◆愛知⑧◆いざ大須観音周辺へ!瀧山寺50年に一度の御開帳/瀧山東照宮復活!!
この旅行記のテーマは次の通り。
愛知県岡崎市
瀧山寺で50年に一度の御開帳
瀧山東照宮が修復完了
徳川家ゆかりの神社仏閣
岡崎から名古屋へ徳川家ゆかりの神社仏閣
名古屋観光スポット!!大須観音周辺
この旅行記の神社仏閣は写真中心です。神社仏閣の詳細はもうひとつのNOTEを参照ください。
やんまあ|note
▼ルート&見どころ
▽2025年5月9日(金):愛知県岡崎市
#岩津天満宮 :〒444-2144 愛知県岡崎市岩津町東山53
神社アトラクション!!熱田神宮(私のNOTE)と三河国一宮・砥鹿神社(私のNOTE)奥宮を結ぶ線上の中央に鎮座。神職は服部家が代々行っている。大阪の服部には服部天満宮とあるのは偶然か?
服部=秦系ならば、豊川の秦系神社(私のNOTE)を感じていたのは間違っていないのかも。トヨタグループの創始者・豊田佐吉が病弱だった子供の頃、健康祈願で参拝に来たというエピソードが残っている。














詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。
通称は「岩津天神」とする
祭神は菅原道真
1759年:鎌倉・荏柄山天満宮(芭蕉天神)の分霊を勧請
境内観音堂に祀るも霊夢により、東山の現在地に祠を建立し社殿を造営
神仏分離令により、信光明寺の所管を離れる
1879年:火災により社殿は焼失
1900年:本殿再建臨時祭典を執行
1911年:岩津天満宮御本殿再興
1919年:現在の拝殿を造営
1971年:熱田神宮宮庁舎を移築
#真福寺 :〒444-2106 愛知県岡崎市真福寺町薬師山6−6
聖徳太子が建立してから今に残る東海最古の古刹!!創建は古く、飛鳥時代とも奈良時代ともいわれている。
本堂の中に八角堂があり、この中が井戸で、その井戸の水がこの真福寺のご本尊「水體薬師如来」なんだそうな。












詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。
「しんぷくじ」と読む
聖徳太子46ヶ寺の一つと伝えられている
創建は古く、飛鳥時代とも奈良時代ともいわれている
三河最古の古代寺院跡で、白鳳時代の仏頭などの寺宝がある
名物・竹膳料理は、膳から器、箸に至まですべて竹細工で、竹の子料理のフルコースを一年を通して味わえる
594年:物部守屋の次男・真福が霊光に導かれて滾々と湧き出る泉を発見
真福は日頃信仰しておられた薬師如来が水中より参上
非常に感激し本堂を建立したのが真福寺の始まり
鎌倉時代には36坊の末寺を有した
現在は、身体健康と目のお薬師様として愛知県下はもとより全国より多くの信仰を集めている
#信光明寺 :〒444-2144 愛知県岡崎市岩津町東山47 岩津芭蕉天神
家康の御先祖にもあたる菩提寺なので江戸時代は107石をもらっていたそう。岩津天満宮(私のNOTE)だけでは片参り!!そして菅原道真と松尾芭蕉を祀る最強の勉学の場所か。信光明寺にある芭蕉天神は、菅原道真公と松尾芭蕉という二人の偉人を祀っている珍しいお堂があある。それぞれの名前から「芭蕉天神」と呼ばれている。芭蕉天神は、学問の神様と俳諧の祖という、異なる分野で偉業を成し遂げた2柱を、独特の信仰の形を表している。









詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。
#瀧山寺 :〒444-3173 愛知県岡崎市滝町山籠107






神社仏閣の詳細は次のNOTE参照。
#瀧山東照宮
復活!!
















私のNOTEは次の通り。
#六所神社 :〒444-0864 愛知県岡崎市明大寺町耳取44
松平家の産土神として松平家・徳川家の崇敬が篤く、現在も「安産の神様」として信仰されている神社。家康誕生の際には、松平氏の産土神として参拝。この行為が坂上田村麻呂も参拝した繋がりで天下統一したのかも!?
本殿・幣殿・拝殿・楼門・神供所は国の重要文化財に指定されていることからも、金のあるとこ良い仏像や社殿がある!!その背後に豪族や権威・権力ありが分かる神社である。
そんな神社だけど一の鳥居からの参道を電車が横切っているのも面白いし、境内に「家康の手形」があるのだが、本物か?何が原型なのか??


















詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。
#菅生神社 :〒444-0052 愛知県岡崎市康生町630−1
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)東征の時、矢を作り、神風にて一矢を吹き流し、その矢を以って黄色の菅の花が咲く里に伊勢大神を奉祀された。この時に創建された岡崎最古の神社。
主祭神の性格から武神として、松平親氏を初め一族の崇敬が篤く城内鎮守の守護神として城主祈願所となった。松平3代信光の息子、光義の子孫代々菅生神社神主として明治まで松平氏が奉仕していた。徳川家康が25才の時、開運厄除の祈願にも来ている。







詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。
#松應寺 :〒444-0062 愛知県岡崎市松本町42
時間の都合スキップ
#龍城神社 専用駐車場:〒444-0053 愛知県岡崎市板屋町155
時間の都合スキップ
#糟目犬頭神社 :〒444-0202 愛知県岡崎市宮地町馬場31
「かすめけんとう」と読む古社。豊川の「犬頭神社」との関係はあるのだろうか??ならば三社制だと思うのだが、どこにあるのだろうか?






詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。
碧海郡6座の式内社の一つとされる(『延喜式』巻9・10)
701年:彦火火出見尊を祀り建立
以前は隣村の上和田村の西糟目森崎に鎮座していたので「糟目神社」と言われていたが、洪水で今の場所へ遷座
987年:熊野三所大権現を合祀
1190年:現在地に遷座
1346年
上和田城主・宇都宮泰藤がこの神社周辺で鷹狩りをしていた
大木のふもとで休憩中にうたた寝をしていると、木の上から大蛇が泰藤を飲み込もうと大きな口を開けていた
その時、白犬が激しく吠えて泰藤を起こそうとしたが、泰藤は白犬に眠ろうとしていたところを邪魔されたと思い、白犬の首を刀で刎ねてしまう
白犬の首は大蛇に噛みつき、大蛇を噛み殺してしまう
自分を助けようとした白犬を殺してしまった泰藤は大いに後悔し、白犬の首をこの神社に埋葬したのでこの名前が付いた
1350年:足利尊氏が熊野権現領100貫文を寄進
1602年:岡崎藩主・本多康重が本殿を再建
1605年:鳥居も奉納
1793年の拝殿造立棟札に「式内糟目神社犬頭大明神」とあり、式内「糟目神社」と主張するようになった
1871年:額田県の命により糟目犬頭神社と改称
1889年:本殿再建
1901年:拝殿再建
#白鳥神社 :〒444-0931 愛知県岡崎市大和町平野135
日本全国に100以上ある白鳥神社は愛知県に30社ほどあるのは、ヤマトタケル所縁の場所なのだからか?「熊野神社」に合祀されたが、神社名は「白鳥神社」なのは面白い。そして「桑子神社」も合祀した。

桑子神社だが、犬頭神社とも。んっ??桑子は古語で「秦」なんだそうな。







詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。
#妙源寺 :〒444-0931 愛知県岡崎市大和町沓市場 柳堂
時間の都合カット
#前庭天神社 :〒444-0939 愛知県岡崎市新堀町中野21
時間の都合カット
#若一王子社 :〒446-0026 愛知県安城市安城町宮地41
なぜ?アメノホヒがここに??尾張氏との繋がりなんだろうかね??てっきり、若一王子なので、紀伊の熊野三社と長野・若一王子神社(私のNOTE)などの熊野と諏訪の通り道なんだなと思っていたのだが。。要は熊野繋がりなんだろうと思っていたのだが・・・。
「にゃくいち」と読む
1350年:アマテラスの次男・天穂日命(アメノホヒ)を祀る
社号標は「神」が削られて「王子」になっており、以前は「若一神社」だったのだろうか間違えたのか!?





詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。
#宮崎地鶏炭火焼 知覧(宮崎地鶏)
夕食です。愛知だけど宮崎で攻める!?









#スーパーホテル安城駅前 :〒446-0062 愛知県安城市明治本町2−2
朝食

▽2025年05月10日(土):
#安城七夕神社 :〒446-0041 愛知県安城市桜町18−18
安城市役所の南にある安城神社の境内に鎮座。1960年、安城七夕まつりが始まって創建され、以来、七夕まつりの聖地として親しまれている。









詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。
安城神社
1938年:靖国神社から安城出身者の分霊を勧請して南明治八幡社境内に護国神社を創建したのが由来
1942年:現在地に遷座
七夕神社
猿田彦大神と天宇受売命を祀る
1960年:鎮座
1957年:仙台の「七夕まつり」に着想を得て、商店会を挙げての観光行事として「安城七夕まつり」がはじめて開催された
「全国で唯一の七夕神社」として紹介されているそうだが、これは違う
#三河国二之宮は尾張造の東海道三社 「知立神社/総持寺」元神宮寺はセット
知立神社は「ちりゅうじんじゃ」と読む。江戸時代の主要街道の東海道に面していたので多くの人で賑わいをみせたようだ。総持寺は知立神社の元神宮寺(別当寺)で、多宝塔は今でも神社にある。



















詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。
総持寺です!






#密蔵院 :〒448-0002 愛知県刈谷市一里山町南弘法24
行き忘れた・・・。
#鳴海八幡宮 :〒458-0834 愛知県名古屋市緑区鳴海町前之輪49
次のNOTE「成海神社」とともに、今川義元や山口重政から、神田や社領を寄進された記録が残っているとか。成海神社とは鳴海祭を共に実施していたがけんか別れした。出雲大社など権威・権力争い的にものがここにもあったようだ。鳴海祭のうち、「表方」が鳴海八幡宮の祭礼であるのに対し、「裏方」が成海神社の祭礼である。












詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。
創建年代は不明
『延喜式神名帳』の伊副神社が前身と考えられている
平安時代:神社は一度衰退したが熱田神宮大宮司が再興
1232年:久野家初代が社職となった記録が残っている
小松山に鎮座しており、現在地には室町時代初期に遷座したとする
1557年:今川義元が神田と禰宜屋敷を寄進
1589年:星崎城主・山口重政が社領を寄進
1733年:徳川宗春が参拝し、歴代尾張藩主も度々参拝する
1737年:御旅所を建てる
1969年:八幡社から鳴海八幡宮に改称
#成海神社 :〒458-0801 愛知県名古屋市緑区鳴海町乙子山85
かつては、熱田神宮の東に位置することから「東宮大明神」とも呼ばれ、1300年以上の歴史を持つ。祭神はヤマトタケル、ヤマトタケルの后、后の兄でありヤマトタケル軍の武将である。つまりのところ熱田神宮繋がりだということ。私のNOTEは次の通り。(アマテラス荒魂&三種の神器「熱田神宮」完全ガイド!尾張氏!楊貴妃伝説?【尾張シリーズ】【名古屋シリーズ】)










詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。
『延喜式』にある「成海神社」に比定される式内社
686年:草薙神剣が熱田に還座された時に、ヤマトタケルの縁により鎮座されたと云われている
『熱田大神宮御鎮座次第本紀』には、ヤマトタケル東征の縁故の地に創祀した10の神社が記載されているという
創建当初は今より南の天神山に鎮座していた
1394年頃、足利氏の武将・安原宗範により根古屋城(鳴海城)が築城
当初は乙子山に奉遷された
ヤマトタケルは鳴海について4首の御歌を残し、尾張国造城館の所在地で、后・宮簀媛命が住んでいた場所に、熱田神宮境外摂社氷上姉子神社(私のNOTE)が鎮座する
「鳴海浦を 見れば遠し 火高地に この夕潮に 渡らへるかも」
1700年:鳴海八幡宮とは関係が深く、下社と上社のように祭りがあったが、けんか別れした・・・それ以後、表方(鳴海八幡宮)・裏方(当社)に分かれて、別々に行われるようになった
#島田神社 :知県名古屋市天白区島田3丁目301
南北朝時代の武将で守護大名だった斯波高経が島田城を築城した際、城の鬼門除けとして熊野権現を勧請して祀ったのが始まり。一年中の嘘をうそ鳥に託して天神の誠と取替え罪を滅ぼし幸福を招く「鷽かえ」(うそかえ)に注目!!




詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。
#塩釜神社 / #八事神社
この坂ヤバイ・・!そんな山に鎮座する。昔は満潮時は梅海が近くまで来たとか。ということは、ここは海を監視する場所だったのかなとも思ったり。







詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。






#興正寺 :愛知県名古屋市昭和区八事本町78














詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。
#千代保稲荷神社 :〒464-0812 愛知県名古屋市千種区園山町1丁目64






詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。
#桃厳寺 :〒464-0819 愛知県名古屋市千種区四谷通2丁目17
名古屋大仏!織田信長の父・信秀の菩提寺だが寺ワンダーランド!!
オッス!織田信長の菩提寺です!!名古屋大仏がいます!!!寺ワンダーランドです!!!!オッス!!!!!♂♂♂な寺です。




















詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。
「とうがんじ」と読む
開基は織田信長の同母弟・織田信秀
1500年代に、末森城主・織田信行が父・信秀の菩提を弔うために建立
織田信長の父・信秀の菩提を弔うために建立
境内には信秀の廟所がある
桃巌寺という名前は信秀の法名「桃巌道見大禅定門」にちなんだもの
1712年、1714年に現在地に移ったと伝えられている
本尊は聖観音
信秀所有と伝えられる辯天画像や、竹生島(私のNOTE)から勧請した十五童子像を守護神として祀っている
#城山八幡宮 :〒464-0045 愛知県名古屋市千種区城山町2丁目88
恋の三社めぐり「城山八幡宮」神社アトラクションの恋占いなどあり!!
公式HPの情報量が凄く多いので文章少なめで行きます。信長の父の場所である末森城跡の歴史スポットでもあり、今では恋の三社めぐり&神社アトラクションの名所。










なお、公式HPには「三大八幡」についても記しています。誠実な情報だなと思います。「三大八幡 城山八幡宮」をどうぞ!!私の三大八幡NOTEは次の通り。って4つありますがね!?いろいろ説があるんですよね。
詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。
詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開しますを知りたい方は公式HP「城山八幡宮_御神徳_沿革_由緒_末森城_織田_信行_信秀」参照ください
簡易版は次の通り
もと城山(末森城)の東北の麓の地に鎮座
1548年:織田信秀によって末森城が築城
1553年:子・織田信行によって城内に白山社が建立
1908年:城山にあった白山社は八幡宮に合祀、同時に末森村にあった浅間社、山神社、一ノ御前社も八幡宮に合祀
1912年:白山社旧地である城山一帯が八幡宮の所有地となる
1936年:城山に遷座
1956年:城山八幡宮に改称
#覚王山 日泰寺:〒464-0057 愛知県名古屋市千種区法王町1丁目1
時間の都合カット
#高牟神社 :〒464-0850 愛知県名古屋市千種区今池1丁目4−18
恋の三社めぐりの1社は造化三神だ!!「恋の霊水」が『恋の三社めぐり』の一つなんだそうな。ただ神様は造化三神の2柱を祀る古社。「たかむじんじゃ」と読むので「タカムスヒ」から来ているのだろうか。
ここは尾張物部氏の地で本殿は武器庫だったとか。少し奈良・石上神宮(私のNOTE)と同じ雰囲気を感じる方もいるかも。







詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。
131年:鎮座
858年から876年:社殿造営
901年:愛知郡の部に「高牟神社あり、小社なり」ときされて式内社
このあたりは尾張物部氏の集落で、武器庫だったことから神社名に「牟」があるんだとか
あの弁慶との謂れもある
平安時代末期、弁慶が子供のころ、ここ高牟神社の神宮寺(現・光正院)に居て、大般若経五十巻を筆写して奉納した
弁慶手植えの松七本なども昭和初め頃まで大木として繁茂していた
927年:『延喜式』に尾張国愛智郡高牟神社とある
『尾張国内神名帳』ではの高牟久天神とされている
造化三神と応神天皇という違和感がある組み合わせは、江戸時代は八幡社と称していた時期があるようだ
1688年:尾張藩主徳川光友が社殿を修復して以来、城南を鎮護する神として崇敬される
1951年:高牟神社と改称
#日置神社 (日置八幡):〒460-0016 愛知県名古屋市中区橘1丁目3−21
スルーした・・・。
#清涼山 栄国寺:〒460-0016 愛知県名古屋市中区橘1丁目21−38
名古屋三大仏はキリシタン寺!!歴史は浅いが仏像は鎌倉時代作。
多くの爆弾が落ちたがここは焼けなかった!さすが「火伏せの阿弥陀如来」ということだろうか。名古屋三大仏ここにあり!!!
キリシタン寺には悲しい歴史がある。1664年にキリシタン弾圧で名古屋城下の千本松原刑場で200人ほどのキリシタン処刑が行われた。1665年に尾張2代藩主・徳川光友は処刑場を現・清須市に移し、その跡地に菩提を弔うために、清涼庵を開創し、本尊に現在の犬山市塔野地にあった薬師寺から阿弥陀如来像を移し安置したとさ。






詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。
1664年:切支丹(キリシタン)宗徒200名が処刑された場所
1665年:尾張藩二代目藩主光友公の意向により、この刑場を清須市・土器野に移した後、この地一帯は整備された
1665年:光友は刑死者の菩提を弔うため清涼庵を建立
1685年:名称が「栄國寺」と改められる
1686年:形態を整えて現在の栄国寺を建立
境内には、切支丹遺跡、千人塚、仏足石、切支丹灯籠等がある
名古屋最古の三大佛の一つ「火伏せ(かぶせ)不思議の弥陀」の阿弥陀如来坐像が安置されている
鎌倉時代の仏師・春日作と伝えられている
1665年:犬山・丹羽郡 「塔の地」薬師寺の本尊を栄国寺に受難者慰霊のために移した
戦災時、栄国寺一帯にも多数の爆弾が落とされたが、いずれも不発で被災を免れた (ノ・ω・)ノオオオォォォ- さすが「火伏せ」だ!!!
#真宗大谷派 名古屋別院:〒460-0016 愛知県名古屋市中区橘2丁目8−55

#コンフォートホテル名古屋金山 :〒456-0003 愛知県名古屋市熱田区波寄町24−14





▽2025年05月11日(日):
#白川公園駐車場 :〒460-0008 愛知県名古屋市中区栄2丁目
#名古屋総鎮守 若宮八幡社:〒460-0008 愛知県名古屋市中区栄3丁目35−30
名古屋総鎮守は名古屋三大祭「若宮八幡社」名古屋城と繋がる祭り!金の鳥居!!金の鯱繋がりで金の鳥居??応神天皇の子=若様=仁徳天皇なので「若宮」+「八幡社」だろうね。「若宮まつり」と呼ばれる例祭は、名古屋の三大祭りの一つとして有名で、本祭りには神輿と山車が那古野神社(私のNOTE)を御旅所として、ご神幸が盛大に執り行われる。そして金色の鳥居をくぐり巳の「つがい龍蛇神」は何を指すのか?
















詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。
697~707年:名古屋城内に創建されたと伝えられている
901年~923年:再興
1532年:織田信秀が那古野城を攻めた際焼失
1539年:再建
豊臣秀吉より社領200石の寄進を受ける
1610年:徳川家康が名古屋城築城に際し現在の地に遷座し、武神の神・外敵防護・領内鎮護の神とする
1664年:尾張藩二代藩主・徳川光友が社殿などを造営し、社僧を廃し例祭の興隆に努める
→ってある意味名にの神仏分離を先取りしたような気もする1689年:神領100石が寄進され、明治維新まで藩主に崇敬された
1945年:空襲により焼失
1957年:氏子により復旧造営
「若宮まつり」と呼ばれる例祭は、名古屋の三大祭りの一つとして有名
300年の歴史
本祭りには神輿と山車が那古野神社(私のNOTE)を御旅所として、ご神幸が盛大に執り行われる
#名古屋市科学館 :〒460-0008 愛知県名古屋市中区栄2丁目17−1 芸術と科学の杜・白川公園内
妻がプラネタリュウムを見たいというので行った。












-30度の世界へ!!思ったより大丈夫だった。













#日出神社 :〒460-0011 愛知県名古屋市中区大須2丁目3−17




詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。
当初は「愛宕社」だった
元々は清州の朝日村に鎮座し、別当として「地蔵院」が社務を執行していた
愛宕社、地蔵院跡を修験者である「大園坊良清」が松平忠吉より受領し、愛宕社の別当となる
1610年:「清州越し」により愛宕社と共に現在の地に遷座
1616年:「良濟」が後を継ぐ
1639年:尾張藩主・徳川義直より修験の林蔵坊が別当を務めていたが不祥事が継き追放された「浅間社(現在の富士浅間神社)と屋敷」を拝領
江戸時代までの祭神は「愛宕大権現」を祀り、明治政府による神仏分離令により、祭神を「軻具突知命」としている
1909年:現在の神社名に改称
#大光院




#隣松山 陽秀院:〒460-0011 愛知県名古屋市中区大須2丁目15−7
紙を貼り水で濡らし祈る「隣松山 陽秀院」この仏像の真の姿は不明。大須商店街の赤曹門明王通りにある、別称「大須秋葉殿」、隣松山陽秀院がある。門をくぐったすぐ左側に、たくさんの千羽鶴が奉納されている水舎があり、お地蔵さんがいる。たくさんの紙が張り付いて、元の姿かたちは全くわからない。




詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。
大須商店街の赤曹門明王通りにある
別称「大須秋葉殿」で、隣松山陽秀院(りんしょうざ-さんようしゅういん)と読む
1624年:清洲から移築された
1634年:娘の腫瘍に悩む檀家が夢でお告げを受け、陽秀院の地蔵に紙を貼って祈願すると治ったとさ
1945年:名古屋大空襲では大須の多くの寺院も焼失したが、陽秀院の山門と地蔵は焼失を免れた
#北野神社 :〒460-0011 愛知県名古屋市中区大須2丁目12−21
大須観音の本体はここ「北野神社」セットで行かないと片参り!!






詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。
次のNOTE「大須観音」の裏手に鎮座
もともとは大須観音の本体であるそうだ
大須観音の正式名は、北野山真福寺宝生院(きたのさん-しんぷくじ-ほうしょういん)で、この北野山は北野神社から来ている
昔は北野社または北野天満宮と称して、現・岐阜県羽島に鎮座
1324年:京都・北野天満宮(私のNOTE)より菅公直筆の画像を奉還し鎮座
道真直筆の画像は今も大須観音が持っているとする
1333年:大須観音の元になる、別当寺・真福寺を建てた
1344年:焼失
1610年:木曽川の洪水で流された
1612年:徳川家康が名古屋城下に移すよう命じた
真福寺と北野天満が同じ境内にある(『尾張名所図会』より)
真福寺の立派な本堂と五重塔があり、天神とある
隣には太子堂
名古屋城下時代は尾張藩の庇護もあって、真福寺は立派な寺になった
境内に芝居小屋が建てられ、門前町は一大歓楽街となり、後に旭遊郭へとつながっていく
再建されるも、第二次大戦の空襲でまたもすべて焼失
明治の神仏分離令で真福寺と分けられ、北野神社と改称した
#大須観音 :〒460-0011 愛知県名古屋市中区大須2丁目21−47
東京の浅草観音、三重の津観音と並ぶ日本三大観音の一つ。正式には「北野山真福寺宝生院」で、「大須観音」と呼ばれ親しまれている。美濃の大須にあったものが徳川家康により移された。大須文庫には、国宝の古事記写本を始めおよそ15,000冊を所蔵している。








詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。
東京の浅草観音、三重の津観音と並ぶ日本三大観音の一つです。
現・岐阜県羽島市大須あった
開山は能信上人(のうしんしょうにん)
大須文庫には、「古事記写本@国宝」など1万5千冊が所蔵されている
広い境内では、毎月2回骨董市が開かれる
1324年:後醍醐天皇は、北野天満宮を造営
1333年:上人をその別当職に補し、「北野山真福寺寶生院(きたのさんしんぷくじほうしょういん)」という寺号を下賜した
開創にあたり、伊勢大神宮に百ヶ日間も籠った
上人は、お告げにより観世音の姿を拝された
織田信長公寺領500石を寄進
徳川家康は、名古屋を建設するにあたり、今の地に移した
一大中心として繁栄し、「大須観音」と俗称され、真言宗智山派別格本山として、今日に至る
#互楽亭





#稲園山 正覚院 長福寺(七寺):〒460-0011 愛知県名古屋市中区大須2丁目28−5
美仏は平安定朝様だが玉眼「七寺(稲園山 正覚院 長福寺)」戦火で阿弥陀は焼失で脇侍二尊形式!!
平安時代の阿弥陀三尊なのだが、鎌倉時代に多い玉眼である。ということからも、中央の京都・奈良仏師が携わった仏像とされる。第二次世界大戦で中尊の阿弥陀如来は焼失したが、脇侍を二尊形式で本尊としている。この佇まい絶品です!!








詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。
735年:行基菩薩により尾張国中島郡萱津に正覚院が開創されたのに始まり
787年:七寺という呼称を得る
紀是広(きのこれひろ)によって、七堂伽藍が建立されたところから来たもの
逸話
「河内権守紀是広が天応元年(781)、秋田城主に任ぜられて出羽国に赴き7年の任期を修了して帰国の途中、中島郡萱津の里まで来たところ、郷里に残した愛児光磨が父の後を慕って萱津まで来て病死したのに出会い、悲嘆のあまり正覚院に詣で住職智光上人に亡児の蘇生を祈願した。上人はこれを聞き憐れんで、寺の東北林中に壇を築いて地を清め、薬師如来を壇上に安置して却死反魂を焚き医王の秘法を修したところ、香煙が児の面を覆った途端に息を吹き返し、父子の名乗りを交わし互いに愛慕の情を交わしあった後、息絶えてしまった。是広はこの地に亡児を葬り、延暦6年12月に7歳で死んだ我が子の追善のため7区の仏閣と12の僧坊を建立。それ以来七堂伽藍にちなみ「七寺」と呼ばれるようになった。」(公式HPより)
941年:過去から水難が続き、兵火により荒廃
1167年:勝幡城主・尾張権守大中臣朝臣安長が、亡女の菩提のために、
寺域を現在の稲沢市七ツ寺町に移し、七堂伽藍と12僧坊を再建1175年から1178年:広く豪筆の士を選んで一切経を書写させ、丈六の阿弥陀如来とその脇侍、観音・勢至の2躯を奉納
名を「稲園山長福寺」とし、「七寺」と呼称させるようにした
1591年:戦火などしていたが、豊臣秀吉の命で寺域を清州に移し本堂を再建
1611年:徳川家康の命により寺域を現在の地に移転し、諸堂が次々と再建
1700年:領主・徳川光友により三重塔が再建
これにより七堂伽藍のすべてが整い、大須観音、西別院とともに輪奐の美を誇るに至った
1730年:尾張藩主の祈願所となる
1945年:名古屋大空襲で本堂や三重塔など経蔵以外の七堂伽藍全てが焼失
弥陀三尊仏のうち、観音菩薩と勢至菩薩の2躯は持ち出して焼失を免れた
#春日神社 :〒460-0011 愛知県名古屋市中区大須3丁目46−34
春日大社と大神神社混合の「春日神社」春日大社完コピ?
鹿島神宮から春日大社にタケミカヅチが白鹿に乗って移動するときに立ち寄った場所。その謂れからか春日大社と酷似した拝殿だなと思う。そして面白いのは大神神社関係の社を持つところ。





詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。
767年~770年:奈良・春日大社が創建された際、常陸国の鹿島神宮から神霊を遷座する折、尾張国山田庄の当地に仮泊した
948年:藤原氏が春日大明神を奉祀したのが起源
1501年~1504年:小林城主・牧長清が前津村の氏神として社殿を造営
春日大社の猿沢池に倣って社殿の西側に大池を造営
牧長清は小林村の氏神として三輪神社を祀っていた
代々の尾州藩主の崇敬を受け、2代藩主・徳川光友の母が乳の病に悩まされた際には、春日神社の神木を祀って平癒されたので「お産の守神」として崇敬を集めた
9代藩主・徳川宗睦は石灯籠、釣灯籠、鈴などを寄進
1905年:春日大社から雌雄の鹿を譲り受けて境内で飼育を始めた
1945年:空襲を受け、本殿、拝殿、社務所などあらゆる建物が焼失
1958年:約3年をかけて、本殿、幣殿、廊門、廻廊、手水舎などを造営
#万松寺 :〒460-0011 愛知県名古屋市中区大須3丁目29−12
織田家の菩提寺「万松寺」は近代寺院というべきか。
織田家の菩提寺として建立された。織田信長や徳川家康をはじめとする戦国武将との縁が深く、家康が9歳までこの寺で過ごしたそうな。時間になると白龍が霧を吹いたり、信長のからくり時計もある。近代寺ワンダーランドと名付けようか?












#三輪神社 :〒460-0011 愛知県名古屋市中区大須3丁目9−32
三ツ鳥居「三輪神社」女性陣が多すぎの恋スポ!!
なんか最近は、人気アイドルのライブチケットが当たる「推し活」のパワースポットとして、話題になっているとか。いや~女性だらけですね。

















詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開です。1年以内に公開します。
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