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【恋の参謀あらわる!】#1「運気最高潮の女」|恋愛小説|連載小説|ライトノベル|ラノベ

十年分の荷物は、段ボール七箱に収まった。

けれど、十年分の期待は、どこに捨てればいいのか分からなかった。

都内のワンルーム。

ヨガマットを一枚敷けば、ベッドの脚に爪先が当たる。冷蔵庫の横には、まだ開けていない段ボールが三つ。カーテンは以前の部屋から持ってきたものだから、窓の幅に少しだけ足りていない。

亮介と暮らしていた部屋より、ずっと狭い。

それなのに、朝の静けさだけはやけに広かった。

橘真琴、四十四歳。

職業、ヨガインストラクター。

十年付き合った婚約者・亮介との同居を解消して、今日で三日目だった。

真琴はいつもの癖で、マグカップを二つ出した。

白いカップと、紺色のカップ。

紺色は亮介のものだ。取っ手の内側に、小さな欠けがある。何年か前、寝ぼけた亮介がシンクにぶつけた。

「あ、ごめん。まだ使えるよな」

そう笑った声まで、カップの中に残っている気がした。

真琴はしばらくそれを見つめてから、紺色のカップを棚に戻した。

癖というものは、別れ話よりもしぶとい。

亮介を嫌いになれたら、どれだけ楽だっただろう。

ひどい人だった。
最初から嘘だった。
十年なんて無駄だった。

そう決めつけられたら、きっと少しは前に進める。

でも亮介には、優しかった時間が確かにあった。

仕事帰りにプリンを買ってきてくれた夜。真琴が風邪をひいた時、少し芯の残った雑炊を作ってくれた朝。レッスンの予約が満席になった日、自分のことみたいに喜んでくれた顔。

別れた途端に、思い出まで悪者になってくれたらよかった。

スマホが震えた気がして、真琴は反射的にテーブルへ手を伸ばした。

画面は暗いままだった。

亮介からの連絡はない。

分かっている。

もう待つ立場ではない。

それでも身体だけは、まだ待つことをやめていなかった。

スタジオに着くと、受付横のモニターに今日の予約状況が出ていた。

美月 十九時 満席
美月 二十時半 キャンセル待ち

橘真琴 十一時 予約四名
橘真琴 十四時 予約三名

数字は親切ではない。

でも、嘘もつかない。

選ばれている人と、選ばれていない人を、ただ並べる。

美月は二十六歳の若手インストラクターだった。

明るくて、感じがいい。生徒の名前を覚えるのも早い。レッスン前には必ず声をかけ、終わったあとには短い動画を投稿する。朝のストレッチ、食事の写真、レッスン後のひと言。

悪い子ではない。

むしろ、ちゃんとしている。

だから真琴は苦しかった。

嫌な子に負けたのなら、怒れた。
雑な人に奪われたのなら、悔しがれた。

でも美月は、ちゃんと努力して、ちゃんと選ばれていた。

本物なら、伝わる。

真琴はずっと、そう思ってきた。

ヨガは流行りの言葉で飾るものではない。身体は数字や見た目だけで測るものではない。呼吸は、スマホの画面の中だけで深まるものではない。

それは今でも、間違っていないと思う。

ただ、間違っていないことと、選ばれることは同じではなかった。

「真琴さん、おはようございます」

更衣室へ向かう途中、スタジオ責任者に呼び止められた。

「少しだけ、お時間いいですか」

その言い方だけで、真琴は次に来る言葉が分かってしまった。

小さな打ち合わせスペースに座ると、責任者は資料を開いた。

「真琴さんのレッスン、内容は本当にいいんです」

内容はいい。

胸の奥が小さく縮む。

そのあとに続く言葉を、真琴はもう知っていた。

「ただ、今は集客も見ないといけなくて」

真琴は微笑んだ。

仕事用の顔は、こういう時に役に立つ。

「はい。分かっています」

「来月以降の枠の見直しがありまして……もう少し様子を見て、判断させてください」

責任者は丁寧だった。

だから真琴も、丁寧に頷いた。

「ありがとうございます。できることをします」

できること。

口にした瞬間、その言葉だけが宙に浮いた。

今の自分に、何ができるのだろう。

午前のレッスンは、いつも通り行った。

呼吸を整える。
背骨を伸ばす。
肩の力を抜く。

「今日の身体を、無理に変えようとしなくて大丈夫です。まず、今ここにあることを感じてみましょう」

生徒たちは静かに目を閉じている。

四人。

多くはない。

でも、その四人は確かに真琴の声を聞いていた。目を閉じ、自分の呼吸を探し、少しずつ肩の力をほどいていく。

その姿を見ると、まだ自分のレッスンには意味があると思えた。

でも、意味があることと、残れることは同じではない。

レッスン後、受付前では美月が生徒たちに囲まれていた。

「先生、今日の動画も見ました」
「朝のストレッチ、続けてます」
「インスタ、分かりやすいです」

美月は嬉しそうに笑いながら、一人ひとりに丁寧に答えている。

真琴はその横を通り過ぎた。

聞こえないふりをしたわけではない。

ただ、聞こえすぎた。

帰りの電車で、真琴はスマホを開いた。

スタジオの公式サイトに、自分の講師写真が載っている。

五年前のプロフィール写真だった。

今より少し頬がふっくらしていて、肌も明るい。レッスンが満席続きだった頃の笑顔。自分の未来を疑っていなかった頃の顔。

写真の下には、短い紹介文があった。

一人ひとりの身体に寄り添う、丁寧なレッスンを心がけています。

悪くない。

むしろ、真琴らしい。

けれど、そこには今の真琴がいなかった。

真琴は自分のSNSを開いた。

最後の投稿は三か月前。

春の不調には、呼吸を整える時間を。

悪くない。

悪くない言葉ばかりが並んでいる。

でも、どれも少しだけ遠かった。

誰にも嫌われないように。
誰にも誤解されないように。
誰にも強く届きすぎないように。

そんな言葉で、自分を薄めてきたのかもしれない。

真琴はプロフィール編集画面を開いた。

自己紹介欄には、前に書いたままの文章が残っていた。

ヨガインストラクター。初心者の方にも安心して受けていただける、やさしいレッスンをお届けしています。

カーソルが点滅している。

真琴は一度、全部消した。

そして打った。

四十四歳。

そこで指が止まった。

婚約解消。

さらに止まった。

若さに戻るためではなく、今日の自分を嫌いにならないためのヨガ。

そこまで打って、真琴は画面を見つめた。

怖かった。

これを出したら、今の自分を認めることになる。

昔のように満席だった自分ではなく、若い子に押されている自分。十年付き合った人に選ばれなかった自分。今さらSNSに何を書けばいいのか分からない自分。

真琴は、打った文字を一文字ずつ消した。

元の無難な自己紹介が、空白の上でかえって頼りなく見えた。

本物なら、伝わる。

そう信じてきた自分は、たった数行の本音さえ、外に出せなかった。

電車の窓に映った自分は、プロフィール写真の中の自分より少し疲れていた。

部屋に帰ると、昼に干したタオルがまだ湿っていた。

コンビニで買ったサラダと、温めただけのスープ。テーブルには片づけきれていない書類が重なっている。その下から、亮介と一緒に見に行った式場のパンフレットが少しだけ覗いていた。

真琴はそれを見なかったことにして、スマホを手に取った。

亮介からの連絡はない。
スタジオからの連絡もない。

美月の投稿には、もう百を超えるいいねがついていた。

画面を閉じようとした時、広告が目に入った。

人生が動く転機占い

普段なら押さない。

そういうものにすがるほど、自分は弱くないと思っていた。

けれど、その夜の真琴は、弱くないふりをすることにも疲れていた。

指が、広告に触れた。

生年月日を入れる。
名前を入れる。

少し大げさな演出のあと、画面に鑑定結果が表示された。

今年のあなたは、人生最高の運気です。

停滞していた恋も仕事も、大きく動き出す一年になるでしょう。

鍵は、SNSとAI。

古い自分を手放した時、新しい縁が流れ込んできます。

真琴は思わず笑った。

「人生最高の運気?」

声に出すと、余計に馬鹿みたいだった。

人生最高の運気なら、どうして今、私はひとりなんだろう。

十年付き合った人に選ばれなかった。

仕事でも、若い子に押されている。

部屋は狭くなり、予約表には空席が並び、プロフィール写真の中の自分だけがまだ笑っている。

それでも真琴は、画面を閉じられなかった。

鍵は、SNSとAI。

SNS。
AI。

どちらも苦手だった。

どちらも、自分の仕事から遠いものだと思っていた。

画面の向こうに向かって自分を売り込むこと。

AIに、自分の言葉を作ってもらうこと。

そんなものは、自分のヨガとは違う。

そう思ってきた。

でも今日、自分はたった数行のプロフィールさえ書き換えられなかった。

スマホの画面の下に、別の案内が出る。

今すぐ鑑定する
人気鑑定士レン
復縁・仕事運・人生転機に強い

復縁。

仕事運。

人生転機。

どれも、今の真琴に痛いほど当てはまっていた。

「……馬鹿みたい」

そう呟きながら、真琴は画面から目を離せなかった。

占いなんて、ただの言葉だ。

都合のいい言葉を並べて、不安な人間の指を止めるためのものだ。

分かっている。

分かっているのに、胸の奥のどこかが、その言葉を待っていた。

大丈夫。
まだ終わっていない。
彼は戻ってくる。
あなたは選ばれる。

そんなふうに、誰かに言ってほしかった。

部屋には、自分の呼吸だけがあった。

朝と同じくらい静かだった。

でも、その静けさに、真琴はもう耐えられなくなっていた。

ヨガを教える時、真琴はいつも言う。

呼吸は、今ここに戻るためのものです。

でも今の自分は、過去にも未来にも引っ張られて、どこにも戻れずにいた。

運がいいなら、誰か迎えに来てよ。

そう思いながら、真琴は通話ボタンに指を置いた。

呼び出し音が鳴る。

一度。
二度。
三度。

切ろうとした瞬間、低い男の声がした。

「鑑定士のレンです」

真琴は息を止めた。

男は、愛想のかけらもない声で言った。

「で、あんたは何を待ってるんだ」



今日の運を動かす一手

誰かからの連絡を待つ前に、深呼吸を3回する。


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イラストは主観に基づくイメージです

このたび、LaLaLaさんが主催されている
「ペイ・フォワード企画」にて、
ハナエさんから大切なバトンをいただきました。

ハナエさんは、僕のことをとても丁寧に見つめ、
自分では気づけていなかった部分にまで
温かな言葉を届けてくださいました。

素晴らしい漫画やアートを通して、
たくさんの方へ喜びを届け続けているハナエさんから、
こうして想いを受け取れたことは、
僕にとって無上の喜びです。

ハナエさん、本当にありがとうございます。

いただいた優しさを、
そのまま自分の中だけに留めるのではなく、
今度は僕を支え、導き、刺激を与えてくださった方々へ
感謝の気持ちとして送りたいと思います。

今回、僕がバトンをお渡ししたいのは、
さちさん、雪綴さん、山中サトシさん、Tororiさんの4人です。

イラストは主観に基づくイメージです

さっちゃんの文章には、いつも不思議な安心感があります。優しいだけではなく、自分の気持ちにも、読む人の心にも、誠実であろうとする姿勢が一文一文から伝わってくるからだと思います。

ご自身の経験を飾らずに言葉へ変えながら、それを誰かの希望につなげようとする姿には、何度も心を動かされてきました。『こころの在処』や『風ってさ』にも、痛みを知っている人だからこそ書ける温度と、読み手を置き去りにしない優しさが宿っています。

しんどさや迷いを書いていても、最後に残るのは暗さではなく、「今日も生きていていい」と思わせてくれる柔らかな光です。また、自分の記事だけでなく、周りの方の作品やご縁を大切にし、丁寧に紹介していくところにも、さっちゃんらしさを感じています。

僕の作品にもいつも真っすぐ向き合い、温かい言葉を届けてくれて本当にありがとう。その言葉に救われ、「また書こう」と思えた日は一度や二度ではありません。

言葉は目に見えないけれど、人を支える力がある。そのことを、さっちゃんは日々の文章で教えてくれました。これからも、さっちゃんにしか紡げない誠実な言葉が、必要としている誰かの心へ届いていくことを願っています。

イラストは主観に基づくイメージです

雪綴さんは、僕がnoteを続けていくうえで、ずっと一つの目標としてきた方です。

多くの方に読まれ、愛されていることはもちろんですが、僕が本当に尊敬しているのは、その数字の向こうにいる一人ひとりを決して忘れない姿勢です。

『フォロワーゼロの夜に、灯したもの』に描かれた、誰にも届かないかもしれない怖さを抱えながら、それでも公開ボタンを押した最初の一歩。その小さな灯りを大切にしたまま、継続し、工夫し、交流を重ね、今では50万ビューという大きな景色へたどり着いている。

その歩みを見ながら、僕も「いつかここまで行きたい」と何度も背中を押されてきました。記事の届け方、読者とのつながり方、企画を通して誰かに光を当てる姿勢まで、学ばせていただいたことは数え切れません。成果を自分だけのものにせず、感謝や応援として周囲へ返していくところも、本当に素敵です。

追いかけたい背中があったからこそ、僕も諦めず、自分なりの歩幅でここまで進んでこられました。

目標は、遠くにあるだけでは人を動かしません。そこへ向かう姿を見せてくれる人がいて、初めて希望になるのだと思います。大きな目標と希望を見せ続けてくださり、本当にありがとうございます。

イラストは主観に基づくイメージです

山中サトシさんには、創作者としてだけでなく、noteという場所で作品を届け続ける一人の表現者として、深いリスペクトを抱いています。

詩や小説というご自身の核を大切にしながら、日々の発信、読者との交流、マガジン、企画、書籍、音楽へと世界を広げていく行動力には、いつも驚かされます。それは流行を追うだけではなく、「作品と読者が出会う場所をどう作るか」を考え抜き、実際に形へ変え続けてきた積み重ねなのだと思います。

『今日の小説タイム』をはじめ、読者が気軽に物語へ触れられる入口を作りながら、詩では短い時間の中に余韻を残す。表現の幅が広くても、その中心にはいつも「誰かの心を動かす」という揺るがない軸があるように感じます。

継続するだけでも簡単ではない中で、新しい試みにも臆せず挑戦し、さらに周囲のクリエイターへ光を当てていく。その姿勢には、学ぶことばかりです。

数字や実績の華やかさ以上に、その裏側にある圧倒的な継続力、構想を現実に変える実行力、そして読者を楽しませようとするサービス精神を尊敬しています。

同じnoteで活動する者として、山中さんの背中から多くの刺激をいただいてきました。これからも独自の世界を切り拓き続けるご活躍を、心から応援しています。

イラストは主観に基づくイメージです

Tororiさんの言葉には、痛みを知っている人だからこそ生まれる、静かな温かさがあります。

毒親育ちや、相手に合わせすぎてしまう恋愛の苦しさ。簡単には言葉にできない経験を、ご自身だけの傷として閉じ込めるのではなく、今まさに同じ場所で悩んでいる誰かのために、丁寧に差し出し続けています。

「返信がないだけで不安になる」「嫌われるのが怖くて断れない」。そんな気持ちを否定せず、「あなたが弱いからではない」と伝えてくれる文章に、救われている方はきっと多いと思います。

僕の作品にも、登場人物の心へ深く入り込み、ときには怒り、ときには涙しながら、いつも真っすぐな感想を届けてくださいました。その言葉からは、物語として読むだけではなく、そこにいる人の痛みを本気で受け止めようとする優しさが伝わってきます。

受け取れなかった愛を、誰かを安心させる言葉へ変えていくこと。それは簡単にできることではありません。

Tororiさんの過去から生まれた言葉が、今日もどこかで「もう自分を責めなくていい」と、誰かの心をそっと抱きしめている。そんな優しさを届け続けてくださり、本当にありがとうございます。

note版ペイ・フォワード プロジェクトはLaLaLaさんが開催されています。
企画の詳細はこちら▼

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