世界遺産!熊野九十九王子社「八上王子跡/八上神社」熊野古道で最も“通り過ぎられた聖地”八上王子跡の正体【和歌山シリーズ/和歌山市周辺シリーズ/和歌山紀北シリーズ】
「王子」とは熊野の神の子供がいた場所ということで、平安時代末期から鎌倉時代のころにはさまざまな儀式が行われていたそうです。
八上王子は、かつて「上野王子」とも呼ばれ、熊野古道を歩く上皇や貴族たちが、現在の富田川(当時は八上川と呼ばれた)で身を清める「垢離(こり)取り場」としても機能していました。ここでの禊は、聖地熊野に入るための大切な儀式であり、八上王子跡が持つ神聖な意味合いを強く示しています。
田辺から八上峠を越した山裾に所在し、『熊野御幸記(くまのごこうき)』に「ヤカミ王子」と記されている。天仁2年(1109年)の藤原宗忠の『中右記』には、田辺から山を越えて「新王子社」に奉幣(ほうへい)したことが記され、この新王子が八上王子に当たるとされている。
『西行物語絵巻』には、西行法師が熊野詣の折、八上王子の瑞垣(みずがき)に和歌を書き付けている状況が描かれている。また、本殿や拝殿等も描かれており、鎌倉時代の王子社の社殿形式を知る上で非常に貴重な史料である。
▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時
公式HP:
アクセス:〒649-2101 和歌山県西牟婁郡上富田町岡
祭神:天照大御神
▼見どころ
→由緒
1109年: 藤原宗忠が熊野参詣の途中で参拝したことが『右中記』に記され、八上王子の初見となる。
1100年代後半: 西行が当地を訪れ「待ち来つる 八上の桜咲きにけり荒くおろすな 三栖の山風」と詠み、桜の名所として知られる。
1201年: 藤原定家が後鳥羽天皇の熊野御幸に随行し、記録『熊野御幸記』に「ヤカミ王子」として記される。
江戸時代: 紀州藩の保護を受け、地域の産土神として社叢が守られる。
1907年頃: 南方熊楠 が神社合祀反対運動の中で、当社の社叢と伝統的形態の価値を評価する。
2016年: 紀伊山地の霊場と参詣道 の構成資産として追加登録される。
現在: 熊野古道中辺路の王子跡の中でも保存状態の良い遺跡として知られ、多くの参詣者や古道歩きの人々が訪れている。

三栖山を越え八上王子を経て石田川(いわたがわ)に出るルートは江戸時代には潮見峠越えという別ルートに取って代わられ、八上王子はかつてのにぎわいを失った。それでも土地の人々に産土社として尊崇され、明治時代に神仏分離で神社となった。
八上神社から800mくらい南にある摂社の田中神社は1915年に八上神社に合祀されましたが、熊楠の「合祀されても神林だけは残しておけ」との助言に従い、神社林を残していたため、後に復社を果たすことができました。
→鳥居


残念ながら西行が歌心を誘われた桜は残っていませんが、境内には西行のこの歌の碑が2基、建てられています。ひとつは大正5年に建てられたもの。もうひとつが昭和62年に建てられたもの。
西行法師の『山家集』に、
「待ち来つる 八上の桜 咲きにけり
荒くおろすな 三栖の山風」
とあり、八上王子の名が広く知られています。



→境内へ


→拝殿・本殿



八上神社の主祭神はアマテラスで、誉陀和気命、大年神、天忍穂耳命が配祀されている。



→境内
珍しい瓢箪の絵馬があった。絵馬に瓢箪が使われているのはなぜかは不明。ただ、この後の田中神社の駐車場より、瓢箪のゆるキャラがあったので、その繋がりか?いや、何かその所縁があるのだろうと思います。和歌山といえば、秀吉か??豊臣兄弟か??

神仏分離するまでは八上王子の社殿には御神体として十一面観音が祀られていたようです。その名残かなと思うお堂のような建物があります。




▼メディア情報
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