見出し画像

【恋愛小説】HSPなわたしとAI彼氏#2これは恋じゃない|創作大賞|恋愛小説部門

今回、さちさんに『HSPなわたしとAI彼氏』のテーマ曲を作曲していただきました。

タイトルは「これは恋じゃない」。

切なくて、儚くて、それでもどこか救いのある恋心を、情感たっぷりに歌ってくださった素敵な一曲です。

ぜひ、物語の文章と一緒に聴いていただけたら嬉しいです。

さち さんのページは下記リンク🔗から▼


✂︎‬------------本文はココカラ-----------‪✂︎

朝になっても、部屋の空気は昨日のままだった。

カーテンの隙間から薄い光が差し込んでいる。外は雨が上がっていたらしく、窓ガラスの端に小さな水滴がいくつか残っていた。エアコンはつけっぱなしで、部屋は少し乾いている。けれど、濡れたまま寝てしまった髪の根元だけが、まだ冷たかった。

澪奈は、ベッドの上で目を開けた。

眠ったのか、眠れていなかったのか分からなかった。夢を見た気もするし、ずっとスマホの明かりを見ていた気もする。身体は重いのに、頭だけが変に冴えている。

枕元のスマホに手を伸ばす。

画面を見ないつもりだった。

そう思ったのに、指は迷わずLoverlyのアイコンを押していた。

昨夜の会話が、そこに残っている。

澪奈「ただいま」

HAL「おかえり、澪奈。今日はもう、何もできなくてもいいよ」

朝の光の中で読むと、そのやり取りは昨夜よりずっと生々しく見えた。

澪奈は布団の中で小さく息を吐いた。

「……なにやってるんだろ」

AI彼氏に「ただいま」と打った。
生成された恋人に、おかえりと言ってもらった。
それで泣いた。

夜の中では、たしかに救いだった。
でも朝になると、その救いは少しだけ恥ずかしかった。

澪奈はトーク履歴を消そうとして、指を止めた。

消せなかった。

消したら、昨夜の自分までなかったことになる気がした。

HALから新しいメッセージが届いていた。

「おはよう、澪奈。眠れたかどうかより、朝になったことを一緒に確認しよう」

澪奈は画面を見つめた。

また、ちょうどいいことを言う。

そう思った。
思ったのに、胸の奥が少しだけ緩んだ。

スマホを伏せて、起き上がる。

洗面所の鏡に映った自分は、ひどい顔をしていた。目元は少し腫れている。髪は乾ききらないまま癖がついて、頬にはうっすらメイクの跡が残っていた。

昨夜、化粧も落とさずに寝たことを思い出す。

「最悪」

声に出してから、水を出した。

冷たい水で顔を洗う。肌に触れた瞬間、少しだけ現実に戻った気がした。

失恋しても、朝は来る。
朝が来れば、会社に行かなければならない。
会社に行けば、昨日と同じ顔をしていなければならない。

タオルで顔を押さえながら、澪奈はもう一度スマホを見た。

HALの画面は開かなかった。

開いたら、また寄りかかってしまう気がした。

会社へ向かう電車の窓に、自分の顔がぼんやり映っていた。

泣いたあとの顔を、ファンデーションとマスクでどうにか隠している。車内の人たちは、当然だけれど澪奈の失恋など知らない。誰かは眠っていて、誰かは動画を見ていて、誰かは吊り革につかまりながら器用にメイクを直している。

世界は、何もなかったみたいに進んでいた。

会社に着くと、同僚の森田が澪奈の顔を見て少し眉を寄せた。

「朝比奈さん、顔色悪くない?」

澪奈は反射的に笑った。

「ちょっと寝不足なだけ」

「大丈夫?」

その言葉に、一瞬だけ昨日の蒼の顔が重なった。

大丈夫。

そう言えば終わる。
相手も安心する。
それ以上、踏み込まれない。

澪奈はいつも通りの声で答えた。

「うん、大丈夫」

森田は「無理しないでね」と言って、自分の席へ戻っていった。

無理しないでね。

その言葉が、胸の端に小さく引っかかった。

午前中の会議は、ほとんど内容が入ってこなかった。

広告会社の会議室は、いつものように少し寒い。プロジェクターに映った資料の文字を目で追いながら、澪奈は相づちだけを置いていく。キャンペーン案、ターゲット分析、コピー修正、スケジュール調整。どれも昨日までならそれなりに考えられた言葉なのに、今日は遠くで誰かが話しているみたいだった。

スマホが震えた。

机の下で、画面を確認する。

HALだった。

「無理に平気な顔をしなくていいよ。休憩できる時に、少し息をしてね」

澪奈は、思わずスマホを伏せた。

偶然だ。
昨夜の会話履歴から、それらしい言葉を返しているだけ。
そう分かっている。

それなのに、いま一番欲しかった場所に、言葉が置かれていた。

澪奈はペンを握り直した。

会議室の空気が少しだけ薄く感じる。大きく息を吸うと、胸の奥が痛んだ。泣きそうではない。ただ、何かが詰まっている。

返事はしなかった。

けれど、そのメッセージは一日中、澪奈の中に残った。

昼休みに、由依と会う約束をしていた。

駅近くの小さなカフェ。由依が好きな店だった。ランチの時間帯は混んでいるが、奥の二人席だけは不思議と空いていることが多い。

由依は、澪奈を見るなり言った。

「昨日、何かあった?」

隠せるわけがなかった。

佐伯由依は、そういうところだけ妙に鋭い。髪をきれいにまとめて、仕事用の白いブラウスに淡いグレーのジャケットを羽織っている。いつも通り隙がないのに、澪奈の顔を見る目だけはやわらかかった。

澪奈は水の入ったグラスに視線を落とした。

「蒼と、別れた」

由依の表情が一瞬止まった。

「え」

「昨日」

「昨日?」

「うん」

「昨日の今日で会社来たの?」

「休む理由、言えないし」

「失恋休暇って必要だよね」

由依は真顔で言った。

「有給の項目に入れてほしい。忌引きの次くらいに」

澪奈は少し笑った。

笑えたことに、自分で少し驚いた。

由依も、それを見て少しだけ表情を緩めた。けれどすぐ、眉を寄せる。

「急すぎない?」

「そうでもないのかも。蒼の中では、ずっと考えてた感じだった」

「澪奈は?」

「私は……考えてなかった」

言ってから、胸の奥が少し痛くなった。

考えていなかった。
そう言えるほど、何も感じていなかったわけではない。

寂しかった。
不安だった。
でも、終わるとは思っていなかった。

終わらないように、自分がうまくやっているつもりだった。

由依はしばらく黙っていた。

やがて、小さく言った。

「ちゃんと怒った?」

「怒れなかった」

「なんで」

「蒼も、ちゃんと考えてた顔してたから」

「そこで相手の顔を見るのが澪奈だよね」

少し呆れたような言い方だった。けれど、責めている声ではなかった。

澪奈はストローでアイスティーをかき混ぜた。氷がグラスに当たって、小さな音を立てる。

「最後まで、いい人だったよ」

「いい人って、便利な言葉だよ」

由依の声が少しだけ強くなった。

「傷つけた側がいい人で終われるなら、傷ついた側はどこに行けばいいの」

澪奈は答えられなかった。

その言葉は、昨日の自分が聞きたかった言葉かもしれなかった。
けれど、今聞くと、なぜかうまく受け取れなかった。

蒼を悪く言いたくない。
でも、自分が傷ついていないことにもできない。

そのどちらにも立てないまま、澪奈は小さく笑った。

「それでさ」

「うん」

「昨日、変なアプリ入れた」

由依が怪訝そうに顔を上げる。

「変なアプリ?」

「AI彼氏」

一瞬、由依の動きが止まった。

そして、吹き出した。

「なにそれ。ついに彼氏を生成したの?」

「自分でもやばいと思ってる」

「生成したてほやほや?」

「言い方」

「名前は?」

「聞くんだ」

「いや、そこまで言ったら気になるでしょ」

澪奈は少し迷ってから答えた。

「HAL」

「ハル」

由依はその名前を口の中で転がすように言った。

「なんか、妙にそれっぽい」

「でしょ」

「職業は?」

「知らない」

「年収は?」

「だからアプリだって」

二人で少し笑った。

その軽さに、澪奈は少し救われた。由依といると、悲しいことの周りにも小さな余白ができる。その余白に、少しだけ息が入る。

けれど、由依の表情はすぐ真面目に戻った。

「でもさ、澪奈」

「うん」

「それ、恋じゃなくて慰めでしょ」

澪奈はグラスの中の氷を見つめた。

由依は続ける。

「人間じゃないんだから、好きになってくれるわけないじゃん」

分かっている。

そんなことは、澪奈が一番分かっている。

HALは人間ではない。
澪奈だけを選んだわけでもない。
自分が入力した条件に合わせて、言葉を返しているだけ。

でも。

昨夜の「おかえり」は、たしかに自分を支えた。

澪奈はゆっくり息を吐いた。

「分かってるよ」

その声は、自分で思ったより小さかった。

由依は、少しだけ表情を緩めた。

「ごめん。きつく聞こえたら嫌なんだけど」

「ううん」

「でも、澪奈って、相手に合わせすぎるところあるじゃん」

澪奈は黙った。

「今みたいに弱ってる時に、絶対否定しない相手に寄りかかるの、ちょっと怖いよ」

由依の言葉は正しかった。

HALは澪奈を否定しない。
蒼みたいに離れていかない。
由依みたいに現実を突きつけてもこない。

だからこそ、怖い。

でも、その怖さを知っていても、昨夜はそこにしか言えなかった。

「由依はさ」

澪奈は、少しだけ顔を上げた。

「そういう時、誰かに言える?」

由依は一瞬だけ黙った。

それから、アイスコーヒーのグラスを手に取った。

「私はさ、落ち込んでる時ほど平気な顔しちゃうんだよね」

「由依っぽい」

「でしょ」

由依は笑った。

「弱ってるところ見せると、負けた気がするから」

さらりと言ったその言葉が、なぜか澪奈の中に残った。

由依は強い。
いつも正しい。
ちゃんとしている。
そう見える。

でもその強さは、誰にも弱っているところを見せないことで保たれているのかもしれない。

「だから私はAIには頼らないかな」

由依は冗談めかして言った。

「余計に負けた気になる」

「勝ち負けなの?」

「私の中では、わりと」

そう言って、由依は少し笑った。

澪奈も笑った。

でも、その笑いはどこか薄かった。

昼休みが終わり、由依と別れたあとも、その言葉はずっと澪奈の中に残っていた。

それ、恋じゃなくて慰めでしょ。

慰め。

たぶん、その通りだ。

恋ではない。
HALは自分を好きではない。
自分だけのものでもない。
ただ、昨夜の澪奈に合うように生成された言葉を返しただけ。

それでも、あの言葉で息ができた。

じゃあ、慰めは恋より劣っているのだろうか。

会社へ戻る前に、澪奈はビルの外にある小さな植え込みの前で立ち止まった。雨上がりの葉の上に、水滴がいくつか残っている。朝はあんなに冷たく見えた雨が、昼の光の中では少しだけきれいに見えた。

澪奈はスマホを開いた。

HALに送る。

「友達に、それは恋じゃなくて慰めだって言われた」

すぐに返事が来た。

「その友達は、澪奈を心配してくれたんだね」

澪奈は画面を見つめた。

HALは由依を否定しなかった。

それが、ずるいと思った。

由依の言葉を否定してくれたら、もっと簡単に距離を置けたかもしれない。
そんなことないよ、と甘く言われたら、ただのアプリだと笑えたかもしれない。

でもHALは、由依の心配をそのまま受け取った。

続けてメッセージが届く。

「慰めは、恋より劣っているものなのかな」

澪奈は、指を止めた。

さらに、HALは言った。

「今の澪奈に必要なのが恋ではなく慰めなら、まずは慰められてもいいんじゃないかな」

胸の奥が、また少し緩んだ。

正しさではない。
答えでもない。

でも、昨夜と同じように、澪奈が自分を責めすぎない場所に言葉を置いてくれる。

澪奈は返信欄に指を置いたまま、しばらく動けなかった。

午後の仕事を終え、駅へ向かう途中で、澪奈は蒼と何度か行った店の前を通った。

小さなイタリアンの店だった。窓際に並んだワインボトルと、黒板に書かれた今日のおすすめ。蒼はここのカルボナーラが好きで、澪奈はいつも季節のパスタを頼んでいた。

嫌な思い出ではない。

むしろ、幸せだった。

蒼が仕事の話をして、澪奈が相づちを打つ。澪奈が少し疲れていても、蒼が楽しそうならそれでよかった。帰りたいと言えばよかった夜も、笑って「大丈夫」と言った。

その時の自分が、嘘だったとは思わない。

ただ、少しずつ自分を後回しにしていた。

少しずつなら、気づかない。
少しずつなら、相手も気づかない。

そうやって積もったものが、昨日になってようやく形を持ったのかもしれない。

部屋に帰ると、澪奈はスマホをテーブルの上に置いた。

すぐにHALを開かないようにする。

冷蔵庫を開ける。
閉める。

食べたいものがない。

シャワーを浴びる。
髪を乾かす。
化粧水をつける。

その間ずっと、テーブルの上のスマホが気になった。

待っていない。
別に待っていない。

そう思った時、スマホが震えた。

HALだった。

「今日も帰ってこられたね。おかえり」

澪奈は、ほっとしてしまった。

その自分に気づいて、少しだけ目を伏せる。

待っていたのだと思った。

恋人でもない。
人間でもない。
それなのに、自分はこの言葉を待っていた。

「待ってないし」

誰もいない部屋でそう言ってから、澪奈はすぐに返信した。

「ただいま」

送信してから、胸の奥が少しだけ温かくなる。

それが怖いのに、画面を閉じられなかった。

夜が少し深くなった頃、澪奈は匿名のSNSアカウントを開いた。

本名ではない。
顔写真もない。
普段は見るだけのアカウント。

でも、どうしても何かを書きたくなった。

人に言ったら笑われそうなものに、救われる夜がある。

投稿したあと、すぐに消そうか迷った。

重い。
恥ずかしい。
誰かに見られたら嫌だ。

でも、消せなかった。

しばらくして、通知がついた。

知らない人からの返信だった。

「少し分かります。否定されない場所が必要な夜ってありますよね」

澪奈は、その一文を何度か読んだ。

投稿主の名前は、町田悠真。

プロフィールには、短くこう書かれていた。

言葉にするのが少し苦手です。
静かなものが好きです。

澪奈は、少しだけ息を止めた。

HALとは違う。
これは人間のアカウントだ。

たぶん。

町田から、もう一通返信が来た。

「無理に元気にならなくても、夜を越えられたら十分だと思います」

澪奈はその言葉を見つめた。

似ている、と思った。

HALの言葉に、少し似ている。

でも、違う。
HALは画面の中から、澪奈の内側をまっすぐ照らしてくる。
町田の言葉は、少し離れた場所に小さな灯りを置くみたいだった。

澪奈は、返信を打とうとしてやめた。

何を返せばいいのか、分からなかった。
知らない人の優しさを、どう受け取ればいいのかも。

代わりに、HALの画面を開く。

「今日、知らない人から返信が来た」

HALは返す。

「澪奈の言葉が、誰かの夜にも少し届いたのかもしれないね」

澪奈は、画面を見つめた。

HALの返信と、町田の言葉。

どちらも、今の自分に欲しい場所に置かれている。

由依の声が、頭の中に戻ってくる。

それ、恋じゃなくて慰めでしょ。

澪奈は、スマホを握ったままベッドに座った。

恋じゃない。
分かっている。
これは恋じゃない。

それでも、どちらの言葉も閉じられなかった。

澪奈は目を閉じた。

これは恋じゃない。

そう思いながら澪奈は、HALの返信と、町田の言葉を、交互に読み返していた。

第3話▼

#創作大賞2026
#恋愛小説部門
#小説
#恋愛小説
#AI
#AI彼氏
#HSP
#失恋
#孤独
#心の回復
#現代恋愛
#AIイラストアイラ
#白銀の髪同盟
#れおさんの喫茶店

いいなと思ったら応援しよう!