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事故渋滞から始まる熊野巡礼?12年に一度の御開帳×九十九王子×田辺神社仏閣フォト旅!事故渋滞で終わる◆和歌山⑱【和歌山シリーズ/和歌山市周辺シリーズ/和歌山紀北シリーズ】和歌山

この旅は、事故渋滞による計画崩壊から始まった。予定していた神社仏閣の多くを断念しながらも、結果的に残ったのは、熊野信仰の核心ともいえる場所ばかり。御開帳に沸く救馬渓観音、熊野三山の縮図ともいえる鬪雞神社、そして静かに佇む九十九王子の痕跡――偶然の連続が、むしろ本質へと導いてくれた旅だった。本NOTEでは、その記録を写真中心でまとめている。各神社仏閣の詳細な解説は別NOTEに譲り、ここでは“空気感”と“現地のリアル”を感じてもらえればと思う。

この旅行記の神社仏閣は写真中心です。神社仏閣の詳細はもうひとつのNOTEを参照ください。

https://note.com/yanma_travel/



▼ルート&見どころ

▽2026年3月20日(金):

事故渋滞・・・

明らかにスピードが落ちる事故現場。この後、ガラガラな状態になりつつ、明らかに140km以上で走る爆走車ですかね。その後、スピード違反車が高速道路でサイン会を行うことが多い。

#岸和田SA

交通渋滞で全く進まず。本当は色々回っている予定でしたが、大幅な計画変更を強いられます。

#泉養寺 :〒646-0057 和歌山県田辺市中芳養1081

計画変更でカット

#芳養八幡神社 :〒646-0057 和歌山県田辺市中芳養803番地

計画変更でカット

#岩屋観音 :〒646-0051 和歌山県田辺市稲成町2059

計画変更でカット

#秋葉神社 :〒646-0056 和歌山県田辺市芳養町

計画変更でカット

#大神社 :〒646-0063 和歌山県田辺市芳養松原1丁目20−1

大神社(通称:芳養大神社)は、熊野古道沿いの重要な王子社である芳養王子と深く関わる古社であり、下芳養の産土神として地域信仰の中心を担ってきました。熊野詣が衰退したあとも、この地では“神を迎える場所”としての記憶だけは消えなかった。

詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。(熊野九十九王子の終着点?「大神社(芳養大神社)」神のお告げで神体が現れた“寄言の宮”とは【和歌山シリーズ/和歌山市周辺シリーズ/和歌山紀北シリーズ】)

#元嶋神社 :〒646-0058 和歌山県田辺市目良20 元島

天神崎の沖合いに浮かぶ3つの島に鎮座。干潮時には歩いて渡ることができる島の中にあり、海上に立つ大鳥居が非常に印象的な神社。今は防波堤が築かれているため、干潮時以外でも歩いて渡る事ができます。海中には大鳥居が建てられており、元島に鎮座し、岩山を背後に3つの小さな社があり、弁財天が祀られている。

橋を渡って参拝する神社で、本殿の背後には大きな岩があります。半分洞窟の中に社殿がありますね。

詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。(海上鳥居&海に浮かぶ「元嶋神社」鳥居の奥に見えるのは社殿ではなく巨大な岩【和歌山シリーズ/和歌山市周辺シリーズ/和歌山紀北シリーズ】)

#八立稲神社 :〒646-0059 和歌山県田辺市古尾17−5

計画変更でカット

#神楽神社 :〒646-0025 和歌山県田辺市神子浜2丁目16−9 

計画変更でカット

#コンフォートホテル紀伊田辺 :〒646-0031 和歌山県田辺市湊47−31

明日の御開帳は1日のみで朝一勝負と見越して一番近いところで大丈夫そうなところにした。ということで、車では行きづらい神社仏閣&和菓子の小旅へ??

#鬪雞神社 「熊野三山別当に伊勢神宮の古材!世界遺産!熊野水軍に弁慶の父」〒646-0029 和歌山県田辺市東陽1−1

鬪雞神社は通称「権現さん」と呼ばれ、御祭神の中に熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)を勧請した、三山御参詣に替えるという三山の別宮的存在で、昔から熊野信仰の一翼を負っていました。

鬪雞神社の名は平家物語壇ノ浦合戦の鶏合せの故事に由来します。源氏と平氏の双方より熊野水軍の援軍を要請された武蔵坊弁慶の父であると伝えられる熊野別当・湛増(たんぞう)が、どちらに味方をするかの神意を確認するため、神社本殿の前で赤を平氏、白を源氏に見立てた紅白7羽の鶏を闘わせました。
すると、ことごとく白(源氏)の鶏が勝利したため、源氏に加勢することを決め、熊野水軍200隻を出陣させました。熊野水軍の加勢が合戦の勝敗に結びついたともいわれます。境内の一角にはその様子を再現した湛増と弁慶像があり、2羽の鶏像は本殿を見守っています。

鬪雞神社 – 鬪雞神社(闘鶏神社)世界遺産 和歌山県田辺市

まずは伊勢神宮の古材で出来た鳥居です!!

伊勢神宮古材の社殿めぐりは『★纏め★伊勢神宮古材の神社!昔の伊勢神宮の社巡り★随時更新』をどうぞ!

参拝します!入った瞬間に分かる人には分かる。熊野だ!!と。

凄く長くなるので解説は次の動画に任せます。

  • 神仏習合の名残: かつては「田辺権現」と呼ばれ、仏教的な要素も混じり合っていた名残が、境内の配置や空間構成に今も静かに息づいています。

  • 参拝の心得: 拝殿で手を合わせる際は、ここが「熊野三山(本宮・新宮・那智)のすべてを同時に拝める場所」である。

この拝殿の前こそが、源平合戦の行方を占った「鶏合わせ」が行われた伝承の舞台です。

  • 湛増の決断: 紅白の鶏を戦わせ、白(源氏)が勝ったのを見届けた武蔵坊弁慶の父・湛増が、源氏への加勢を決意した歴史的な瞬間がこの場所に関連付けられています。

  • 勝負事の祈願: その伝説にあやかり、現在でも勝負事や人生の大きな決断を控えた方々が、この拝殿で必勝祈願を行う姿が多く見られます。

摂社・末社に熊野の神様が大集合です。長くなるので看板だけ写真を載せます。本殿向かって左側に流れます。

さて恵比須様です!!恵比須様は耳が悪い説があり、大阪池田市、京都などでは小槌があります。あったらトントントンと叩いて願いを伝えましょう!!

弁慶ゆかりの神社です。

本殿向かって右側です。

詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。(熊野三山別当に伊勢神宮の古材「鬪雞神社」世界遺産!熊野水軍に弁慶の父【和歌山シリーズ/和歌山市周辺シリーズ/和歌山紀北シリーズ】)

#菓匠二宮 :〒646-0032 和歌山県田辺市下屋敷町27

買いました。

南方熊楠は白浜に博物館があり、翌日の九十九八王子跡に所縁が深い天才ですね。詳細は次のサイトです。旅行記はじゃらん旅行記時代をどうぞ。

平成29年3月19日リニューアルオープン。番所山の上にあり、建物近くまで駐車場がある。道は狭いので要注意。さて「南方熊楠」の名前の由来は「熊」は”熊野”で、”楠”は全国の鈴木氏の氏神「藤白神社」にある大楠からいただいたそうだ。東大出で夏目漱石、正岡子規と同級生で、イギリス留学時は孫文と交流があり、遠い海外で祖国の将来を考えていたとか。熊楠は昭和天皇を神島に招待し、菌類の説明をしたことがあり、生物学の権威でもあったようだ。記憶が良く、幼いころから勉強ができたようだが、ノートにメモ(記録)をしており、秀才型の天才ではないかと思った。ちなみにあんぱんが好きなようです。って、いるか?この説明と妻がボソリ。。最後に入口に熊楠の細菌類シールガチャガチャがあります。全80種類!!1カプセルに20種類のシールが入っている。200円が安いか高いかはあなた次第です。

◆和歌山④◆南紀白浜パーフェクトガイド -景勝地!イルカ!サファリ!ブルーインパルス!?- - じゃらん旅行記

#海蔵寺 「闘鶏神社神宮寺の弁慶観音?」

詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。(闘鶏神社神宮寺の弁慶観音?「海蔵寺/本正寺」【和歌山シリーズ/和歌山市周辺シリーズ/和歌山紀北シリーズ】)

#蟻通神社 :〒646-0031 和歌山県田辺市湊19−6

地元では「御霊さん」と呼ばれ親しまれている知恵の神様です。旧熊野街道大辺路沿いにあり、「神道集」に登場する古社。蟻通の由来は「法螺貝」に一本の糸を通すという難題を蜜と蟻を利用して通したことにより、今では知恵の神様としてあがめられている。境内にある楠の木は、街中にあるとは思えない程の大木で安政の大火の時に水を噴いて町を守ったという伝説が残っています。境内にはイチョウやエノキなどの大木もあり、賑やかな商店街に面してはいますが静かでくつろげる場所です。入口正面には黒い大きな馬の像があり、すぐ後ろの楠の木の周りにはふたつの牛の像とひとつの鹿の像が置かれており賑やかです。ここで気をつけたいのが、入口から見えているのは本殿の後ろ側で、ずっと奥に進み突き当たりを左に行ったところが本殿正面です。

蟻通神社と紀貫之公と清少納言
蟻通神社の御祭神がはじめて文献に登場されるのは、平安朝前期の歌人である紀貫之公の歌集『貫之集』(十世紀中葉成立)です。そこには「ありとほしの神」と貫之が織りなす説話と和歌が記されています。また、清少納言の随筆『枕草子』にも「蟻通の明神」説話が描かれており、少なくとも平安時代以降、蟻通しの神さまは広く世に知られる御存在であったことがわかります。
 なかでも、蟻通神社と紀貫之公の伝承を最もくわしく記す書物が、南北朝時代中期に成立した説話集である『神道集』(全十巻五十話)です。『神道集』には、全国の著名神社約40社の縁起などが収録され、第七巻三十八に紀伊国田辺の「蟻通明神事(ありとおしみょうじんのこと)」が記されております。

蟻通神社 – 和歌山県 田辺観光協会


詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。

ちなみに、ここ以外の蟻通神社に興味がある方はどうぞ!

#鈴屋 「#デラックスケーキ」

和歌山の老舗・鈴屋の代表銘菓「デラックスケーキ」は、ふんわりとしたカステラ生地にコクのあるバタークリームを挟み、外側をチョコで包んだ贅沢な一品。どこか懐かしい甘さと軽やかな口どけが絶妙で、シンプルながら完成度の高さに驚かされる。個包装で食べやすく、手土産にも最適。素朴さと上品さが同居する、長く愛される理由に納得の味わいだ。

印象は大きく異なるがホワイトロリータを思い出した。ホワイトロリータはサクッと軽い食感とミルキーなクリームが手軽で親しみやすい。一方、デラックスケーキはしっとり生地とバタークリームをチョコで包んだ贅沢な味わいで、満足感が高い。

夕食:#廻鮮心鮨:〒646-0026 和歌山県田辺市宝来町10−16

廻鮮心鮨は、地元の新鮮な魚介を気軽に楽しめる回転寿司店。ネタは大ぶりで鮮度が高く、特に地魚の旨みが際立つのが魅力だ。満足度の高い一軒として地元でも支持されているようだ。

▽2026年3月21日(土):

#コンフォートホテル紀伊田辺 :〒646-0031 和歌山県田辺市湊47−31

たぶん6:30とか朝一の朝食。食しているときに熊野古道徒歩組はホテルを出て行っていました。

#馬渓観音 :〒649-2103 和歌山県西牟婁郡上富田町生馬

和歌山県白浜温泉から車で約20分の距離にある「救馬渓観音(すくまだにかんのん)」は、約1300年前に役行者が開山したと伝わる開運厄除霊場。救馬渓観音は、厄除のみならず、家内安全・縁結び・合格・交通安全などあらゆるご利益がある。熊野詣でに行幸された鳥羽上皇の勅願により堂宇を建立「瀧尾山 岩間寺」と号しました。

2026年度は12年に一度の御開帳です。7:40には駐車場は混んでいました。9:30には待ちが出ていましたね。その前の9:10には内陣拝観は10:00というアナウンスがされていました・・。白浜で宿泊していたら、たぶん・・・午前中に見仏できていないと思います。1日のうちに何回か法要などがあり、見仏がストップされるため。

コンクリートで3階分の階段を上ったところに本堂と磐座ですね。昔は懸造りだったのかもなと。

 御開帳ということで階段下まで列が出来ていた。ふと御前立の写真があった。なるほど、福井・中山寺に近いのかなと期待を膨らませる。


 8:00から御開帳だが、法要の間は見仏できないので要注意である。
 2026年は、130年ぶりに修復してから初公開とのこと。金箔を貼りなおしたようで、伝快慶作と思って見仏すると戸惑う方がいるかも。。

2026年度御開帳
・午前8時00分~午前9時30分:見仏
・午前10時~午前11時:御開帳記念特別大法会・祈祷
・午前11時00分~午前11時45分
・午後12時~:御開帳記念厄除大投餅
・午後12時15分~午後13時30分:見仏
・午後14時~午後15時:御開帳記念特別大法会・大護摩祈祷
・午後15時30分~:御開帳記念厄除大投餅
・午後15時45分~午後17時20分:見仏

 仏像の感想は別NOTEにします。快慶作ではないだろう。金ピカ過ぎたので聞いた所、修復したようですね。妻が一言。快慶じゃないと寺の人は分かっているので修復で金を貼りなおしたのだろうとのこと。納得。


 本堂の裏手には、ひっそりと巨大な岩が鎮座している。救馬渓観音は、もともと山そのものを信仰対象としてきた場所だと実感する瞬間だ。この巨石の前に立つと、修験の祖・役行者がこの地を訪れたという伝承も、不思議と腑に落ちる。そう、京都・清水寺や滋賀・石山寺などと同じく磐座ありきで建立されたのだと確信する。

本堂は、単なる建築物ではない。屋根は背後の一枚岩と一体化し、「蛇々鬼羅(ダダキラ)岩窟」と呼ばれる岩窟そのものに抱かれるように建てられている。つまりここは、聖地であった岩窟に仏を迎え入れた場所。

さらに、この地は空也上人が読経念仏を行ったと伝わる霊場でもある。自然信仰と仏教が重なり合い、祈りが何層にも積み重なった空間だと感じた。

本堂裏側から奥に向かいます。

境内の中でも、ひそかに人気を集めているのが「縁結びの神様」。救馬渓観音の山そのものを司る神を祀った場所で、いわばこの地の“根源的な存在”ともいえる。ここでは男女のご縁に限らず、

  • 良縁

  • 金運

  • 人とのつながり

  • 仕事や商売の縁

といった、あらゆる“巡り合わせ”を整えてくれると伝えられている。

願いを言葉にし、かわらけに託して放つ。その一瞬に、これまで境内で感じてきた祈りや思いが凝縮される。飛んでいく小さな皿を見送る時間が、どこか自分自身を手放すようでもあり、静かな余韻を残した。

詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。(快慶作?馬頭観音「救馬渓観音」午年の旧暦初午日のみ御開帳【和歌山シリーズ/和歌山市周辺シリーズ/和歌山紀北シリーズ】)

  • 700年代: 役行者(役小角)がこの地で修行し、修験道の霊場としての礎を築く。

  • 953年: 空也 が自ら刻んだ観音像を安置する。

  • 1100年代: 鳥羽天皇 が熊野詣の際に堂宇を建立し、寺名を「岩間寺」と称したと伝わる。

  • 1300年代初期: 後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良親王が、鎌倉幕府軍に追われて熊野へ逃れる際、この岩屋に潜伏。親王の愛馬が急に病に倒れたが、霊水と祈願によって奇跡的に回復したことから、親王が「救馬渓」の寺号を授けたとされる。

  • 1426年: 小栗判官 が堂宇を再建。愛馬の病が祈願により治癒したことから寺名を「救馬渓観音」としたと伝わる。

  • 1664年: 紀州田辺藩主安藤家の庇護を受け、本尊厨子が寄進される。

  • 1585年: 豊臣秀吉の紀州攻めにより、多くの建物や記録が失われる。

  • 1600年代〜1800年代(江戸時代): 紀州徳川家の歴代藩主から厚い信仰を受け、厄除けの祈願所として整備される。

  • 1852年: 本堂が再建される。

  • 1950年代以降: 境内に約1万株のアジサイが植えられ、関西有数の「あじさい寺」として広く知られるようになる。

  • 現在: 厄除け開運の霊場としてだけでなく、縁結びや合格祈願、また初夏のアジサイや秋の紅葉の名所として多くの参拝客が訪れている。

#龍王神社 :馬渓観音の寺内

言葉はいらない。写真をどうぞ!

#八上王子跡 :〒649-2101 和歌山県西牟婁郡上富田町岡

「王子」とは熊野の神の子供がいた場所ということで、平安時代末期から鎌倉時代のころにはさまざまな儀式が行われていたそうです。

八上王子は、かつて「上野王子」とも呼ばれ、熊野古道を歩く上皇や貴族たちが、現在の富田川(当時は八上川と呼ばれた)で身を清める「垢離(こり)取り場」としても機能していました。ここでの禊は、聖地熊野に入るための大切な儀式であり、八上王子跡が持つ神聖な意味合いを強く示しています。

田辺から八上峠を越した山裾に所在し、『熊野御幸記(くまのごこうき)』に「ヤカミ王子」と記されている。天仁2年(1109年)の藤原宗忠の『中右記』には、田辺から山を越えて「新王子社」に奉幣(ほうへい)したことが記され、この新王子が八上王子に当たるとされている。
『西行物語絵巻』には、西行法師が熊野詣の折、八上王子の瑞垣(みずがき)に和歌を書き付けている状況が描かれている。また、本殿や拝殿等も描かれており、鎌倉時代の王子社の社殿形式を知る上で非常に貴重な史料である。

八上王子跡(熊野参詣道 中辺路) | わかやまの文化財

詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。(世界遺産!熊野九十九王子社「八上王子跡/八上神社」熊野古道で最も“通り過ぎられた聖地”八上王子跡の正体【和歌山シリーズ/和歌山市周辺シリーズ/和歌山紀北シリーズ】)

  • 1109年: 藤原宗忠が熊野参詣の途中で参拝したことが『右中記』に記され、八上王子の初見となる。

  • 1100年代後半: 西行が当地を訪れ「待ち来つる 八上の桜咲きにけり荒くおろすな 三栖の山風」と詠み、桜の名所として知られる。

  • 1201年: 藤原定家が後鳥羽天皇の熊野御幸に随行し、記録『熊野御幸記』に「ヤカミ王子」として記される。

  • 江戸時代: 紀州藩の保護を受け、地域の産土神として社叢が守られる。

  • 1907年頃: 南方熊楠 が神社合祀反対運動の中で、当社の社叢と伝統的形態の価値を評価する。

  • 2016年: 紀伊山地の霊場と参詣道 の構成資産として追加登録される。

  • 現在: 熊野古道中辺路の王子跡の中でも保存状態の良い遺跡として知られ、多くの参詣者や古道歩きの人々が訪れている。

#田中神社の森 :〒649-2101 和歌山県西牟婁郡上富田町岡403

熊野古道の水田の真ん中に、ぽつりと浮かぶ小さな森。それが「田中神社の森」です。一度は神社合祀によって消えたこの場所は、“ある人物の一言”によって救われました。その人物とは、博物学者・南方熊楠。

「神社はなくなっても、森だけは残せ」

この助言がなければ、この場所は完全に失われていたかもしれません。1915年に八上神社に合祀されましたが、熊楠の「合祀されても神林だけは残しておけ」との助言に従い、神社林を残していたため、後に復社を果たすことができました。

詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。(熊楠が守らせた“奇跡の森”「田中神社の森」消えた神社が蘇った理由【和歌山シリーズ/和歌山市周辺シリーズ/和歌山紀北シリーズ】)

#稲葉根王子神社跡 、〒649-2102 和歌山県西牟婁郡上富田町上岩田2988−2

南方熊楠が強く抗議した神社合祀ラッシュ。稲葉根王子も例外ではなく大正初期に合祀されて跡地となっておりましたが、1956年に再び祀られるようになったそうです。水垢離場横。上皇や女院の方々もこちらで禊をして、徒歩で川を渡ったそうです。

詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。(世界遺産!熊野九十九王子社の一つで五体王子「稲葉根王子神社跡」【和歌山シリーズ/和歌山市周辺シリーズ/和歌山紀北シリーズ】)

#興禅寺 、〒649-2107 和歌山県西牟婁郡上富田町市ノ瀬無番地

山の中腹に鎮座する巨大な「白いだるま」は、国道からもその姿を確認できる地域のシンボルです。この像の中には、建立の際、戦地から持ち帰られた砂や遺骨の一部が塗り込められていると伝えられ、平和への強い願いが込められています。

詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。(日本一の白いだるま坐像「興禅寺」大黒さんの下の歯にご縁【和歌山シリーズ/和歌山市周辺シリーズ/和歌山紀北シリーズ】)

#熊野 たまご食堂、〒649-2102 和歌山県西牟婁郡上富田町岩田2427−3

口熊野 たまご食堂は、地元の卵・地鶏・鰹節にこだわったシンプルながら贅沢な食堂。とれたて卵の濃厚な旨みと、削りたての鰹節が重なり、卵かけご飯が格別の一杯に仕上がる。米も地元産を使用し、素材の力をまっすぐ味わえるのが魅力。素朴ながら記憶に残る美味しさで、熊野らしい“食の原点”を感じさせてくれる一軒だ。

さあ~帰ろう!!明日は別用があるので・・・。

→帰りも事故渋滞

燃えとるがな・・・。

壁が真っ黒ですね。命に別状なしで何よりです。(たぶん)

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