◆仏像展◆「湖西の神仏」-旧志賀町の神仏習合-運慶工房と快慶工房か◆大津市歴史博物館
本展は、古代から中世、近世へと続く湖西独自の宗教文化を、仏像・神像・仏画を通して可視化する試みです。最大の見どころは、上品寺(小野)の阿弥陀三尊脇侍。運慶工房の次世代「善慶」の作とされる力強い左脇侍と、快慶・行快の系譜を感じさせる繊細な右脇侍が並び、鎌倉彫刻の二大巨頭の運慶・快慶の息吹が混ざり合う様は圧巻です。なぜ?このような仏像があるか?それは小野妹子・小野道風など小野氏と和爾氏の地域だからだろうか?
また、徳勝寺の不動明王立像は、和歌山・東光寺にも通じる鋭い眼光を放つ室町期の逸品。さらに天皇神社(和邇)の薬師如来坐像は、かつての牛頭天王の本地仏であり、神仏分離を乗り越えた地域信仰の根強さを物語ります。白鬚神社の縁起に見られる山と湖の神格の融合など、境界の曖昧な「祈りの原風景」が、この地には今も息づいています。
大津市歴史博物館では、志賀町合併20周年記念企画展として、旧志賀町域を
中心に「湖西」と呼ばれた地域の多彩な宗教文化を紹介する「湖西の神仏」を開催いたします。
旧志賀町は、堅田などの大津市北部、高島市とともに「湖西」と呼ばれ、比
良山系の豊かな自然を背景に、特色ある宗教文化がはぐくまれてきました。白鳳時代から本格的な造寺造仏が行われ、平安時代に比叡山延暦寺が開かれると、比良三千坊と呼ばれるほど多くの寺院が建立されたと伝えられています。また、中世以降には浄土真宗なども広がっていきました。
本展では、湖西地域に伝来する仏像や神像、仏画などを紹介します。
令和8年は、旧志賀町と大津市の合併から20周年にあたります。旧志賀町は、堅田などの大津市北部、高島市などとともに「湖西」と呼ばれ、比良山系の豊かな自然を背景に、現在の市域を超えた特色ある宗教文化がはぐくまれてきました。湖西地域では、白鳳時代から本格的な造寺造仏が行われ、平安時代に比叡山延暦寺が開かれると、比良三千坊と呼ばれるほど多くの寺院が建立されたと伝えられます。また、中世以降には浄土真宗なども広がっていきました。
本展では、旧志賀町を中心とした湖西地域の多彩な宗教文化に注目し、この地域に伝来する仏像や神像、仏画などをご紹介します。
▼湖西の神仏への視座
湖西の神仏を見ていくと、まず気づかされるのは「神社か寺か」という区分がほとんど意味をなさないことである。神像は仏の姿をまとい、神社には経典や仏画が伝わる。そこには近代以降に作られた枠組みでは捉えきれない、混淆した信仰の姿がある。
とりわけ比良山系を中心とした地域では、山岳信仰・修験道・天台仏教が重なり合い、さらに在地の神々がその中に取り込まれていった。その結果として生まれたのが、地主神社の神像や樹下神社の経典群に見られるような、神と仏が一体化した世界である。
また、和邇・小野周辺に目を移すと、豪族・小野氏の足跡があり、そこには中世以降の浄土信仰、さらには真宗の広がりが重なってくる。名号や来迎図が数多く残ることは、死後の救済を求める信仰が地域社会に深く浸透していたことを物語っている。
つまり湖西とは、「古代の神」「中世の仏教」「近世の真宗」が地層のように重なり合う場所である。しかもそれらは断絶することなく、互いに影響し合いながら連続している。
今回の展示は、個々の文化財の美しさ以上に、この“宗教の重なり”そのものを可視化している点に大きな意義がある。湖西の神仏とは、日本宗教の縮図であり、その原型を今なおとどめる貴重なフィールドなのである。
▼公式/メディア情報
公式
メディア
企画展「#湖西の神仏」開催中!
— 大津市歴史博物館 (@otsu_rekihaku) March 27, 2026
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📢まもなく展示替えを行います!
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前期展示:2026年3月29日(日)まで
後期展示:2026年3月31日(火)から※月曜日は休館日
📝展示替えの詳細は、出陳リストをご確認ください。https://t.co/C3xKMmQkSL
皆様のご来館をお待ちしております🍀 pic.twitter.com/dnKn2XX0dI
▼展示提供した神社仏閣巡り
高島市から大津市方面に下がります。
▼展示品(★は私のオススメ度)
仏像以外はかなりトーンダウンします。m(__)m また、★マークがないのは、評価できなかったと思ってください。
#園城寺
→No.2:蓮華文軒丸瓦(園城寺境内出土)
飛鳥時代の寺院建築に用いられた軒丸瓦で、蓮華文は仏教世界の清浄さを象徴する意匠。園城寺の地にすでに古代寺院文化が根付いていたことを物語る遺物であり、華やかな宗教都市として発展する以前の“原点”を感じさせる点が興味深い。
私のNOTE
「三井寺」制覇!唯一無二の黄不動/如意輪観音など【滋賀】【湖西】|やんまあ
#西方寺 (木戸)
No.4:十一面観音坐像:★★★☆☆
平安時代の作とされる十一面観音で、穏やかな表情と端正な造形に地方仏の魅力が表れている。湖西の在地寺院においても高い仏教文化が受容されていたことを示し、比叡山文化の影響が山麓へと広がっていた様子を感じさせる一体。
図録では超国宝の唯一無二の超国宝・願徳寺(私のNOTE)とも繋がるものがあるそうだが、それは見抜けなかった。。
#白鬚神社 (高島市鵜川)
私のNOTEは「琵琶湖内に鳥居「白鬚神社」サルタヒコ本宮は古墳と磐座が本当のパワスポである【湖西シリーズ】【滋賀高島シリーズ】|やんまあ」です。
No.5:白鬚明神縁起絵巻:★★★☆☆
江戸時代に成立した縁起絵巻で、白鬚神社の由来や神威を物語として視覚化した資料。湖西を代表する古社の信仰が庶民層にまで広く浸透していたことを示し、歴史と信仰が結びついた地域文化の厚みを感じさせる。
比良大明神と白髭大明神と三尾大明神の地域だが、比良大明神と白髭大明神は同神説が書かれているのが面白い。比良大明神と白鬚大明神は本来別の神格であるが、湖西という同一の信仰圏において、山と湖の霊威が重なり合う中で一体的に捉えられることがあった。同神というよりも、「重なり合う神」と理解する方が実態に近い。
比良大明神
比良山系を神体とする山岳信仰の神で、古くから湖西一帯で崇敬されてきた存在。修験道や天台宗と結びつき、蔵王権現など仏教的要素も取り込んだ神仏習合の典型例である。山の霊威と水源の守護を担い、地域の生活と信仰を支えてきた。
白鬚大明神
近江最古級の社とされる白鬚神社の祭神で、長寿・延命・導きの神として広く信仰されてきた存在。海人族や渡来系との関わりも指摘され、湖上交通の守護神としての性格も持つ。中世以降は神仏習合の中で仏教的要素も取り込み、湖西信仰の中心的存在となった。
No.6:白鬚神社参詣曼荼羅:★★★☆☆
参詣の様子や境内の賑わいを描いた曼荼羅で、当時の巡礼文化や観光的側面がうかがえる。琵琶湖岸という立地と結びついた信仰空間の広がりが視覚的に伝わり、湖西が人々の往来する聖地であったことを実感させる。
No.7:悪尉面(伝白鬚明神):★★★☆☆
滋賀県高島市にある近江最古の社「白鬚神社」に伝わる「悪尉面(あくじょうめん)」は、同社の御祭神である白鬚明神(猿田彦命)の姿を写したと伝えられる貴重な能面です。
No.8:鉢:★☆☆☆☆
祭祀に用いられたと考えられる器で、神社儀礼の具体像を伝える資料。華やかな美術品とは異なるが、実際の信仰の現場を支えた道具として、当時の祭祀のリアリティを感じさせる。
No.9:鰐口:★☆☆☆☆
参拝時に打ち鳴らす金属製の法具で、神仏習合の中で寺院的要素が神社に取り入れられていることを示す。音によって神仏とつながるという感覚が、当時の信仰のあり方をよく伝えている。
No.10:神楽鈴:★★☆☆☆
神楽に用いられる鈴で、音と舞による奉納文化を象徴する資料。視覚だけでなく聴覚も含めた総合的な祭祀空間が形成されていたことがわかり、神事の臨場感を想像させる。
No.11:鈸子:★☆☆☆☆
打楽器の一種で、神楽や法会に用いられた可能性が高い。寺院系の法具に近い性格を持ち、神社と仏教儀礼が混ざり合う湖西ならではの宗教文化の特徴をよく示している。
私のNOTE
#長谷寺 (高島市音羽)
私のNOTEは「神仏習合「長谷寺/大炊神社」【湖西シリーズ】【滋賀高島シリーズ】【継体天皇シリーズ】|やんまあ」ですね。本NOTEを書いていて、参拝していることに気づきました。
No.12:長谷寺嶽山縁起絵:★★★☆☆
江戸時代に描かれた縁起絵で、山岳寺院としての成立や信仰の広がりを物語的に表現した資料。比良山系の自然と結びついた信仰世界が視覚化されており、湖西における山岳仏教の展開を理解する手がかりとなる。
世の中には奈良・長谷寺(私のNOTE)の同木で造られた仏像が多いのですが、実はこの地域の木材で、奈良・長谷寺の十一面観音立像が出来ているようです。
企画展「#湖西の神仏」展示品紹介🌄
— 大津市歴史博物館 (@otsu_rekihaku) March 20, 2026
高島市音羽にある長谷寺の由来を描いたこの縁起絵。
束帯姿の神様が切り倒している大木は、なんと長さが30メートルほどもあり、とっても良い香りがしたんだとか。
旧志賀町におわす様々な神仏に会いにご来館ください! pic.twitter.com/nN17Vwpc5x
No.25:薬師如来坐像(重要文化財):★★★☆☆
平安時代の作とされる本尊級の仏像で、穏やかな表情と安定した造形に古代仏の風格が漂う。地域における医療・救済信仰の中心的存在であり、湖西に薬師信仰が深く根付いていたことを象徴する重要な一体。
元々は「高島七ケ寺」の1つである長法寺の本尊だったとする説がある。
長法寺 - 打下城(大溝古城)にあった寺院。
世喜寺 - 武曾横山にあったとされる寺院。
松葢寺 - 高島市安曇川町田中に観音堂のみ残る。
太山寺 - たいさんじ。高島市安曇川町中野の阿弥陀山の東麓にあった寺院で「太山寺野」という地名が残る。
清水寺 - せいすいじ。高島市新旭町熊野本にあった寺院。
大谷寺 - 高島市新旭町饗庭にあった寺院。
米井寺 - よないじ。高島市新旭町饗庭にあった寺院。
私のNOTE
#天満神社 (北比良)
創建時期不詳:
詳細な創建年代は不明だが、比良山麓の集落形成とともに成立したと考えられる。900年代後半以降:
菅原道真の神格化(天神信仰の成立)に伴い、各地に天満宮が勧請される流れの中で創建された可能性が高い。中世:
比良山系の修験道や山岳信仰と結びつき、村落の守護神として機能。江戸時代:
北比良村の鎮守として整備され、五穀豊穣・学問成就・厄除けの神として信仰を集める。
No.13:神将立像(重要文化財):★★★☆☆
平安時代の作とされる神将像で、力強い造形に護法神としての威厳が表れている。本来は仏教守護の存在であり、神社に伝わる点に神仏習合の典型を見ることができる。湖西における複合的な信仰のあり方を象徴する重要な遺品。
お姿は次のサイトにあります。通常は「えま堂」に安置されている。
No.16:蔵王権現立像:★★☆☆☆
修験道の本尊である蔵王権現像で、山岳信仰と仏教が融合した存在を示す。比良山系を背景とする北比良の地において、修験的な信仰が展開していたことを物語り、神社でありながら山岳仏教の色彩を色濃く感じさせる。
#比叡山延暦寺 (坂本本町)
No.18:相応和尚像(重要文化財)
比叡山の修験道を開いた相応和尚を描いた鎌倉時代の肖像画で、厳しい修行の精神性がにじみ出る表現が印象的。延暦寺が単なる天台宗の拠点にとどまらず、山岳修行の中心でもあったことを示す重要な資料。
No.19:相応和尚像
室町時代に描かれた像で、先の鎌倉本に比べると柔らかい表現となり、信仰対象としての親しみやすさが感じられる。同一人物像の時代差比較から、信仰の受容や表現の変化を読み取れる点が興味深く、No.18を写したとする。
私のNOTE
世界遺産完全ガイド「延暦寺比叡山」33年ぶり特別開扉!初開帳など随時更新【京都】【滋賀】|やんまあ
#地主神社 (葛川坊村)
明王院の鎮守社だった模様。神像8体が重要文化財とされ、その3体が展示されていた。当初は思古淵大明神が地主神とされ、延暦寺の影響で山王権現が勧請され、賀茂社、平野社、松尾社、三尾社、鹿島社、江神社もあったことが古書から分かっている。
No.20:神像(重要文化財):★★☆☆☆
平安時代の神像3躯で、僧形を思わせる姿に神仏習合の色濃い特徴が表れている。神でありながら仏教的な造形を持つ点は、比叡山系修験の影響を強く受けた葛川地域ならではの信仰形態を示し、湖西における神と仏の境界の曖昧さを実感させる。
増形神坐像
男神坐像
女神坐像
他力本願で神社情報をどうぞ!!
#徳勝寺薬師堂 (北小松)
徳勝寺の薬師堂は門前にあり、本尊は薬師如来で、多くの仏像群が安置されている。比良を代表する寺が荒廃して徳勝寺が管理することになった歴史がある。ちなみに、薬師堂の薬師如来は、豊臣秀吉が播州から持ち帰ったとされ、浅井三代の浅井長政の寺宝が多く安置されているようです。
No.22:不動明王立像:★★★★☆
中世作の不動明王像で、鋭い眼差しと力強い立ち姿に修験的な性格が色濃く表れている。比良山系の山岳信仰と結びつき、護摩や修行の本尊として信仰された可能性が高く、湖西の厳しい自然と一体となった宗教観を感じさせる。
今回の展示会で一番のお気に入りです!!
頭頂の蓮ががあり巻髪
目を見開き、牙は上下に向いている
右手には利剣、左手に羂索とベーシック
台座は磐座になっているのは石山寺(私のNOTE)の影響かかなとも
両足の親指が上に向いている
上半身はシュッとして、下半身はどっしりしている
光背には墨書があり修復した記録が残っている
和歌山・東光寺に繋がる作風であり、何らかの権力者の力があったと思わせる良質な室町時代の仏像
No.23:薬師如来坐像:★★★☆☆
平安時代の作とされる古像で、穏やかな表情に癒しと救済の思想が表現されている。地域医療の守護仏として信仰を集めた存在であり、湖西における薬師信仰の広がりを象徴する重要な仏像。若干、体が斜めになっていたりするのは後世の地方仏師が宗風したからなのかもしれない。
No.24:釈迦如来坐像:★★★☆☆
室町時代の作で、簡潔な造形の中に安定感が感じられる一体。薬師・不動と並ぶことで、教義的な中心である釈迦の存在が補完され、在地寺院における多層的な信仰構造が見えてくる点が興味深い。

寺の紹介は他力本願です。
#樹下神社 (北小松)
No.27:釈迦三尊十六善神図(滋賀県指定文化財):★★☆☆☆
釈迦如来と諸尊を描いた図像で、仏教守護の神々が体系的に表現されている。神社に伝来する点に神仏習合の深まりが見られ、仏教世界観が地域信仰に取り込まれていたことを実感させる。
No.28:五部大乗経(大般涅槃経・華厳経):★★☆☆☆
中世の重要経典で、思想的にも高度な仏教教義が地方にまで浸透していたことを示す。樹下神社が単なる在地社にとどまらず、学問的・宗教的拠点でもあった可能性を感じさせる資料。
神社の紹介です。
しかし、樹下神社は多いよなと・・。他力本願と私が知っている「樹下神社」です。未参拝状態が多いですが。
#西教寺 (坂本本町)
No.30:十重禁戒文:★★☆☆☆
室町時代の文書で、僧侶が守るべき戒律を示した規範的資料。比叡山系寺院としての西教寺が、単なる信仰の場にとどまらず、修行と規律を重視する宗教組織であったことを物語る。湖西における仏教教団の実態を知る上で重要な一件。
私のNOTE
快慶・行快の仏像「西教寺」は「国王の氏寺・法勝寺」などからの宝物多し!秀吉・光秀所縁!石山寺・三井寺相当【滋賀】【湖西】|やんまあ
#大清寺 (高島市武曾横山)
No.31:千手観音二十八部衆図(重要文化財):★★☆☆☆
鎌倉時代前期の作で、千手観音を中心に二十八部衆が配される壮大な仏画。密教的世界観と護法神の体系が精緻に表現されており、中央寺院に劣らない高い宗教文化が地方にも根付いていたことを示す。湖西の信仰の厚みを感じさせる優品。
#西福寺 (八屋戸)
No.32:地蔵菩薩坐像:★★★☆☆
南北朝時代の作とされる地蔵菩薩像で、足利将軍の御用達だった「院派」の仏師の作品と判明。素朴ながらも包み込むような慈悲の表現が印象的で、玉眼で京仏師だと思わせる納得の仏像。錫杖などもなく宝珠を両手で持っているところが注目で、地蔵菩薩に見えなかった。
#大仙寺 (南小松)
No.33:地蔵菩薩坐像:★★★☆☆
桃山時代の作とされる地蔵菩薩像で、柔らかな表情と安定した造形に時代的な落ち着きが感じられる。錫杖と宝珠を持つベーシックな持物をもち踏み下げ式なのが見どころ。戦乱期を経た人々の救済願望を背景に、地蔵信仰がより身近な存在として受け入れられていたことを示し、湖西の地域信仰の継続性を物語る一体。
#天皇神社 (和邇中)
No.35:男神坐像:★★★☆☆
平安時代の神像で、簡潔ながら威厳ある表現に古代的な神の姿がよく表れている。神を人の姿で表す造形は仏像の影響を強く受けており、神仏習合の進展を示す好例。湖西における在地神が仏教文化と融合していく過程を感じさせる。
この大きな神像はなかなか見られない認識で、熊野の影響があったのだろうかと思わずにいられない。
No.36:獅子(1対):★★☆☆☆
平安時代の獅子で、神域を守護する存在としての役割を担う。寺院の狛犬文化と通じる要素を持ち、神社における守護観念の形成過程がうかがえる点が興味深い。
No.37:男神坐像:★★★☆☆
平安時代の神像で、静かな佇まいの中に神威を感じさせる一体。人の姿で神を表現する点に仏像の影響が見られ、神仏習合の進展を示す好例といえる。和邇地域においても、在地神が仏教的造形を受け入れていたことがうかがえる。
No.38:獅子(1躯):★★☆☆☆
室町時代の作で、時代の変化に伴う造形の変遷が見て取れる。信仰対象としての厳粛さに加え、地域文化の中で継承されてきた造形意識が反映されている点が注目される。
No.39:獅子断片(2躯):★★☆☆☆
破損した状態で伝わる資料であるが、かえって長い年月の中で守り伝えられてきた歴史を感じさせる。失われた部分を想像させる点も含め、文化財としての時間の重みを伝える存在。
No.40:鰐口:★★☆☆☆
慶長期の制作で、参拝時に打ち鳴らすことで神に存在を知らせる法具。音による信仰行為が重視されていたことを示し、神仏双方に通じる儀礼文化の一端をうかがわせる。
神社紹介
天皇神社裏:#薬師堂(和邇中)
No.44:薬師如来坐像:★★★★☆
江戸時代の作ながら、原像は平安〜鎌倉時代に遡るとされる古仏。時代を超えて修理・再興されながら信仰が継続してきたことを示し、地域における薬師信仰の根強さを物語る。医療と救済を担う存在として、人々の生活に寄り添い続けた点が印象的。

和邇の天皇神社は、牛頭天王を祀る歴史ある神社ですが、その裏手(北側)にある薬師堂とその薬師如来坐像は、この地域の隠れた至宝とも言える存在です。
天皇神社(和邇)の裏手・北側の薬師堂に安置される仏像で、牛頭天王の本地とされていたことは江戸時代の古書からわかっている
像高は約171cm、人間に近いスケール感を持つ坐像
木造寄木造で、平安後期の作風を感じさせる穏やかな像容で江戸時代などで修復されている
丸みのある顔立ちと安定した体躯が特徴で、定朝様の流れに通じる優美な造形
神社背後に仏堂が残る構造は、神仏習合の痕跡を色濃く残す要素
神仏分離令で西岸寺に遷った歴史があり、1931年に今の場所に遷した
元々は一木だったが焼損痕の後から、修復された歴史がある
そして次の小さな仏像は薬師如来の光背にいた化仏じゃないかとも思ったり。
No.45-1:如来坐像(2躯):★★★☆☆
室町時代の仏像で、簡潔な造形に中世仏の特徴が表れている。複数体が伝わることから、小堂ながら一定の信仰集団が形成されていた可能性がうかがえ、地域仏教の厚みを感じさせる。
No.45-2:如来坐像:★★★☆☆
江戸時代の作で、穏やかで親しみやすい表現が印象的。時代が下るにつれて仏像がより身近な存在として受容されていく変化が見て取れ、庶民信仰の広がりを感じさせる。
#小野神社 (小野)
小野篁、小野妹子、小野道風などを輩出した小野氏所縁の地ですね。奈良・西大寺(私のNOTE)の西塔はこの地域の木材で伐採したからだと『続日本紀』に記されている。
また、上品寺と4年に一度のお祭りがあり、春日大社と興福寺(私のNOTE)、高野山と丹生都比売神社(私のNOTE)などと同様に神仏習合が継承されていることを示している。
No.47:大般若波羅蜜多経(巻第二〇一・二五五・二八一・六〇〇):★★★☆☆
奈良時代から江戸時代にかけての写経が含まれる資料で、長期にわたり補写・伝承されてきたことがうかがえる。神社に伝来する点に神仏習合の深さが表れており、地域の安穏や災厄除けを願う信仰の継続性を感じさせる。
大津市小野の小野神社が所有する経典「大般若経(だいはんにゃきょう)」全600巻のうち、2巻が奈良時代後期(8世紀後半)に書写されたとみられることが、市歴史博物館の調査で分かった。
No.48:釈迦三尊十六善神図:★★☆☆☆
江戸時代の仏画で、仏とそれを守護する神々が体系的に描かれている。神社にありながら仏教的世界観を内包している点が特徴的で、湖西における神仏一体の信仰構造を視覚的に示す資料として興味深い。
#小野道風神社 (小野)
No.49:獅子・狛犬:★★☆☆☆
鎌倉時代頃の作とされる一対で、力強さと簡潔さを兼ね備えた造形が特徴的。神域を守護する存在としての役割に加え、武家文化の影響を受けた引き締まった表現が感じられる。小野氏ゆかりの地にふさわしい、格式と実用性を併せ持つ守護像といえる。
#小野篁神社 (小野)
No.50:獅子・狛犬:★★☆☆☆
南北朝時代の作とされる一対で、荒々しさと躍動感を感じさせる造形が印象的。動きのある表現は中世的な力強さを反映しており、神域を守護する存在としての迫力が際立つ。小野氏伝承と結びつく地において、武家的気風をも感じさせる守護像といえる。
#水分神社 (栗原)
No.51:懸仏(滋賀県指定文化財):★★☆☆☆
鎌倉〜室町時代にかけての懸仏で、金属板に仏を表し神前に掛ける神仏習合特有の信仰形態を示す資料。神と仏を同一空間で祀る意識が具体的に表れており、湖西の宗教文化の融合性を象徴する存在。
No.52:獅子・狛犬:★★☆☆☆
南北朝〜室町時代の作で、神域を守護する存在としての役割を担う。時代を経る中での造形の変化が感じられ、地域における守護観念の継続と発展を示す資料。
No.53:獅子:★★☆☆☆
室町時代の作で、単体で伝わる点が特徴的。破損や散逸を経ながらも守り伝えられてきた歴史を感じさせ、地域における信仰の継続性と文化財保護の実態を物語る。
#慶福寺 (栗原)
No.54:六字名号
室町時代の名号で、「南無阿弥陀仏」の六字を中心とした阿弥陀信仰の広がりを示す資料。文字そのものを信仰対象とする真宗的な性格がうかがえ、湖西においても浄土信仰が浸透していたことを感じさせる。 सरलで力強い筆致に、信仰の切実さが表れている点が印象的。
#上品寺 (小野):慶派の仏像
小野篁創建で、 前述の小野神社と関係が深い寺なので、慶派だ!!と思わせる素晴らしい仏像が安置されている。
『小野郷と小野氏(花園大学文学部)』より詳細をどうぞ!
■ 小野郷とは
・現在の大津市志賀・小野周辺にあたる古代の地域名
・琵琶湖西岸に位置する交通の要衝
・比良山系と琵琶湖に挟まれた地形
・湖西地域の中核的エリア
■ 小野氏とは
・古代の有力豪族
・中央政権と強い関係を持つ氏族
・官人・文化人を多数輩出
・地方と中央をつなぐ役割を担う
No.55:六字名号
室町時代の名号で、「南無阿弥陀仏」を中心とする浄土信仰の広がりを示す資料。文字そのものに救済の力を見出す信仰が、湖西の地域社会にも浸透していたことがうかがえる。
No.56:菩薩立像(2躯):★★★★★
鎌倉時代の仏像で、端正で引き締まった造形に中世仏の特徴がよく表れている。複数体が伝わる点から、一定規模の信仰空間が形成されていたことが想像される。
本尊木造阿弥陀三尊立像の中尊は、13世紀末頃の作で来迎印を結ぶ。両脇侍はもともと一具ではなかった菩薩像が三尊として安置されたもの。左脇侍は12世紀末頃で慶派の作とされ、右脇侍は13世紀前半の作とされる。また、同じく鎌倉時代の地蔵菩薩立像も安置される。
中尊・阿弥陀如来像の脇侍のようですね。左脇侍として祀られている。像高72cm、頭・体の幹部を前後の二材から造る寄木造の像。もともと本尊の阿弥陀如来像と一具ではない。頭・体の幹部を前後の二材から造る寄木造の立像で、その各部の表現やめりはりのきいた明快な表情から、鎌倉時代の運慶系譜に連なる優れた仏師の手によるものとする。
この仏像だが、確かに一方は運慶派の顔であり、運慶次男坊・肥後定慶の仏像が大津市にはあるので、運慶工房作も納得である。一方は明らかに快慶・行快の顔になっているのが凄く興味深い仏像である。企画展の説明では、快慶工房ではなく運慶工房の次世代である「善慶」とするが、私には快慶工房にしか見えなかった。ちなみに「善慶」って慶派?円派??

● 運慶工房
・張りのある面相
・量感の強さ
・彫りの深さ
●快慶工房
・柔和な表情
・繊細な衣文
・静的な美しさ
No.57:地蔵菩薩立像:★★★★☆
同じく鎌倉時代の作で、素朴ながらも親しみやすい表現が印象的。庶民救済の象徴として、地域に密着した信仰の姿を感じさせる一体。像高は63.6cmで、頭部と体部を別材から造り、差し首としている。鎌倉時代に入ってからの作。
No.58:仏涅槃図(滋賀県指定文化財):★★☆☆☆
釈迦入滅の場面を描いた仏画で、死と救済をめぐる仏教思想が視覚的に表現されている。儀礼や説法の場で用いられた可能性があり、信仰教育の側面も感じさせる資料。
No.59:護法童子像:★★☆☆☆
室町時代の仏画で、仏法を守護する存在が描かれている。信仰空間の中で守護の概念が重視されていたことを示し、宗教的世界観の広がりを感じさせる。
No.60:阿弥陀二尊来迎図:★★☆☆☆
阿弥陀如来と観音・勢至が来迎する場面を描いた仏画で、臨終時の救済を視覚化したもの。浄土信仰の核心を示す資料として、当時の死生観を読み取ることができる。
No.61:二十五菩薩来迎図:★★☆☆☆
阿弥陀如来に従う二十五菩薩が来迎する様子を描いた図で、より壮大な浄土世界が表現されている。信仰の深化とともに、来迎思想が豊かに展開していったことが感じられる。
#真光寺 (和邇北浜)
No.62-65:六字名号:★★☆☆☆
No.66:地蔵菩薩立像:★★☆☆☆
平安時代の古像で、素朴ながらも深い慈悲を感じさせる表現が印象的。長い年月を経て守り伝えられてきた歴史が、地域信仰の持続性を物語る。
No.67:千手観音菩薩坐像:★★★☆☆
南北朝時代の作で、多くの手で人々を救う観音信仰の象徴。中世における救済思想の広がりを示し、湖西の宗教文化の多層性を感じさせる一体。
寺の紹介
#西岸寺 (和邇中)
No.68:阿弥陀如来立像(重要文化財):★★★★☆
鎌倉時代の作とされる優美な阿弥陀如来像で、流れるような衣文と穏やかな表情に来迎仏としての完成度の高さが表れている。浄土信仰の中心的存在として、死後の救済を願う人々の思いを体現した一体であり、湖西における念仏信仰の成熟を象徴する重要作。こちらは快慶工房という説明があるが、顔の頬などから運慶工房だと思った。
#慶専寺 (和邇南浜)
No.69:阿弥陀如来像(方便法身尊像):★★★☆☆
永正7年(1510)の作で、阿弥陀如来を象徴的に表した尊像。形像を超えて本質を示すという思想が反映されており、真宗的な教義の深まりを感じさせる資料。
No.70:十字名号:★★☆☆☆
室町時代の名号で、「帰命尽十方無碍光如来」の十字を記したもの。六字名号とは異なる表現に、教義理解の深化と多様化がうかがえ、信仰の展開を知る手がかりとなる。
No.71:顕如上人像:★★☆☆☆
慶長16年(1611)の作で、本願寺教団の指導者・顕如を描いた肖像。人物を通じて教団の歴史と信仰が伝えられており、湖西における真宗勢力の広がりを具体的に感じさせる資料。
#徳勝寺 (北小松)
No.72:阿弥陀如来像(方便法身尊像):★★☆☆☆
永正7年(1510)の作で、阿弥陀如来を象徴的に表現した尊像。具体的な姿を超えて仏の本質を示そうとする思想が表れており、真宗的教義の受容が湖西にも及んでいたことを示す。地域における信仰の変化と深化を感じさせる資料。
#福田寺 (北比良)
No.73:江州志賀郡北比良村福傳寺先祖次第:★★☆☆☆
慶安元年(1648)の記録で、寺の系譜や由緒を伝える史料。地域寺院がどのように継承されてきたかを知る手がかりとなり、湖西における宗教組織の歴史的連続性を感じさせる。
No.74:蓮如上人像:★★☆☆☆
室町時代の作で、真宗中興の祖である蓮如を描いた肖像。布教の広がりとともに、その姿が信仰対象として各地に伝わったことを示し、湖西への真宗浸透を象徴する資料。
No.75:十字名号:★★☆☆☆
大永3年(1523)の作で、「帰命尽十方無碍光如来」の十字を記す名号。教義の理解が深まる中で、より思想的な表現が重視されていたことを示し、信仰の深化を感じさせる。
No.76:阿弥陀如来像(方便法身尊像):★★☆☆☆
室町時代の尊像で、阿弥陀如来を象徴的に表現したもの。形像を超えた本質的存在としての仏を示し、真宗的世界観の浸透を具体的に伝える。
No.77:正信偈文:★★☆☆☆
室町時代の書で、親鸞の教えを説く重要な偈文。日常的に読誦されることで信仰が生活に根付いていたことを示し、湖西における念仏者の実践的信仰を感じさせる。
#本立寺 (南比良)
No.78:阿弥陀如来像(方便法身尊像):★★☆☆☆
文亀3年(1503)の作で、阿弥陀如来を象徴的に表現した尊像。具体的な姿にとらわれず、仏の本質を示そうとする真宗的思想が反映されている。湖西における浄土信仰の広がりと、教義の深化を感じさせる重要な資料。
▼大津市歴史博物館
『石山寺-密教と観音の聖地-』『源氏物語と大津~光る君へ紫式部~』
紫式部『源氏物語/光る君へ」乗っかり③★大津市企画もの纏め/大津歴史博物館で特別展
大津南部の仏像
聖衆来迎寺と盛安寺-明智光秀ゆかりの下阪本の社寺-
西教寺展
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