやヨブの物語を世俗的な言葉に置き換えた形だ。彼らは環境や他者の視線に左右されず、むしろ困難を糧に独自の業績を打ち立てる。

グラミン銀行創設者ユヌス氏は、貧困層に信用がないという常識と制度の壁に抗い、無担保融資で数千万人の人生と金融の常識を覆した。しかし彼は、2023年以降、バングラデシュ政府によって労働法違反や汚職などの容疑で複数の訴訟を起こされており、2024年1月には、労働者の権利を侵害したとする判決で懲役6か月の有罪判決が下された。本人と国際社会はこれを政治的報復とみなし ノーベル賞受賞者や国際的な知識人・政治家たちからは、「ユヌス氏に対する訴追は不当」として懸念の声が多く上がっている。
(2) 個人の欲望を超えたビジョンが社会を動かす
こうした挑戦者は“神の秩序”という宗教的言葉を使わなくとも、「自分を超える大きな目的・ビジョン」を掲げていることが多い。環境問題を解決したい、未知の病気を克服したい、人々の生活を劇的に変えたい――そうした意欲は、ハードシングスを恐れず突き進むための原動力になる。例外的なエゴイスティックな偉業もあるが、大半の大きな成功例は公共性や他者への貢献と結びついている。

地動説を信じた罪で投獄された12歳の神童ラファウが、異端審問官ノヴァクから拷問を宣告される。ノヴァクは、拷問器具を見せつけ、改心と研究資料の焼却を迫る。しかしラファウは、「敵は手ごわいですよ。あなた方が相手にしているのは僕じゃない。異端者でもない。ある種の創造力であり、好奇心であり、畢竟、それは知性だ」と語り、 その夜、芥子の実と毒を混ぜたワインを飲み、研究資料の焼却を避けるため自ら命を絶つ。
旧約聖書的に見れば、「神の秩序に従う」という行為はしばしば周囲への貢献と直結している。ヨセフがエジプトを飢饉から救ったように、不条理を受け入れる姿勢は結果的に多くの人を助ける。現代でも、社会や他者の課題に取り組むスタンスが評価されやすく、そこにハードシングスを乗り越える倫理観が加わって成功につながる例が後を絶たない。それは世俗化した世界の中での“神の秩序”に似た超越的視座と捉えることも可能だ。
ヨセフやヨブ、そしてポール・グレアムが説くハードシングスへの向き合い方は、いずれも不条理を排除するのではなく、そこに意義を見いだして行動を続ける点が共通する。彼らは“個の快適さ”よりも大きな目標や秩序を優先し、そのプロセスで重大な苦労や孤立感を経験しながらも、最終的には常識を超えた祝福や成功を得る。これは「不条理を受け入れる者」がなぜ報われるのかという疑問に対する一つの答えを提示している。

ユダは銀貨30枚(現代の日本円で20万~30万円と推測)でイエスに冷酷な接吻をし、その瞬間を兵士に知らせた。ユダは信念の喪失、目的の錯誤、そして世界に対する絶望が絡み合った結果としてイエスを裏切ったと考えられている。ハードシングスを受け入れられなかったユダと、そのユダからわたされるハードシングスを受け入れたイエス。それをランタンをもって覗き込む男性はカラヴァッジョ自身(肖像画)であるとも言われている。
(3) 祝福とは何か──物質を超えた意味
ヨセフやヨブの物語は、最終的に「常識を超えた祝福」や「社会的成功」として終わる。物語上ではそれはしばしば物質的な繁栄として描かれ、読者はそこに希望を見出す。しかし私は、こう思う。
それは比喩である。
彼らは、たとえ最後に地位や財産を得なかったとしても、「祝福されていた」のだと。
彼らの人生の価値は、外的な結果によって担保されたのではなく、苦難の中でも信念を貫き、意義ある行動を続けたという事実に宿る。
キリストは磔刑に処され、キング牧師は凶弾に倒れた。彼らは物質的には報われなかった。
しかし、彼らは幸福だった。
それは、物質的報酬とは別のレイヤーにある、存在の充足であり、自らを超えた何かとつながっているという感覚である。まさに、ヘドニックではないユーダイモニックな「祝福」の姿だ。
現代においても同じだ。フォレスト・ガンプはたとえ、タイヤ工場で労働者として一生を全うしたとしても幸福だったろう。
AirbnbのCEO ブランアン・チェスキーが創業時に受け取った投資家から断りメールの一つを紹介。そして、こんな感じで数えきれないぐらい断られ続けた彼がいかにして世界を変えていったか。魂が震える起業家としての心得を語ってくれています。諦めるのはまだ早い。 pic.twitter.com/rphlaNEHON
— Brandon K. Hill | CEO of btrax 🇺🇸x🇯🇵/2 (@BrandonKHill) October 21, 2023
スタートアップの創業者は多くは成功しないかもしれない。しかし、幸福だ。少なくとも、私はまだスタートアップの創業者として、道半ばであり、物質的な幸福は得たとは言えない。しかし、幸福である。
不条理を受け入れ、それでも意味ある行動を続けたとき、人はすでに祝福されている。
だからこそ私たちは、成功や評価を目的とするのではなく、“意味ある挑戦そのもの”を目指すべきなのだ。

この写真は、1963年4月にアラバマ州バーミングハムで非暴力デモを主導したマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが、投獄された際に撮影されたマグショット。その翌年1964年、彼はノーベル平和賞を受賞している。投獄だけではに。彼は何度も暗殺未遂に遭いながらも、彼は怯まず、歩みを止めなかった。 そして1968年、メンフィスでの黒人清掃労働者支援のための演説を行った翌日、彼は狙撃され、命を落とした。
次章、試論V:村社会から超大規模社会へ―制御不能な複雑性とマーケット原理
次章では、こうした「ハードシングスを受け入れる」態度と社会全体の構造(村社会から超大規模社会、そしてマーケットの原理)との絡みを考察する。人間の“古い脳”と大規模社会とのミスマッチが、なぜヘドニック的欲望を加速させ、ユーダイモニックな挑戦を限られた少数者のものにしているのか。そこで見えてくるマーケット原理の特性と、さらに増幅する“不条理の回避”の欲望が、現代社会にどんな影響を及ぼすかを解き明かしたい。
いいなと思ったら応援しよう!
いただいたチップは記事作成ためのリサーチに活用させていただきます!