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【わかってきたぞ】天使に関する備忘録17【悟り・気づき】

 おれだ。前回の続きだ。カバラについてもうちょっとやってみよう。

◆爆◆

◆発◆


モーゼス・コルドヴェロ

 復習しよう。ローマ帝国に滅ぼされて国家の独立を失ったユダヤ人は、世界各地に離散しながらも独自のアイデンティティを保ち、学者・医者・商人など知恵を活かした生活スタイルを身に着け、時々迫害されながらも暮らしていた。しかし14世紀から欧州各地での迫害が厳しくなり、ユダヤ人はキリスト教に改宗したりゲットーに隔離されたり、各地に亡命したりするようになった。その後も宗教改革やなんかで欧州は戦乱の巷と化したため、多くのユダヤ人は迫害が少ないポーランドや、聖地エルサレムがありイスラム法により立場が保障されているオスマン帝国などへ移住していくことになる。

 ガリラヤ湖の北にサフェド(ツファット)という古い街がある。ここには15世紀末頃から亡命ユダヤ人が住み始め、1517年にオスマン帝国がエジプトのマムルーク朝を破って併合した頃には300世帯ものユダヤ人が住んでいた(1世帯7人として2100人)。同年に暴動が起きてやや減ったが、1525年頃にはイスラム教徒633世帯に対してユダヤ人232世帯が住んでいたという。やがてサフェドは亡命ユダヤ人がもたらした毛織物産業の中心地となり、1555年頃にはイスラム教徒1300余世帯に対しユダヤ人760余世帯に増え、1568年頃には住民1931世帯のうち945世帯(約7000人)がユダヤ人だったという。ヤコブ・べラブヨセフ・カロなど多くの亡命ユダヤ人出身のラビがこの街に集まり、1538年には古代のサンヘドリン(長老会議)を復活させようという動きもあったと伝えられる。

 1522年、この街にモーゼス・ベン・ヤコブ・コルドヴェロというユダヤ人が生まれた。名字からしてアンダルシアの街コルドバ出身っぽいが、署名はポルトガル語でコルドエイロと書かれているため、コルドバからポルトガルを経てオスマン帝国に亡命したセファルディム(スペイン在住ユダヤ人)の子孫だろう。彼は20歳の時にカバラを学ぶよう促す天の声を聴き、『ゾーハル』などのカバラ文献を熱心に研究するようになった。この頃にはメイア・ベン・エゼキエル・イブン・ガッバイが『ゾーハル』を研究して汎神論的な著作をものしているから、おそらくその影響も受けている。

 1548年、26歳のコルドヴェロは最初の著作『ザクロの果樹園(パルデス・リモニム)』を完成させた。これは当時のカバラ思想を体系化したものだ。他にも多くのカバラに関する著作をものして名声を高め、ユダヤ教の学校(イェシーバー)での講義を行い多くの弟子を持つが、1570年6月に48歳で世を去っている。彼の教説を受け継いだ一人がイサク・ルリアだ。

イサク・ルリア

 イサク・ルリア/イツハク・ルリア・アシュケナージは1534年、オスマン帝国統治下のエルサレムに生まれた。父のソロモンはドイツ(エレツ・アシュケナジム)から亡命して来たアシュケナジ系のユダヤ人で、母はスペインから亡命して来たセファルディム系ユダヤ人だったが、イサクが幼い頃に父が没し、母方の叔父モルデカイ・フランシスに育てられた。

 モルデカイはエジプト・カイロ出身の裕福な人物で、イサクをエジプトの首席ラビでセファルディム系のラビ・ダビデ・ベン・ソロモン・イブン・アビ=ジムラをはじめとする最高のユダヤ教教師に学ばせた。イサクは15歳の時に叔父モルデカイの娘と結婚し、叔父をパトロンとしてラビになるべく学業を続けた。またイサクの父方の叔父ベザレル・アシュケナージもエジプトにいたので、彼にも学ぶことになる。

 22歳の時(1556年)、彼は当時初めて出版された『ゾーハル』の研究に没頭するようになり、ナイル川のほとりの人里離れた小屋に籠って7年間に及ぶ隠遁と瞑想の生活に入った。安息日には家に戻ったが、妻にさえ一言も話さなかったという。その後もカバラの研究を進め、独自の教説を唱え始めたが、人々には受け入れられなかった。1569年にはエジプトを去って故郷エルサレムに滞在し、翌年にはコルドヴェロに会うためサフェドを訪れたが、彼はすでに病床にあり、イサクに教えを伝えた後、同年6月末に没している。

 36歳のイサク・ルリアは、コルドヴェロの遺したカバラ文献をもとにさらなる研究と講義を行い、やがて神秘主義的な一種の教団を組織し、コルドヴェロの弟子たちを取り込み始めたらしい。彼はハ・アリ/アリザル(獅子)、ハ・アリ・ハ・カドシュ(聖なる獅子)などと呼ばれ、弟子たちから預言者エリヤの啓示を受けたメシアとして崇められた。しかし彼も1572年7月に38歳の若さで世を去り、弟子のハイイム・ベン・ヨセフ・ヴィタルらによってその教義が書き残された。イサク・ルリア自身はほとんど書物を書き表していないため、彼の教えとされるものは弟子たちにより編纂されたものだ。

生命の木/八つの門

 1573年、イサク・ルリアの死の翌年に編纂されたのが『エツ・ハイム』すなわち「生命の木」と題された書物だ。もとの題名は『シェモナ・シェアリム(八つの門)』といい、その名のように8つの巻(著作、紹介、通路、詩文、祈り、戒め、聖霊、転生)から構成されている。弟子たちは秘密を保つためこれを写本としてのみ流通させ、印刷することも国外に流出させることもしなかったが、次第にその教えは伝聞混じりながらに広まり、17世紀にはヨーロッパでも知られるようになっていく。『エツ・ハイム』として改訂版が出版されたのは18世紀後半のことだという。

 10のセフィロトの名については様々な意見があったが、ルリアのカバラ理論ではヨセフ・ギカティラの『シャアレ・オラ(光の門)』(1293年以前にカスティーリャ王国で編纂)のものを重視する。すなわちケテル(王冠)、ホクマー(知恵)、ビナー(理解)、ヘセド(慈愛)、ゲブラー(力)、ティフェレト(美)、ネツァク(勝利)、ホド(栄光)、イェソド(基盤)、マルクト(王国)だ。それぞれに神名が配され、様々な属性が定義される。これらが互いに組み合わさり、22のヘブライ文字によって繋ぎ合わされ、神の光/力の経路となったのが例の「生命の木」モデルだが、これもどのようにセフィロトと文字が配列されているかは、18世紀ぐらいまでは定まらない。ケテルの真下にダアト(知識)を加える説すらある。

 またルリアのカバラでは、14世紀の『マセケト・アツィルト』を参考にして、4つの霊的世界/創造段階があるとする。創造以前の段階は神が名を現すより前のアイン・ソフ(無限)であり、ケテルの内部にアダム・カドモン(人間の原型/イデア、アダム・エリヨン/至高のアダムとも)として秘匿されている。アイン・ソフ(無限)からオール(光)が流出する段階がアツィルトだが、まだ神からは何も分離していない。次にベリアー(創造)の段階が始まり、形を持たない存在である高位の天使たちが創造される。さらに下位の天使たちが創造されるイェツィラー(形成)の段階を経て、アッシアー(活動)すなわち物質世界が生じるのだ。ゾロアスター教の創世神話でも、アフラ・マズダーが万物を霊的に創造したのち物質界が創造されたという。

収縮・破壊・修繕

 イサク・ルリアの思想の特徴は、「」の問題を重視したことだ。完全な存在である神が創造したこの世界が、何故不完全で罪と悪と死に満ちているかという「悪の存在」に関する議論は非常に古くから議論が重ねられて来たが、明確な答えは出てこなかった。グノーシス主義では創造主を邪悪で不完全な存在とし、真の神はこの世とは無関係だとするし、ゾロアスター教では対立する善と悪の神が互いに争っているのがこの世だとするが、一神教ではそうもいかない。またカバラや新プラトン主義はいわゆる「汎神論」で、全ては単一の神を源泉として流出したとするが、ならば世界の総体が神となってしまい、悪は神の中に含まれる一性質だということになってしまう。それでもよさそうだが、これを解決するためいろいろ屁理屈が捏ねられた。

 まず、創造開始以前の神は「無限」であるから、あらゆる空間は神に埋め尽くされており、どこにも何かが「流出」する空間が存在しない。そこで神はどうしたかというと、無限である自らに神名を与えて限定的な「有限の」存在に収縮(ツィムツーム)し、アイン・ソフから光が流出する隙間(テヒル)を作り出したというのだ。哲学的だが理屈はわかる。収縮した神は空間を持たない点(モナド)となったが、神が存在しなくなった有限の空間にも無限の神が存在した痕跡(レシム)が残っている。

 続いて、神は光をこの有限の空間に放射(流出)した。これが「光あれ」であり、『創世記』に記される創造の開始だ。ところが光が強すぎて、有限の空間の外殻(ケリーム/器)がそのパワーを受け止めきれず破壊されてしまった。光は器の破片とともに分散し落下して、秩序なき「渾沌の世界」すなわちこの世を形成した。そうならないように神が加減すればよかった気もするが、これも神の思し召しだろう。これが悪の起源であり、「アダムが罪を犯してエデンの園から追放された」というのはこのことなのだという。「光あれ」から失楽園までの間がキング・クリムゾンされたが気にするな。

 10のセフィロトのうちケテル・ホクマー・ビナーの3つは破壊されなかったが、他の6つは砕けて神のもとに戻り、最後のマルクト(王国)は渾沌の世界に離散してしまった(ユダヤ人の国が失われ、今も離散していることをいう)。アダムの子孫である人間は、こうして土で作られた肉体の中に神の似姿である光のかけら(命の息/火花)を持つ、不完全な存在となったのだ。神は世界を「修復」するためセフィロトたちを再び動かし、創造のみわざを今も続けている。すなわち、世界の創造はいまだ終わっていない

 従って人間は、ことにユダヤ人はこのことを自覚し、おのれの中の光を神のもとに戻し、この世での善き行為により、破壊された世界を「修復」(ティックーン・オーラム/世直し)しなければならないのだという。いろいろ理屈がくっついているが、どう見てもグノーシス主義やマニ教の焼き直しだ。神を悪とはしないまでも創造を失敗したとするのだから、神の全知全能性に瑕がつく気がするが、まあ『イザヤ書』にもこうあるし、いいだろう。

 わたしは光をつくり、また暗きを創造し、繁栄をつくり、またわざわいを創造する。わたしは主である、すべてこれらの事をなす者である。

イザヤ書45:7

 好意的に解釈するなら、神は自らを「収縮」したことで、この世に神ですら意のままにならない「自由」な領域を設定したことになる。従って人間や天使には自由意志があり、神だけでは解決しなくなったこの世の修復を手伝って、創造を完成させることが生きる目的となる。神の意志から離れて勝手に振舞うことも可能だが、それでは救済に至ることがない。そうした魂は死後に悪霊となるか、修復を完成させるまではこの世に囚われて輪廻転生(ギルグル)することになる(輪廻転生は新プラトン主義に伝わっていたため、カバラ思想でも認めている)。人間は神の命令に唯々諾々と従い、恩寵を請い求めるだけの哀れな存在ではなく、自由意志に基づいて神や天使とともに働き、この世を完成させる「神の地上における代理人」となったのだ。

 このルリア式カバラの教義は、ピコ・デラ・ミランドラの『人間の尊厳についての演説』と同じく人間の自由意志と能力の善用を肯定し、キリスト教徒やイスラム教徒に服属させられて離散と迫害に打ちひしがれていた亡命ユダヤ人にポジティブな誇りを取り戻させることとなった。イサク・ルリアがユダヤ人からカリスマ的に尊敬され、メシアと呼ばれたのもむべなるかな。

◆救◆

◆世◆

【続く】

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